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 クールで大人っぽい見た目からは想像できない、鈴のように枯れた歌声が、ピンク色の液体となり、スピーカーを通じて四方八方に飛び散っていく。スピーカー周りの床だけでなく、音楽室の壁や近くに置かれている黒いグランドピアノもあっという間にピンク色に染まり、私たちの足元も徐々にぬかるんでいく。曲の盛り上がりに伴って、スピーカーから飛び出す液体の量も、飛散距離も上り調子になっていく。ふと足元を見ると、私の膝から下ははすっかりピンク色に染まっていた。


私たちが、椅子や机が、音楽室が、私たちの演奏で一色に染まっていく。ビブラートがかかったボイスが響く。スピーカーから飛散する音は振動しながら音楽室の壁や窓ガラスの内部へと浸透していき、廊下へ校庭へと桃色の浸食を開始する。私は二人に置いて行かれないようにがむしゃらにベースをかき鳴らした。飛散した一部のピンク色の液体が私の耳の中に入リ込む。しとねちゃんの歌声とユリカちゃんのドラム音の後ろ側に、ずんずんと巨人の足音のような音が直接私の脳内で暴れまわる。私は私の演奏に高揚し、ベース捌きに熱が帯びる。私としとねちゃんとユリカちゃんのかき鳴らす音が一つの塊になる。スピーカーから砲弾のようにその塊が発射され、軌道上にあった肖像画の真ん中を貫く。歌うパートはとっくに終わり、気が付けば曲は後奏に入っていた。終わってしまう。トランス状態の中で、私がその事実を理解したその瞬間、しとねちゃんのひときわ大きいギター音が鳴った。それは曲のフィニッシュだった。私たちの演奏が終わったのだ。


 厚手の毛布に包まれたような余韻に浸りながら、私はふうっとため息をつく。顔全体がほてっていた。鏡がないのでわからないけれど、きっと頬は興奮と熱で赤くなっているに違いなかった。


 私はしとねちゃんの方をちらりと見る。しかし、幸福で満ち足りている私とは対照的に、しとねちゃんは足元のピン色のぬかるみをパシャパシャと踏み鳴らしながら、物憂げな眼でじっとギターの弦を見つめていた。井戸の底のような深い黒色の長髪の下半分はピンク色に染まり、ちょっと前に流行ったツートンカラーのヘアスタイルみたいになっていた。


「こんなんじゃダメ」


 ナイフのように鋭い言葉だった。本番まで何か月後もある時点での演奏としては、申し分のないほどの出来だったはず。私は一体どうしていいかわからず、助けを求めて、後ろにいるユリカちゃんの方へ振り返った。しかし、ユリカちゃんは床に痰を吐き捨てただけで、慰めの言葉一つかけてくれやしなかった。


「この程度の音楽じゃ、駄目。もっともっと上手に演奏しなくちゃ。ユリカのドラムは所々で音の強弱を間違えてるし、私のギターも歌もまだまだ技術的にアマチュアレベル。それと、詩織。あんたは演奏する曲をまた間違えてる」


 あんなに頑張ったのに。私はそう言いかけたが、ぐっとその言葉を飲み込んだ。言葉の一部が気管に入り、たまらずむせる。ゴホッと咳き込むと、飲み込んだ言葉の一部が吐き出され、足元のぬかるみの中に落っこちる。ピンク色の波紋が落下地点を中心に広がっていくのが見て取れた。

 しとねちゃんの言う通りだった。たとえビリー・シーンのような演奏ができたとしても、奏でる曲を間違えていたらどうしようもない。私は素直にしとねちゃんにごめんねと誤り、もう一度最初から演奏しようと提案した。しかし、しとねちゃんの機嫌は直らなかった。


「もう演奏する気分じゃない。今日は終わろう」


 泣きそうになりながら、私はうなづいた。そして、各々楽器を片付けた後、ピンク色になった壁やら床やらをペンキで元の色に塗り返してから、音楽室を後にした。いつもは陽気な三人の足取りも、今日はなまりのように重かった。

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