無人島へ帰る
英語圏でエリーゼの写真が話題になり始めた夕方。
長い無人島生活でインターネットにアクセスする習慣がなくなり、携帯電話を持っていない健人たちは、エリーゼがネットで話題になっていることに気づかずに過ごしていた。
だが、一時的にでも帽子が取れてしまったことに危機感を覚えた健人たちは、観光する予定を変更して、近くにあるビジネスホテルに入り、1人用の部屋を2人分とってから、部屋で過ごすことにしていた。
荷物を置くために健人が部屋に入ると、カビの臭いが鼻に付く。周囲を見渡すと、シングルベッドと狭いテーブルの上に小さなテレビ。典型的なビジネスホテルのレイアウトだった。
事前に話し合っていた通り、ベッドに荷物を放り投げてからコンビニ弁当の袋をもって、ドアをノックしてからエリーゼが待つ部屋に入る。
「お邪魔するよ」
テーブルのイスに座って入口のほうに顔を向けていたエリーゼは、健人の姿を確認すると帽子を取り、金色に輝く髪を手で整えながら立ち上がり、彼を迎えた。
「ええ。お弁当を食べながら話しましょ。イスは1つしかないから健人はベッドに座って」
健人は頷いてからベッドに腰掛けると、ビニール袋からコンビニで購入した弁当を取り出し食べながら、今日の反省と今後の予定の話し合いが始まった。
「お弁当って味付けが濃いのね。健人が作った料理の味付けのほうが好き」
「俺は薄味が好きだから。さすがに30になって濃い味のものばかり食べると胃がもたれるようになったよ。それにしてもさっきは焦った……帽子が飛ぶとは思わなかったから、完全に油断していた」
「私もまさか無防備な瞬間に風が吹くとは思わなかった……油断してたのは一緒。でも、健人がすぐに帽子を持ってきてくれたから、私の耳に気づいた人はいないと思うわ」
ダンジョン探索で身につけた周囲を観察する能力を発揮し、帽子が飛んだ瞬間に辺りをうかがい、自身を注目している人がいないことを確認していた。例の写真さえなければ、エリーゼがエルフと気づく人はいなかっただろう。
異世界人である彼女にとって「写真の背景に写った自分がインターネット上で話題になる」ことは想像の埒外であり、予想できなかったことを責めるは酷だ。
「そうだといいんだけど……とりあえず、今日はもう外に出ないほうがいいね。それに、明日は本や服を買おうと思ったんだけど、さっさと無人島に帰った方がいいかもしれない」
健人は、エリーゼがこの世界の文明に触れて大いに楽しんでくれたのはよかったと感じている。だが同時に、「なんとかなるだろう」と楽観的に考えて行動してしまったことに、少し後悔をしていた。
一度バレてしまえば後戻りできないのに、楽観的に行動してしまったのには理由がある。お金の事を気にせず気楽に付き合える美しい彼女と、一緒に街を歩いて楽しみたかったのだ。
健人はその下心のせいで浮かれてしまい、危機感が欠如していたことに気づき、消極的になっていた。
「島に戻ったらゴーレムダンジョンを探索するんでしょ? 準備しなくていいの?」
エリーゼの指摘で、健人は探索の準備を忘れていたことに気づく。
(ダンジョン探索の準備のことを忘れてた。うかれすぎにもほどがあるだろ……)
「ありがとう。探索の準備をしないとね。安全靴や武器となりそうな鉈、あとは厚手の手袋、ロープ、電気ランタンも買い足したいからホームセンターに寄っておこうかな。本当はもっと本格的な道具を用意したほうがいいかもしれないけど、今回は時間がないから……」
「道具は、それでいいと思うわ。1階や2階程度なら魔法だけで対処できそうだし、いますぐ本格的な攻略をするわけじゃないから、肩慣らしとしてなら十分でしょう」
そう言って一息入れてから、エリーゼは話を続ける。
「でも、すぐに帰る予定があっても保存食と水は必ず持って行きましょう。私は日帰りの予定であっても、2日分は持っていくようにしているわ」
「魔法で作った水は消えるから水も必要か」
「そうそう。放出するときにこめた魔力を使い切ったら魔法は消えてしまうから、水は必須よ」
