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寛政の乱・アイヌと和人の戦い



【アイヌと和人との戦い】




私の故郷 北海道根室市、いまから200年以上も前に 国後島や根室管内の沿岸部でアイヌと和人との間で争いが起こり、和人71名・アイヌ37名…合計108名の死者を出す惨劇が繰り広げられた、その悲しい出来事を振り返る…




宝暦4年(1754年)和人が国後島に上陸し、粗末な小屋を建て場所請負制度 運上屋を設置した、和人は先住民であるアイヌに酒やタバコ、米などを渡し それと引き換えに干鮭や鹿・猟虎・海馬の毛皮を受け止るようになる。


アイヌ達は、和人が持ち込む米・酒・タバコなど、自分達が作る果実酒やイタドリの葉のタバコとは比べものにならない美味を求めては貴重な毛皮などを先を争うように運上屋へ持ち込みはじめた、アイヌ達は毛皮がどれだけの価値がある品物なのかわからない…和人は、ニコニコしながら惜しげもなく酒やタバコと引き換えに来る温和で人柄の良いアイヌの人々を利用し始めた、交換で手渡す米・酒・タバコの量を減らしていったのだ、アイヌ達の財産である毛皮をはじめ、厳しい冬を乗り切るために貯えていた干した海産物などは、あっという間に底をついてしまった。


交換する物が無くなると和人はアイヌ達に仕事を強要し 僅かな米や酒 タバコを与え働かせ始める、アイヌは愚痴も言わずに一生懸命仕事に従事した、アイヌ達の真面目で温和な性格につけ込んで、和人達は日を追う毎に横暴な態度に姿を変え始めた。


春のニシン漁から秋の鮭漁までほとんど休みなく過酷な労働が続く… ニシン漁は魚を大釜に入れて炊き上げ、その後絞り込んで油をとり取り出し樽に入れる 鮭漁は海から湧き出すように次々陸に上げられた物をマキリで腹を裂き、臓物を取り除いてから一匹ずつ干すとゆう気の遠くなるような作業を日の出から日の入りまで連日のように強いられた、その合間にナマコ漁もこなし女や子供達は ナマコを干して串に刺す作業をしなければならない…


作業を監視する和人は 疲れて手を休める者に容赦なく罵声や暴力を加える 病気や怪我の者にまで拳や棒を振り上げた、少しでも反論したり、反論せずとも睨みつけただけで引っ張り出され皆の前で徹底的に痛めつけられた、権力を誇示し逆らう者を出さないための見せしめである。



雪がちらつき始め 大地がしばれる時期になると和人達はアイヌを酷使して得た産物を大量に船に積み重ね 運上屋の備品や自分の身の回りの物を整理し荷造りを始める、そして空になった運上屋にアイヌ達を集めると、厳しい北の孤島で約半年間を乗り切るには全く足りる筈もない僅かな 米 タバコを配給して一方的に場を切り上げるとお宝満載の宝船に乗り込み沖に消えて行く… 次に和人が姿を表すのは、流氷が過ぎ去り、平地の雪が解け、大地に命が芽吹く春だ、



春になるとアイヌ達も和人が来る事を待ちわびる、喰うや喰わずの厳しい冬の生活を必死に耐えてきたアイヌ達は和人が持ち込む米や酒の味が忘れられないからだ、水平線にポツンと浮かぶ和人の船を見つけるとアイヌ達は総出で出迎えたとゆう…ずる賢い和人達もそれを心得ており、到着後2〜3日は 米を食べさせ酒を振る舞い、タバコも豊富に与えたらしい、これから冬までの長い期間、地獄のような毎日が待っている事をアイヌ達も覚悟している、その不安な気持ちを打ち消すように和人が振る舞う酒に酔い ほんの一時の宴に全てを忘れて身を任せていた。



和人がアイヌの人々に対し、どれだけ非人道的な扱いをしていたのか…その事に触れ詳しく説明します。



まず彼等に給料などはなく、仕事の見返りに毎日少量の食事と酒・タバコを与えられる、働きが悪い者は和人に言い掛かりを付けられ(借り)として食事・タバコ・酒を配給された、どのような基準かは不明ですが、全ての労働期間が終了する冬に配給精算がされていたようで、1人当たり…米が〇俵 タバコ〇把 といった具合らしい。



