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真由美ちゃんが扉横に据え付けられた空調ボタンに手を伸ばし、エアコンの設定温度を下げる。年季の入った保健室のエアコンが低い唸り声をあげながら、二人しかいない部屋の中に少しだけカビ臭い冷気を送り込み始める。
「なんだか今年の夏休みはいつもより長いわね。終業式からもう六週間経ったのに、まだ八月の頭なんだもの」
そうだねと私は相槌を打ちながら、執務机の上に置かれていた事務用の置き時計に手に伸ばした。飾り気のない時計をひっくり返し、つまみを回して一日分時計の針を巻き戻す。時計の画面にデジタル表示されていている日付が昨日の日付になっていることを確認して、私はそっと時計を元の場所に戻した。
「そうそう、そういえば昨日、心理テストの本を買ったんだ」
真由美ちゃんはそう言うと、本棚から可愛らしい花柄表紙の本を一冊抜き取った。真由美ちゃんは楽しそうに本を開き、適当なところでページをめくる手をとめる。
「えーと、質問です。あなたの家の洗濯機にあるトラブルが発生してしまいました。さて、そのトラブルは次の4つのうちどれでしょうか。1洗剤が泡立ちすぎてあふれてしまうトラブル。2なかなか汚れが落ちなくなってしまうトラブル。3水が止まらなくなってしますトラブル。4故障してしまって全く動かないトラブル」
私は少しだけ考えてから答える。
「4かな」
「私は3。全然当てにならないわね、この本」
真由美ちゃんは本を閉じ、そのまま躊躇なくゴミ箱の中に投げ捨てる。早速だけど、カウンセリングを始めましょうか。真由美ちゃんの言葉に私は頷く。真由美ちゃんは薬棚から四つのガラス瓶を取り出してきて、それを執務机の上に置く。風邪薬が入った瓶が一つ。胃腸薬が入った瓶が二つ。鎮痛剤が入った瓶が一つ。真由美ちゃんはそれぞれの瓶を説明をしながら、私の横に置いてある丸椅子に腰掛ける。消毒液のような清涼感ある匂いが私の鼻をくすぐった。
「この風邪薬が山中さん、目の前の教卓が山中さんを取り巻く環境だと考えるの。その上で、他の三つの瓶を、山中さんが感じるままの場所に置いてみて。そうすることで、山中さんが心の奥底で何を考えているのかが見えてくるはずだから」
真由美ちゃんはそう言いながら、風邪薬を私の目の前にちょこんと置いた。黄色いラベルが貼られた小さな風邪薬の瓶は、片付けられた執務机の上でどこか居心地悪そうにしているように見えた。私はとりあえず、胃腸薬が入った二本の瓶を手に持ち、風邪薬の両脇に置いてみた。私に見立てた風邪薬は突然現れた両隣の胃腸薬に驚いたのか、それぞれの瓶の方を交互に振り向いた後、カタカタと音を立てながら身震いを始めた。
「どうしたのかな?」
「風邪じゃないかしら?」
「風邪薬のくせに?」
真由美ちゃんが二つの胃腸薬の瓶を風邪薬から離れた場所に移動させる。風邪薬は一瞬だけ身震いを止め、今度はさっきまで両隣にいた二つの瓶を探すようにその場でくるくると回転し始める。中に入った錠剤が瓶の中で擦れ合う音が、まるで渇いた咳をしているように感じられた。やがて風邪薬は再び身震いを始めた。身震いは先程よりも激しく、痛々しかった。私は残っていた鎮痛剤を風邪薬の隣に置いてあげる。それでも風邪薬の身震いは止まらない。小刻みな振動音が一定のテンポで小さな保健室の中で反響する。
「これってどういうこと?」
真由美ちゃんが肩をすくめて、首を横にふる。
「これが何を意味するかというのは山中さんにしかわからないの」
私はもう一度身震いを続ける風邪薬に視線を向けた。しかし、いくらじっと見つめていても、そこから私の深層心理を読み取ることはどうしてもできなかった。私の目の前にいるのは風邪を引いた可哀想な風邪薬。私は少しだけ離れた場所に置いてあった二つの胃腸薬をもう一度風邪薬の近くに寄せた後、やっぱり考え直して、それらを元々の少し離れた場所に置き直した。
「ねぇ、真由美ちゃん。この子の風邪すごく辛そう。どうにかできないかな?」
真由美ちゃんは興味なさげな表情のまま自分の指先のささくれを弄っていた。
「まだ風邪のひきはじめっぽいし、横になってれば自然に治るわよ」
そう言うと真由美ちゃんは風邪薬を掴み、ゆっくりとそれを横に倒した。