薔薇咲く屋敷へ
「……これでよしっと」
机の上に置かれたのは、一通の手紙。
アーサーに宛てた手紙からは、ほのかな薔薇の香りがした。
これが最後の手紙になるとは思ってはいないが、万が一ということもある。
何の手がかりもなく消えることがどんなに罪深いか、ロザリーは身をもって知っていた。
だから手紙を書いた。
もうひとりの愛しい人のために。
これでもう、心残りはない。
「待ってて、お姉さま。私が行くわ」
ロザリーは意を決したように、宝石箱の中から目当ての品だけを出して丁寧に閉めた。
「私を守って」
ロザリーは、印章のついた太い指輪にそっと口づけをした。そして、窓から飛び出した。
リディアーヌの屋敷までは、歩いても行ける距離にある。
誰にも伝えず内緒で行くのだ。徒歩で移動するしかない。
しかも夜道だ。だがロザリーに迷いはなかった。
昨日の夜。
また夢にリディアーヌが現れた。彼女は幼い少女のように泣いていた。
「魔王のせいよ」
鼻息荒くロザリーは吐き出すように言った。
妖艶に見えたリディアーヌは、呪いにかかっているのかもしれない。
魔王がいるくらいだ。呪いくらいかけ放題だろう。
アーサーはロザリーがリディアーヌに似てきたと言った。
ならば、その呪いはロザリーにも魔の手を伸ばしてきているはずだ。
自分に向いた刃になら戦いを挑んでも許される。
「許さない」
ロザリーはつぶやく。
リディアーヌを守りたいという気持ちはあるが、それだけでは足りない。
淑女の宿命だ。
だが自分も巻き込まれているのであれば堂々と戦いを挑める。
リディアーヌが幸せになる結婚なら、ロザリーは涙をこらえて送り出すつもりだった。
本当だ。
彼女が望むのはリディアーヌの幸せだけだ。
だが、それが叶わないなら話は別だ。
「お姉さまは、私のものよ」
ロザリーは一人、ヴェロアン侯爵家を目指した。
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「なぜにキミは、ボクを頼らないかなぁ」
アーサーはロザリーの後をつけながら独り言ちた。
彼女が屋敷から忍び出る姿を見かけたのは偶然だ。本当に偶然なのだ、ロザリーを監視しているわけではない。
が、常に気を配っていた。なにせ、将来の伴侶なのだ。気にかけて何が悪い。
「それにしても、無茶をするね」
幼馴染だから、ロザリーの身体能力の高さは知っている。だから心配などしていない。
屋敷の窓から出てくるくらいなら平気だ。
だが、夜に一人歩きはいただけない。
「まったく、仕方ない子だ」
それでこそ我が伴侶、との賞賛は心のなかの声として、アーサーは彼女の後をそっとつけていった。
ロザリーは目的地に着いた。
夜道をビクビクしながら歩いてここまで来たが、危ない目にあうどころか他人の姿は目にしていない。
(夜は昼間とは雰囲気が違うものだけど……今夜は特別に異様だったわ)
やはり、何か邪悪な力が作用しているに違いない。
ゴクリと唾を呑み込むと、ロザリーは庭へと向かった。
目指すのは薔薇の花。
壁のように蔓巻く薔薇の向こう側へロザリーは行かなければならない。
(でも……どうやって?)
来てはみたものの、ロザリーは薔薇の壁の向こうへ行く手段を持ってはいなかった。
だが、声をかけられて自分の悩みが杞憂であることを知る。
「お待ちしておりました」
ロザリーの前に現れたのは、執事服に身を包んだ初老の男だった。
「……あの?」
ロザリーの戸惑いを溶かすように初老の男は穏やかな笑みを浮かべた。
「お迎えにあがりました。主のもとまで私が案内いたします」
「……ご丁寧に、どうも」
迎えが来たって、驚くほどのことではない。
相手は魔王なのだ。
それが分かっていても、ロザリーの心は怯えに震えた。
だからといって、引き返すわけにはいかない。
(私はリディアーヌお姉さまを取り戻すのよっ!)
ロザリーは怯む心に喝を入れながら、男の後ろについていった。
庭は暗かった。
月明かりもない暗闇の中を男は慣れた様子で進んでいく。
蔓巻く薔薇の壁を越えたのはいつだったのか。
ロザリーには分からなかった。
気付けば目の前に、見たことのない薔薇のアーチがあった。
「ここから先は、お一人で行っていただきます」
「え?」
男の言葉にロザリーは戸惑った。
「どういう意味かしら? ここまで連れてきておいて、今更帰れというのですか」
「いいえ。私はここで待機です」
「なんですって?」
ロザリーをここまで連れてきておいて後は自分で行けとはどういうことなのか。
(屋敷なり主人の所なり、案内するのが筋でしょ?)
苛立つロザリーを何の感慨もなく見ながら、初老の男は手で先を示した。
「私は、あそこに入ることができません。ですが、貴女さまであれば中に入ることができるでしょう」
「えっ……」
ロザリーが驚いて示された先をみれば、薔薇のアーチが目に入った。
綺麗な弧を描く薔薇の先には、庭が広がっている。さらにその先には、大きな建物が見えた。
「貴女さまであれば、入ることができます。恐れることなく中にお進みください」
男の口調は、どこか懇願を帯びていた。
(この男は何者で、何を望んでいるのだろう?)
ロザリーの中に疑問がよぎっていった。しかし今、大切なのはリディアーヌだけだ。
(行くしかないっ)
ロザリーは勇気を出して薔薇のアーチの前に立つと、慎重に一歩踏み出した。