「2日分だと、2人で12Lは必要かな? ……結構な重さになりそうだね」
「水はかさばるからね。私も苦労したわ……」
エリーゼは数秒間目を閉じて、当時の苦労を思い出していた。
このあとも話を続けながら探索に必要なものを紙に書き出し、エリーゼに見てもらうということを繰り返して、健人はリストを完成させた。
「そういえば、ダンジョン探索で気をつけたほうがいいことってある?」
メモ帳を片手に持ってベッドに腰掛けながらリストを作った健人が、ふと思い出したように顔を上げてエリーゼに質問をした。
「そーね。まず、ダンジョンの壁を壊そうとしないで。原因はわからないけど、壊すと強力な魔物が出現して襲ってくるの。ルールの裏をかいて攻略してやるって意気込んだ人は、その魔物に襲われてみんな死んでいったそうよ」
「うぁ……。気をつけるよ」
「あともう一点。モンスターを倒した時に残る素材なんだけど、可能な限り持って帰りましょう。もしかしたら、こっちでも何かに使えるかもしれない。特に魔石は、この世界の電気やガソリンの代わりになる可能性もあるし」
「もし、それが実現しても公表はしたくないな」
「そうね。私もそれは控えてもらいたい」
次世代のエネルギー資源は、世界中が研究している。
それが魔石で実現できるとわかったら、各国の研究者が健人たちが住む無人島にくる可能性が高い。少なくとも、日本で次世代エネルギーを研究している人間は必ず来るだろう。
また、一時的かもしれないが世間の注目も集めてしまう。
それは、俗世から離れたい健人と異世界人であるエリーゼには都合が悪い。お互いの利益を考えれば、ダンジョンで拾ったものを世間に公表しないという結論を出したのは、当然の成り行きだろう。
「最後に、必ず私の指示にしたがって。指示された瞬間は納得できなくてもね。あとで必ず説明してあげるから」
「わかった」
素人の勝手な判断ほど危ないものはない。それは健人も理解しているため、疑問に思うこともなく素直に頷いた。
「今日は久々にいろいろな所に行って疲れたから、早めに寝るよ」
「私もそうするわ」
早めの昼食を食べ終わるとそれぞれの部屋に戻り、残りの時間を1人で過ごした。
そして翌日。
健人たちは、ホテルの朝食バイキングには行かず、チェックアウトするとすぐさま車に乗り込みコンビニに向かった。目的は朝食の買い出しだ。昨日の事故の反省を踏まえて人を避けるように行動をしている。
インターネットでエリーゼの姿が日本語圏でも話題になり始めていたので、目撃情報をこれ以上増やさないという意味では、この行動に意味はあったが、それと同時に本人たちはインターネット上で話題になっていることには気づけないままでいた。
健人たちはコンビニで購入した朝食用のおにぎりを車内で食べてから、人目を避けるようにホームセンターに向かって移動をしていた。
◆◆◆
「ここがホームセンター? 何屋さんなのかわからないお店ね」
健人たちは、マリーナ設備の近くにあるホームセンターにきていた。
ダンジョン探索に必要な道具はエリーゼのアドバイスは欠かせないため、2人で店内を回っている。
「暮らしに役立つものを売るお店だからね。日用雑貨から住宅設備、食品、衣類まで色々と取り揃えてあるお店だよ」
「へー。私の世界では専門店が多かったから新鮮」
エリーゼは、視線を左右に動かし珍しい商品に目が奪われ、周囲がおろそかになっていた。
「何に使うのかわからない商品ばかり。楽しそうなお店ね」
「声が大きくなってるよ。エリーゼ落ち着いて」
昨日とは違い周囲の視線を気にしていた健人は、興奮し始めたエリーゼに注意をした。
「ありがとう。また、油断してしまったわ」
注意されたことでハッとして、健人の顔を見てお礼をする。エリーゼが落ち着いたのを確認してから健人は、大きめなカートを押して園芸用品のエリアに移動した。
「鉈って、結構小さいのね」