日々の労働の見返りに毎日少量の食事・酒・タバコを配給されていた事は先に述べましたが、その毎日の配給にも制限かかけられる、1日当たり…米は碗〇杯・タバコ〇つまみ・酒が碗〇杯 そのうえ怪我や病弱で稼ぎが悪い者は言い掛かりを付けられ(借り)として配給される、他にも 米や酒は1日碗〇杯と決めてあるが、おかわりすると これもまた(借り)となってしまう… この【借り】とゆうのはたちが悪く、和人が適当に帳面付けするため数はデタラメだ…その適当な帳面付けは冬の精算配給に大きく関わってしまう、アイヌ達は滅多な事ではおかわりなどする事はない、その訳は、厳しい冬を乗り切るために、少しでも多くの精算配給を受けたいからである、和人達は適当な帳面付と、稼ぎが悪いなどと言い掛かりを付けて【借り】を増やしていった、その結果 ほとんどの人達は厳しい冬を乗りるには不十分な精算を余儀なくされるのだ… それだけではない、理由なく行われる暴力や限界を超える労働期間、冬の期間に命懸けで猟をして作った毛皮も僅かな米・酒・タバコを与えて奪ってしまう、性的暴行などもかなりあったようだ…このように アイヌ達を人間として扱わない和人の非人道的なやり方は何年もの間続けられた。


長年耐えてきた苦労や我慢の積み重ねも限界に達する事件が起きた、何年も繰り返される地獄のような日々を過ごしてきたアイヌ達の中に和人に対して反発する者が増え始めた、反発する者に対し暴力や見せしめのリンチの回数が増えたが、それでもアイヌ達は勇気を持って改善を求めた、和人達は改善するどころか 弱いアイヌ女性に狙いを定め、棒で叩きり殺したり性的暴行を加えるなど鬼畜と化して悪魔のような行動を繰り返しす、それに対して抗議し 謝罪を求めたアイヌを打ちのめすと…



「よく聞け!」



「俺に逆らうと言う事は幕府に逆らったと同じ事だ!」



「逆らう者は皆殺しだ!」



「幕府に要請してアイヌなど全員皆殺しにしてやるわ!」





運上屋の支配人が苦し紛れに言ったハッタリだが、アイヌ達はそれを聞き、戸惑い動揺している…それを見た運上屋の支配人は、アイヌ達1人1人を睨みつけ、勝ち誇ったように言い放つ…



「各自仕事に戻れ!!」



アイヌの人々は絶望的に包まれ それぞれの持ち場に散っていく… 支配人のハッタリは相当効いたようで それから反発する者はほとんどいなくなった、



寛政元年(1789年)…惨劇幕開けの年





寛政元年(1789年)相変わらず地獄のような日々を過ごすなか、国後島のアイヌ総首長サンキチが病に倒れた、サンキチはアイヌの総首長のため、食や労働に関しては恩恵もあり比較的恵まれている、しかし運上屋幹部とアイヌ民衆の間に入り、立場的には板挟み状態で辛い役目を背負っていた、体調回復の兆しも見えてきたある日 支配人がサンキチにお酒を渡した、その酒を飲んだどころ、サンキチはそのまま死んでしまった、それから間もなくして、総首長サンキチに次ぐ実力者、マメキリの妻が運上屋でご飯を貰って食べた後に死亡する事態が起きる… アイヌの人々は悲しみに暮れ悲痛な日々を送った、そのうち‥和人が酒やご飯に毒を仕込んで2人を殺したのだとゆう噂が瞬く間に広がった、 数日後 運上屋がアイヌの人達に餅を振る舞うとの話が伝わった、総首長サンキチとマメキリの妻を毒殺されたアイヌの民衆は奮い立つ!



