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待ち人は来ない

「……お嬢さま……お嬢さまっ、起きてください!」


 ロザリーは、ハッとして顔を上げた。いつの間にかうたた寝をしていたらしい。


「お嬢さま、こんなところでうたた寝をしていてはお風邪を召してしまいますわ」


 小間使いの女性が、呆れた顔をして彼女を覗き込んでいた。確かに客間は寝る場所ではない。


「ええ、そうね。体によくないわね……」


 ロザリーは窓の外に目をやった。いつの間にか日が傾き始めている。


 慌てて立ち上がると、肩掛けがするりと落ちた。


 いつリディアーヌがやって来ても見苦しくないように、と、選んだピンクのドレスは肩から胸のあたりにかけてツルツルしたサテン地が使われていた。


 華やかな生地の質感を活かすためにレースもフリルも控えめだから、肩掛けが落ちやすいのだ。


「あらあら……大丈夫でございますか? お嬢さま」


 小間使いが拾い上げた肩掛けを受け取りながら、ロザリーはため息をつく。


「最近ぼんやりしていらっしゃることが多いですね。本当にどこかお加減が悪いのではありませんか?」


 言い訳をするのも面倒で、ロザリーは曖昧に笑った。確かにここ数日、ずっと心ここにあらずだ。


(リディアーヌお姉さまのことばかり考えてしまう……)


 リディアーヌが訪ねてきた日からもうすぐ三週間になる。


 両親を亡くしたあの日から、こんなに長期間リディアーヌと会わなかったことなどない。


(お姉さまに、何かあったのかしら?)


 ロザリーの心は乱れた。彼女は待っているだけの女ではない。


 リディアーヌの屋敷に使いをやって手紙を届けたりしている。


 それでも彼女からの反応はないのだ。


 リディアーヌの方から来てくれるのではないか、と期待してロザリーは客間に入り浸っている。


 だが、そんな時に限ってリディアーヌだけでなく来客の一人もない。


 待ち人も、気を紛らわせる訪問客すらもなく、ロザリーは落胆した。


*******************************************

発見


(今日もリディアーヌお姉さまはいらっしゃらなかった……)


 そろそろ夕食に備えて着替える時間だ。


 ロザリーは、ガッカリした気分を隠すことなくトボトボと自室に向かった。


 その途中、誰も使っていない部屋の窓辺で何かが揺れているのが見えた。


(あら、なぜかしら?)


 不思議に思ったロザリーは部屋の中を覗いてみた。


 薔薇柄を施されたレースのカーテンが窓辺で揺れている。


「あら、窓が開いたままだわ」


 五月とはいえ、夜は冷える。家全体が冷えてしまう前に窓を閉めようとロザリーは部屋の中に入った。


「この部屋に入るのは初めてね」


 彼女はつぶやきながら、窓をパタンと閉めた。


 この屋敷はロザリーの実家ではない。アーサーとの結婚に備えて15歳を迎える前に移り住んだのだ。


 間借りしている身であるし、年齢的にも屋敷内を探検してみる気にはなれなかった。


 この屋敷は、アーサーの姉であるエメリーヌの嫁ぎ先である。


 もっとも貴族など何処かで繋がりがあるもので、ロザリー自身も縁のある家ではあった。


 それでも他人の家というのは煩わしいものだ。


(いくら私が図々しいタイプでも、やはり気は使うわ)


 実家である伯爵家から嫁に行くという選択肢もあったが、いずれ当主となるアーサーが出入りするとなれば叔父に気を使わせることになる。


(叔父さまは独身ですし。世間の目や叔父さまの立場を考えると難しいのよね)