エリーゼが手に持っていたのは薪を割ったり、草を刈ったりする道具であり、武器ではない。武器だと思って手に取った彼女が、落胆するのも無理がない。
「大きい刃物は所持できないからね。一般市民がすぐに手に入れられる武器としたらこれが限界かな」
「そうなの。刃の長さが16cmかぁ。長さが足りないけど売ってないなら仕方がないか。これを3本買いましょう。あとはこの木割オノも買いね。刃の部分が短いから攻撃力は期待できないけど、最初はリーチのある武器の方がいいでしょ」
そう言って手に取ったオノは全長1m、刃長7cmのオノだった。健人は特に否定することなく、エリーゼが選んだ武器を値段も確認せず、カートに放り投げていた。
今回は木や石といった無機物系のモンスターがメインになるため、選んだ武器だと威力が足りない。そんな不安を抱いたエリーゼは、大工道具エリアに移動し、他にも使えそうな道具がないか探すことにした。
「……ないわね」
「武器を売るお店じゃないからね……」
ハンマーや鎌など武器になりそうなものはあったが、威力の面で物足りないものが多い。ホームセンターは日用雑貨を売っているのであって、武器を売っているわけではないので当たり前なのだが、そんなこと関係なく二人は落胆していた。
「武器の扱いに慣れた人なら鉈や斧でも戦えるとは思うんだけど……やっぱり、魔法に頼るしかなさそうね」
良い武器が使えないのであれば、魔法に頼るしかない。幸いなことに健人の魔法の威力は、ハンターとして十分通用する。
さらに人類未踏のダンジョンには、武器が落ちている可能性も高い。エリーゼは、ここで無理して武器を使うより、ダンジョンで手に入れた武器を使う方針に切り替えた。
「そうすると、あとは何が必要?」
「もう武器は良いから防具ね。といっても、そこまで防御力の高いものはなさそう……」
そのまま作業用衣類などを売っているエリアに移動すると、足首まである安全靴を健人とエリーゼ用に買い、さらに健人用に作業用手袋、ヘルメット、リュックをカートに入れた。
だが、どれもエリーゼが求める水準には達していないようだ。
商品をカートに入れる彼女は不満な表情をしながら、防災用品エリアに移動していた。
「この世界の食べ物はいまいちわからないから、健人が選んでね。水や火を使わずに食べられるものだったらなんでもいいわ」
「わかった。そうすると……これが良いかな」
棚いっぱいに置いてある防災用の保存食を見て、しばらく悩んでいた健人だったが、手で開けられる缶詰に入ったパンやチョコチップを手にとってカートに入れる。他にもカレーのルーや飴、レトルトのおかゆ、ペッドボトルに入った水も同様にカートに入れた。
「これだけあれば十分ね」
エリーゼはカートいっぱいに入っている食品と水を見て満足そうに頷いていた。
「それじゃ、帰ろうか」
「うん。早く戻って島でゆっくりしたいわ」
2人とも常に気を張ってたので、買い物しただけで疲れていた。
ロープ、電気ランタンといった探索に必要な道具をカートに入れてから、レジで精算をすると、すぐに荷物を車に積み込みマリーナまで移動する。
すでにメンテナンスは終わっていたので、作業員からメンテナンスの結果を説明してもらってから、荷物を積み込むとエリーゼはクルーザーに残り、健人は車を返してから再びマリーナに戻っていた。
「おっと。これはいい寝顔だ」
クルーザーに戻った健人は、エリーゼが無防備にベッドで横になっている姿を目にする。疲れていた上に人目を気にしなくて良い場所に来た安心感があいまって、睡魔に負けて寝ていたのだ。
(一緒に住んでるけど、ちゃんと寝顔を見るのは初めてだ。寝ている姿を晒しても良いぐらいには信用してくれたのかな?)
そんなことを考えながらシャワールームに置いてあったバスタオルをタオルケット代わりにかけると、健人は運転席に座る。
無人島に戻ればゴーレムダンジョンの探索が始まる。
エリーゼと一緒に探索できる事実に心が高鳴っていることを意識しながら、健人はクルーザーを操作して無人島へと向かった。