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八話

 家族でいつも通りの質素な夕食を食べ終えて、食器を片付けた僕は、階段を上がろうとする爺ちゃんに声をかけた。

「爺ちゃん、ちょっといい?」

「うん? 何か用か?」

「聞きたいことがあるんだけど、部屋に行ってもいい?」

「構わんが……珍しいな。部屋に来たがるなんて。じゃあ付いてこい」

 ゆっくりと階段を上がると、そこから左奥に行った先に爺ちゃんの部屋はある。ちなみに右隣は婆ちゃんの部屋で、さらにその右が僕の部屋だ。

 扉を開けて中に入ると、照明に照らされたそこはまさに本の倉庫状態だった。人一人がようやく歩ける幅は確保されているけど、それ以外の場所は無数の本で埋まってしまっている。壁の本棚にはこれでもかとぎゅうぎゅうに本が詰まり、床にはいくつも本の塔が立ち並んでいる。執筆するための大きな机の上も、一応書く空間は残されているけど、その周りには壁のように様々な本が積み上げられている。前にあった大きな地震で崩れなかったのかな。それとも再び積み直したのだろうか……。

「狭くてすまんな。よく読む本は近い場所に置きたくてな。そうしたらこんなことになってしまった」

「読まない本は処分しないの?」

「うーん……研究をしてると、細かい内容を確認したい時がよくあってな。そういう時に急に必要になる本もあるんだ。それを思うと処分する本を選ぶのも難しくてな……」

 わかる。僕も昔、参考にしようと思った本を探してて、でもすでに処分してしまったのだと気付いて後悔したということがあった。今はいらなくても後で必要になるかもしれないと思うと、処分する手はなかなか進まないんだよな……。

「悪いが、椅子はこの一脚しかない。そこの積んだ本にでも腰を下ろしていいから」

 そう言うと爺ちゃんは座り慣れた自分の椅子にどっかと座った。僕も机の側に立つ本の塔の中から、傾斜していない倒れにくそうなものを選んで座った。

「で、聞きたいことっていうのは何だ?」

「実はさ、家系図を見たいんだけど、我が家にはそういうものってあるの?」

 これに爺ちゃんは目を丸くした。

「家系図? また急に珍しい要望を……そんなものがどうして見たいんだ?」

「見たいというか、どんな家系なのか、ちょっと気になったりしたもんだからさ……」

 自分と両親とのつながりを確認したいなんて言ったら、絶対に爺ちゃんは眉をしかめるだろう。

「昔、わしが個人的に調べて書きまとめたものがあるぞ。でもごく一般的な家系で、わしらの祖先は平民だぞ」

 そう言いながら爺ちゃんは腰を上げると、ゆっくり歩いて本棚の前に向かう。

「確か、この辺にしまっておいた記憶があるんだが……」

 指先で本を確認しながら本棚の一段一段を探す。これだけ大量の本があっても、一応しまった場所は憶えているんだな。

「……おお、あったあった。これだ」

 見つけた爺ちゃんは一冊の本を取り出して戻ってきた。でも本と言っても、他と比べるとかなり薄く、数枚の紙を綴じただけのようなものだ。

「全部わしが書いて作ったものだから、あまり出来がいいとは言えないが」

 そう言って机に置いた本の表紙を開く。僕はそれを横からのぞき込んだ。

 大分昔に書かれたものなのか、紙は茶色く色あせていて、その一面に同じく茶色く色あせたインクで家系図が丁寧に書かれていた。

「これが今わかってる、わしらのもっとも古いご先祖様だ」

 爺ちゃんは横に連なる家系図の一番左にある名前を指差す。マヌエル・バロス・アラナ――この人が僕の祖先か。

「ここから数えて、エヴァンは九代目ということになるな」

「九代もさかのぼって調べるのは大変だった?」

「そうだな。何度も手掛かりが途絶えそうになったが、諦めず地道に調べて、ここまで知ることができた。だがさすがにこれ以上は無理だったがな。資料も何も残っていないと、もうお手上げだ」

