謎のノベル
クリーヴランド・モフェットのリドルストーリー「謎のカード」に憧れて書きました。
ただし拙作「謎のノベル」は答えのあるミステリーとなっています。
「栗島さ、もうちょっと頑張らないと駄目だよ」
国語教師の東野先生は、心配そうに言った。俺はうなだれ、反省しているポーズを取る。
「数学や理科は得意なんだろ?何で国語だけこんなに点数が低いんだ」
何でと言われても、嫌いだからに決まっている。
「国語のどこが嫌いなんだ?問題が曖昧だから嫌いなのか?」
この人は何を考えたでしょう?とか筆者の伝えたいことはなんでしょう?とか、そんなモン知るかよ!
と、文句をつける奴はいる。
しかし、俺は違う。そんなつまらない文句は言わない。
フィクション自体は好きなのだ。漫画もゲームもドラマも人並みに楽しんでいるし、登場人物に感情移入して嬉しくなったり悲しくなったりもする。
ただ俺は、文字を読むのが嫌いなのだ。なんというか、まどろっこしくて嫌になる。
俺の訴えをぶつけると、東野先生はうーんと唸り、俯いてしまった。
「そうか、文字を読むことそのものが嫌いか…でも漫画は好きなんだろ?小説は全然読まないのか?」
まったく読まない。
「……よし分かった。先生が小説を貸してやるから、その読書感想文を書きなさい」
俺は思い切り苦い顔をした。
その苦りきった表情が可笑しかったのか、東野先生は苦笑する。
「そんな露骨に嫌がるな。ほら、これ、この小説」
東野先生は自分の事務机の引き出しから一冊の小説を取り出すと、俺に差し出した。
表紙に『 』と書いてある。この小説の題名なのだろう。小さく薄い文庫本だ。年代物らしく、カバーはかかっていない。
俺はしぶしぶそれを受け取った。
「期限は一週間。来週金曜日の放課後、またこの職員室に来て、読書感想文を提出しなさい」
小説を読むだけでも苦労するのに、読書感想文まで求められるなんて。
「ほらほら、そんな不貞腐れた顔をするな。追試がないだけ有難いと思いなさい。
それに、『 』は名作だぞ?表題作だけでいいから。感想文も、ノート1ページだけでいい。国語のノートの最後のページに書いてきなさい」
じゃあ頑張って、と言われ、俺は職員室を退出した。
一般的な中学生には、こんな宿題など屁でもないだろう。しかし俺は、授業以外でまともに小説を読んだ経験がない。言わば小説オンチなんだ。読書感想文とは、なんて面倒臭い…
職員室を出て、とぼとぼと駐輪場へ向かう。その途中。
ある秘策を閃いた。
―月曜日
「えっ小説の感想?」
朝、登校した俺は、隣の席の宮部さんに話しかけた。
俺は小説など嫌いだ。『 』など読みたくない。しかし『 』の感想を書かなくてはならない。
ではどうすればいいか?
他の人の感想をパクればいいのだ。
国語教師の東野先生が推薦するぐらいなのだから『 』は有名な小説のはず。筆者の名前も聞いたことがある。
だから『 』の感想を人に聞いて、その感想を参考に読書感想文を書けばいい。これなら、読書せずして、読書感想文を完成させられる。
俺は、宮部さんに尋ねてみた。『 』はどんな小説か、宮部さんはそれを読んでどんな感想を持ったか。
宮部さんは首を小さく傾げる。
「えっと、『 』は読んだ覚えはあるんだけど。うーん。あんまり覚えてないなあ」
残念だ。宮部さんは、はずれ。では他の人に聞かないと。
そこで気付いた。俺の友人には小説を読まない人が多い。俺が小説を嫌いなのだから、俺と気が合う人も、小説に縁のない人ばかりなのだ。
両親に相談すれば解決しそうだが、それは駄目だ。宿題をサボる目的だとバレる可能性が高い。
この作戦は失敗だろうか。苦悩する俺の横で、考え込んでいた宮部さんがぱっと顔をこちらに向けた。
「思い出した!確か『 』はホラーよ。ホラー小説だわ」
ホラー。というと、ジェイソンとかフランケンシュタインとかああいった?