 面倒だが、エメリーヌにも、デュヴァリエ家の人々にも良くしてもらっているロザリーに不満はない。


 いずれ親戚関係になるのだから遠慮は無用、と、いうエメリーヌの言葉にも同感だ。


 お世話になった恩は、後からゆっくり返していける。


 だからこそ、ありがたく住まわせて貰っているのだ。


 婚約者であるアーサーにも不満はない。不満はないからこそ、複雑になる場合もある。


 ぶっちゃけたところ、ロザリーはリディアーヌのことも好きであるし、アーサーのことも同じくらい好きなのである。


(リディアーヌお姉さまのことも大好きだけど、アーサーのことも同じくらい好き。私は……気の多い、ただの変態なのかしら……)


 ロザリーの小さな頭と細身の体の中には、可愛らしい悩みがいっぱいに詰まっていた。


「ハァ……」


 溜息をついた彼女は、振り返った拍子に部屋の片隅にあった箱をうっかり蹴り倒してしまった。


「あら、いけない」


 ロザリーは急いで飛び出した物を箱の中に戻した。


「……あら?」


 彼女は一枚の絵に手を止めた。古びた紙の上に描かれた人物 ―― そこに描かれていた少女に見覚えがあったからだ。


「これは……お姉さま?」


 そこに描かれている少女は、リディアーヌにとてもよく似ていた。しかし、淡い金髪に包まれた顔に収まっているのは青い瞳だ。


「よく似ているけど……違う方ね」


 まだ十歳にもなっていないであろう幼い顔立ちの少女だが、とても美しい娘だということは分かる。


「もしかして……お姉さまのご先祖さまかしら?」


 ロザリーの心を温かなものが包む。


「お姉さまの、おばあさまかしら? 美しいのは血筋なのね」


 しかし次の瞬間、描かれた少女の首筋を見てハッとした。


 そこには小さな傷痕があったからだ。刃物による切り傷のような……小さくて生々しさを失った小さな傷痕。


「えっ? リディアーヌお姉さま? ……いえ、そんなハズはないわ。目の色が違うし。お姉さまであれば、紙がこんなに古ぼけているわけがない……でも、この傷痕は……お姉さまと同じ?」


 ロザリーは混乱した。そして、気付いた時には、絵を握りしめて部屋を飛び出していた。



*************************************************************************************

昔々



 答えを知りたい。いや、知らなくてはならない ――


 そんな気持ちに追い立てられるようにして、ロザリーはある部屋の前に立った。軽くノックをして呼び掛ける。


「おばあさま。いま、よろしくて?」


 おばあさまといっても、ロザリーの祖母ではない。エメリーヌの義理の祖母である。


「どうぞ」


 小さな声が響いた。


「お邪魔します、おばあさま」


 ロザリーは扉を開けて中に入ると、そっと閉めた。


「ふふ。どうかしましたか? ロザリー」


 揺り椅子に座った上品な老婦人がこちらに笑顔を向けた。ロザリーは、優しくて温かな人柄を持つこの老婦人のことが大好きだった。


「少しお聞きしたいことがありまして。この絵なのですけど……」


「どれどれ……」


 老婦人は、ロザリーが手にした絵を覗き込んだ。夕暮れが迫っていたが、部屋は十分に明るい。


 絵をじっと見ていたおばあさまは溜息をひとつ吐くとロザリーに視線を移した。


「これは、あの方の絵よ」


「あの方?」


「ええ、あの方。リディアーヌさまの遠縁にあたる方よ。まだリディアーヌさまのお父さまもあの屋敷にはいなかった頃。遠い昔にお会いしたことがあるわ」


(リディアーヌお姉さまのお父さまが生まれる前の話なのね)


 ロザリーは老婦人に聞いた。


「おばあさま、この方とお会いしたことがあるのですか?」


「ええ。それはそれは美しい方でしたよ。しかも、とても優しい方で……。私がまだこんな、小さな女の子だった頃にお会いしたの」


 おばあさまは揺り椅子のひじ掛け当たりを手で示して、昔を懐かしむように笑った。


「あの方は、小さな私にもレディのような扱いをしてくださったわ。見た目だけでなく、内面まで美しく優しい方……。あぁ、そうね。あの方はリディアーヌさまの大おばさまにあたるのだわ」


