お弁当
銭湯から出た四人はすっかり暗くなった空の下で輝きを増した人の溢れかえる街道を歩く。
将棋で全敗し、悔しがる辰之助を急かしながらも彼の前を歩く三人は逸れないように足並みを揃え、店へと向かっている最中だった。
「…次は勝つ…!」
「辰之助って以外と負けず嫌いなんだねー」パクパク…
そんな辰之助の前を麗が銭湯で貰った饅頭の袋を抱えて、美味しそうに頬張りながら歩いていた。
「少しだけって言ったでしょ?それ何個目?」
「五つ目」
「没収」パシ
「あぁー!返してぇー!」
「ご飯食べた後にしなさい」
「けち!」
「何とでも言いなさい」
「ぶー」
暫く歩いていると、灯黎が小さな店の前で立ち止まった。
「さ、着いたわよ」
中に入れるような扉や空間は無く、受付のような机とそこに座る人、僅かに見える奥側は全て厨房という珍しいお店。
辰之助は一度だけ、別の街でこれと同じ形式の店を見た事があり、そこが何の店かを直ぐに理解した。
「ここ…弁当屋か?」
「ここだとお持ち帰り出来るからね、迅と絢華が残ってるんだから外で食べる訳にも行かないでしょ?」
「…それも…そうか」
辰之助の納得と同時に麗が目を輝かせ、涎を垂らしながら地面に置かれた看板に書かれている献立表を指差す。
「私、これ!この天ぷらの奴がいい!二つ食べる!」
「はいはい」
「弥宵は?」
「何でも良いです」ボソッ
「それじゃ困るの、はっきりしなさい」
「……じゃあこの…えっと…牛の串焼きを…」ボソッ
「一つで良い?」
「…私は良いけど…迅さんは食べるかな…」 ボソッ
「じゃあこれ二…いや三つにしましょ、辰之助は?」
「焼鮭のを一個」
「…じゃあ私は…と…」
―――――
「はい、お待たせー、温かいうちに食うんだよー!」
「ありがとう、皆行きましょ」
「「「はーい」」」
灯黎は暖かい感触を残す七つの弁当箱を入れた二つの紙袋を手にかけ、片方を辰之助へと渡すと全員で宿の方へと歩いていく。
スタスタ…
「最近はその場で作ってくれるのね」
「…結局…灯黎さんは何にしたんですか?」ボソッ
「ん?おむすびにした、安かったからね」
「えぇ!?そんなので良いの!?」
「良いのよ、あんまり無駄遣いしたくないし」
「何か…ごめんなさい…」
「そういうのも気にしなくていいの、皆が少しでも贅沢出来る様に私が勝手に頑張ってるんだから」
「灯黎さんは贅沢しなくて良いの?」
「…私が贅沢したら皆が苦しくなるでしょ?それに…」
「……それに…?」
「………生きてここに居るだけで、私は充分過ぎるくらいに恵まれてるから…」
「…どういう事?」
「……こっちの話よ、知りたかったら我儘やめなさい」
「じゃあ知らなくて良いや」
「あんたねぇ…」
――鬼桜の宿
街の中心から一歩遠ざかる度、辺りからは人と花びらと煌めきが消え、静かな夜の町へと変貌を遂げていく。
灯りすら付いていない建物が立ち並ぶ中、たった一つの小さな宿の玄関から暖かな光が漏れ、その灯りを遮るような数人分の影が忙しなく動いているのが見えた。
帰ってきた四人を迎えたのは当然の様に迅だったが、四人はその状況を確認すると同時に言葉を失う事になった。
「帰ったか」
「お帰りなさいませ…!」
絢華と迅は壊れた玄関を直している作業中だった。
灯黎からすればそれ自体は別に良かった、迅が絢華を守った結果なんだろうと納得していたし、予想も出来ていた。
故に多少の呆れはあれど怒りは無いし、その行動を起こすと分かっていたからこそここを離れていたのもあった。
だが問題はそこでは無い。
「ねぇ…迅…」
驚きを隠しきれていない少し揺れた声で灯黎が尋ねる。
「何だ?」
