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「どうやら三か月後に世界が終わっちゃうらしいの」
放課後の音楽室。校庭の風景を眺めていた私と、足を組んだ状態でドラムスローンに腰掛けていたユリカちゃんにしとねちゃんがそう告げた。私はゆっくりと振り返り、しとねちゃんの顔をまじまじと見た。長いまつげの隙間からダークブラウン色の瞳が窓から差し込む陽光を反射して、昼下がりの川面のようにきらきら輝いている。ユリカちゃんはドラムスティックの先っぽで歯の表面についた歯石をゴリゴリと削っていた。
「三か月後っていつ?」
私はしとねちゃんに尋ねた。
「正確にはね、学園祭の次の日、その日に世界が滅びるの。その日を境に、世界は端っこから安いパイ生地みたいにぼろぼろと崩れていって、最後はおがくずの山になるの。その後、強い旋風が吹いて、そのおがくずが吹き飛ばされる。そうなったらもう世界は元通りにならない。この世の終わり。ジ・エンドね」
「そんな!」
泣きそうになりながら私は叫んだ。
ユリカちゃんが下卑た笑い声を上げる。廊下を誰かが駆けていく音がする。校庭からは甲子園を目指す野球部の間の抜けた掛け声が聞こえてくる。しとねちゃんは黒革のピアノ椅子に腰掛け、グランドピアノの鍵盤にそっと手をおく。しとねちゃんがドの鍵盤を押すと、ピアノの響板が震え、ミの音が鳴った。今度はミの鍵盤を押す。すると、今度はドの音が出る。最後にしとねちゃんがドとミの音を同時に押すと、ファの音が音楽室に寂しげに響き渡った。
「落ち着いて、詩織。世界がそんな風にならない可能性はまだ残されている」
しとねちゃんはゆっくりと鍵盤蓋を下ろしながら言った。
「それはね、三か月後の文化祭で、私たちが最高の演奏をすること。今までで一番上手に弾けるだけじゃダメ。三人の音楽がまず境界線のない一つの塊になる必要がある。それからそれを核をとして、世界をそれにどんどんくっつけていくの。だから、イメージだと、雲ね。私たちの音楽が空気中のほこりで、世界がその周りにくっつく水蒸気。核の周りに水蒸気が集まって、一つの雲になる。わかる? それ以外に世界を滅亡から救う方法はないの。この学校の校長にも、C組担任の細川にも、陸上部の新保にも救えない」
「生活指導のヤマケンは?」
「ヤマケン? あいつは駄目よ。ブサイクだし、肩にはフケが積もってるしさ。私、不潔な奴が嫌いなんだよね」
私はそんなものなのかと納得する。
「まあでも、救えないっていうのはちょっと言い過ぎかな。救うことはできるかもしれないけど、大半の人ってそこまで世界の行く末に興味がないし、そんなことよりも他のことで手一杯なの。でも、大体そんなもんでしょ、人間って。だけど、私は違う。私はみんなの分も世界を想っている。世界を想っているからこそ、世界が滅びるのは嫌だし、なんとしてでも止めたいって思ってるの。わかる? 世界を救えるのは私たちの演奏だけなの」
しとねちゃんはくりくりとした魅力的な目で私をじっと覗き込んでそう言った。先ほどまでダークブラウンだった瞳の色は、興奮と決意で深い漆色に変わっていた。なんて綺麗な瞳なんだろう。私はしとねちゃんの話そっちのけでそんなことを考えていた。すると、しとねちゃんにくぎ付けになっていた私の肩をポンポンと後ろから叩かれた。振り返ると同時に、いつの間にか近づいてきていたユリカちゃんがドラムのスティックを私の目の前へと突き出してきた。スティックの先には、緑色でねばねばした、ユリカちゃんの歯垢がべっとりとくっついていた。
*****
世界の終りまで三か月しかない。一分でも一秒でも時間が惜しい。私たちはそれぞれの楽器を取り出し、練習に移る。しとねちゃんがシールドケーブルをFenderのChampion 100につなぎ、エレキギターをかき鳴らしながら音を調整し始める。じゃらんとエレキギターのGコードを鳴らす。スピーカーからはじけるように飛び出した電子音がピンク色の液体となって噴き出し、アンプ周辺の床にまき散らされて、小さな水たまりができる。色はいつもよりも鮮やかで濃く、しとねちゃんのコンディションの良さが窺われた。しとねちゃんもわざわざかがんで床の液体を指で拭い、色の調子を確認する。そして、満足げに私たちに微笑みかけた。
「じゃあ、一回通しで」
しとねちゃんの言葉とともに、ユリカちゃんが二つのスティックをぶつけあい、始まりの合図を送る。呼吸を合わせ、私たちはそれぞれの楽器を一斉に奏でる。ユリカちゃんが刻むビートに合わせ、私が腹に響くようなベースの低音を鳴らす。しとねちゃんが巧みな指さばきでギターを弾く。桃色の液体が床に跳ね返り、飛沫となって私達の足元を汚す。ハイテンポなイ短調の前奏が終わり、しとねちゃんの歌が始まった。