専属侍女の葛藤
『第二王子殿下が近々公爵令嬢と婚約なさるらしい』
そんな噂が王宮内を走り、私はため息を一つ吐いた。
第二王子付きの侍女になって何年になるだろう、私が配属された頃まだやっと歩いたばかりだったリドウィッグ様も、とうとうそんな年頃かと感慨深く思った。
実家の子爵家は建国以来の臣下であり、由緒こそ正しいものの物凄く貧乏で、私も七歳の時にはこの王宮に働きに出ていた。
一年王宮内で雑事などの勉強をさせて頂き、その後リドウィッグ様がお生まれになって、第二王子付きの侍女になった。
姉の様に見守り続けた殿下が婚約とは、嬉しいような寂しいような……
あれは殿下が五歳になった頃だったか、私を慕ってくれていた殿下に『俺が貰ってやるんだから誰の所にも行くな!』と言われ、『はいはい、殿下に良い人が見つからなかったらそうして下さいませ』なんて、そんなやり取りをしていた頃もあったなと、思い出して胸が温かくなった。
あれから八年か……
私も気付けば21、立派な行き遅れになってしまった。
正直見た目も平凡、持参金も見込めない貧乏子爵家の三女では、貰い手を捜そうにもどうにもならない。ため息を吐きたくもなると言うものだ。
こうなったら生涯侍女としての技術を磨き、行き着く所まで行ってみようかとすら思う。
目指せ王宮侍女長だ!!
そんな事を考えながら殿下の自室を片付けていると、視線を感じて振り返った。
そこには腕を組みながら壁にもたれかかるリドウィッグ様が居て、何故かこちらをじっと見つめていた。
「殿下……如何なさいました?」
「別に……」
今は執務中の筈だ、こんな所に居ても良いのだろうか?
不思議に思って尋ねたのだが、気の無い返事が返って来るだけで私は首を傾げた。
私と目が合っても逸らす事も無くじっとこちらを見ているのも気になる。
長い時間が流れるが、殿下が何かを話す気配も、動き出す気配も無い。
「そう言えば、御婚約なさるとか……」
私は沈黙に耐えかねて、何とか殿下に話題を振ろうと試みた。
とっさに出たのは今朝方噂で聞いた内容で……
自分で言った途端小さな胸の痛みを覚えて首を傾げる、けれどそれはすぐに消えてしまったからきっと気のせいだろう。
ふと見ると、さっきまで表情の無い顔で私を見ていた殿下の瞳が、一瞬だけ見開かれた気がした。
「知っていたのか……」
しかしすぐに元の通りに戻ると、少しだけ顔を俯かせ何かを思案するような姿を見せる。
「お前は……どう思う?」
探るような瞳がこちらを見据えてくる、今後仕える者の内情を探っているのだろうか。
まだ幼くても、彼は立派に王族なのだ嘘は許されない。
私はこのまま独り身で、王家に最後まで尽くすのだ。
その思いを込めて、私はしっかりと彼の瞳を見返すと、微笑みながら伝えた。
「喜ばしい事だと思っております」
もう一度今度は、はっきり胸が痛んだ。
そんな私とは反対に彼は満足したのか、一つ頷き『ならば良い』とだけ残し部屋を出て行く。
私は痛む胸がなかなか収まらなくて、どうしてしまったのだろうと困惑した。
私が仕事に順ずると決めた途端、実家から連絡がやたらと届くようになった。
中身は見ていないが恐らく商家からの縁談だろう。
貴族では貧乏子爵を相手にする者はいないが、平民の商家なら多少あるのだ。
貴族に縁を繋ぎたい者からすれば、家は名前だけは立派な子爵家だから……
しかし、私は侍女長を目指すと決めたのだ。
今更縁談など貰っても困る、暫くほおっておけばそのうち無かった事になるだろうと、そのまま放置しておいた。
今日も届いたその手紙を鏡台横の引き出しにしまい、見なかった事にする。
ふと顔を上げるとそこにはいつもの地味な自分が居た。
きっちりと結い上げた髪、無様にならない程度の簡素な化粧。
濃紺の侍女服と相まって一層暗い印象を与える。
そこで現在の侍女長を思い出す、彼女は確か伯爵家の出身で、やはり幼少から王族に仕えていたという。
現在は王妃様付きの仕事をメインにしながらも、全体の侍女を纏めている。
伯爵家の出身だけあって、その容姿は華やかで、金の髪に紫の瞳が印象的な女性だ。
勿論侍女と言う仕事柄過ぎた化粧や装飾品などを着けている訳では無いのだが、それでもどこか華やかな雰囲気をかもし出す彼女を羨ましいと思っていた。
年齢を感じさせない見た目……
侍女長を目指すなら、見た目にも気を使わなければ駄目だろうか?