「ううん、そういう怪物系じゃなくて。
……確か、そう!死霊が出てくるのよ!重要なシーンで死者が話し出す…ああ、だんだん思い出してきた。なんだか、不気味というか不思議というか、読後感が気色の悪い小説だったはずだわ」
死霊…つまり、死者が蘇る?ゾンビが出るのか?なるほど。重要なシーンでゾンビが登場するなら、確かにホラーなのだろう。「読後感が気色悪い」という感想も、ホラーっぽい。怪奇小説、と称した方が正しいのだろうが、小説オンチの俺にはホラーの方がしっくりくる。
残念ながらそれ以上の情報は得られなかったが、少なくとも『 』のジャンルは分かったわけだ。
つまり『 』はホラー小説。
―火曜日
「ドスケベな小説だったはずだぜ」
宮部さんに尋ねた翌日。昼食後の休み時間に、悪友の北方を呼び出し、俺はまた質問をぶつけた。
『 』という小説を読んだことあるか?どんな小説だった?
その質問に対する答えが、コレである。
「あっ栗島、疑ってんな。確かに、『 』を読んだのはちょっと前で、うろ覚えではある。ただこれだけは、はっきり覚えてるぜ。あれはとんでもなくエロい小説だった」
お前がエロに興味津々なだけじゃないのか。
「否定はしないぜ。何しろ俺たち中学二年生男子。エロに対する執着は凄まじい。
『 』を読んだのは2年ぐらい前で、話の大筋すら、正直、覚えてない。でもな、あれは凄くエロい小説だった」
北方は悪友だ。特に性についての知識が豊富で、色々と詳しい。
北方が「そういう」奴だから「そういう」場面があったと錯覚しているだけでは……いや、これだけ力説するのだから、確かに「そういう」場面はあるのだろう。
一方、宮部さんによると『 』はホラーだ。ホラー映画にはセクシー要素が付き物。薄着なお姉さんが化物から逃げ回ったり、化物に服を破られてしまったり。
だからホラー映画と同様、『 』にもセクシーなシーンがあるというわけか。
「セクシー?馬鹿言うな。ちょっとセクハラシーンがあるとか、全裸になるとか、そんな半端なもんじゃねえ。レイプシーンがあったはずだ」
レ、レイプ…。ホラーでレイプってことは、触手的なあれとか?
いやいや、宮部さんは死霊が登場するホラーだと言っていた。死者が蘇る。つまり、ゾンビ物。ゾンビが人を強姦とは、ちょっと変だ。ゾンビは人を襲うが、生殖行為はしないはず。
ならば、ゾンビとは関係ない登場人物たちの間で、強姦シーンが繰り広げられるのか?
「しかも一回だけじゃねえ。ぼんやりとしか覚えてねえが、何度かレイプシーンや、浮気のシーンも書かれていたはずだ」
強姦に浮気……そう聞くと『 』は官能小説のようだが。
しかし繰り返すが、宮部さんは「ホラー」と断言していた。少なくとも『 』はゾンビが登場する小説のはずだ。
ゾンビが出て来て、なおかつ強姦や浮気が描かれる小説……まあ、ないことはないだろう。
例えば、強姦事件がきっかけで被害者がゾンビになる、とか。理解できなくもない。しかし東野先生、教師の癖になんて小説を勧めるんだ。
つまり『 』はホラーかつエロ小説。
―水曜日
「随分昔に読んだから、ちょっと記憶が曖昧だなあ」
伊集院君は腕を組みつつ言った。
宮部さんと北方に話を聞いた俺は、まだ感想文を書くことが出来なかった。エロホラーとの情報は得たが、それだけではイメージが湧かない。いっそ読めば早いのだが、小説オンチの俺にとって、小説を読むのは非常に難儀だ。カバーが外されているから、粗筋も読めない。
今回は、自分の知り合いではなく、詳しそうな人物に尋ねることにした。
クラスメイトの伊集院君である。
伊集院君はミステリーが好きらしく、休み時間にはいつも本を読んでいる。○○殺人事件とか、○○殺人ゲームとか、おっかないタイトルの本ばかり読んでおり、ちょっと近寄り難い。