「やはり和人はアイヌを皆殺しにするつもりだ!」



「我々にも毒入りの餅を食わせて殺す気だぞ!」




「和人がその気なら、殺られる前にこちらから仕掛けるんだ!」




「和人を皆殺しにするぞ!!」




アイヌ達は怒りを爆発させ立ち上がる、5月7日アイヌ達は一斉に蜂起した、


過酷な労働と栄養不足で痩せ細ったアイヌの戦士41人が、国後島内の和人住居地に次々となだれ込む、


古釜布・東沸・泊・秩苅別・別当賀・と和人が抵抗する隙など全く与えず 毒矢や槍・カマ・マキリを巧みに操り、逃げ惑う相手にトドメを刺す、その結果、国後島内にいる和人22人は一瞬にして命を消された、



生存者






国後島内に居たにも関わらず、助かった和人が2人存在する、 2人は運上屋に積まれた荷物の隙間に身を隠していたところを発見された、引きずり出され トドメを刺そうと2人を取り囲んだ時に、厚岸出身のアイヌが突然制止した、



「オイ!待て!」



「何故止めるんだ!コイツらは血も涙も無い和人だぞ!」



「いいから聞いてくれ… この2人は厚岸の総首長イコトイの知り合いだ、」



「何だって……だからと言って見逃す事などできないだろ!」





「この2人は最近赴任して来たばかりで何も悪い事はしてない… 厚岸に居た頃にイコトイの紹介で世話になった、」




「しかしな……」




「赴任してすぐに私に気づいてくれ、その時にねぎらいの言葉を掛けてくれたんだ…」






厚岸出身のアイヌが説得を続けた事で、2人は殺されずに済んだ、ちょうどその頃、択捉島にイコトイが来ていたので、2人を択捉島に連行し身柄をイコトイに預ける事で決着したのだ、






勇気ある戦士たちは、勝利の雄叫びをあげ、家で帰りを待つ女性や子供達を運上屋に呼び寄せた、山積みになった米俵を無造作に下ろし、食い切れないほどの米を大釜で炊いた、男達は碗に酒を注ぎ、一気に飲み干すと、命を懸けて勝ち取った勝利と自由に歓喜の声をあげた、長い年月を粗食で過ごし、痩せ細り小さくなった胃袋に次々と酒や米が放り込まれる、干鮭や乾燥した海鼠をつまみに、酔いつ潰れるまで宴は続けられた。





翌日も朝早くから、女達は大釜で米を炊き、男達は目覚めると 自分の家に食材を運ぶ者や二日酔いで起きられない者 朝から酒をあおる者など それぞれ自由に時間過ごす、日が暮れる頃にはそれぞれ散っていた者達が自然と運上屋に集まりだした、この日も飯を食い、酒を飲みながら一夜を明かす… 翌日からは米や酒を均等に分けて、各自の家で過ごす事が多くなった、



和人から解放され、自由を勝ち取った筈のアイヌ達だが、家では弓や槍の手入れに時間を費やしている、大量の毒矢が用意されカマや斧も砥石で磨かれ、鈍い艶を帯びている、 アイヌ達は次の戦に備え、着々と準備をしていたのだ… 和人を討ち取った夜、勝利の美酒に酔いしれる中 ある会話が交わされていた…




「戦いはまだ終わっていない、この島の運上屋を潰したと言っても 運上屋の長 飛騨屋久兵衛の首を取るまでは何も変わらないんだ!」



「そのうち幕府も攻めてくる!急いでチャシ(砦)を築かねば!」







「よし!まずは戦に備えて体力を付けるんだ!みんな飯をくえ!」







飛騨屋久兵衛とは…(天明2年)1781年 から国後場所(藩主の商場)を請け負い 国後の他にも、厚岸・根室各地・室蘭など 多くの藩主場所を請け負う実力者である。




アイヌ達は、近々攻めて来るであろう幕府に対抗するために、体力を付け チャシを築き、飛騨屋が請け負う目梨地方(根室各地)へ攻め入る事を決断していたのだ…








次の戦いに向けた準備が整った、高台は柵でかためられ砦が築かれている 砂浜には目梨に向かうための船が並べられ、戦士達は弓や槍を持ち、腰には長太刀が備わっていた、彼等は相手が攻めて来る事を待つのではなく 逆に自分達から攻め込む事を選択したのだ、



女達や子供 年老いた家族に見守られるなか、男達は勢いよく小舟に乗り込むと目梨に向けて一斉に船を進める、国後とは、目と鼻の先にある野付が近づくと、進路を北に変えた、忠類川の河口に飛騨屋所有の大通丸が碇泊しているのを確認したアイヌ達は砂浜に小舟をつけて大通丸に静かに近寄った、船を取り囲むと誰かが叫んだ、




