アホのこと罪2
頭に置かれた手が温かいから、一層涙と鼻水が溢れてくる。
涙を止める為という意味では、完全に逆効果。
だけど、今の私には、それが心地いい。
許されている、気がするから。
要は、私の罪ごと私を受け入れてくれていると、そう思えるから。
「……ったく、数少ない取りえの顔が、涙と鼻水のせいで台無しなってるぞ。ほら、鼻くらいかめ」
そのまま鼻に押し当てられたティッシュに、反射的にちーんとしてから、気付く。
……あれ、流石に人様に鼻を噛んでもらうのはあれじゃないか? 子ども過ぎないか?
しかし、要が当たり前のようにティッシュをゴミ箱に捨てて、特別突っ込まなかったので、敢えて考えないことにする。
……要さん。優しくしてくれるのはありがたいけど、甘やかし過ぎではないかい? 口では厳しいこと言ってるのにさ。甘やかすと、人間駄目になるで。……今の、私のようになっ!
「ふん……少しは調子戻ってきたみたいだな」
鼻水はティッシュで拭ってくれたけど、涙を拭ったのは要の親指だった。
このまま泣きやまなければ、要の手が濡れてしまう。
私は慌てて自分の服の袖で、涙を拭った。
「あ、こら。お前。拭うなら、せめてハンカチ使え」
「……もってないもん」
「最低限のエチケットは、守れ。アホ。……ほら」
……ハンカチ持ってるなら、最初から貸してくれればいいものを。
私が、アイロンがびしっとかけられた無地のハンカチで、目元を拭いながら、そんな恩知らずなことを考えている間に、要は扉の外を出て、メイドさんから新しいお茶を貰ってきてくれた。
「……で? 話して、少し落ち着いたか」
差し出された湯気が立った紅茶には、たっぷりのミルクと砂糖が入れられていた。
……いつも私が自分で砂糖とミルクを入れる時は、入れ過ぎだって眉を顰めているのに。
「うん……ありがとう。聞いてくれて」
「全く……お前は気にするべきことは気にしない癖に、気にしなくていいことは、気にするだな」
自分用のストレートの紅茶をすすりながら、そう口にした要に、思わず眉がへの字になって。
「……だって、誰かの人生奪ってしまったかもしれないだよ? ……気にするよ」
「誰かというのは、ゲームの登場人物で、お前は生まれた時から、既にお前だったんだろ。そんなフィクションの中にしか存在しない女を、気に掛ける意味が分からない」
「……それは、要がちゃんと要のまま生まれて来たから言えるんだよ」
ちゃんと正式なゲームのキャラクターに乗っ取って生まれた要には分からない。
「鳳凰院 綾華」の人生を乗っ取って生まれた、異分子でしかない「転生者」の気持ちは。
生まれてきたこと自体が、罪なのかと思ってしまう私の気持ちなんて。
「ああ。俺には、前世の記憶があるお前の気持ちは完全には、分からない。……だけど、『生まれて来なければ良かったのに』なんていう台詞は、面と向かって数えきれないくらい聞かされてるぞ。親父の正妻さんと、腹違いの兄にな」
「……っ」
「俺が何度、竜堂寺当主の座には興味がないと言っても聞きやしない。なまじ優秀過ぎるのも考えものだな。……それが全て、将来乙女ゲーム? の正規ヒロインとの恋愛の為に作られた設定なんだと思ったら腹が立つな」
……そうだ。要の立たされた境遇は、加害者意識に苛まれているだけの私なんかより、よっぽど悲惨だ。
それなのに、私は……。
「……ごめん。要」
「なんでお前が謝るんだ。綾華。お前が謝ることなんて、何ひとつないだろう」
「でも、私が打ち明けたことが、要を嫌な気分にさせたから……」
「言わせたのは、俺だ。それに、お前の言っていた前世云々は真実なのだろう? だったら俺が恨むべき相手は、俺をそういう風にこの世界に生まれさせたろくでもない『神』だ。お前じゃない」
ことりと音を立てて、要はカップをテーブルに置いた。
「だからお前も、全ての罪は『神』にあると、全責任を押し付ければいい。実際、お前は望んで『鳳凰院 綾華』に生まれてきたわけじゃないのだから。本当にこの世界に生まれるべき『女帝様』とやらがもし存在するなら、そいつの恨みがお前に向くのはお門違いというものだ」
「………」
「……それでも、お前が生まれてきたことが罪だと言い張るなら、俺が生まれてきたことも罪だということになるな」
「っそれは違う!」
「何が違う? 罪の定義は人それぞれで、正妻さんと兄にとって、俺が生まれてくるべき存在ではなかったことは事実だ。……だけど、そんなこと俺には関係がない話だ。だって俺は自分の意志で『竜堂寺 要』として生を受けたわけじゃないからな」
「…………」
「それに綾華。お前は俺を、ちゃんと『正しい』『竜堂寺要』だと言うが、それは一体どうやって証明できるんだ? 前世の記憶がないだけで、俺がお前と同じ世界で転生した、『竜堂寺 要』と似た性格の人物だという可能性だってある。悪魔の証明だ。魂と器が正しく適合してるなんて、人間に分かるはずないだろ。 ……そもそも、生命の誕生において、正しいって概念自体、存在しているのか怪しいけどな」
……うん。要が、すごく色々私の為に色々言ってくれてるのが、分かる。
分かるけど、もう色々情報入り過ぎて完全にキャパオーバーです……っ! 正直、もう、半分くらい理解出来てません。というか、自分の存在認識が、よく分からなくなってきました。
――どうやら、女帝様脳には、哲学チートは備わってなかった模様です。