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同窓会の夜

――何で今頃こんな事思い出したんだろう。孝志との思い出なんて。

新幹線は実家の方面に向かって走っていく。中学の同窓会で久しぶりに地元に帰省する。みんなどうしてるかな。

もう四十代。独身の友達、マキと言い合った。やっと結婚だの子供だの言われない年齢になったね、やっと同窓会に行けるね、と。


よっちゃんは冬のフェスの時に、私につき合おうって言ってきて、私はドキドキしながら、はい、って言った。

「どうして私なんですか?私、可愛くないし鈍くさいし全然……」

よっちゃんは手のひらで私の口を塞いで言った。

「俺の彼女になる人の悪口言うなよ」

「……っ」

そんな言い方するなんて。顔が熱くなる。

「茉優は誰のことも脅かさないだろ?できそうでできないことだよ」

その言葉の意味がよく分からなかったけれど、いつもの自販機で、甘くてあったかいココアを一緒に飲んだ。


それからはずっとよっちゃんといた。

よっちゃんは時々機嫌が悪くなることがあったけど、よっちゃんは映像、私はニット中心に服を”作る”人だったから、それぞれの分野を知ることはとても刺激的で楽しかった。

よっちゃんの所属する映画研究部で自主製作映画を作る時に、出演者のスタイリングを担当したのは得難い経験になった。一年時の冬フェスのグループ制作が散々だったから、これのおかげでチームで作り上げる楽しみを知った気がする。


お互い一人暮らしだったから、それぞれの部屋を行き来しながら暮らしていた。よっちゃんの部屋で、初めて私は男の人に抱かれた。恥ずかしくて気絶しそうな私に微笑みながら、よっちゃんは優しく私に触れる。

「大好きだよ、茉優」

結婚しようってなったのは、私が専門学校を卒業する時とよっちゃんの大学卒業が重なって、私が地元に帰るよっちゃんについていくって言ったから。好きな人と離れたくなかった。

あの頃は幸せだった。


私、よっちゃんしか知らない。それに不満はないけれど、せめて、子供は欲しかったな……。

どうして、あの日、私はよっちゃんを拒んでしまったんだろう。

あの日から、よっちゃんは”そういう意味”で一切私に触れなくなってしまった。

理由なんて覚えていない。ただ、パートで忙しい時期で疲れていたんだと思う。

「茉優」

いつもなら優しく感じるよっちゃんの手が煩わしかった。

「よっちゃん、やめて!」

その気になれない時ってある。でも私の言い方も強すぎた。

「ああ、そう。……わかった」

よっちゃんを怒らせた。でも私も身体がしんどくて、いっぱいいっぱいだった。

結婚して十年経たないくらいの時期だったと思う。


それからだ、よっちゃんが夜遊ぶようになり、朝帰りする日が増えたのは。

もう何年も前、車に香水の香りが残っていたことがあった。

何度朝帰りしても、一度だってそんなことはなかったのに、その日は朝帰りでもなく夕方帰って来たのに、よっちゃんからも、たまたま物を取りに行った車の中からも香水の香りがした。

車に香りが残っているなんてあれ一度きりだったけど、私はもう女性としては愛されていないんだ、ということを突き付けられた気がした。

私以外の女性を家の車の助手席に乗せた。

ほんの小さなことだと思うけど、私はよっちゃんとの間の何かが切れてしまった気がした。

そして、それから随分……十年は経っているのに、よっちゃんはその香水を自分でつけだした。香りを覚えていた自分にも驚いた。余程車の中に残った香りがショックだったのだと思う。ユニセックスな香りだけど、よっちゃんには甘すぎる。でも仕事が営業だからいいのかな。でももう管理職でしょ?同僚からもらったって言ってたけど……。


そういえばよっちゃんはあれだけ大学時代頑張っていたのに、何があったのか、映像の分野には進まなかった。どうしてなのか何度も訊いたけれど、俺はお前といる方が幸せなんだとしか言わなかった。

でももう何を言っても遅いね。

よっちゃんは映像の分野には行かなくて、私も結局服飾はパートはしたけど正社員にはなれなかった。景気が悪くなったのもあったけれど、それだけじゃなかったと思う。

私たちは夢を叶えられないまま、毎日を生きて、私は望んでいた子供を持たずに、年を取った。




「茉優、久しぶりー!相変わらずお団子じゃん!かわいいー!」

懐かしい皆とわちゃわちゃ話すのが楽しい。それにしても皆それなりの年齢の顔になったな。

「茉優」

振り向くと、孝志がいた。

相変わらず横にも縦にも大きいなあ。大学でラグビーをしてから孝志はとても身体がガッチリした。小さい時からスポーツ大好きだったけど。

孝志は大学を卒業してしばらくサラリーマンをした後に地元に戻り、親が経営していた旅館を継いだ。結婚は、何度かそういう話があったみたいだけど、結局していない。

「たっちゃん、久しぶり」

「久しぶりだな」

あのキスをした元旦以来、私たちは疎遠になった。毎年の恒例行事だった初詣は無くなり、お互いが盆か正月に帰って、たまたま会ったら話す、くらいの関係がずっと続いている。