俺は思い切って、伊集院君に『 』について尋ねてみたのだが、どうも伊集院君の専門とは微妙に違うらしく、回答に困っている様子だ。
「あっでも確か、ミステリーだった気がする」
伊集院君が嬉しそうに言った。ふむ。『 』はミステリー要素のある小説なのか。なにかの謎を解く場面があるとか、探偵する場面があるとか。
「いいや、そんな生易しいもんじゃなかったよ。
そう『 』は解決シーンがたくさんあるんだ」
たくさんある、とはどういう意味だろう。ミステリー漫画やミステリー映画なら見たことはあるが、解決シーンは一度だけだった。
「普通はそうだね。でも、『 』の解決シーンは一転、二転、三転と、どんどん転がっていく、とても濃厚なものだったはずさ。まさに、ミステリーの傑作だね」
伊集院君は目を輝かせて言う。
……しかし、宮部さんによると『 』はゾンビが出てくるホラーなはずだ。ホラーなのにミステリーとは面妖な。
いやそれだけならまだしも、北方によると、『 』はエロ小説でもある。伊集院君は濃厚な解決シーンと言うが、濃厚なミステリーでありながら、濃厚なエロでもあるのか?
「あれ?待てよ…アクションものだった気もするぞ」
まだジャンルを増やすのか!
「男と男の一対一の決闘。手に汗握る戦い。ガチンガチンと何度も刃がぶつかる。決して派手ではないけれど、中々緊張感があったような」
決闘ということは中世ヨーロッパが舞台なのか?刃がぶつかったのだから、剣を片手に二人の騎士が戦うわけか?どうも詳細は覚えていないようだが、少なくとも『 』にアクションシーンがあることは、確実らしい。
この小説は、どれだけキャラ付けするつもりなんだ?
不気味なホラーでもあり、官能的なエロでもあり、二転三転するミステリーでもあり、熱いアクションでもある。
しかもこれだけたくさんの情報を得ながら、その情報提供者は誰一人として、はっきり物語を覚えていない!キャラが濃いのか薄いのかどっちだよ!
とにかく、まとめるとこうなる。
『 』はホラーかつエロかつミステリーかつアクション小説。
―木曜日
俺はついに諦めた。三人に尋ねても謎は深まるばかり。感想をパクるどころかストーリーすら見えてこない。『 』はやはり有名な小説らしいが、なぜか三人とも、その内容をきちんと説明できなかった。
こうなったら、もう、読んでみるしかないだろう。
ああ、面倒くさい。と思いながら。
一方で、ちょっと楽しみでもあった。
俺の予想では、この小説は総合エンタメ小説なのだ。
ホラー要素あり、エロ要素あり、ミステリー要素あり、アクション要素あり。決してお堅い小説ではなく、読者にウケル要素をたくさん盛り込んだ、総合エンタメ小説。
小説嫌いな俺でも、楽しく読めるかもしれない。
放課後の、図書室。
本を読むにはここが最適だと判断した。
椅子に座り、通学鞄から、一冊の本を取り出す。
表紙には『 』と書かれている。この本の題名だ。
俺は表紙をそっと撫でると、本を傾け、さあ、いざ読もうとして。
「おっ栗島君、久しぶり」
声をかけられた。振り向くと、三年生の宮城谷先輩が立っていた。彼は小学校が俺と同じで、また家も近かったため、中学に上がる前はよく遊んでいた。中学生になってからは、趣味が合わなくなったからか、あまり付き合わなくなった。
そうか、宮城谷先輩がいたじゃないか。
宮城谷先輩は、小説が大好きな先輩だ。伊集院君と違い、どんなジャンルの小説でも読む。特に中学生になってからは、図書室、図書館に通い詰め、暇さえあれば小説を読みあさっていると聞く。
宮城谷先輩なら『 』の粗筋を、丁寧かつ細かく、俺に説明できるだろう。
しかし俺は既に『 』に興味を持ってしまった。読む決意は既に固まったのだ。宮城谷先輩の出番はない。
適当に挨拶を返し、俺は再び本を開こうとする。
「あっ。それ『 』じゃないか。歴史的傑作だよね」
…本を開こうとした俺は、動きを止めた。
歴史的傑作?
