思い出したアホのこ
「綾華、紹介するよ。彼は竜堂寺 要君だ。仲良くしなさい」
10歳の誕生日。父に連れられてきた憮然とした表情の少年を見た瞬間、私はかねてから抱いていた疑惑が確信へと変わるのを感じた。
私は前世でハマっていた乙女ゲームの「箱庭の虜囚」の、ライバルキャラにして悪役キャラである「鳳凰院 綾華」こと、「女帝様」に転生したのだと。
「箱庭の虜囚」は、金持ち御用達の全寮制の学園を舞台にした乙女ゲームだ。
天涯孤独の主人公がひょんなことから学園長に拾われ、家柄や会社の規模による格差が蔓延り、権力者が好き勝手振る舞っている学園を改革するように頼まれる。
下町育ちの根っからの庶民で、跳ねっ返りの主人公は、面倒を見てくれる恩をそれで返せるならと、意気揚々と明らかに場違いな学園に単身で乗り込んでいくのだ。
そんな彼女の庶民ならではの視線や、明るく真っ直ぐな性格、人を家柄などの色眼鏡でみない態度に牽かれていく、イケメン権力者達。
そんななかでもメインの攻略対象になるのが、目の前にいる竜堂寺要であり、後の俺様会長である。
彼は学園で二番目に大きい会社の次男坊であり、学園の中でもトップの権力者の集団である生徒会を牛耳っている。
性格は自信家にして傲慢。だが文武両道で、仕事も出来、それに伴う実力も持っている。
学園で「帝王」と渾名される彼は、自分に媚びない主人公の態度に興味を持ち、やがて自分の心の闇を見いだしてくれた主人公に恋に落ちるようになる。
しかしそんな彼には、どうしても逆らえない相手がいた。
「――要」
父の隣にいた、細身のスレンダーな男性が、要少年の肩を押した。
要少年とよく似た美形なので、恐らく父親であろう。
「綾華さんは、竜堂寺家にとってとても大切な取引先の娘さんだ。……分かってるね?」
父親の言葉に、少年は格好よいというよりは、まだ可愛らしい少女のような顔を酷く苦々しげに歪めた。
彼が逆らえない相手こそ、私、鳳凰院綾華であり、それがゲームを攻略するうえでの最大のキーになるキャラだ。
鳳凰院綾華。
学園一の規模の大会社を経営しており、古くは皇族とも繋がる由緒正しい家柄である、鳳凰院家の一人娘である。
彼女こそが学園一の権力者であり、学園のカースト制を築いた張本人だ。
要以上に傲慢にして、自信家。逆らうものには容赦なく、学園に変化をもたらそうとする主人公を排除しようと徹底的に嫌がらせをしてくる。
誰のルートに突入しても、彼女を学園から追い出すことが、学園改革の成功の条件であり、それを満たさなければどんなに攻略キャラの好感度が高くてもゲームがクリアできない仕様になっている。
美しい金色の髪を緩く巻き、きつい美貌に不敵な笑みを常に浮かべているそのキャラデザは、まさに悪役キャラという感じでとても迫力があった。
学園では「帝王」と崇められている要は、その実、綾華の「狗」であった。
竜堂寺家の会社経営において、鳳凰院家の協力は不可欠である。
要の父親は二家の関係を確固たるものにするべく、妾腹の要を、綾華の「玩具」として10歳の誕生日に差し出したのだ。
そう、今私の状況がまさにそれである。
綾華は表上では要と対等な立場で接しながらも、裏では専用の首輪を嵌めさせ、犬のような行動をさせるという倒錯的な遊びを要に強いるのだ。要が地位故に自分に逆らえないことを知っていて。
プライドが高い要はそんな綾華の行動に精神的に追い詰められ、その反動で鬱憤を晴らすように学園では傲慢な態度を貫くようになるのだ。
10代の少年少女が築くにはあまりにディープ過ぎる関係でないかという突っ込みはなしだ。そんなのゲームの販売当初某掲示板で叫ばれまくっている。
というかまず、綾華のキャラが余りに濃ゆい。
SMの女王もかくやというぶっとびっぷりである。
公式上綾華のあだ名は無いが、要の「皇帝」にかけて、ネット上で綾華の通称が「女帝様」になったのは当然といえよう。
さて、そんなキャラに転生してしまったらしい私。
この先果たしてどうするのが一番良いのであろうか。
ゲーム上で待ち受けている綾華のエンディングは、主人公が攻略失敗のものを除けば、全て学園から追放されるという悲しい結末だ。
それを避けるには、やっぱり要に対して優しく接してやるのが一番だろう。
……しかし。
私は苦虫を噛みしめたような顔で私の言葉を待つ、要の顔を眺める。
目の前にいる絶世の美少年が(まあ私も今生では絶世の美少女だけども)、私の行動で一喜一憂するというのはなかなか愉快だ。彼が私のものだということも。