暫く私は鏡とにらめっこする事になった。
翌日私はいつもより早めに起きて支度をした。
いつも纏めるだけの髪を編みこみ付きのハーフアップに変え、必要最小限の化粧も派手過ぎず、地味にならずをモットーに頑張る。
すると、鏡に映る自分がほんの少しだけ華やかになったような気がして、私の心は舞い上がった。
職場に出ると同僚達に褒められるのも嬉しかった。
ほんの些細な事だけれど、頑張ってみて良かったと浮かれていたのがいけなかったのか、王宮の廊下で仕事上がりと思わしき近衛騎士に出会った。
「君みたいな可愛い子ここの王宮に居たっけ?一度見たら忘れないと思うんだけどな……ねえ、名前なんて言うの?教えてよ」
道を塞ぐようにして立つその男性に、私は恐怖を覚え震えが止まらなかった。
考えてみれば七歳でここに来てから、仕事以外で男性と関わった事など無かったのだ。
まさか高だか化粧と髪型変えたくらいで、声を掛けてくる人が居るなんて思いもしなかった。
「クラリッサ!!」
声も出せずにただ震えていると、聞き覚えの有る声に呼ばれ勢い良く顔を上げた。
そこには不機嫌そうな顔を隠しもしないリドウィッグ様の姿があった。
「何をしている、部屋へ戻るぞ付いて来い」
私は天の助けとばかりに駆け寄ると、騎士に背を向ける殿下の後ろに続いてその場を後にした。
殿下の自室へ戻ると、リドウィッグ様は強い眼差しで私を睨みつけ、私の髪を解いてしまった。
「不必要だ、元に戻せ!!」
「……申し訳……ございませんでした」
これほど強くリドウィッグ様からお叱りを受けたのは始めてで、私は俯くと退室の許可を取り足早に自室へ駆け込んだ。
涙が止まらなかった……
心のどこかで、リドウィッグ様も褒めてくれるのではないかと期待していた事に気付いた。
少しは自分を可愛いと思ってくれるのでは無いかと、そんな事あるはずも無いのに。
零れる涙と同じだけ、今までの時間を思い出す。
初めての顔合わせ、私にだけ泣かずに居てくれた事、私の名前がどうしても発音できずリサと呼んでくれた事、最初から大人びていた殿下がたまに笑うと無邪気な子供のような笑顔をくれる事……
姉の様に見守り続けた日々。
だけど何時からだろう私の心は変化していた……
十歳を過ぎた頃からクラリッサと呼ばれ、寂しく感じていたけれど、王宮の庭園に綺麗な花が咲くと必ず私にくれた。
執務に疲れるとやってきて、時折膝枕をしてあげた。
梳いた彼の髪はサラサラしていてとても柔らかかった。
私を見つめる瞳に、心が躍った……
思い出すと胸が温かいような、締め付けられるような不思議な感覚に囚われる。
そうしてやっと気付いた……私はリドウィッグ様をお慕いしていたのだ。
七つも歳の違う幼い彼に……
でも、今更遅い彼はもうすぐ婚約するのだ。
それに私とリドウィッグ様では歳も身分も容姿さえも違い過ぎる。
何もかもが不釣合いだ。
もう一度鏡を見てみた、涙で化粧が流れ酷い顔だ。
それを見たら逆に笑えて来た、うんまだ頑張れるそんな気分になれた。
翌日から私は外見を元に戻し今まで以上に仕事に精を出した。
泣いた翌日は目が腫れるかと心配したが、あの後直ぐ冷やした為何とか免れた。
毎日毎日必死に働いていると、他の事を考えている暇も無いから丁度良かった。
思ったよりも私は大丈夫かも知れない、そう思い始めた頃だった殿下から呼び出されたのは……
王宮の一室に呼び出され、ノックをして中に入るとそこは凄い惨事になっていた。
部屋中に散らばる布、布、布……
その中心ではリドウィッグ様と見慣れない貴婦人が何やら難しい顔をして話し合っている。
呆然とそれを見ていた私に気付いたリドウィッグ様が、手招きをするがどうやってお傍に行けば良いのかわからない。
行ける所まで近づいて、最後はリドウィッグ様に手を借りて飛び越えた。
「殿下……これはいったい……」
「婚約披露用のドレスを作る、どれが良い?」
唖然とする私に、リドウィッグ様は事も無げに聞いて来た。
また胸が痛むのが分かる、ご令嬢のドレス選びをまさか自分が手伝わされるとは思わなかった。
「私は……お相手の方を存じませんので……ご一緒にお選びになったほうが宜しいかと……」
痛む胸を誤魔化しながら何とか微笑む、しかし頑張る私を見る殿下の瞳は、理解出来ないとはっきり書かれた呆れたようなものだった。
「何を言っている?だからこうして一緒に選んでるんだろう?」
眉間に皺を寄せどこか怪訝そうな顔でこちらを見ている。
それに対して私は何を言われているのか全く分からず、混乱していた。
「あの……お相手は……公爵令嬢なのでは?」
取り合えず知っている知識だけ確認してみた。
殿下は黙って頷く。
「そうだ、まだ子爵令嬢だがな」
もっと混乱してきた、まだ子爵令嬢なのにいずれ公爵令嬢?