「行け〜!1人残らず殺ってしまえ!」







船をよじ登ると、突然の襲撃に面を喰らった和人達は、抵抗する間もなく一瞬にして命を落とした、 悲鳴と怒声の飛び交うただならぬ騒ぎを聞き付けた忠類のアイヌ達が大通丸に駆け寄る、そこには和人の首を苅り取った同朋の勇ましく誇り高き戦士達が立っていた、 国後のアイヌ達は忠類のアイヌに訴えかける、



「今こそ立ち上がる時だ! 我々の家紋を守るため共に戦おうではないか!!」







その姿を見た忠類のアイヌ達は奮い立つ、その中には小屋に戻り長い間眠らせていた弓や長太刀を引っ張り出す者もあれば、 各地に点在する集落に伝達役として走り回る者もいた…



目梨地域は陸続きなので、あっという間に各地に噂が広がった、アイヌ達の勢いは止まらず、仲間を増やしながら わずかな期間で目梨地区に居た和人のほとんどを殺してしまった、




目梨地域で殺害された者は…標津5人・忠類10人・古多糠5人・薫別5人・崎無異5人・植別8人・これに忠類に碇泊中の大通丸乗組員11人 …以上49人 国後島の22人と合わせ、合計71人の和人がアイヌ達によって殺された。




目梨地域全体で蜂起に加わった者は89人 最初に蜂起した国後島のアイヌ41人 合計130人が和人に牙をむいた、




戦いに参加したのは130人…この反乱に参加しなかったアイヌ民衆の中には、戸惑いを見せる者も数多く存在する、




目梨地方で血生臭い事件が繰り広げられている最中、その目梨地方に向かう1人の男がいた…飛騨屋の使用人である助右衛門である、 助右衛門は、飛騨屋の受け持つ藩主商場の見回りを依頼され、厚岸・霧多布と視察し、次の目的地である目梨地方を目指していた、野付あたりを歩いていると、この地域に住むアイヌから声を掛けられた…




「失礼ですが、どちらに向かう予定ですか?」




「飛騨屋の使いで目梨に向かう途中だか…どうかしたのか…」




「この先へは行かん方がいい! 我々の仲間が和人を手当たり次第に殺してるんだ… 」




「何だって! どうしてそんな事になったんだ!」



「気を悪くしないで聞いて欲しいのだが…運上屋の扱いに不満を持った国後の者が島の運上屋を皆殺しにして目梨にまでやってきました、目梨の者も加わり 運上屋の人間は次々に殺されているらしい…」




「それは本当か! お前もアイヌではないか… 何故憎い人間を助けようとするんだ、」








「戦いに参加してるのは一部の人間だ… 戦に反対する者は多いし 正直なところ困ってる、」








このように、蜂起して和人に攻撃を加える者がいる一方で、戸惑いや不安を抱える者が多く存在した事も事実のようだ…







「わかった!でもそれが事実なのか自分の目で確認するまで後戻りはできない!」







助右衛門は、それでも目梨地方に行く事を決断した、忠告をしてくれたアイヌに礼を言うと また歩き出した、








途中、先ほどのアイヌと同様に心配してくれる親切な者と会い、目梨地方に行く事を制止された、 道案内を自ら買って出る者まで現れ、その者達に囲まれ、ようやく標津に辿り着いた時に 助右衛門は悲惨な光景を目の当たりにする、 ボロ布のように転がる死体は血で真っ赤に染まり 中には首が無い無惨な姿も確認できた、 助右衛門は事の重大さを重く受け止め それと同時に、この事実を報告しなければならないとゆう任務を同時に背負った事になる… 助右衛門は、道案内してくれたアイヌに感謝の言葉を掛けて 標津を後にした、





松前藩にこの事実が伝わったのは6月1日、 当時の蝦夷地(北海道)の交通手段といえば 道路などと言える道はほとんど無く、山を進めば獣道のような狭く草が覆い被さる草分け道であり、海岸線は比較的歩き易いが、それでも砂地は少なく 岩場や崖が行く手を阻む、 そんな事から想像すると、助右衛門は商船や漁船が多く出入りする厚岸まで山道を歩き、厚岸で船に乗り松前に向かったのだろう、




