出勤
朝日が昇り爽やかな朝の空気を私は肺いっぱいに吸い込んだ。結局一睡もしなかった為身体は重い。しかし、気分は最高。今なら何だって出来る気がする。ドゥニーズは意気揚々とレジェにある屋敷に帰った。
屋敷の扉を開けて自室に向かうと侍女が「おかえりなさいませ」と出迎えた。私も「ただいま」と返事をする。私達はニコニコと微笑み合った。
「お嬢様。婚約破棄されたのに王妃教育でもありましたか?」
「? いいえ」
「ならば、お一人で何処にいらしたのですか?」
「お城の図書館よ」
「ほお。お一人でですか?」
「そうよ〜」
侍女が俯き震えました。あれま……どうしたのでしょうね?
「こんのぉぉおおお馬鹿者がぁああああ!!」
目から火が噴き出すんではないかと疑うくらい侍女は激昂した。対して私は首を傾げた。
「どうしたのよ。テレーズ」
「どうしたのよじゃありません!! 大貴族の令嬢が執事も侍女も護衛も伴わずに、しかも真夜中に出歩くんじゃありません!! 一体何年大貴族やってんじゃぁああ!?」
「えっと18年かしら。ごめんごめん。学校では侍女同伴は禁止されたからついうっかり忘れてたわ。そう、うっかり」
貴族の令嬢は外に出かける時に執事や侍女、護衛を同伴させるのがマナーなんです。それか身内に同伴してもらう。身分が低くなっていくほど、そのマナーは薄れていく。
学校内は別で、使用人の同伴はむしろダメです。学校は自立を促す学び舎ですから、使用人任せではいけないという理由です。その分、学校の警備はしっかりしてます。
実のところ、そのマナーを私は忘れては無いのですが……真夜中は外出を断られる気がして面倒になりました。はい。すいません。確信犯です。
テレーズはそんな私の考えをお見通しなのか疑いの目を向けてきます。後ろめたい私は視線を逸らします。
「はぁ。まぁ。そういう事にしといてあげます。お嬢様に渡したい物がございます」
侍女は抱えていた紙袋の中から私が欲しい物を取り出した。
「厨房用のお召物です」
コックが着る様な白い服上下が入っていた。それを見た私はふかふかの絨毯に這いつくばった。つまりジャン様に監獄で料理しろと言われた時に感激のあまりにした体勢をとった。
「テレーズ様! ありがとうございます! 一生宝として大事に着ます!」
見上げるとテレーズの目は冷ややかだった。
「何やっとんじゃぁあああ!? 今すぐ立てぇえええ!!」
私は強制的に床から立ち上がされた。
「ど、どうしたのよ?」
私の感謝の気持ちが受け取れないって事?
テレーズはご立腹でした。
「何ですかその情けない体勢はっ!? 大貴族が使用人に首を垂れてはいけませんっ!! ましてや、何ですかその情けない体勢はっ!?」
衝撃のあまりに2回も同じ事言ったよこの侍女。
「えっと……感激のポーズ?」
別の世界の私は感激しながらこのポーズをした。しかし、申し訳ない気分でした事もあった。……つまりは便利なポーズだ。
テレーズは頭を抱えた。
「誰だ? 私のお嬢様にそんなポーズ教えやがった阿呆は?」
誰も何も別の世界の私である。
そんな事よりも早く監獄に行ってお料理したいわ。
私の心は既に監獄へと向かっていた。
監獄……それは犯罪者が集められ暮らす場所。死刑の執行を待つ者もいれば、一生監獄で労働させられる者もいるし、僅かな期間だけの者もいる。その罰が最適といえない濡れ衣を着せられた者だっている。
全員がそうだとは言わないが荒れくれ者が多いのは確かだ。そんな危険極まりない場所に誰が好き好んで行くのだろうか?