「…その人達…誰?」
真の問題はそれをしているのが二人だけでは無かった事だ。
「誰だテメェら!!」
「あっちいけ、しっしっ!」
全く見知らぬ傷だらけの男達が数人、修復作業を行っている最中、こちらを気付くとチンピラの様にオラつき、追い返そうとしてきた。
「こいつらは知り合いだ、慎め」
「し、失礼しやした!!」
「貴様らは作業以外何もするな、持ち場に戻れ」
「「「「「「へい!兄貴!!」」」」」」
迅の言葉に死ぬ程息のあった返事が宿中から響き渡る。
見知らぬ体格のいい男達、そしてそれを束ねる迅という状況に流石の灯黎も理解が追いつかなかった。
「…説明…貰える?」
「絢華の借金取りの話は知ってるか?」
「…えぇ…聞いてるけど…確か組から借りてて…」
「そこの組を壊滅させた」
「………は?」
「それでこうなった」
「いやいや、意味が分からないんだけど!?」
「俺だって分からない」
「あんたは分かっときなさいよ!」
「そうは言われてもな…」
「…あの…私…一応分かります」
絢華が手を止めて五人へ近づき、気まずそうに話し始める。
「ほう、教えてもらおうか」
「何であんたが…」
「…彼らは藤沢組という武闘派組織の組員です…皆様が出ていってから暫くしてからその組の若頭がここに来て…それを迅様が一撃で倒したんです、今も気絶してるので適当な部屋に寝かせてます」
「ご愁傷様だね」ボソッ
「死んでいない、加減はした」
「その後…報復に組長が組の全員を引き連れて来たんですよ、それすらも皆ボコボコにして…最後には組長をも一撃で…そこから全員が迅さんに惚れたとか何とかで…」
「何でそうなるのかは放っておいて…それがどうして宿に?」
「役に立ちたい、何かしたいとしつこかったから扉の修理と部屋の掃除とその他細かい宿の修繕をさせている、お前達が戻ってくるか終わったら帰らせる気だった」
「……なるほど…何とか分かったわ」
灯黎が頭を抑えながら苦しそうに答えると諸々の作業が終わったのか、全員が集まってきた。
それなりに体格のいい男達が綺麗に並び、次の指示を待っているのはあまりにも絵面が暑苦しい。
「終わりやしたぜ!兄貴!」
「そうか、帰れ、そして二度と来るな」
お世話になりましたぁ!!
再び息のあった声が響き一斉に夜の街へと駆けていく。
あまりにもむさ苦しい光景に心の奥底で苦笑いしながら六人はその後ろ姿を見送った。
「はぁ…でも大事じゃなくて安心……いや結構な大事ね、組を潰してるんだから」
「あ、絢華さんが助かったので良し!」
「……それもそうね、お弁当買ってきたから一緒に食べましょう」
「気が利くな」
「まぁね…絢華さんも落ち着いたようで何より」
「う…その節は本当にご迷惑をお掛けしました」
「大丈夫大丈夫!気にしてないよ!」
「…ありがとうございます…」
「冷める前に食べるわよ」
「はーい!」タッタッタッ…
―――鬼桜の宿 居間
相変わらず狭い部屋の中、ちゃぶ台を六人で囲んでそれぞれ選んだほんのりと温もりの残ったお弁当を美味しそうに頬張っている。
「正直期待してなかったが…中々美味いな」
「悪くない味だ」
「…灯黎さん…本当にそれで良かったの?草の天ぷら食べる?二つあるよ、ほら茄子も」
「貴方が要らないだけでしょ、ちゃんと食べなさい」
「やだー!」
「麗ちゃん、その草と茄子頂戴」ボソッ
「ありがとー!」
「弥宵、甘やかしたら…」
「いや…このお弁当野菜少なかったから…」ボソッ
「……」
「だってさー、灯黎さん」ニヤニヤ
「…今回は見逃してあげるわ」
「わーい!」
「帰ったら覚悟しなさい」
「麗ちゃん、帰ってから一ヶ月は野菜生活になるね」ボソッ