私の前世はなかなか駄目な子だった。認めたくないが、アホのこという奴だろうか。
常にドジばっかり。思考は斜め上の方向をいきまくるド天然。
可愛くいって不思議ちゃん、冷たく言って宇宙人。
常にまわりに笑われ、弄られているのがデフォだった。
あまりにドジすぎて会社をくびになり、冷蔵庫の余りものをつまみにヤケ酒をかっくらったら、余り物がすんげぇ昔ので、食中毒を起こしてぽっくり死んでしまったというギャグのような死に方だった。
つまり、私はカーストでは限りなく底辺の部類の人間だったのだ。
そんな私が女帝サマに生まれ変わったのは、神様がそんな私を憐れんでくれたのではないだろうか。
女帝サマは悪役だ。
だが、ものすげーかっちょ良い悪役だ。
追い出されても、虐げられても、彼女は凛として「私は私の正しいと思ったことをやっただけ」と気高く言い放ち、けして主人公に屈しない。
要を取られた際も
『あら、犬がいっちょまえの男の眼をするようになったじゃないの。……いいわ。解放してあげる、あんたをそんな眼にさせたお嬢さんの傍にいなさい。別にそれで契約を打ち切るほど私も父も狭量ではないわ。第一龍堂寺と切れたらうちも損失が大きいもの』
そう、あっさり言ってのけるのだ。
彼女には彼女の信念があり、それに則って生きている、ただそれだけなのだ。
正直しびれる。憧れる。ネットでは女帝サマのファンサイトがあったくらい、実は人気キャラだ。(女帝サマ×へたれ会長同盟とか、箱庭SM主従とか、女帝サマ男体化総攻めものとか、そういったものも結構出回っていたが、まあいい。)
そんな彼女になれたのだ。ならば前世の私が知らなかった世界を知ってみたいと思ってしまう。
それに、悲惨なラストといっても、たかが学園追放だ。家が没落したわけでもなんでもない。
女帝サマのスペックと、バックがあれば、別の学園に転校して醜聞をもみ消し、優雅に暮らすこともわけがないだろう。
イケメンズに主人公を害す存在として嫌われるのは悲しいが、かといって私が主人公のポジション乗っ取り等できるわけない。アホのこは恋愛偏差値も低いのだ。
ならば、まだ楽しめる女帝サマライフを、学園追放まで送った方が良いのではないか。
「――要ね。あんた、今日から私の犬よ」
私は要をまっすぐに見つめながら、優越感たっぷりに宣告して、不敵な笑みを浮かべた。
主人公よ、待ってろよ!!悪の華、とくと見せてやるかんな!!
「…………」
そう、一人意気込む私に、要が返したのは想定外の言葉だった。
「犬って……具体的に何をすればよいんだ?」
……わっつ?
「そ、そりゃあ……な、なんでも私の言うこと聞くのよ! 犬になれ、って言われれば、犬の真似だってしてみせるの!」
「犬の真似と言われても……残念ながら、俺の家には犬がいないからうまく真似はできないぞ。……そもそもする意味も理解できないが」
……なんてこったい!
お金持ちの家には、警護用のドーベルマンか、こう人間サイズのでっかいモフモフわんこがいるのが定番なんじゃないかい?
現に私の家にだって……いないや。母様、動物アレルギーだ……まあ、でもやっぱり、わんこってお金持ちのステータスだと思うんですけど! どゆことですか!?
「……どうしても、真似をしろって言うなら次会う時まで知識を仕入れてくるが……」
「ーーその必要はないわ!」
犬の真似ごときで、勉強するだなんて、ナンセンス!
これは仕方ない。私が直々に指導してあげましょう!
「まず、こうして四つんばいになるのよ? いい?」
ポイントは手!
足は仕方ないけど、掌を床につけるのではなく、わんこっぽく手を握る、これ大事!
そしたら裏返して、肉球ぷにぷにする真似もできるからね!
あいらぶ、にくきゅう!
「そして、潤んだ瞳でじっと見上げるのよ!」
雨に濡れた円らな瞳の子犬をイメージして!
実際は濡れてないけど、イメージの中では鼻の頭も湿っている。……鼻の頭常に湿ってるってなんか鼻炎っぼい、イメージ。いや、今はそんなことはいいか。
「そして、吠える! ……『わんわんわん』っ!」
恥ずかしがってはいけない!
こうして客間に響き渡るくらい思い切っりにね?
……ん? 客間? あれ?
「……よかったな。綾華。使用人以外に、お前のわんこ遊びに付き合ってくれる、お友達ができて」
遠い目と共に、ため息混じりで告げられたお父様の声に我に返る。
……ここ、まだお父様と要の父ちゃんいますやん。