 かなりの時間と労力を費やしたことは間違いないだろう。これは仕事じゃないけど、我が家の歴史の研究と思えば熱中して調べられたのかもしれない。爺ちゃんらしいな。

「この、名前の下に書いてあるのは職業だよね。あと、数字も書いてあるけど……」

 何人かの名前の下には、鍛冶屋、工夫、農業など、様々な職業が書き込まれていて、中には数字も書かれている名前もある。

「判明してる者は、その職業と生きた年齢を書いてる。見るとなかなか面白いだろう」

「うん、何か、想像してたのと違うな……」

 爺ちゃんも父さんも歴史学者だから、てっきりそういう職業が多いのかと思ったけど、ほとんどは屋外で仕事をする、いわゆる肉体労働系の職業ばかりだった。僕と比べてご先祖様達は、力も体力もあるムキムキな人達だったのかもしれない。それで体が鍛えられたのかはわからないけど、年齢を見ると、そんなに早死にした人は見当たらない。昔は衛生環境も悪いし、医療も十分じゃなかっただろう。若くして死ぬことも多かったって聞くけど、ざっと見る限り、多くの人は四十代以上まで生きている。これは当時としては長生きに入る年齢だ。今の爺ちゃんを見れば、我が家はそういう家系なのかもしれない。

 ぺらぺらとページをめくり、次第に現代に近付いていくと、書き込まれる情報が豊富になっていく。職業、年齢はもちろん、住んでいた住所や、その人の趣味まで書かれていたりする。

「こんなこと、書く必要ある?」

「ないが、人となりが想像できて面白くないか?」

 確かに面白い。趣味が動物の体毛集めという人なんて、絶対学者肌に違いない。この辺りから研究を好む人達が現れ始めたのだろうか。爺ちゃんも、ただ真面目に調べるだけじゃなくて、面白がりながら調べていたようだ。簡単なことのようだけど、集中するとそんなことすぐに忘れて、根を詰めすぎちゃったりするんだよな。見習いたいところだ。

 興味深く見ながら、ついに最後のページ――一番興味のある家系図を見ようと、僕が紙に指を添えた瞬間だった。

「そろそろ、研究を始めたいんだが、いいか?」

 爺ちゃんは本の表紙をつかむと、僕には構わず閉じようとする。

「え、でも最後のページをまだ――」

「最後はわしらのことしか書いてない。生きてる家族について見ても仕方ないだろう」

 心なしか、爺ちゃんの口調は早口になっていた。視線も、僕じゃなく本ばかり見ている。

「あと一ページだけだよ。すぐに見終わるし――」

「悪いが、実はさっきから早く研究を始めたくてな。この時間はいつも研究に没頭してるから、違うことをするとどうも調子が狂う気がしてな……」

 爺ちゃんは苦笑いを浮かべながら、やっぱり本を閉じようとする。いつも決まっている予定を崩されると調子が狂うっていうのは何となくわかるけど、最後の一ページを見させる余裕もないくらい我慢できないのだろうか……。

「じゃあ、これ借りてもいい? 自分の部屋で――」

「だっ、駄目だ!」

 急に大声を上げた爺ちゃんに、僕は驚いて聞いた。

「……どうしたの? もしかして、怒ってる?」

「怒ってなんかない。け、研究を始めたいだけだ」

「これ、何で持ってっちゃいけないの?」

「それは……わしが苦労して作った、我が家にとっても大事なものだからだ」

「わかってるよ。汚したり破いたりしないように気を付けるから――」

「それでも駄目だ。これは古くなってるから、いつ綴じ糸が切れてもおかしくない。悪いが貸すことはできない」

 確かに古いけど、読むだけで綴じ糸が切れるほどじゃなさそうだけどな――かたくなな爺ちゃんを見つめて、僕はしばし考えてから口を開いた。

「それじゃあ書き写して、僕が新しく作り直すっていうのはどう? それならいいでしょう」

「つ、作り直すかどうかはわしが決めるから、わざわざエヴァンがやることは――」

「遠慮しなくていいよ。副業もやめたし、休日は時間があるんだ。いずれ作り直すことになるんだから、それが今だっていいでしょう? さ、貸して」

 僕が本を引き寄せようとすると、すかさず爺ちゃんはその手をつかんできた。

「それは、わしの仕事だ。エヴァンがやる必要はない」

「だから遠慮しないで。僕がやるから」

 本を強引に引き寄せると、爺ちゃんは僕の手を引っ張ってそれを阻止する。本を引けば、僕の手が引かれる――そんな攻防がしばらく無言で続いたが、やがて爺ちゃんが困惑の顔を見せて言った。