ここにそんな危険極まりない場所に好き好んで向かう変わり者の令嬢が一人いた。後ろには周りを警戒する侍女が付いている。
「テレーズ。危ないからついて来なくて良いのよ?」
「……いやいや。おかしいですよね? 普通お嬢様が控えるべき場所ですよ? お嬢様が危ない場所に行くのに侍女である私が行かない訳にはいかないでしょう!」
「自分の身を守るので精一杯だからテレーズまで守れるか分からないわよ?」
「……何ですと? お嬢様が自分の身を守れるのですか? 学校で身を守る訓練でもしましたか?」
「そりゃしたわよー。剣をぶんぶん振り回したわー。私に敵う者はいないわー」
剣を持つ私を見ると皆逃げてくもの。あっミラは違うわね。あの子はむしろ向かって来たわ。何故か泣き喚いて殿下に助けを求めていたけど。
「へー。お嬢様ってお強いのですねー。それは安心しました」
強いわよ〜。
監獄はレジェ城のすぐ隣にある。ご近所さんなので私とテレーズは徒歩で来ました。私はテレーズが用意してくれたシンプルなワンピース姿です。衛生のため厨房の服は現地で着替える予定です。
監獄の周りは柵があり、門を守る門番に私は挨拶した。
「ご機嫌様」
門番は「お疲れ様です」と敬礼し、門を開けた。私達は門を潜った。
「……まさかの顔パスですか。どれだけ顔が広いんですか」
「……流石に私も監獄は無理かもしれないと思ったけど、行けたわね。もしかしたら、ジャン様が話しといてくれたのかしら?」
「あの自己中のジャン様がですか? あり得ません」
「いえいえ。ジャン様は素晴らしい方よ。人の事をよく見てくださるわ」
「その素晴らしい方が従兄妹を監獄の料理人にしますかね」
「監獄の料理人はね。気軽なのよ。料理で人が死んでも良いらしいわ」
「……料理で人を殺す気ですか?」
「例えばの話よ。美味しい料理を作るに決まってるじゃないの」
「料理作った事ない人の台詞ではありませんね」
そんな風に下らない会話をしながら監獄となる建物に近づいて行くと男の叫び声が聞こえた。
「囚人が脱獄したぞ!!」
なるほど、確かにスネに傷がありそうなゴツい男がこっちに向かって走ってきた。手にはフォークを握っている。
「オラオラ!! 怪我したくなきゃどきな!!」
「お嬢様! 逃げましょう!」
侍女が私の袖を引っ張るが私は動かなかった。
「あれはお客様よ。帰るのは料理を食べて頂いた後にしてくれる様に説得するわ」
「はぁ!? 何言ってんですか!? ……もしや、お嬢様は囚人を捕まえるつもりで!? 確かお強いんでしたね!」
期待に目を輝かせるテレーズに応えるべく私は微動だにしない。そう。囚人が向かってくるのに1ミリも動かなかった。
「何ダァ!? やろってか!? 女の癖に生意気なっ!?」
私は微笑んだ。囚人はフォークを私の腹部に突き刺す。私は微動だにしなかった。そして……刺さった。
テレーズは「よけんかぼけー!?」と私に駆け寄る。
腹部への衝撃で別の世界の私の記憶が蘇った。
粉を混ぜて水で徐々に固める。固めた粉を薄く伸ばし、切って麺にする。その麺を湯掻いて冷水で冷やす。
ああ……美味しそう。
私は痛みで蹲み込んだが、幸せであった。
テレーズがめちゃくちゃ心配していた。
「だ、大丈夫ですか? 頭いかれました?」
違うでしょう。そこはお腹を心配するところでしょう。
私は「大丈夫」だとフォークを引き抜いた。
「コルセットが役に立ったわ」
「ええ。私も着替えを手伝ったのでそれは知っているのですが、まさか避けないとは思いませんでした」
「挨拶しようとしたのに、刺すほうが早かったわ」
「……どんだけトロいんですか」
フォークがなくなった囚人は牢番に捕まった様でこちらに戻ってきた。
「よりにもよってドゥニーズ様を刺すなんて……死刑なんて生温い! 親兄弟まで処刑確定だぞ!?」と牢番。
「はぁあああ!? 王妃予定のドゥニーズ様ですか!? 何でこんなとこにいるですか!? あぶねーですぞっ!?」と囚人。
「まあまあ。私は無事だから、牢獄に帰りなさい。親兄弟にも貴方にも罪は問わないわ。だから、私の料理を食べなさい」と私。
「「何ですと!? 貴女は聖女様ですか!? 料理も恵むとはっ!?」」と牢番と囚人。
聖女の料理なら食べるというのなら私は聖女になりますよ?