警察署にて
案内人である警察官の後を追って敷地内に入ると、鼻が曲がりそうな臭いが漂っていた。
「俺の勘違いかもしれないけど、ここら辺臭いよね?」
「この臭いは家畜ね」
健人の疑問にエリーゼが答え、さらに警察官が補足する。
「最近は車の代わりに馬を使っているんですよ」
貴重なガソリンを今まで通りに消費することはでない。さらに電気だっていつ止まってしまうか、分からない状況だ。車の使用に制限がかかっていた。
とはいえ乗り物は必要だ。苦肉の策として近くにある乗馬クラブから馬を借りて、貴重な移動手段として運用していた。
「砂浜も難なく歩いてくれるので、意外に便利なんですよ」
都内であれば自転車の方が便利な場合もあるが、魔物が出現する場所は砂浜など車輪が適さない場所もある。両手を離して移動も出来るので、一昔前までは貴重な移動手段だった馬の活用場所は思いの外多い。
「道が壊されたらすぐに修繕できないし、これから活躍する場は増えるかもね」
車や自転車などは整地されているからこそ100%の力を発揮できるわけであり、道が荒れてしまえば馬といった動物の方が柔軟に対応でき、早く移動できる場合もある。道が壊されてもすぐに復旧できれば問題ないが、食料や物資が不足している今、それは難しいだろう。
「状況はかなり悪かったのね」
「そうみたいだ。もっと余裕があると思ってた」
ゴーレム島に引きこもっている二人は、変わってしまった世界に驚きながらもついて行く。
正面のドアを開けて警察署の中に入ると、人があふれかえり騒々しかった。戦える人材がそろい、この地域では最も安全ともいえる場所なので、安心を求めて自然と集まってるのだ。
入り口近くに設置されたベンチには老人が集まってお互いの近況を話し合い、受付にはダンジョン探索士と思われる集団が港の警備の手続きを進めている。
「人が多くて驚きましたか? みんな不安なんですよ」
周囲の変化に驚いている二人に警察官が簡潔に説明した。
「2階の打ち合わせ室までご案内するので、ついてきてください。そこで担当の者に引き継ぎます」
「あら、あなたが担当ではないの?」
「私は現場の人間ですからね。こういった依頼は、別の者が担当しています」
と、言い終わり、歩き出そうとして肩をつかまれた。
「ちょっと、あんた!」
推定で40歳を過ぎた恰幅の良い女性が、声を張り上げて怒鳴っていた。
「警官よね!? こんなところで無駄口叩いてないで、さっさと魔物を殺して私を守りなさいっ! 魔法が使えない市民を守るのが、あんたらの仕事でしょ! 私なんて欲しいものが買えなくなって我慢しているんだから、休むなんて許さない!」
なんとも一方的で自分勝手な発言だった。物資や食料が不足して困っているのは皆同じだ。それに我慢しているから休まず働けなど、普通は出てこない。だが、目の前で醜く騒いでいる彼女は違った。
「誰が悪いのか分からないからこそ、反論できない人に攻撃的なんだろうね」
さらに、たちが悪いのは反撃できない相手を選んでいることだ。警察官が罪のない市民を攻撃することはできない上に、給与は税金で支払われているので、誰のおかげで飯が食えているんだ!と、私が養っているんだと、精神的にも優位に立てるので都合の良いサンドバッグになっていた。
「ふーん。自分では何にも出来ないくせに身勝手ね」
「何も出来ないからこそ、八つ当たりしたくなるんだよ」
「嫌なヤツ」
「そうだね。俺も好きじゃないよ。そういう人」
エリーゼが意外そうな顔をして健人を見上げる。
「どうしたの?」
「敵でもない人を嫌いって言うの、珍しいなって思っただけよ」
敵対さえしなければ、おおらかな性格をしている健人が他人を嫌いだと明言することはなかったので、エリーゼは驚いたのだ。
「俺にだって、初対面で嫌だなって思う人ぐらいいるよ」
健人は無人島を購入するきっかけとなった出来事を思い出していた。生徒に裏切られ、周囲に都合の良いストーリーをでっち上げられ、安全地帯から一方的に非難される。心を病むほど悩むが状況は悪くなる一方で、退職するしか道が残っていなかった。
案内人でもある警察官に難癖をつけている女性が、そんな過去のトラウマを刺激してしまい、話したことすらないのに嫌いだと思わせているのだ。
目の前の光景とを少し離れたところで見守ること十數分。エリーゼが健人の前髪をヘアゴムで結び遊んでいると、ようやく警察官が解放された。
「すみません。お待たせしました」
疲れた表情を浮かべながら軽く頭を下げた。
「あなたは悪くないわ」
「俺もそう思います。捕まる前に先に行きましょう」
「ありがとうございます」
三人は再び歩き出すと奥に向かい、階段を上る。細い通路を進んで小さい会議室に入った。
コの字になった折りたたみの机にパイプ椅子が並べられている簡素な室内だ。
「担当者を呼んでくるので、ここでお待ちください」
中に入らずで部屋の入り口に立っていた警察官が、二人を残してドアを閉めた。
残された二人は窓際まで歩くと、一変してしまった町並みを眺める。
そこには、上陸しようとしている魔物と戦うダンジョン探索士の姿があった。
「私が想像していた以上に、魔物が地上に出た影響は大きかったのね」
相手は一匹だったこともあり、すぐにとどめを刺されると力なく倒れる。
「見て、健人。クルーザーで倒したサハギンもそうだったけど、死体が残っているわ。自然繁殖した魔物が襲ってくるなんて、襲撃される頻度はこれからもっと増えそうね」
魔物の天敵である人が存在しない海で交配して繁殖していく。早く手を打たなければ被害が増えるのは明らかであり、クルーザーでの移動も今以上に危険がともなく可能性がある。
だがそうなると分かっていても、海の魔物を効率的に倒す手段は確立されていない。迎撃するだけで防戦一方だった。
「魔物同士で殺し合うのを期待する?」
「それもありね。でも、そうなったら必ず強力な魔物が誕生するわ。戦って経験を積んで体内の魔力が成長する。そうなったら同じサハギンでも桁違いの強さになるわ」
ダンジョンの外で鍛えられ、経験を積んで強くなった魔物は、同じ種族でも名称が変わる。大抵はリーダー、キングと呼ばれ、違いが大きくなれば亜種もしくはユニークな名前が命名されることもあった。サハギンだと思って油断したらリーダークラスの実力があり苦戦した。といった話も珍しくはない。
ただし強くなっただけで種族としては変わらないので、いくら修羅場をくぐり抜けてもサハギンがドラゴンに進化することはない。油断さえしなければ大きな脅威にはなり得ず、結局いくら体を鍛えても種族を超えた力をつけることは出来なかった。
「世は全てこともなし、とはいかないか。強力な魔物が生まれる前にクルーザーの装備を充実させたいね」
「そうね。少なくとも船底は強化したいわ。ゴーレムダンジョンで鉱石が見つかると良いのだけど――」
と、話していたところで、ノック音とともにドアが開く。二人の男性が入ってきた。片方は健人を案内した警察官で、もう一方はスーツを着た見慣れない男性だ。
彼が依頼の担当者であることは間違いないと考えた健人は、エリーゼの背中を軽く叩いて合図を出す。服の上から伝わってくるブラジャーの感触に戸惑いながら、窓から目を離して振り返った。
「雑談はここまで。依頼の詳細でも聞こうか」