「……どうして、ここまで最後のページを見ることにこだわる?」

「爺ちゃんこそ、何で最後のページを見させてくれないんだよ。何かやましいことでもあったりするわけ?」

 これに爺ちゃんの目が泳ぐ。

「そんなもの……あるわけないだろう」

「じゃあ見せてよ。こんな言い合いしてる間に、一ページなんてとっくに見終わってるよ。早く研究がしたいなら、時間を無駄にするべきじゃないと思うけど?」

「ぐ、ぬ……」

 小さくうめいた爺ちゃんは険しい表情を作って考え込んだけど、意を決したように息を吐くと、つかんでいた僕の手から力を抜いた。

「……そこまで見たいなら、好きに見ればいい」

 そう言うと爺ちゃんは自分で最後のページをめくった。

「言った通りだろう。ここには今いる家族しか書かれてない」

 爺ちゃんを筆頭に、婆ちゃん、父さん、母さんがいて、その次に僕と妹の名前が続く。

「もういいな? わかっただろう」

「ちょ、ちょっと待って……」

 本を勝手に引き取ろうとするのを止めて、僕は指摘した。

「爺ちゃん、その指、邪魔なんだけど」

 僕は僕の名前を半分隠している、爺ちゃんの伸ばした手の指を示した。明らかに不自然な指の位置だ……。

「ん? ここにはエヴァンの名前しか書いてないぞ」

 とぼけた口調の爺ちゃんを僕は見据えた。

「そうだろうけど、どかしてよ」

「いや、早くこれを片付けたいから――」

「見づらいから、手引っ込めてよ」

「もうしっかり見たな? なら片付けても――」

 苛立った僕は文字を隠す手をがっちりつかんだ。

「なっ、何をする!」

「好きに見ろって言ったのは爺ちゃんだぞ。邪魔しないでよ」

 邪魔する爺ちゃんの手を僕は力尽くで押し退けようとした。

「やめろ、老人に暴力を振るうのか!」

 僕の力に抵抗して、爺ちゃんの手は文字の上に留まろうと踏ん張ってくる。

「これのどこが暴力だっていうんだよ。一体何を隠したがってるの?」

「うう、だから、これは、エヴァンは見なくても、だな……」

 しどろもどろに答える爺ちゃんの力が少し緩んだ。今だ! ――僕は邪魔する手をすかさず持ち上げて、その瞬間に本を引き寄せた。

「ああっ……」

 焦りの声を爺ちゃんは上げたけど、もう手を伸ばしてくる様子はなかった。うなだれて、諦めの溜息を吐いている。

「もう……何をそんなに隠してたのさ……」

 本を取り返されないよう、僕は爺ちゃんに背中を向けて家系図に目を落とした。そして隠されていた僕の名前の部分を見て、思わず息を呑み、一瞬呼吸が止まった。

「……これ、何……?」

 振り向いて爺ちゃんに聞いた。でも爺ちゃんはうなだれたまま、小さくうなずくだけだった。僕はもう一度家系図に目を移す。僕の名前の下には歴史学者と書かれている。正式にはまだ学者とは言えないけど、これは爺ちゃんの希望と期待で書いたのだろう。だけど注目したのはそんなところじゃない。名前の上に短い縦線が引かれていて、その上にはっきりと「養子」という文字が書かれていた。まさに青天の霹靂だった。僕は、父さんと母さんと、家族皆と、血がつながっていなかった……?

「本当なの? 爺ちゃん……」

 僕は爺ちゃんに向き直って、机に家系図を置いた。それを見つめながら爺ちゃんは静かに口を開いた。

「すまなかった。黙ってて……。だがこれはエステバンとルイサさんの意思だったんだよ。自分達が死ぬまで、このことは秘密にしたいと言われてな……」

 父さんと母さんが……。

「長男が養子だってことは、人に言いづらかったのかな。だから――」

「それは違う。二人は体裁など考えてない。ただ家族間がぎくしゃくすることを避けたかっただけだ。お前が養子になった四年後、シルヴィナが生まれた。血のつながった子とそうでない子、その差をお前が悪くとらえないよう、黙ってただけのことだ。だがそんな事実も忘れるくらい、わしらはお前を本当の孫や息子のように可愛がっていたがな。この家系図を見せたのも、最後のページを見る直前まで、養子だということをすっかり忘れていたからなんだが……」