報告を受けた松前藩は事態を重く受け止め 総勢260名の征夷軍を編成した、新井田孫三郎を番頭とし 物頭に松井茂兵衛広継、目付は松前一族の松前平角則忠が当たった、装備は…鉄砲85丁・大砲3挺・馬20頭を用意し、6月11〜6月19にかけて次々と送り出された、 途中 厚岸などに立ち寄り 東方アイヌの最高実力者の一角である ションコ(ノツカマップ総首長に惨事の状況や蜂起した者達の情報を聞いている、それと平行して択捉に滞在中の厚岸の総首長イコトイや 得撫島でロシアと交易中の国後ではサンキチに次ぐ実力者ツキノエを呼び集める伝達者を送り出している、 得撫島に居たツキノエは、その伝達が届く前に交易船の乗組員から事件を聞いていたため、択捉まで南下しイコトイと合流していた、 征夷軍がノツカマップに到着したのは7月8日で、その日から本格的な調査や取り調べが始まった…







標津で惨劇を目の当たりにし、飛騨屋の使用人、助右衛門が、必死に松前を目指していた頃 蜂起したアイヌ戦士130人は、和人を殺して手に入れた酒や米などを思う存分に味わい、やがて自分の住む地域にそれぞれ帰っていった、気を引き締め、いずれ攻めて来るであろう和人に対抗するために 武器を磨き、チャシも補強し 朝夕問わず見張りを立て、毎日 毎日 海霧でかすむ海を眺めていた…




松前藩が事実を知り、征夷軍を差し向けたのが6月11日〜6月18日、更に厚岸に集結したのが6月28日、 アイヌ戦士が最初に蜂起したのが5月7日、目梨に渡り各地を襲ったのが5月13日… その後、それぞれの住む地域に戻り 砦に見張りを立て和人を待ち構えてから この時点で、約1ヶ月半もの日々が経過している… 次第に緊張感も怒りも薄れていき、戦士達の中からチャシを離れる者が増えていった、



厚岸に征夷軍全てが集結したのが6月28日、先発隊はもう少し早く到着していたと思われるので、択捉で合流していたイコトイとツキノエの元へ伝達者が到着したのは6月末か7月に入ってすぐの事だろう、 伝達内容は… 【蜂起に関わった国後・目梨の者全てをノツカマップに連行せよ】とゆう内容だ… 2人で話し合った結果、ツキノエは国後の蜂起者の説得に… イコトイは目梨の蜂起者を説得する事になった… 厚岸の先発隊に戦の情報を伝え終わったノツカマップの総首長 ションコは、急いでノツカマップに戻り 伝達を聞いてこの場に現れるであろうイコトイ ツキノエのどちらかの到着を待っていた…



ツキノエ・イコトイ・ションコ… 北方の実力者と言われるこの3名は、立場上、運上屋の役人や松前藩の権力者達と密接な関係を持っていた… 昔は剛強と恐れられ、アイヌ達にとっては最も信頼のできる存在の彼等は、私欲のため運上屋の役人に媚びを売り、松前藩の権力者達にはペコペコと頭を下げ機嫌を伺っていた、 その事実を他のアイヌ達は知らずに過ごしていたが、日頃の様子から薄々気づきはじめ、不信感を抱いていたのは確かであった。




国後島… 数人の護衛を伴いツキノエが到着した、浜に小舟を上げ、小高い丘を見上げる…視界の先に見事なチャシ(砦)が目に飛び込んだ、




それと時を同じく、アイヌ達はチャシから小舟が着いた浜を見ていた、和人でない事は服装で判断できたが、正体を確認するまでは警戒を解く事はできない…




ツキノエがチャシに向かって歩き出した、誤認による攻撃を回避するため、歩きながら、大声で語りかける…







「チャシの者! 私はツキノエだ! 戦の事は聞いておる… 私が間に入り 取り計らってやる! 武器を捨てて出て来るんだ!! 」




その声を聞き、チャシを固めるアイヌ達は一瞬ざわめいた…




「オイ、ツキノエだぞ!」



「俺達を助けに来たんだ。」




そう言って喜び、手を取り合う者が何人かいたが、不信を抱き、顔をしかめ異論を投げかける者はそれ以上多かった…




「しかし 最近では和人に媚び 頭があがらないと聞いているぞ… 」






「俺もそう聞いている、和人の顔色を気にしてばかりいるツキノエが、和人を説得できるはずがない!」




「最近ではこの国後に立ち寄る事すらないではないか、」



そんなやり取りが飛び交う中、ある者が慌てて会話を制止した…




「こら! お前たち言葉を選ばんか!!」








そう言って ツキノエを批判する者達を黙らせると、目玉だけを器用に動かして、ある若者に向けた… 批判を口にしていた連中は、一瞬でハッと何かを思い出したかのように黙ってしまった…




