獣人の集落
集落に入ると、その物珍しさから好奇の視線にさらされる。だがのその視線はエリーゼではなく、健人に向かっていた。
(なぜ俺だけ見られている?)
歩きながら健人は、視線が自分に向かっている理由を考える。まず始めに思い浮かんだのは、外部の人間だという理由だが、すぐに否定する。それならエリーゼにも視線がいくはずだ。健人だけジロジロと見られる理由にはならない。
だとすれば、人種か? それとも服装か? いくつか理由を考えてみたものの、健人は先ほどと同じ理由で「違う」と却下する。
理由が思い浮かばず、すっきりとしない気持ちのまま歩いていたが、人が集まる集落の中心に到着すると意外な所に答えがあった。
「この集落に入ってから女性しか見かけない……」
集落の中心では火が焚かれており、10人程度の女性が肉を焼いている。香ばしい香りが周囲に漂い、2人の空腹を刺激した。
「男性は狩りに出ているのかな?」
もうすぐ陽が落ちるとはいえ、まだ周囲は明るい。男性は集落の外で活動している可能性も考えられるが……魔境になったジャングルで狩りどころか、外に出ることは自殺行為に近い。
魔法が使えれば集落周辺の監視程度ならできる。しかし健人たちが訪れた時に、そのような人間は見かけなかった。
男性全員が魔法を使える確率は0に近い。集落に最低でも数人は残っていないと不自然なのだ。
集落の外にいる線も薄い。であれば、逆に内にこもっているのではないかと、健人は結論を出す。
「集落の外に出るのはあり得ないか。料理が完成するのを家の中で待っている?」
「どうしたの?」
健人の独り言に反応したエリーゼが周囲を見渡す。ヤグと話して人柄を把握していた彼女にとって、広場の光景に不自然な点はない。そう思ったところで健人との知識の差に気づいた。何も知らなければ、女性だけの集落に疑問を持つはずだと。
「そういうことね。この集落にいる男性はヤグだけよ」
「どういうこと?」
「彼は正面から集落に乗り込んで男性を全て殺し、自分だけのハーレムを作ったのよ」
獣の特性が強い一部の獣人は、ハーレムを作るために村を襲うことがある。その際、男性は全て殺害して女性だけを生かす。エリーゼの世界でも度々問題となった習性だった。
そんなことをすればすぐに討伐の対象となるが、山奥でひっそりと暮らしている村では、その事実が発覚することなくハーレムを維持する獣人もいた。また襲撃するだけでは足りず、ハーレムを維持するために外から女性をさらって来ることもある。
集落を支配したヤグも当然のようにエリーゼと、その仲間をハーレムの一員に加えようとしていた。もちろん最初は平和的な方法で、だ。だが仲間が男性だったことで事情が変わった。平和的な方法は選べず、エリーゼを奪い取るなら武力に訴えるしか選択肢がないと、ヤグは思い込んでいた。
ではなぜ、ヤグに襲われることなく滞在が許されたか? その理由は単純だ。ヤグ以外に戦える人間がいないからだ。外縁部とはいえ魔境を生き延びた実力者だ。戦える者がヤグしかいない現状では、戦って負ける可能性の方が高い。
集落には女性が数十人残っている。現状に満足しているヤグは余計なリスクを負う必要はないと考え、今回は引き下がったのだ。
「あいつは人の皮を被った獣よ。文字通りね」
自分の欲望だけを満たすために他者を害する。そんな行為は知性ある人間とは言えない。獣と呼ぶに相応しいと、エリーゼは言外に含ませていた。
「獣……」
広場で料理をしている女性たちは、黙々と作業を進めるだけで笑顔はない。案内役のヴォルネも出会った頃から感情の変化は乏しい。仲間を、家族を、恋人を、殺され、さらにハーレムの一員として囲われているのだ。
その想像を絶する彼女らの境遇とヤグの非道な行為に、健人は言葉が出てこなかった。
「その単語、本人には言わないでね。間違いなくキレるわ。まぁ、価値観の違いだと思って割り切るしかないのよ。この集落は運がなかった。そう思うようにしましょう」
健人がエリーゼの忠告にうなずくと、案内役のヴォルネが立ち止まる。
目の前には小さな木製の家があり、昨日の集落と同じくドアはない。中は薄暗く床は地面がむき出しになっており、家具など一切なかった。