 そう言われて僕は爺ちゃんの様子を思い返した。養子ということを意識していれば、そもそも家系図自体見せたくないはずだけど、爺ちゃんはすんなり見せてくれた。そして最後のページでの慌てぶり……本当に忘れていたのかもしれない。それだけ僕のことを本当の孫だと思ってくれていたってことだろうか。

 すると爺ちゃんは真剣な表情になって僕を見た。

「エヴァン、養子について知ってしまった今、もう忘れることはできないにしても、一つ約束してくれないだろうか」

「約束? 何?」

 聞き返した僕を、爺ちゃんは力強い目で見つめてきた。

「養子だと知ったきっかけがわしだと、家族には言わないでくれ。頼む!」

 机に両手を付き、必死な眼差しで懇願してくる。

「そんなこと、別にわざわざ言うつもりないけど……何で? 怒られるから?」

 爺ちゃんはしょぼんとしながら言った。

「その通りだ。家族で守ってきた秘密がばれたと知れば、まあ、ルイサさんは笑って許してくれるかもしれないが、エステバンは真顔で責め立ててくるに違いない。それにイリーナは……想像もしたくない。その時わしは無事でいられるかどうか。だから頼む。養子だと知ったことは、ここだけの秘密にしておいてくれ」

 皆に責められることが、特に婆ちゃんに叱られることが怖くてたまらないらしい。養子と知ったからって、僕からそれを言う理由はないし、秘密にされていたことで何か不利益があったわけでもない。同じ家族として、一つも差別せずに育ててくれて、僕には感謝の気持ち以外何もない。養子だと知る前と知った今、僕を含めた家族の環境は何も変わらない。この秘密を胸にしまいさえすれば……。

「そんなに怖いなら、いいよ。爺ちゃんの身を守るために、僕達だけの秘密にしよう。でもその代わり、教えてほしいことがあるんだけど」

「いいぞ。何でも言ってみろ」

 僕と確約できたことで爺ちゃんの声は一気に明るさを取り戻した。

「養子ってことは、僕には生みの親がいるわけだよね。どんな人だったか、知ってる?」

 そう聞くと、爺ちゃんは微妙な微笑みを見せた。

「そうか……やっぱり、実の親が気になるものか」

「いや、会いたいとか、そういうことは思わないけど、どんな人だったのかはちょっと気になってさ……」

 これは本心だ。血はつながっていないけど、僕には愛すべき大事な家族がいるんだ。今さら本当の親に会ったところで、何を感じればいいのか戸惑うだけだろう。そんなことより、今知りたいのは僕を産んだ人がどんな人だったかだ。家系図を見に来た目的もそれなんだ。あの男――ラモンの言葉の真偽を確かめて、それが間違いだと証明するために僕は爺ちゃんの部屋に来たんだ。でも、悔しいけど、一つ目はあいつの言う通りだった。僕は養子で、父さんと母さんの実の子供じゃなかった。だけどまだわからない。あいつは僕にイレドラ族の血が流れていると言ったけど、生みの親がはっきりすれば、そんなでたらめはすぐに否定されるんだ――

「期待させるのも何だから、先に言っておくが……実の親は、二人ともすでに亡くなってる」

「あ……うん、そうなんだ……」

 憶えていない親に対して、何と言えばいいのかわからない僕は、そんな返事しかできなかった。

「エヴァンが養子になった経緯はこうだ――ある日、わしの元に遠い親戚の女性が訪れてな。顔を見るのは十数年ぶりだった。少女から美しい女性に成長した姿には思わず目を細めたが、体は痩せて、顔色もよくなかった。聞けば、長いこと病に冒されて、医者にはもう治る見込みがないと言われたという。そんな彼女の腕には大事そうに赤子が抱かれてた。まだ生まれたばかりで、目も十分に開いてなかった。彼女は、もうすぐ自分は死んでしまうから、この子を代わりに育ててほしいと頼んできた。わしの元に来る前にも、いろいろな者に頼んだようだが、すべて断られた末、遠地のわしの元まで来たという。その頃、エステバンとルイサさんは子宝に恵まれないことに悩んでてな。結婚して六年以上は経ってたが、一向に気配がなかった」

