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 舞台袖特有のピリピリとした空気と熱気に、私の身体が少しだけ震える。講堂のステージからは、ダンス部が床をリズミカルに踏み鳴らす音と、聞くに堪えないけたたましいビートが聞こえてきていた。舞台袖の長いビロードのカーテンが音楽に合わせて揺れている。今回が初めてというわけではない。それでも、このような舞台の雰囲気にはいつまでたっても慣れない気がする。


 私は横目でしとねちゃんの方を見た。しとねちゃんはユリカちゃんと最後の打ち合わせをしているのか、顔と顔を近づけて何かを小声で話し合っていた。険しい表情で何かを身振り手振りで説明しているしとねちゃんとは対照的に、ユリカちゃんは死んだような目で腐ったような微笑みを浮かべながら、袖口にあるカーテンに干物のように乾ききった手の甲をこすりつけていた。カーテンのこすられた部分は色素が薄くなり、そこだけが白いペンキに塗られたみたいになっていた。


私はなんだか自分だけが仲間外れにされているような気がして、特に用事があるわけでもないのに二人のそばへと近づいてみる。「何を話してるの?」と私が尋ねる。しとねちゃんもユリカちゃんもただ不敵に笑みを浮かべるだけで、明確な答えを返してはくれない。私はそのことに不満を覚えつつも、改めてしとねちゃんを観察した。しとねちゃんの右耳にはベージュ色の絆創膏が貼られていた。私はそれをみて、少しだけ胸が熱くなる。しとねちゃんの耳たぶがかけていることを知っているのは私だけだったし、なにより、耳たぶが欠けているのは私のせいだったからだ。


「絶対に成功させよう」


 しとねちゃんがいつもの口調で言う。結局、あの日以来、しとねちゃんからはっきりとした答えを聞いていない。しかし、しとねちゃんが本当は何を考えていようとも、今までの練習の成果を無駄にすることなど到底できなかった。


 私はステージへと視線を戻した。舞台上ではダンス部の人たちが、狂ったような叫び声をあげながら、床に這いつくばり、芋虫のように身体をくねらしていた。クラスにいるダンス部の説明によると、それは青春の儚さや苦悩を表現しているらしかった。私は彼女らの演技に言いようのない軽蔑を覚えた。私は床にペッと唾を吐き、すぐそばに置いてあったパイプ椅子を持ち上げ、袖口から彼女らに向かって放り投げる。椅子は一番近くにいた一年の女子に直撃し、彼女は動きを止め、その場で動かなくなった。


 背後から笑い声がしたので振り返ると、ユリカちゃんが腹を抱えて笑っていた。歯茎をむき出しにし、眼の端にはうっすらと涙の玉ができていた。私はそのユリカちゃんの姿を見て一瞬だけ得意になったが、急に自分がしたことがみっともなく感じ始めた。笑うこともなく、何もなかったかのように舞台を鑑賞し続けているしとねちゃんの佇まいもまた、私の自己嫌悪感をくすぐった。ユリカちゃんがもっと何かしてよと目配せをしてくる。私はその合図が見えなかった振りをした。ダンス部の演技はなおも進行していて、倒れた少女をうまく利用したものへと変わっていく。舞台袖から椅子が投げ込まれ、一人が負傷すること自体が、彼らの筋書きに組み込まれていたことに気が付いたのは、演技が後半に差し掛かってからだった。


「準備をお願いします」


 裏方の実行委員の一人が私たちにそう告げた。部長のしとねちゃんが代表して返事をする。ダンスが終われば、すぐに実行委員の人たちと協力して舞台上にドラムセットやアンプをセットしなければならない。それが終われば息をつく間もなく本番だ。ぎゅっと制服の胸ポケットに入れているお守りに手をあて、深く息を吸い込む。お守りは昨日作ったばかりで、中には私が噛み千切ったしとねちゃんの耳たぶの欠片が入っている。私の宝物。私としとねちゃんの関係性の証。大丈夫。きっとうまくいく。私は言い聞かせるようにそうつぶやく。


「二人ともちょっと集まって」


 しとねちゃんが私とユリカちゃんを呼ぶ声がした。しとねちゃんの表情はいつになく険しく、どこかやつれきっているような気さえした。私とユリカちゃんはしとねちゃんの言葉を待つ。しかし、なかなかしとねちゃんは口を開こうとせず、ユリカちゃんに急かされてようやく口を開いた。


「別に今回が私たちの初めてのライブってわけじゃない。だけど、前から言っているように、私たちの演奏次第で世界が滅びるかどうかが決まる。それはわかってるよね?」


 しとねちゃんの確認に私は首を縦に振ってうなづいた。


「じゃ、そういうことで。気負い過ぎは良くないけど、やれることはやらなきゃね。今までの練習を思い出して、頑張ろ」


 私は袖口ですごすごとスタンバイを始める。ちょうど、ダンス部の演技が終わり、激しい運動で顔を紅潮させた部員らが袖口にはけてくる。さきほど椅子を投げられた一年女子が私とすれ違った際、私に向けて露骨に大きな舌打ちをした。私は彼女の方へ振り返る。彼女は同じくすれ違ったユリカちゃんに舌打ちをし、ユリカちゃんから思いっきり背中を蹴られた。彼女はバランスを崩し、前のめりになって地面に倒れる。倒れた衝撃で彼女は白と灰色が混じった鳩になり、ユリカちゃんから逃れるように、上の開かれた窓からバタバタと翼をはためかせて飛んで行ってしまった。ユリカちゃんはそれを見て、再びお腹を抱えて笑いだした。


 私は鳩になった一年を見送った後、自分の両頬を数回はたく。今必要なのは、何よりもまず集中だった。舞台のカーテンが閉じられ、準備を手伝ってくれる実行委員会がステージ上に飛び出していく。アンプ、ドラムセットが舞台上に設置されていく。準備はリハーサル通りに進み、五分もしないうちに終わる。手伝ってくれた実行委員会の人たちが再び袖口へと戻る。私たちは彼らを見届けた後、ステージ上のそれぞれの立ち位置に立つ。


いよいよ始まる。私が胸ポケットに入れたお守りに手をあてる。私は右前に立つしとねちゃんと後ろにいるユリカちゃんに視線を向けた。大丈夫。きっと上手くいく。実行委員のアナウンスが聞こえる。そして、私たちの目の前に下ろされていた幕がゆっくりと上っていった。


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