実は、国後のチャシを固める男達の中には ツキノエの息子セッパヤがいるのだ… 沈黙が続く… 静まり返ったチャシとは対照的に、チャシに近づくツキノエの声は次第に大きさを増した…




沈黙を破るように、セッパヤが話し始めた…




「みんな… 俺に気をつかうのはやめてくれ、 みんなが言う事は間違ってない! 俺はツキノエの息子だ… 父親の変化は息子の俺が一番わかってるんだ…」



目に涙を浮かべてそう話すと、下を向いて肩を震わした… それを見たアイヌ達は、掛ける言葉をさがしている… また沈黙が続いた…







チャシは静まり返っている、そんな中 足音は徐々に近付き やがてピタリと止まった、




「オーイ! 私を信用できんのか! 今ならまだ間に合う チャシから出てくるんだ!」




「……………」








「私は仲間を救いにきたのだ、私を頼って早く出てきてくれ!」







「……………」








「セッパヤよ! 聞こえているだろ、私はお前の父親だ! 信じる事ができんのか… 我が子を守らぬ親などいない! 私を頼って出てくるんだ!」







「……………」




「他の者も同じだ、 皆 同じ血を受け継ぐ仲間ではないか! 何も心配せずに 私に任せてくれ!」








ツキノエの言葉を聞き、セッパヤは涙がとまらなかった… 他のアイヌ達も全身から力を抜き、セッパヤ同様 ほとんどの者が涙を流す…先ほどまで、ツキノエを批判していた者が口をひらいた…




「セッパヤよ… お前の父ツキノエは 我々を見捨てていなかった、すまなかった… 」



「そうだ、自分の息子を犠牲にする親などいる訳がない、」




「お前の父ツキノエは、誇り高い血を受け継ぐ我々の信頼できる仲間だ!」




そう言って、アイヌ達はセッパヤの肩を叩いて励ました、 セッパヤは泣きながら何度も何度も頷いている、それと同時に ツキノエを疑っていたアイヌ達も、自分を恥じて涙をながしていた…




蜂起したアイヌ達は、ツキノエに全て任せて、手にしていた武器を下ろしてチャシを離れる決断をする。




ツキノエと国後の反夷者41人は、その日のうちに ノツカマップに向けて船を出した…










その頃 目梨地方でも、イコトイとションコの懸命な説得により、反夷者89人が武器を下ろし ノツカマップに向けて歩き始めていた。







7月15日には、国後島・目梨地方の反夷者130人が到着して、厳しい取り調べが行われる事となり、調べが進むにつれ、意外な事実が判明した、130人のうち、直接和人に加害した者は 37人だとゆう事らしい… 意外と少ない人数だ、 他の者達は 騒動に興奮してお祭り騒ぎになり、首謀者達が和人を次々と倒していく姿を盛り立て、その後について歩き、食糧や酒を味わい 盛り上がっているただの野次馬だと分かったとゆう…




この取り調べと同時に、国後島や目梨地方から、証拠となる武器が次々とノツカマップに集められていました、







弓102張・矢筒78・毒矢3900本・槍57本・蝦夷刀68振・他にも カマ・ナタ・斧 などが証拠品として集められた。







直接の加害者37人は、即座に牢獄にぶち込まれました、他の者達も柵の中に入れられ自由を奪われる事になったのです、




国後や目梨の反夷達が、ノツカマップに到着するまでの短い期間に、征夷軍やノツカマップのアイヌ達は、急ピッチで牢獄や柵を作っていたのだ、 牢獄は堅固な物だったが 柵はわりと粗末な物だったらしい…