「お前同窓会来るのいつ振りだっけ?」

「それこそ十年ぶりくらい」

前回は結婚してるのに子供を作らないのか攻撃でうんざりして、もう来ないって思ったんだ。もうこの年齢だもの、言われないはず。

「そっか、楽しんでけよ」

孝志は私の肩を大きな厚みのある手でポン、と叩いて、また男友達の所に戻っていった。


同窓会が始まる。子供のいる人は、子供の成長を、仕事に生きている人は、キャリアを積んで今どんなことをしているのかを、語った。いいな。私には何もない。

「茉優んとこは子供はいくつになったの?」

事情を知らない子が当たり前のように訊いてくる。

「え?ああ、あの、うち子供いないんだ」

「どうしてー?茉優、子供出来ない身体なの?それとも旦那の方?子供嫌いなの?」

この子、昔から苦手だった。この年齢になれば人には色々事情があるというのもわかるものじゃないの?

「まだ大丈夫だよ、私四人目妊娠してるし、いけるいける!」

初産と四人目じゃ違うでしょ?自分が出来たからって、無神経すぎる。そもそもよっちゃんと何もない私が妊娠するわけないじゃない。

「あはは、どうなんだろうね」

私は逃げるように席を立った。


ああ、やっぱり来るんじゃなかった。田舎の同窓会なんて。

会場の外に出て頭を冷やしていると、孝志がやって来た。

「お疲れ」

「ああ、たっちゃん……」

「ちゃんと飲み食いしたか?」

「うん……」

孝志は私の顔を覗きこんで言った。

「何かヤな事あっただろ」

「ないよ、何にも」

「いーやあった。もう二次会行かないだろ?送る。俺も会いたい奴とは話したし」

やだな、こういう時、幼馴染だと表情ですぐばれてしまう。

「一人で帰るよ」

「待ってろ、幹事に一言言ってくる」

こうなったら孝志は聞かない。どうせ帰る方向も同じだから、一緒に帰るしかないか。私はマキに”ゴメン、先に帰るね”とメッセを送った。



孝志とタクシーに乗って家まで帰った。

「疲れただろ、新幹線で来て、そのまま同窓会だったし」

「ううん。久しぶりで楽しかったよ」

「嘘つけ!そんな顔して何言ってんだよ」

家に帰りつくと、送ってくれた孝志に、まあ上がっていってと母さんが言うものだから、結局孝志は寄っていった。父が亡くなって、祖父母も去り、母は一人暮らしだ。

「昔はこうやってお互いの家を行き来してたのにね」

母さんが懐かしそうに言う。

「同窓会はどうだったの?早く帰って来たけど」

私は母さんが準備した日本酒を孝志に注いだ。

「いえ、そんなことはないです。二次会に行かないなら帰ろうと」

孝志はきっぱりと私のせいではないと言った。ほんとは私のせいなのに。

「……母さん、結婚して子供がいないって、そんなにいけない事かな?」

「どうしたの茉優」

「もう四十過ぎたし、言われないと思ってたのに……」

「誰に言われたんだよ、そんなこと」

二人は泣きだした私を心配そうに見た。

「誰だって同じだよ、私、ほんとは子供欲しかったのに……」

「欲しかったの?母さんてっきり……夫婦で話して作らないのかって思ってたのよ、病院行ってる風でもなかったから」

「……ずっと何もないのに、子供ができるはずないじゃない!」

気付けば、私は叫んでいた。

もう、疲れた。もういやだ。私、全部がイヤ。

母さんも孝志も言葉を失くしたのがわかった。そうだよね、セックスレスですとか急に言われたって困るよね。

「茉優、どういうこと?話しなさい。頼和さんはアンタをほったらかしにしてたの?」

母さんが怒った顔でそう言った。

「やだ、よっちゃんは悪くないの!」

「母さん、すごく残念よ。茉優が子供が欲しかったのに、産めなかっただなんて」

母さんまで泣き出した。

……私、この年になってまで親不孝してるの……? やだな、自分が情けない。

「……茉優、まさかとは思うけどさ、お前の旦那浮気とかしてないだろうな」

低い声で孝志の声が聞こえた。

「今お前の旦那何してんの?電話しろ」

顎を振って孝志が電話するように促す。

「しない……絶対しない!」

ちゃんと家にいる、と言えない自分が悲しくて、私はリビングから自分の部屋に逃げた。よっちゃんがそうだと認めたようなものだけど、電話して出ないよりマシだ。

「茉優!」

母さんが私を呼び止めたけど、私は振り向かなかった。