 二人に子供ができない悩みがあったなんて、初めて聞いた……。

「そんな時に彼女の頼みだ。一考の余地はあると、わしは彼女を家に泊め、エステバン達と遅くまで話し合った。そして……エヴァン、お前はわしの孫になったんだ」

「母親の……その女性は、その後どうしたの?」

「子供への心配がなくなると、すぐに帰ってしまった。来たる時のために身の周りを片付けたいと言ってな。困ったことがあれば連絡してくれと言ったんだが、彼女とはそれきりになってしまった」

「いつ、亡くなったの?」

「訃報を聞いたのは、それから半年後くらいだったか。数少ない彼女の親類がわざわざ伝えに来てくれてな。聞くところによると、彼女は親類達から距離を置かれてたらしく、孤独に暮らしてたようだ」

「何で? 嫌われるような人だったの?」

「いや、そうじゃなく、お前の父親のことが気に入らなかったらしい」

 父親――

「その人がどんな人だったか、知ってるの?」

「エヴァンが生まれる前に亡くなったそうだから、わしは見たことはないが、聞いた話じゃ、どうやら異国から来た者だったようだ」

「え……?」

 王国の人間じゃなかった? ――僕の鼓動はわずかに速まった。

「いつも奇妙な服装をしてて、どこから来たか聞いても、曖昧にしか答えなかったらしい。不審を抱いた周りの者らは彼女に別れたほうがいいと忠告したそうだが、それを彼女は無視して付き合い続けた。聞き入れない彼女に愛想が尽きた者らはそこから距離を置くようになってしまったそうだ。だから父親が病死したことも、子が生まれてたことも、彼女が現れるまで知らなかったという」

 最初の言葉だけ聞いた僕は、爺ちゃんの後の話が全然耳に入ってこなかった。奇妙な服装って……思い浮かぶのはラモンのあの服――幾何学模様の刺繍がされた、マントと長いワンピースみたいな服。あんな格好、王国の人間は絶対にしないし、それを見て外国の人間と思うのも当然だ。いやでも、あいつと同じ格好だったかはまだわからない。爺ちゃんは奇妙な服装としか言っていないんだ。生みの父親がイレドラ族だったかは確定じゃない。何かもっと、あいつの言葉を否定できる材料は――そうだ。確か前に、そのイレドラ族の男が愛したっていう女性の名前を言っていなかったか? 姓は僕と同じミトレだった。名は何だったかな……ホ、じゃないな。ソ、だったっけか――

「どうしたエヴァン、聞きたいことがあれば答えるぞ」

 僕の様子に気付いて爺ちゃんは言った。

「それじゃあ、母親の女性の名前は何ていうの?」

「彼女の名前は、ロサリアだ。ロサリア・ミトレ」

 それを聞いた瞬間、頭の中が閃いた――そうだった。あいつはロサリア・ミトレと言っていた。ロサリアと、イレドラ族を出た男性との間に生まれたのが僕だと……。そんな偶然、あるか? あいつが言った名前と、生みの母親の名前が同じだなんて。調べでもしない限り、こんな偶然は起こらない。それとも、これは偶然なんかじゃなくて、単なる事実、なのか? あいつの話は、全部本当だっていうのか……?

「しばらく、心を整理する時間が必要そうだな」

 何も言わない僕を見て、爺ちゃんは優しく微笑んだ。

「お前なりの思いがあるだろう。ゆっくり受け止めればいい」

 励ますように、ぽんぽんと肩を叩かれて、僕は何とか笑みを見せた。

「爺ちゃん、ありがとう。それと……何だかごめん」

「謝るのはこっちのほうだ。気分を悪くしたなら、本当にすまなかった」

「そんなことないから、気にしないで。いろいろ聞けて、よかったよ……じゃあ、行くね」

 本の椅子から腰を上げて、僕は狭い道を通って扉に向かう。

「エヴァン」

 呼ばれて僕は振り向いた。

「もう一度言っておくが、さっきの約束は絶対――」

「わかってるよ。誰にも言わないって」

「そうか。頼むぞ」

 爺ちゃんの安心した笑顔を見て、僕は部屋を後にした。

 自分の部屋に行こうと思ったけど、もやもやした気持ちをすっきりさせたくて、僕は外の空気を吸いに玄関へ向かった。鍵を開けて扉を開くと、寒風が勢いよく吹き込んでくる。あまりの寒さに一瞬躊躇したけど、意を決して外へ踏み出した。