取り調べの中で、場所を請け負っていた飛騨屋側の道理なき行動や悪事も明らかになった、 松前藩の人間も 実際のところは ある程度事実を知っていたらしいが、何の指導も忠告もしていなかったのが真実だ…




牢獄中の37人は、正座をさせられ その足には重い石が乗せてある… 棒やムチで体中を打たれ 悲惨な状態であったらしい…




柵の中にぶち込まれ反夷たちも、この先 一体どうなるんだと不安感に襲われていたに違いない、








その頃 アイヌ達を救うために、反夷達を説得した ツキノエ・イコトイ・ションコ この3人は征夷軍の実力者である、番頭・物頭・目付・これらの者達に対して、低い姿勢をとっていた… それは、仲間を救うために頭を下げているのではなく、権力者に対して従順な立場を示し 忠誠を誓う落ちぶれた姿であった、 3人は最初から征夷軍に協力し、仲裁に入るふりをしていた、仲間を欺き、彼等を騙してノツカマップに連れてきたのだ… ツキノエに至っては、自分の息子を征夷軍に差し出してまで 自身の身の安全を確保した事になる… 国後島のチャシでの会話を覚えているだろうか…



ツキノエの息子であるセッパヤは、父親の変化に気づいていた… 他のアイヌ達の間でも不信感は芽生えていたが、彼等はツキノエの言葉を信じて全てを任せる事に決めたのだ…




彼等をノツカマップに連れて行く事は、征夷軍に忠誠を示した証を得る事になる、 ツキノエは自分の身を守るために、仲間だけではなく 我が子までも征夷軍に差し出したのだ!





寛政元年(1789年)7月21日…国後島・目梨地方のアイヌ達が、ツキノエ・ションコ・イコトイ・この3人の裏切りを知る事になる…




7月21日…藩の重臣より判決が下された、







「国後・目梨の反夷者は、日頃から 支配人や番人に道理のない非道な仕打ちを受けていた… しかし!訴えもせず、徒党を組んで殺害に及んだ事は、定に違反する行為であり、許しがたい!」



「よって死罪を申しつける!」








処刑の準備が進む中、柵の中の、死罪にならなかったアイヌ達の元へ、ツキノエ・イコトイ・ションコの3人が揃って姿を現した、後々の事を考えての行動だ…仲間から反感を持たれる事を心配し、自分達の地位と権力が健在である事を誇示するためである…




「今回は、我々3人が征夷軍に償いを出して 皆の命を助けたのだ!」




「本来なら、全員死罪のはずだった! 我々3人が全力で征夷軍を説得したのだ!」




事件発覚後、最初から今日に至るまで 征夷軍の言いなりで右往左往し、自分達の身を守るため仲間や自分の息子まで征夷軍に差し出した裏切り者は、今後もアイヌ達の長として君臨するため 3人が多くの命を救い、守ったと恩を着せる事で地位を守ろうとしたのだろう…




死罪が言い渡さた37人の中に、我が子であるセッパヤも含まれていたにも関わらず、ツキノエは 多くの命を救った偉大な人間である事を必死に演じていた。




処刑場は、死罪を受けていないアイヌ達の柵から離れた場に設けられた、理由は言うまでもなく、混乱と動揺を避けるためである、







準備も終わり、いよいよ処刑の時がきた… 死罪37人の中でも、蜂起の主力的存在であった8人が牢獄内で呼び出される、 これより1人ずつ外の処刑場に引き出されるのだ…




最初の処刑者は 国後島のマメキリであった、 彼は蜂起メンバーを取り仕切っていたリーダーである、 武装した征夷軍に四方を固められた場の中央… そこで死罪が執行される、 マメキリは 誘導されながら中央に辿り着くと、大地に膝を着け 後ろ手のまま目を閉じた… 重臣が無言で頷く、それを確認した執行人は、大きく刀を振り上げると 一気に首を切り落とした…




