たかだか18年間の自分の歴史を振り返る翔平
この作品は不器用な人も、器用な人も、これから大学生になる人も、社会の荒波に揉まれて苦しんでいる人も、そしてもちろんそれ以外の人も、様々な方に読んでいただきたい作品です。
この作品に共感する人も一定数はいるでしょうが、おそらく共感しない人の方が多い気がします。
それでも構いません。共感しない人は、世の中にはこんな不器用なやつもいるんだなぁと知っていただくだけでも、私も含めた不器用人間側からすると、嬉しいのです。
今回は第一話。翔平の過去がテーマです。
白川大学は不合格であった。
これまでの模試の結果から見ても、受かるであろうと油断していたが、落ちてしまった。いつもの自分なら絶対に解けていたであろう問題が解けなかったので、覚悟はしていたが、携帯に映し出された「不合格」という字面は想像以上のパンチ力であり、失神しそうになった。
最近の大学入試の合格発表は、携帯に受験番号を入力し、合否を確認する。この数十秒で終わる動作のために今まで頑張ってきたのかと思うと虚しくなり、また社会の残酷な一面に触れた気もした。
携帯が冷たい。冬だからだろうか。分からない。
敗因は何だったのか。自分自身に問うまでもなく分かってはいたが、やはりメンタルであろう。
大学入試という人生の一大イベント。人生ゲームにおいて絶対に要となるマスを担う出来事。そのマスに止まった瞬間、ことの重大さに怯え、体が震え、心臓が爆発寸前にまでなり、窒息死しそうになり、脳に酸素が届かなくなった。思考が停止した。負けた。「ゲームオーバー」という文字が自らの思考回路を妨げながらも懸命に問題を解いたがダメだった。
リビングにいた母親に不合格であったことを伝えた。
「そっかー。ダメだったか。でも頑張ったね。まあいいじゃない。黒澤大学に受かってるんだし。黒澤大学の方が実家から近いし、お母さん的にはそっちの方がいいかも。」
母親の優しさは愛情たっぷりの気遣いに研がれて鋭利になった。勢いよく振りかざされたそれは僕の心臓に命中した。
「ごめんね。」
4文字の遺言を残して、僕は血まみれの部屋着のまま階段を上り自分の部屋に戻った。
「翔平!翔平!」と母親の呼ぶ声がしたが、踵を返す気にはならなかった。
部屋に入ると見慣れた勉強机があった。その勉強机は寂しげな様子でこちらを見ている。僕は勉強机の前にある見慣れた椅子に座り、勉強机を見つめた。
僕はこれまでの人生「勝ち組」として生きてきた。
小学校時代は持ち前の運動神経の良さで他を圧倒し、また教室の端の方にいつもいる、いわゆる「負け組」にも優しく接した。
担任の先生が、クラス内で自由にペアを作れという、よくある無神経で非情な命令を発したときは、率先して「負け組」を誘い、ペアになった。休み時間もたまに「負け組」に声をかけ、しゃべり相手になってあげた。
ここで重要なポイントが、この行為を行うのは他の「勝ち組」がいないときのみであるということだ。もしも他の「勝ち組」がその行為を見たとしたら、アイツは「負け組」に同情しているのではないかと疑われてしまう。一般的な「勝ち組」は「負け組」に好かれようと思っておらず、むしろ「負け組」を毛嫌い、「勝ち組」だけがいる世界を構築しようとするため、シンプルに「負け組」が邪魔なのだ。そのため「勝ち組」の中に「負け組」と仲が良い人物がいると、「負け組」との接点を無くしたいがために、そいつを切りたがる。
僕は「勝ち組」側からは、「勝ち組」の純血種と思われるように行動し、「負け組」側からは「勝ち組」の混血種と思われるように行動しなければならなかった。
非常に面倒くさい。だるい。
しかし、僕はやらなければならなかった。なぜなら僕は一般的な「勝ち組」を目指していなかったから。唯一無二の「勝ち組」。特別な「勝ち組」を目指していた。全ての人に好かれ、崇め奉られる「勝ち組」になりたかった。「神」に近い存在かもしれない。
努力の甲斐もあって小学校時代はいわゆる「神」になれたと思う。敵がいなかった。先生にまで好かれた。凄く心地良かった。
後に僕は親の勧めで私立の中高一貫校に通うことになった。公立小学校であったので、僕自身はそのまま公立中学校に進学でもいいのかなと思ったが、両親が許さなかった。おそらく地元の公立中学校の治安の悪さを懸念したからであろう。
勉強がそこそこできたので、そこそこの中高一貫校に受かった。
そこでも僕は自分の地位を確固たるものにするべく、小学校時代に培った世渡り術を遺憾なく発揮した。しかし、最初は思うようにいかなかった。
小学校時代と何かが違ったのである。そしてその違和感の正体はすぐに分かった。
「民度」である。
やはりみんなそこそこ勉強を頑張ることができる精神性を持った人たちだから、小学校のときの人たちよりも全体的に「民度」が高かった。そのため明確な「勝ち組」「負け組」の境界線が無かった。
もちろん授業中先生に消しカスを投げるイタズラをするような人もいたし、女子のスカートをめくるような人もいたし、休み時間に教室の端の方でカーテンに包まれながら図書館から借りてきた本を読んでいる人もいたし、体育の時間を毎回見学で済ますような人もいた。
しかし、消しカス野郎と変態スカートめくりは休み時間いつも一緒にドッジボールをしていたし、カーテン読書女と体育見学男は学級委員であったし、消しカス野郎と体育見学男は毎日一緒にゲームセンターに行く仲であったし、変態スカートめくりとカーテン読書女は一時期付き合っており、それを知った消しカス野郎は祝い品として、ジュースを2人に奢ってやったりもした。
僕は頑張らなくても良い場所に来たのである。誰もが持っている「はみ出している」部分を「個性」と受け入れることができる人たちが集まっている場所に来たのである。そのような場所では僕が長年培ってきた世渡り術は不要であり、そのままの自分を出すことの方がよっぽど大切であった。
中学・高校ではそれこそ「神」にはなれなかったが、凄く居心地が良かった。小学校時代より断然楽であった。この状態が一生続けばいいなと心の底から思っていた。
まさに人生の「勝ち組」になった気分であった。今までの相対的な「勝ち組」ではなく、絶対的な「勝ち組」になった気分であった。
そのような経験から、僕は「民度」が高い場所に身を置くことの大切さを学んだ。そのため、大学受験の勉強を頑張った。偏差値の高い大学に進学し、これまで通りの幸せを享受することが目標であった。正直目標が目標だから、偏差値の高い大学であったらどこでも良かった。その点白川大学は都合が良かった。まず偏差値が高い。“SHAPE”と呼ばれる上位私立大学群の内の一つである。また自宅から近かった。一人暮らしをしたい欲がそこまでなかったので、そちらのほうが勝手がよい。
特にしたいことも見つかってなかったので、テキトーに経済学部を第一志望に、それ以外の学部を乱れ打ちした。親から浪人することは許されてなかったので、白川大学よりも2ランクぐらい下の黒澤大学も受けたが正直行く気はなかった。高校3年生の1年間、死に物狂いで勉強し、僕は白川大学に行く運命なのだと勝手に決めていたのだ。
ふと我に返った。目の前の勉強机はまだ寂しげな様子であった。
机の上には消しカスが残っていた。それを僕は机に置いてあった教科書で払った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回は第二話。大学生活のスタートダッシュを間違える翔平のお話です。