俺の理解では、『 』はホラープラスエロプラスミステリープラスアクション小説。様々なエンタメ要素が結集した、総合エンタメ小説のはずだ。
傑作かどうかは読んでみてのお楽しみだが、歴史的、という部分が引っ掛かる。
歴史的傑作と言ってしまうと、まるで、『 』が文学的な小説のようではないか。
俺が質問すると、宮城谷先輩はぽかんと口を開けて驚いた。
「なに言ってるんだい?『 』は文学的意義のある傑作に違いないじゃないか」
そんな…エンタメ要素盛りだくさんの小説じゃないのか。
「楽しい小説と評すより、興味深い小説と評した方が正しいよ。文学的な傑作だ」
文学的…?その言い方…おいおい、まさか…まさか『 』は…
「何しろ大文豪の有名作だからね。『 』は純文学の傑作だよ」
まさか、『 』が純文学!それも傑作!『 』は純文学の傑作!
『 』はホラーかつエロかつミステリーかつアクションかつ、純文学!
―金曜日
私は放課後の職員室で、期待しながら待っていた。
今日は栗島が宿題を提出する日だ。私が課した読書感想文の宿題。彼はどんな感想文を書いてくるだろう。
彼は小説を全く読まないと言った。
もし、私が貸した本によって、小説の面白さに目覚めてくれればこんなに嬉しいことはない。
もっとも、彼にはまだ早かったかもしれない。
貸した後で思い出したのだが、あの小説には官能的な描写がある。敢えて官能的と強調するほど緻密な描写でもないのだが、中学生にとってはちょっと刺激的だろう。エロチックな書き方ではなかったはずだが、状況設定が過激で、教育に悪かったか。
とはいえ、リーダビリティは高い。ミステリーの如く次々と真相が覆される様は、圧倒される。小難しいわけではなく、素直に面白いと思える小説なのだ。
面白いと言えば、あの小説には刀で戦う場面もある。一流の筆者が書く、男と男の対決だ。小説独特の、熱さや緊迫感を味わえる。
一方、個人的に気に入らない点もある。最後の最後に死霊が登場する場面。現実味がなく、なんだかなと思う。今風に言えば、時代劇の最後にゾンビが出てくるようなものだ。ただ、死霊と言っても、実際に幽霊やゾンビが登場するのではなく、あくまで死者がイタコの口を借りて話すだけだ。世界観は保たれている。むしろ、この奇妙な幕引きは、ユーモアがあると評すべきなのだろう。
あの小説には、太宰治の人間失格や、ドストエフスキーの罪と罰ほどの、重みはない。しかし私は、純文学の傑作だと信じている。
曖昧模糊とした、雲のような小説ではある。そういう意味では、印象に残りにくいかもしれない。ただ、傑作には違いない。読書感想文の書き甲斐がある小説だろう。
……遅いな。栗島はまだ来ないのか。もしや、急いで感想を書いてる最中だったりして。できればじっくり時間をかけ、熟慮して、読書感想文を書き上げて欲しいところだが。
ただ、栗島は文字を読むこと自体が嫌いだと言っていたから、短編とはいえ、ちょっとハードルが高かったかもしれない。
芥川は、難しかったか。
ああどうしよう。まだ感想が書き終わらない。早く書いて職員室まで持っていかなくては。東野先生が帰る前に、何とか。
俺は文章を読むのが苦手で、だから当然、文章を書くのも苦手なのだ。どの場面から感想を書くべきか、自分の感情をどう表現すべきか。まったく分からない。筆が進まない。何を書けばいいか分からない。目の前がまっくらだ。まるで、まるで―
―『藪の中』にいるように。
参考にした小説
謎のカード クリーヴランド・モフェット (1896年)
藪の中 芥川龍之介 (1922年)