その後、 1人ずつ順に中央まで引き出されて、2人… 3人… 4人… 5人… と首をはね落としていった、 異変が起きたのは、6人目の首をはねようとした時でした… 牢獄内でアイヌ達が奇妙な言葉を発し始めたのです、 アイヌ達の間に昔から伝わる【ペウタンケ】と呼ばれる呪いの叫びでした、 次第に興奮し始め、牢を壊そうと暴れ出したので 牢獄を取り囲む征夷軍は、鎮圧のため強行に出ました! 遠く離れてはいるが、柵に収容されているアイヌ達と呼応して反撃される事を避けるためです、、牢獄内に向けて鉄砲を撃ち込み 最後の力を振り絞って牢の壁をぶち破って出てきた者を容赦なく射殺し、逃げる者は追いかけて、刀や槍で刺し殺しました… 死罪が確定していた37人は、こうした予期せぬトラブルの中 全て殺されたのです。




離れた柵中のアイヌ達は騒ぐ事なくおとなしくしていたが、 銃声や騒ぎは聞いていたはずです…






死罪執行中に【ペウタンケ】を叫び 銃殺や刺殺されたアイヌ達の遺体は、一箇所に集められ わざわざ首を切り落とした後、 陶器かめに入れられ塩詰めにされました、 胴体は、ノツカマップの集落付近に 穴を掘って埋められた。




首を塩詰めにした理由は、松前藩主である【松前志摩守道広】に 勝利を証明する戦利品として首を持ち帰る必要があったからです、 腐敗を防ぐため 切り落とした首はきれいに洗った後で塩詰めにされました。




処刑が行われ夜に、目梨地方のアイヌ達が1人残らず消え去ってしまったと資料に残されています… 何十人もの人間が、征夷軍に気づかれずに姿を消す事は不可能な事なので、密談が交わされ 貢ぎ物(手印)を渡す条件で、目梨地方に帰る事を許されたのかもしれません、




牢獄内に居た一部のアイヌ達が、呪いの叫びをあげて抵抗する騒動はあったが、 事実上、一方的な勝利であった、征夷軍は1人の怪我人を出す事もなく勝利したのです、 ツキノエ・ションコ・イコトイ この3人は、征夷軍に貢献したと認められ、鎧で身を固めた兵士の厳重な警備の中で、数日間 悠々と過ごした、 それはアイヌ達から反感を受け、命を狙われる可能性があると判断した藩の重臣が気を利かせて行った事なのでしょう。




征夷軍は、ノツカマップに5日ほど滞在して様子をみていたが、アイヌ達がふたたび蜂起する気配も情報も全くなかった、 重臣達は ツキノエ・イコトイ・ションコに対し、強い口調でこう述べた…







「今後 再び支配人・番人が不正を行い、アイヌ達が不満を抱くようなら、松前を訪れて不正を訴えるように!」


「訴えを受けた場合は、取り調べを行うので 徒党を組み殺人騒動など起こすなと皆に伝えておく事!」




3人は深々と頭を下げてそれを誓った。




7月末 征夷軍は、松前藩主に忠誠を誓わせるために、男女合わせて39人のアイヌ達を連れて、ノツカマップを出発した、 途中 何ヶ所かの場所で、勝利の祝杯を受けながら 9月5日 松前に到着し 決め事を行ったようです、立石野では37人の首が並べられ確認事が行われました。




その後 松前藩が直接各地を治める事になりましたが、実際は飛騨屋に取って変わり 松前の商船… 阿部屋に経営が変わっただけで和人支配の下 アイヌ達は厳しい生活を続けたようです…




自分の息子を見殺しにし、征夷軍に媚びを売ったツキノエは、 その後 何事もなかったかのように、 サンキチに変わって総乙名(総首長)の座についた…











和人に住む地を奪われ、権力に支配されたうえに 信頼する仲間にまで裏切られた無念は、死んで肉体は滅びても怨念としてさまよっているに違いない…





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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。寛政の乱、拝読させていただきました。 学校ではアイヌについての話は「まったく」されなかったので、勉強になりました。 よくアメリカ先住民の蜂起の話を読むのですが、和人に親切に…
[一言] はじめまして。 題材に関する着眼点は素晴らしいと思います。 ストーリーも、何やら襟を正される思いで読まさせていただきました。 文章に関しては、作者様の狙いかどうか、何やら解説書もどきの雰囲気…
[一言] カムイワッカ先生、寛政の乱、拝読いたしました。アイヌ人を採りあげた書物は、あまり、本屋に並んで居ないので、たいへん勉強になりました。冷静な論述でしたので、わかりやすかったです。  戦国から…
2009/07/10 19:30 退会済み
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