私は泣きながら服を投げ捨てて化粧はシートで落として、部屋の横の洗面所で寝る支度を済ませた。ああ、バカみたいなこと言っちゃった。

孝志にまで知られて。

でもいいんだ。本当のことだもの。

もうどうだっていい。

寝て忘れよう。いつだってそうして来たじゃない。よっちゃんが他の女の人の香りをさせて帰っても、寝たふりをして、なのに洗濯の時にまた今度は違う香水だって思って、それで……。

最初は泣いてたけど、泣かなくなった。

だってよっちゃんは、変わらず私に優しかったから。こないだだって、一緒に富士山のふもとの音楽フェスに行ったし、ここ数年は女の人の香水もほとんどしなくなった。

だから、仲が悪いわけじゃない。

でも、多分、よっちゃんには好きな人がいる。きっと、あの車に残っていた香水の人。よっちゃんは、あのさわやかで甘い香りの香水をつけ出してから、また私に優しくなった。距離のある感じの、よそよそしい優しさ。


多分しばらく母さんと孝志は話をしていたと思う。いつ孝志が帰ったのかも知らない。

私は泣きながら眠った。

浅い眠りの時に、母さんが部屋に来たのか、声を掛けてきた気がする。

「茉優、幸せになっていいのよ……」

何言ってるんだろ……。母さん、私は自分なりに幸せだよ……。

金属的な何かが、カチャリといったような気がするけれど、特に気にしなかった。



温かいな……。遠い昔にこうやって、誰かに抱きしめてもらったような気がする。

「茉優」

その声は孝志のものだった。

「たっちゃ……んっ⁈」

思わず大声を上げてしまう。

孝志は何も言わずに私の唇を塞いだ。十九だったあの日のキスとは違う、深くて大人のキスだった。

どこから入って来たの⁈

ぼんやりと文字盤が光る壁掛け時計を見たら、午前一時前だった。玄関からこんな時間に入って来れるわけはない。入れるとしたら私の部屋の掃き出し窓だ。見ると締め切ったはずのカーテンが隙間を開けている。明るい月光がそこから差していた。

どうして鍵が開いてたの?

……母さんが部屋を出る時に聞いたカチャリという音。

あれは、掃き出し窓の、鍵を開けた音だ――。


夜這いなんて大昔に無くなったんじゃないの?昔そういう風習がこの地域にもあったと聞いたことがある。

母さん、何てことを孝志にさせるの……!


「茉優……」

低くて聞き慣れた孝志の声がすぐ耳元で聞こえる。やめて、耳噛んだりしないで……。

「……俺が、お前の母さんにお願いした」

「たっちゃん、お願い、やめて……」

「もし子供が出来たら、俺の所に来い。一緒に育てよう。お前のあんな悲しそうな顔、もう見たくないんだよ」

月の光が孝志の顔を半分だけ照らす。彼は私を見つめて泣いていた。たっちゃんの泣き顔を見るのは、小学校以来だった。

私は、また降ってきたキスに、十九歳のあの日に夢の中で見た王子様を思い出した。あの時も王子様は泣いていた。あの時の孝志も泣いていてくれてたんだろうか、今日の彼みたいに。


私を抱いている時に、何度も孝志は私のことを好きだと言った。あの頃からずっと好きな気持ちは変わっていないと。

「やっぱりあるんだな、これ」

「え、なに……?」

「臍の横のホクロ。保育園の時に見て覚えてた」

「ふふ、なにそれ……」

孝志はそこにも優しくキスをした。分厚くて大きな身体の孝志が、こんな風に丁寧に女の人を抱くなんて思わなかった。

同じように優しく抱いてくれていてもよっちゃんとは違う。私はこの手の感触を知っている。初めて孝志に抱かれるのに、どうして私は懐かしいと思っているんだろう。


すっかり忘れていた小さい頃の出来事を思い出した。

小学校に上がるか上がらないかくらいの時に、地元の子供たちが集まる秘密基地で、私たちはそこで二人きりで約束した。

「ずっとなかよしでいようね」

両手を握り合ってぶんぶんと振った後、私と孝志はぎゅっと二人でくっついた。あの約束のまま大人になれていたら、私は今頃、子供がいたんだろうか。

私達は、泣きながら抱き合った。

その理由は、お互いに分かっていたと思う。


「茉優、子供ができてなくても、いつでも戻って来い」

孝志は、夜が明ける前に帰って行った。一切見える部分には跡をつけず、身体の中にだけ名残を残して。




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