殿下が何を仰ってるのかさっぱり分からない。
話のかみ合わない私の様子に、リドウィッグ殿下は何か気付いたようだった。
深いため息と吐きながら俯く姿に、混乱と共に不安が押し寄せる。
「お前の実家から連絡が行かなかったか?」
「実家……ですか?そういえば最近随分と沢山来てました」
全部鏡台の引き出しの中にしまってある、一向に諦めないので変だとは思って居た。
「中身は?」
「どうせ商家の方との縁談だろうと思って……」
顔を上げた殿下が目を細めてこちらを見ている、何だか不味い事をしてしまっていたようだ。
知らず背筋に冷や汗が流れる……
「読んで無いんだな?」
「…………はい」
答える私に殿下はまた大きな溜め息を吐く。
その様子に私は段々居た堪れない気分になってきた。
「その手紙の内容は、今、俺が教えてやろう。お前が公爵家の養女になる事が決まった為、連絡よこせと書いてあったんだ。その後俺の婚約者になる事も決まったとな!」
私はまた開いた口が塞がらなかった。
不機嫌そうなリドウィッグ様を見ても現実味がまるで無い。
誰が養女で婚約者ですって?
「やっと周りの説得が済んだと思ったら、一向にお前側の書類が回って来ないし、不安に思って確認すれば知ってると言うから意思確認しただろう?お前が了承していると聞いたから、名前以外はこっちで用意して話を進めてたんだが……」
数日前じっと私を見ていた殿下を思い出す。
あれは確認しに来ていたのか!確かに私は喜ばしいと答えたがまさか了承と捉えられていたとは!
「な……名前?私書いてない……」
「俺の執務室に来たときサインさせただろう」
仕事に力入れると決めてた時だ、凄い勢いで仕事進めてた時に何か声掛けられて書いたかも。
あれ、その為の書類だったの!?
目の前のリドウィッグ様を見て、嬉しい反面どうしても不安が押し寄せてくる。
「クラリッサ」
暗い闇に沈んだ頭が、名前を呼ばれて現実に引き戻される。
「俺は歳なんて気にしない、クラリッサが良いと思ったからそうしたんだ。」
私の不安に気付いて、先にリドウィッグ様が諭すように囁く。
「どうせ明日からお前は王子妃教育だ、終わる頃には俺も成人するだろう」
「でも……その頃には結構な歳ですし……子供だって産めるかどうか……」
尚も消え入りそうな声で、ぶつぶつと呟く私にリドウィッグ様は微笑んだ。
「だから今になったんだろう?兄上も結婚して昨年跡継ぎの王子も産まれた。俺が居なくても次がある、それならクラリッサを妻にしても問題無い」
そっと視線を上げれば、彼はとても私より七つも年下だとは思えないような、自信に溢れた笑みを浮かべていた。
「娘の居ない有力公爵家が有るのは知っていたからな、話を持っていけば直ぐ頷いた」
目が合うとその笑みが悪戯を思いついたような不敵なものに変わる。
「子供の件はまあ、出来なくても問題ない……作らないと言うつもりも無いけどな」
今でも近い距離を更に縮めて、リドウィッグ様が耳元で囁く。
その言葉の意味に気付いて、私は顔を真っ赤に染め俯いてしまった。
「クラリッサ、返事は?」
もう勝てる気がしなかった。
いや、初めから勝つ必要も無かったのだ、だって私はリドウィッグ様をお慕いしてる。
それならばこの少々強引な王子様を信じて歩いて行こう。
「はい、どこまでもご一緒します」
顔を上げた私の耳に、黄色い声と拍手が聞こえる。
そう言えばここ衣装選びの場で、今仕立て屋さんとか侍女の皆とか居るんだった!!
更に顔が赤くなり、もう本格的に顔が上げられなくなってしまった。
「まあ!お熱い限りですわね。そうだ!こんなにお熱いカップルならいっそドレスの色は殿下の瞳の紫紺で刺繍は髪の色の銀なんて如何です?」
気分の高揚した婦人は沢山の布の中から上品な紫紺に薔薇の模様が入った生地を選び、そこに持ってきた糸を並べて見せた。
「それは良いな、クラリッサにも似合いそうだ。いっそ私もクラリッサの色にするか……」
リドウィッグ様の声を聞いて、私は急いで首を横に振った。
「止めて下さい!!」
濃いブラウンに燻んだオレンジなんて流石に地味過ぎる。
私の必死の説得があって、何とか同じ紫紺の衣装で妥協してもらった。
こうして何故か地味で行き遅れの私は、第二王子の婚約者という重過ぎる肩書きを持つ事になったのだった。
婚約者になった後も私は基本地味な格好をしている。
少しでも着飾って外に出ると、どこかの男に見初められたらどうすると、リドウィッグ様に怒られるからだ。
王子の婚約者に手を出す強者は居ないだろうし、何より着飾っても大して変わらないと思うのだが、結婚するまでは絶対駄目だと言うので、仕方ないから適当にしている。
私の担当になった侍女はとても憤慨しているけれど……
こんな事になるとは思わなかったし、苦労は多いけど幸せだから良いと思う事にする。
窓を開ければ、晴天の中こちらに手を振る彼が居た。