『……好きなように使ってください』
「ここが本日の宿泊場所ってことね。健人は先に入ってもらえる? 私は、この娘と少し話すわ」
「分かった。待ってるね」
言葉が通じず戦力外の健人は一人で家の中へと入っていき、見送ったエリーゼはヴォルネに話しかける。
『ありがとう。私たちはこの家でおとなしくするわ。食料は自分たちのものを食べるから、料理は不要よ』
『わかりました』
話が終わると、ヴォルネはすぐにその場を立ち去ろうとするが、
『ちょっと待ってもらえないかしら?』
エリーゼは声をかけて引き止める。
『そのツボの中にある液体について教えてもらえないかしら?』
『虫型の魔物が逃げ出します』
『それは誰が作っているの?』
『ババ様です』
『他に魔法が使える人は?』
『いません』
なぜそのような質問をされているのか気にすることなく、ヴォルネは淡々と事実をだけを語る。そこに彼女の意思は感じられなかった。
『そう。ババ様だけなのね……』
ヤグの協力により魔法が使えるようになったババ様が、この集落を支えている。彼女が薬を創らなければ間違いなく集落は魔境に飲み込まれていた。
『それじゃ、そのババ様の所に案内してもらえないかしら?』
集落に滞在するにしても立ち去るにしても、そんな重要人物だと思われる人物に会って情報を集めるべきだと考えたエリーゼは、多少の危険を冒してでもババ様に会うと決めた。
「集落にいる魔法使いに会って、魔境の状況を確認してくるわ。健人は家で大人しく待っているのよ」
健人にそう一言告げてからヴォルネの後を追い、ババ様と呼ばれる薬師の家へと向かう。
『ここです』
無言のまま歩くヴォルネが案内した場所は、集落の外れだった。周囲に他の家はなく、迫害もしくは腫物ととして扱われているような扱いだ。また一面に雑草が生えており、来訪者を拒否するかのように、薬草を煎じた独特な臭いと煙が漂っている。
『ありがとう。もう案内はいいわ』
エリーゼの言葉に従い、ヴォルネは無言で立ち去った。
「魔境の薬師。まともな人間だと良いんだけど……」
集落の状況からフランクな会話ができるとは期待していないが、せめて普通の会話ができるようにと、半ば祈るような気持ちでエリーゼは薬師の家に入る。
室内は空気が変わったかのように湿度が上がり、身体にまとわりつくような薬草の臭いが充満している。エリーゼは思わず顔をしかめてしまった。
『あなたがババ様?』
家の中心心には鍋があり、緑色の液体がグツグツと煮えている。その近くには、焦げ付かないように、長い棒で鍋をかき回している長髪の老婆がいた。
予想通りミーナと同じ付与タイプ。魔力量は多くはなく、枯れ枝のような体から戦闘は不可能。脅威度は低いとエリーゼは即時に判断する。
『騒がしいと思ったら、また珍妙な娘がきおった。お前さんは人間じゃないね』
エリーゼの祈りが通じたのか、ババ様の口からまとな言葉が出る。
『そうよ。私はエルフのエリーゼ。あなたはこの村の薬師?』
『これはこれは、長寿の象徴であるエルフ様でしたか。この老いぼれに何か用かね』
話しながらも薬師は、腕を止めることなく緑色の液体をかき混ぜている。
エルフの特徴を知っていることにエリーゼの眉がピクリと動くが、その話題には触れずに質問を投げる。
『あなたが作る虫除けで、この集落は何とか残っているけど、長く持たないわよ?』
魔境にはサラマンダーといった、昆虫以外の魔物の存在もある。また氾濫が起きると魔物は狂気に飲み込まれ、殺戮のためだけに行動するようになり、虫除け程度の効果では侵入を防ぐことは出来ない。
氾濫を阻止するための唯一の方法――魔物の間引きも、ヤグが一人で減らすより魔物が増える速度の方が早い。かといって、外部からの援助は期待できない。まさに手詰まりの状態だった。
『わかっとる。だが逃げ出すわけにはいかないのじゃ』
『私の見立てだと、今すぐにでも氾濫が起きる可能性があるわよ?』
『……その様子だと、ヤグに捕まったわけじゃなさそうだね。もうかき混ぜる必要もなくなった。ちょうど良い、老い先短い老人の長話にでも付き合ってもらうよ』
棒を近くの壁に立てかけるると、おもむろにこの村で起きた惨劇と残された人々について、老婆は語り出した。