 新鮮で冷たい空気を吸えば、少しは頭の中が整理できるかと思ったけど、この風と寒さじゃ何も手に付きそうにない。せめて外套でも着てくるんだったか。

「もう一つの仕事はやめたのか」

 声に視線を上げると、誰もいない真っ暗な通りから、ラモンが静かにこっちへ歩いてくる姿があった。やっぱり現れたか。そんな気はしていたけど……。

「こんな寒い中でも、僕を待ってるのか?」

「特に寒いとは感じないが」

 袖のない服装でも、ラモンは震えることなく、ひょうひょうとした様子で言った。この男の感覚は一体どうなっているんだか。

「世界が滅ぶ日はもう近い。直前に迫った時では手遅れなんだ。君が聖域へ到着する時間を考えれば、無駄にできる日はもうない。お願いだ。一刻も早く聖域に向かい、君の力で世界を救ってくれ」

 世界を救えるのは、イレドラ族が持つ願いを叶える不思議な力だけ。僕には、その血が本当に流れているのか……?

「……質問していいかな」

「何だ」

「あなたは、どうして僕の実の親のことを知ってたんだ? 調べたのか?」

「調べてなどいない。聞いた話だと言わなかったか?」

「そうだけど、その二人の子供が僕だってことは、どうやってわかったんだよ。それこそ調べないとわからないことだと思うけど」

「何となくわかった、としか言えない。君を見て、同じイレドラ族の雰囲気を感じたんだ」

「そんな理由はもういいよ。僕ははっきりした答えが聞きたいんだ。どうしてなんだよ」

「だから、自分でも不思議なことに雰囲気を感じて――」

「曖昧に答えるな! わかった根拠を言えよ!」

 目の前のラモンは目を丸くして僕を見ていた。僕も自分で出した大声に驚いた。怒鳴るつもりなんてなかったのに……。

「……何を怒っているんだ? それとも、私の言葉が嘘じゃなかったとわかって戸惑っているのか?」

 自分では養子だった事実を冷静に受け止めたつもりだったけど……僕は、動揺しているのか?

「悪い。いきなり怒鳴って……。少し気持ちが、追い付いてないみたいだ」

「では早くその気持ちを現実に追い付けてくれ。この世界が滅びるかどうかは、君の行動次第なんだ。言っておくが、私は一貫して事実を話している。それでも信じないというなら、迫る死を覚悟してくれ。それができないなら、今すぐ聖域へ行ってほしい。私が君に言えるのはそれだけだ」

 真剣な表情でそう言うと、ラモンは踵を返して暗い通りの奥へ溶けるように消え去っていった。

 養子の事実は、自分で思うより意外にこたえていたようだ。それもそうか。生んでくれた両親が実は別にいたなんて、初めて知れば少なからず気持ちも乱れる。でも受け入れてしまえば、こんな動揺はすぐに治まるだろう。僕の家族に対する気持ちは何も変わらないのだから。

 戸惑っているのはもう一つのほうだ。僕の実の親を知っていたラモン――その話通りなら、父親はイレドラ族で、僕にはその血が流れていることになる。何度聞いても信じがたいけど、爺ちゃんの話からはそれを疑えるようなものもあった。仮に、本当に僕にイレドラ族の血が流れているなら、ラモンが言い続けている世界の終わりも、本当だということになるのだろうか。救えるのも、僕だけしかいないってことも……。

 わからない。やっぱりこんな話、現実離れしすぎているし、信じられるわけがない。だけど、何度もしつこく言ってくるラモンに、最近の地震や、夜空の不気味な光……それらを考えると、確かに胸がざわつく気はする。でも、それが世界の終わる予兆なのか、僕にはどうしたってわからない――答えが出せない僕に、冬の風が容赦なく吹き付けてくる。髪を乱すほどにその勢いは強く、凍える冷たさだった。

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