エピローグ
彼女が死んだ。
交通事故だった。
五年も前の話だ。
五年付き合っていた彼女が死に、五年が経った。ようするに、アズサと付き合い始めてから十年が経った。
僕は、先輩と結婚した。
自分の近くに居たからだとか、そんな不純な動機じゃない。先輩は、あの日から、ずっと僕の事を支え続けてくれていた。
そのおかげで僕は、町工場に就職できたし、先輩……いや、犬飼沙羅は、念願のトップモデルになっていた。
最近はよくラジオや、雑誌で有名になっている。
それでも、一応、僕の妻だ。
モデル事務所は、どうやら今回の結婚に関しては甘いらしく、案外簡単に承諾してくれた。
一体、どんな手を使ったんだろう
あのモデル事務所は、先輩が辞めてしまうと、雑誌の看板娘が居なくなるわけだから、読む人も少なくなる……。まさかとは思うが、脅したのか?
まぁ、いい。
どうにしろ、僕は先輩・沙羅と結婚した。
幸せな顔をしてた。
僕も沙羅も、とても幸せな顔をしていた。
ユミさんはというと、あの日、海で大泣きした事を沙羅が勝手に報告したらしく、今は家が隣の良いご近所さんになっていた。
結婚式にも招待した。
何よりも驚いたのは、その時にはもうユミさんと旦那さんの間に一歳の子供がいた事だろうか。
みんな僕と沙羅の結婚を祝福してくれていた。
僕は泣いた。
海で一喝されたあの日以来、よく泣くようになっていた。
その度に、沙羅に励まされたりしてもらっていた。
アズサの死を乗り越える?
一生無理だ。不可能だったため、僕は遠回りする道を選んだ。決して、間違った判断ではなかった。しかし、百パーセント正しい判断とも言えないんじゃないだろうか。
何が正しかったかなんて、今ではもう分からない。
そもそも、一体どれが正しいかなんて基準がこの世界にあるのだろうか。あるとしたら、それは一体誰が作った“正しい”なのか。
結論をいうと、この世界に正しいことなんてない。
みんな何処かしら間違った部分、欠点を背負って生きている。
僕だって、沙羅だって、アズサだって。みんな、間違っているんだ。
だったら、僕らは何を信じたらいいのか。
簡単だ。
――どれだけ正しいかではなく、どれだけ間違っているかで判断すればいい。
そうすれば、少なくとも、他の選択肢よりはマシな運命を辿れるはずだ。
だから、僕があの時遠回りする道を選んだのも、決して間違いではなかったのだと思う。
ただ、強いていうなら僕は――もう少し、沙羅に頼ってみるべきだった。
沙羅だけじゃない。
よく考えると、僕の周りにはたくさん人が居た。親、兄弟、彼女、彼女の親、同級生。みんな僕を支えてくれようとしていた。僕はそれを拒んだんだ。
勝手に強がった挙げ句、勝手に自分が独りだと思って、勝手に廃人化していた。
みんな僕を見ていた。
声をかけなかったけれど、僕を心配してくれていた。
それに気づいていれば、もっと良い最善の手を辿る事もできたのかもしれない。
今、何を考えたって遅い。
遅すぎる。
「ヨシオくんは、生きる意味を探してるんだっけ?」
「……ん?今は、そうだね」
僕が沙羅に婚約したときの会話だ。
「アズサを失って生きる意味を無くしたからな。今は、遠回りしながら生きる意味を探してる」
「……そう……」
「……?」
「……じゃあ、――私があなたの生きる意味になるよ」
「……――」
「それなら、もう寂しくないでしょ?」
「……違うんだ。僕は寂しいわけでも、悲しいわけでもない。……迷ってるんだ。自分の生きる価値と意味を探して……」
「……うん。だから、私がその価値と意味になる」
沙羅は、真っ直ぐと僕の事を見ていた。
この五年で、すっかりと見慣れてしまった大人らしい綺麗なその頬に、僕は手伸ばす。
「僕なんかで、いいのかい?」
「あなたがいいの。あなたと一緒がいい」
先輩は、僕のその手を自分の頬に自ら当てた。
「僕は、……きみを失うと、今度こそ本当に立ち直れなくなる」
「大丈夫よ。きっと、これからあなたには他にも愛すべき存在が出てくる。親とか、子供とか。……それに、私、あなたより先にくたばる気はないの」
沙羅は、それでも少し笑っていた。
僕は、彼女を愛してる。
僕は今、アズサの墓の前に居た。
結婚して、数日が経ち、引っ越しやら何やらで忙しいが、この日は必ずここに来るようにしている。
「……久しぶり、アズサ」
僕はアズサの墓石に触れ、話しかける。
「……僕と沙羅……先輩は、家族になったよ」
あれから五年だ。
色々あった。絶対に立ち直れなかった傷のかさぶたはいつの間にか剥がれていた。
抉れて生々しくなった傷は、どんな薬品をかけても元通りにならない。
だから、諦めた。
もう、傷を癒やすのは止めた。
だから、次は傷を作らないように努力する。
もう一度言うが、僕と沙羅は家族だ。そして愛がある。
「……家族が愛を作るんじゃない。愛が家族を作るんだ……」
「…いいこと言ったね。ヨシオくん」
隣にいる沙羅は、少し笑いながらそう言った。
「……また来るな。アズサ」
僕は笑いながら、墓石を後にした。
――一つ、勘違いをしてはいけない。
これは、挫折を経験した青年が、更生していく話じゃない。
これは、生きる意味を失った青年が、再び生きる意味を探す話だ。
笑顔が上手い彼女を真似て、少し可笑しな笑顔が上手くなった。
五年付き合っていた彼女が死んだ。
泣けない理由を探して、見つかったのは、ただやせ我慢をしていた自分だけ。
いい人に助けられて、いい人に支えられて、そのいい人を愛するようになった。
だけど、これがゴールではないのだ。
彼女が死んだから、ではない。
いい人に出会ったから、ではない。
ならばなぜ。この幸福感はなんなのか。
僕は今でもそうやって、
――生きる意味を探している。