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 保健室へ入った瞬間、熱せられた空気とむせ返るような臭いが私の身体を包み込んだ。私は両手で自分に風を送りながら、冷房の電源を入れ、部屋の中央に置かれた丸椅子に腰掛ける。五分後、背後で扉が開く音がした。私が振り返ると、そこには息を切らし、滝のように汗を流した真由美ちゃんの姿があった。


「ごめんごめん、遅れちゃって。ちょっと信号に捕まっちゃった」


 ブラウスのボタンを大胆に外しながら、真由美ちゃんは申し訳なさそうにそう弁解した。年がら年中着ている茶色のカーディガンを乱暴に脱ぎ捨て、流し台横の冷蔵庫から緑茶のペットボトルを取り出した。奥にある食器棚からコップを取り出し、それに緑茶をなみなみと注ぐ。


「ばんそうこうだよね」


 真由美ちゃんはおいしそうお茶を飲み干した後で確認してくる。薬棚の引き出しを開け、そこから茶色のばんそうこうを取り出す。それから真由美ちゃんは私の真向かいに置いてある椅子に腰かけ、私の手を取り、愛おしそうになで始めた。傷口を見つけると、もったいぶった仕草で消毒液を吹きかけ、その上から割れ物を扱うようにそっとばんそうこうを張り付ける。相変わらず手慣れたものだと、私は真由美ちゃんを観察しながらつぶやく。保険室の先生として、数多くの傷にこうやってばんそうこうを貼っていることに違いはない。私以外の人間にも、例えば、しとねちゃんやユリカちゃんにも同じように。私は真由美ちゃんの華奢で白い手からさっと視線をそらす。


 真由美ちゃんは台紙をごみ箱に投げ入れると、両手で私の頭をつかみ、そっと自分の胸に抱きよせた。汗で少しだけ湿ったブラウスは柔軟剤の匂いがした。顔の位置をずらし、思う存分にその匂いを存分に嗅いでいると、真由美ちゃんは私の耳元と首筋にそっと口づけをした。私はお返しに、真由美ちゃんの右の二の腕を指で押してあげる。「いやん」と真由美ちゃんが喘ぐ。そこは真由美ちゃんの性感帯だった。お互いに元の体勢に戻り、向き直る。真由美ちゃんの呼吸は興奮で若干乱れていた。


「ねえ、真由美ちゃん。あと数ヶ月で世界が終わるって知ってる?」


 私の問いに、真由美ちゃんは「知ってる」と答えた。「というより、山中さんは知らなかったの?」と真由美ちゃんが聞き返してきたので、私はさらにびっくりした。


「でも、それがどうしたの? 今さらどうしようもないことはわかり切ったことじゃない。世界が滅びても、私達にはそんなに関係ないことだし、今まで通りの生活を続けるだけでしょ? 」


 真由美ちゃんが髪を右耳にかける。真由美ちゃんの右頬には『10/11』というタトゥーが彫られていた。それは文化祭の翌日、つまり世界が滅びる日付だった。


 私はふと、真由美ちゃんから視線を外し、窓の外へと視線を移した。真由美ちゃんの後ろには大きな窓があり、そこからは学校の運動場がよく見える。窓のちょうど右下あたりから、一人の野球部員が保健室の中をうかがっているのが見えた。私の視線を感じると、野球部員はなんとなく気まずくなったのか、窓の枠の外へと姿を消してしまった。


「何を見てるの?」


 真由美ちゃんが首に手を当てながら顔を右に傾ける。


「いや、なんでもないよ」


 私は反射的に嘘をつく。


「教えてよ」

「なんでもないってば」


 突っぱねる私に真由美ちゃんは小さくため息をつく。


「ねえ、山中さん。私は山中さんのことがすごく好きなの。山中さんが見ているものや聞いているものを私も知りたいし、私が見ているものや聞いているものを山中さんにも知って欲しい。そして、願わくばその二つが一緒であって欲しいわ。私と山中さんが同じものを見て、同じことを考えるの。それ以上に素敵なことってこの世に存在するかしら?」


 真由美ちゃんは私のほおに手をあてた。手からほんのりと真由美ちゃんの体温が伝わってきた。


「わかりあえないまま愛し合うことってすごく難しい。でもね、悲しいことにわかりあうことって愛し合うことなんかよりもずっとずっと難しいのよ。それに、愛し合えないままずっと一人ぼっちなのも嫌でしょう? でもね、たとえわかりあえなくとも、お互いが同じものを見て、同じことを考えることはできるでしょう? 私はそうやってでも山中さんと繋がっていたいの」


 真由美ちゃんのことは好きだ。それに誰かとつながるということは素敵なことだし、一人ぼっちでいることはどうしようもなく辛いことだ。それでも、私は何も言えなかった。私は申し訳ない気持ちになって、真由美ちゃんの二の腕を二回指で押す。「いやん、いやん」と真由美ちゃんは二回喘ぐ。頬の赤みがまし、真由美ちゃんの目は目薬をしたばかりみたいに水気で潤んでいた。


「私もう我慢できない」


 真由美ちゃんは私の肩を掴み、そのまま固い保健室の床へと押し倒す。背中に鈍い痛みが走る。真由美ちゃん越しに保健室の天井が見える。その時初めて、私は保健室の電灯の一つが切れかかっていることに気がついた。

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