「そうなのですね」


 ふんわりした気分がロザリーを包んだ。


 だが、おばあさまが放った次の言葉に、そんな気分は吹き飛んでしまった。


「そんなあの方を悲劇が襲ったのは、お会いしてから間もなくのことだったわね」


「悲劇?」


 ロザリーは首を傾げた。

 

「あぁ、今の若い方は知らないわね。社交界では有名な悲劇だったのだけれど……それだけ時間が経ったということね。私も年をとるはずだわ……あの方は十八歳という若さで亡くなってしまわれたの」


「えっ?」


「結婚も間近に控えて。女性にとって幸せな時だったというのに……」


 おばあさまの柔和な顔が憂いに陰った。


「お葬式には、私も参列したから覚えているわ。ご両親も嘆き悲しみ……若い命を惜しむように式は豪華なものだったわ。まるで、結婚式のように」


「まぁ」


「棺の中は見せられないと、既に固く閉じられていて。どのような亡くなり方をされたのかも分からなかったけれど。ひとつ、強く残っている記憶があるの」


「それは、どのような?」


 おばあさまは納得できない様子で溜息を吐きながら首を横に振りながら答える。


「薔薇の香りよ」


「薔薇?」


「ええ、薔薇の香り。それはそれは濃い、薔薇の香り。気分が悪くなるほどだったわ。早すぎるお別れを惜しんで、香水でも撒いたのかしら? と、思うほどの香りがしていたわ」


「お葬式としては……変わっていますね」


「ええ、お葬式には不似合いよ」


 おばあさまは顔をしかめた。


「口の悪い人達のなかには『薔薇に殺された』なんて言い出す者もいたわ。だから、記憶に残っているの」


「まぁ、酷い。不謹慎だわ」


 ロザリーが悲鳴のような声を上げると、おばあさまはゆっくりと頷いた。


「そうでしょう? もっとも、そう言われてしまうだけのお家ではあるのよ。あのお家は。お金持ち過ぎるから……他人の嫉妬とは、怖いものよ」


「ええ、確かに」


「あのお家は、魔王に娘を嫁がせる家とも言われているの」


「魔王?」


「ええ。もちろん、例えでしょうけれど。実際に娘を魔王に嫁がせるようなお家はないし。魔王がこの世にいるわけもないですからね」


 クスリと笑うと、おばあさまは話しを続けた。


「実際には、どこか遠方のお金持ちのお家……王族という噂もあるわ。とにかくお金持ちでいいお家へ嫁がせるのだと言われていたわ。だからあの家は豊かなのだ、娘と引き換えに手に入れた財力だ、と口の悪い人達は言っていたわね。もっとも取引のように美しい娘を嫁がせるなんて、貴族のなかではよくある話ですもの。珍しくもないわ」


「そうですわね」


 おばあさまは懐かしそうに遠くを見る目で言う。


「あの方に直接聞いたこともあるのよ。私。まだ小さな女の子でしたからね。無邪気に聞いたわ。『魔王さまのところへ、お嫁に行くのですか?』と、ね」


 おばあさまは昔を懐かしむように笑った。


「あの方は面白い方でね。『ええ、そうよ。私は魔王さまの花嫁になるのよ』なんて。冗談を言ったりしてね……ほら、ここの傷痕」


 おばあさまは絵の首筋あたりを指さした。


「えっ?」


 ロザリーの血が凍ったように、全身に冷たい感覚が走る。


「この首筋の傷痕が、魔王の花嫁になる証、と聞いたわ。もっとも。小さな女の子を愉しませるための、罪のない嘘だったのでしょうけどね」


「えっ……ええ」


(お姉さまと同じ傷痕が、魔王の花嫁になる証……)


 おばあさまは懐かしそうに話を続けていたが、もはやロザリーの耳には何も入ってはこなかった。



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