「ヤダー!」
「やだじゃない」
「わぁ……ァ…」
「泣いちゃった」ボソッ
「泣いても無駄だから」
「…そういえば…灯黎様、お金の方は…」
「要らないわ、余分に買ったのを渡しただけだからね」
「で、ですが…」
「そんなに心苦しいなら、貴方の事と貴方の知ってる事を全部話してくれないかしら?」
「……知ってる事?」
「えぇ、私はお弁当を奢るから、貴方はやたら死にたがってる理由とか私達の首に賞金がかかってる理由とか、貴方に関係する事全てを話す」
「……」
「勿論、割に合ってないのは分かるわ…だけど…」チラ
「…………何だ?牛串食べたいのか?」
悪そうな表情と声で灯黎は迅へと一瞬視線を移し、再び絢華を見て、少し楽しげ、そして凄まじく悪どい顔をして口を開く。
「一体誰が貴方の命を救ったのかしらねー?」
「……う…」
「そもそも、貴方は私を殺そうとして失敗した、その時点で貴方は私達の捕虜も同然よ? こちらからはいつだって殺せるの、貴方が死にたいならそれで構わないけど、私がそれを許す事は無い、それにそんな無意味な死…貴方は納得出来る? どうせ死ぬなら、せめて役に経ってから死にたいと思わない?」
(出た、悪女状態…)
「…それには同意しますが…無理なんです…絶対に言えません…!」
「どうして?」
「それも言えません、今の私の口から言えるのは…灯黎さんに負けた後に話した事だけです、あれ以上は皆さんが殺されてしまいます…!」
「……」
「だからあの時…私を殺して欲しかったんです!その後に皆さんがこの街から離れれば、少なくとも死ぬのは私だけで済みました!
もうこれ以上、”あれ”の養分になってる人は見たくない!!」
「………”あれ”って?」
「それは…言えません…」
「言いなさい」
「駄目です…!知り合って間も無いですが、皆様の優しさは感じています…! だから…絶対に死んで欲しく無いんです! 迅様が強いのも十二分に理解しました…だけどあれは腕力でどうこう出来る相手じゃ無い!」
「…その言い方、人では無い…妖魔がこの街に居るって事ね」
「…………私が死のうとしたのは…そうすれば皆さんがこれ以上はこの街に関わらないと思ったからです、この街にはわざわざ危険を犯してまで人と協力しようとする人は居ません、だから一刻も早く逃げて欲しくて…」
「それくらいじゃ逃げないわ、寧ろ貴方のことを思い出して死ぬまで戦い続ける可能性まであった、私達ってそういう生き物だから」
「………………」
「特にそこの脳筋がね」
「……ん?さっきから何だ?俺の牛串焼きが欲しいのか?」
「要らないわ、てか食べるの遅いの何とかならない?また最後まで食べてるじゃない」
「味があるなら味わうのが礼儀だろう? 俺からすればお前はいつも早すぎるくらいだ」
「…癖よ」
「知っているとも」
「灯黎さんって食べるの早いの?想像出来ない…」
「いつもは軽食で済ませてるから分からないけど…」ボソッ
弥宵は自分の小さな拳を握り、それを指さして二人に大きさを示す。
「大体はこのくらいの奴を一口か二口で食べてるよ」ボソッ
「マジかよ…麗と同じくらいデカい口だ」
「むぅ! 辰之助酷いよ! 私そんなに食い意地張ってないもん!」
「あははー、悪い悪い、饅頭食べるか?」
「わーい!食べるー!もぐもぐ…はっ…!」
「……ふっ…」
「…笑ったなー!その乾いた笑いの表情やーめーてー!」
「いや…悪い…っ…ふ…」
「思ってないよね!? 悪いと思ってないよね!? バカにしてるでしょ!?」
「シテナイシテナイ、ホントホント」
「してるじゃん!!絶対馬鹿に!してるじゃん!! むきー!腹立つぅー!!」
ギャーギャー!
そんな風に騒ぐ二人とそれを無心で眺める二人、無言で弁当を食べる一人の光景を見ていた絢華は驚いていた。
(…え、私…今警告したよね? …確かに情報は出してないけど…出来る限りの警告はしたよね?)
限られた状況でこの街に長居するのは危険だと伝えたつもりだった、せめてこの街を去ってもらう為に必死になって伝えたつもりだった。
「……あの…すみません…」
「ん?」
「私の話…聞いてましたか?」
「聞いてたわ、すぐにこの街から出た方が良いんでしょ?」
「なら何でそんなにも呑気なんですか!?死にたいんですか!?」
「あのね、私達はこの街の問題を解決したいの、だから貴方から情報を貰おうとしてここにいる、確かに状況は分からないしこのまま進むのは危険だけど、逃げるとしても情報が無さすぎる…それと…」
「…それと?」
「貴方が怪し過ぎるのよ、色々と」
「……そう…ですが…」
「…んー…そうね、今から適当に質問していくから、答えられない問題以外は今度こそ、全部正直に答えて頂戴、良いかしら?」
「………どうぞ…」
「まず、自分の家を買い直した理由は分かったけど、どうしてわざわざ宿にしたの? そのままでも誘い込む事は出来たんじゃない?」
「…実は…宿として開いたのはここを買い直してからすぐでした…父の夢だったので少しでも叶えてあげたくて……さっきはその…任務の為にって言ったら…私を敵として殺してくれるかなって…要らない考えが…」
「…両親は、今どこに?」
「居ません…多分…」
「その多分は、生きているか分からないか、生きていると言っていいか分からない、どっち?」
「前者です、直接死んだのを見た訳では無いので」
「了解、次の質問、宿として建て直した時の費用は自分で?」
「…自分で払いました、置いてあった調味料とかも全部…自分で…」
「前の仕事は何をしてたの?」
「…………言えません…」
「…分かった…次よ」
「…………」
「…私達に懸賞金が付いているというのは嘘?」
「……いいえ、付いているのは本当です」
「じゃあ、街に出た時…誰も襲ってこなかったのは何故?」
「…っ」
「貴方しか知らない、という訳じゃないわよね?例えば…そうね、それこそ…誰かに雇われた人だけが知ってる…とかね…」
「…!!」
「貴方…確か、任務を与えられたのよね、つまり雇い主がいる、その人を教えてくれないかしら?」
「……言えません…お願いします…それ以上は言わないで…」カタカタ…
「…?」
「…………私達は…ずっと監視されているんです…その私のそばに居る貴方が真実を知ってしまえば…殺されます…」
「…言って、私達は死なない、貴方も殺させない…」
「…ほ……」
「……」
「……本当…ですか?」
「…」
「貴方達は…生きて…くれますか?」
「…えぇ、何があっても貴方の前じゃ死なないわ…約束する」
「……」
「……」
「…………わ、私は…」
罪悪感と恐怖に擦り潰されそうな声。
「……私の…雇い主…は…」
か細く歪んだ震えた声で絢華は言葉を紡ぐ。
「……はっ……はぁ…!」
浅い呼吸で、涙と脂汗を流す絢華。
全員の頭の中に湧き上がる、過去を掘り起こす事への負い目。
しかし唯一、麗だけは絢華の気持ちを僅かに理解していた。
あの日、辰之助に助けを求めた時と同じ、身勝手な事に巻き込むという罪悪感と、それに釣られて動く心が解放される事への喜び、その二つのせめぎ合い。
痛い程に軋む心の葛藤を、私は知っていた。
そして目の前に居る絢華さんは、きっと私以上に沢山辛い思いをしてきた。
私にはそれが何かは分からないけど、踏み出せない勇気だけは何となく分かる。
…だからこそ、私は…
「……絢華さん…!」
「……っ…!?」
貴方が踏み出す為のきっかけに成りたい。
あの日の辰之助と同じ様に。
次は私が、助ける番だから。
「……私達を、信じて…!」
「!!」
「……私の…雇い主…は…」
「……獅子藤…武士……この街の領主の男です…!」
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