エルフは本島で驚く
翌日。2人はクルーザーを係留しているさん橋の上にいた。
「これが健人のクルーザー……私の世界の宿より豪華ね。それが船とは恐れ入ったわ」
大型クルーザーは大海原でも生活できるように、ソファー、テーブル、ベッド、トイレ、シャワー、キッチンなど、人が暮らす上で必要な設備がそろっている。
船といえば、川を渡るための小型の船しか見たことがないエリーゼにとって、居住性を追求したクルーザーは、ここが異世界だと強く意識させるものだった。
「目的地まで1時間はかかると思うから、ソファーで座ってゆっくりしてて」
「船内を散策しても良い?」
「うん。落ちないでね」
エリーゼは、このクルーザーに対して強い興味を覚えていた。
あのボタンを押すとどうなるのか、どうやって動くのか、なぜ船体が2つあるのか、疑問は尽きない。1つ1つ説明してもらっても理解はできないだろうと割り切って、フラフラと歩きながら目の前にある物の観察に力を入れていた。
健人は子どものようにはしゃいでいるエリーゼを見送ってから外に出て、船を繋いでいたロープを外してから、運転席に戻ってエンジンをかけてハンドルを握り、クルーザーをゆっくりと動かして、さん橋から離れていった。
本日は晴天で波は穏やか。クルーザーを運転するには良いコンディションだ。
健人は高校生の時に好きだったロックバンドの歌を口ずさみながら運転をしていると、探索を終えたエリーゼから声をかけられた。
「ずいぶん機嫌がいいのね」
健人に声をかけたエリーゼは運転席の隣のイスに座る。
「この天気だからね。歌の一つでも口ずさみたくなるよ」
小さい雲が浮かぶ青い空。暖かい陽射しを反射する海。リゾート地でバカンスを楽しんでいるような気分に浸れば、自然と歌ってしまうだろう。
風を切る音とエンジン音がうるさく、2人ともいつもより声を張って会話を続ける。
「確かに気持ちいい。こんな快適な船旅は初めてよ」
「そっちの世界はどうだったの?」
「海は魔物に支配されていたから、のんびりと船旅を楽しむことなんてできなかった。魔石から抽出した魔力を原動力とした船もあったけど、魔物に沈没させられることの方が多くて、誰も船に乗りたがらなかった」
「じゃあ、海をまたいで大陸間を移動するのは不可能だったの?」
「飛行船があるから、お金持ちならそれを使って移動するかな。私みたいな普通の人は海をまたいで移動するなんて考えたとしても実行出来ないわ」
海底にはいくつかダンジョンがあり、迷い込んだ海洋生物を取り込んで、今でも活動を続けている。管理するどころか、どこにダンジョンがあるのかすらわからないので、野放しにしかできず、結果、海は魔物がひしめく魔境となっていた。
その点、空中にダンジョンが出現することはないので、飛行型の魔物はほとんど存在しない。そのため、エリーゼの世界では航空技術の方が発展しているが、それでも飛行船レベルであり、健人の世界のようにジェット機などは発明されていない。
また、町の外にも魔物が多くいる。人の行き来が多い道であれば、ハンターや兵士・騎士などが定期的に討伐をしているので比較的安全であるが、それでも護衛なしに歩けるほど安全ではない。
戦う力を持たない一般市民にとって、旅行とは命がけの行為であった。
「なるほど! そっちの世界には魔物がいるから、旅を楽しむのは難しいのか」
「そうね。生まれ育った町から一歩も出ない人も珍しくない世界だから。こうやって、身の危険を感じずに景色が楽しめる今がすごく楽しいわ!」
エリーゼは流れる景色を見つめながら、周囲の風景を楽しんでいた。
◆◆◆
健人が向かっていたのは熊本県にある、マリーナ設備が整っている島だ。健人の無人島とは違い、橋でつながっているので車でアクセスできる。
そこは給水、給油、給電ができ、メンテナンス技術に精通した技術者が船体・エンジンを整備してくれる、日本でも有数の充実した施設を保有しているマリーナだった。
クルーザーを係留して陸に降りた健人たちは、エントランスにある受付でメンテナンスの依頼をしてからタクシーを手配し、ラウンジで一息ついていた。
ソファーに座ったエリーゼは帽子を深くかぶりなおしてから、周囲に声が漏れない程度のボリュームで、健人に話しかける。
「これが、あなたの世界の港? ずいぶんと優雅」
「エリーゼがイメージしている港とは違うかもね。ここはヨットやマリンスポーツを楽しむためのレジャー施設だから、ゆっくりした時間が楽しめるようになっているんだよ」
「魔物がいなくなるだけで、ずいぶんと変わるものね」
「そうだね。俺の方こそ海で遊べないなんて……信じられないよ。と、タクシーが来たみたいだ」
そのような会話を続けてるとタクシーが到着した。
すぐに乗り込み最寄りのレンタカーの営業所まで移動し、国産の黒いセダンを借りてから、熊本県で最も有名な城に向かって国道道路を走っていた。
「車のことをテレビで知ってたけど、見るのと乗るとでは大違いね! もっとスピード出せないの?」
「法律で出せるスピードが決まっているんだよ。これが限界」
「それは残念。でも、他人の目を気にしないで済むのは楽ね。車を借りてくれてありがとう」
整地された地面、壁で区切られていない街、見上げてしまうほど高いビル。この世界に来てから知識としては知っていたが、自分の目で見て感じた異文明は、エリーゼに新鮮な驚きを与えていた。
信号が赤になったので、車が止まる。
エルフの自分と似たような姿をしている人たちが目の前で行き来しているのを見て、思わず、帽子を取りサイドミラーで自分の姿を確認した。
(私との違いは耳の長さだけ。私の世界の人間とは、見た目は同じ。でも、着ている服から住んでいる家、考え方は全て違う。姿形は似ているけど私とは異なるルールの中で生きている……本当に異世界にこれたのね)
無人島で隔離されていたエリーゼは、異世界に来た実感が薄かったが、本島に来ることでようやく、実感を得ることができたのだ。
そんな実感を得たエリーゼは、健人と二人っきりになってようやく緊張感から解放されたこともあり、健人に異世界にきた理由をポツポツと語り出した。
「私は昔から変わったことを想像する浮いた子どもだったの。魔物がいない世界、氷に囲まれた世界、植物が知能を獲得した世界……ここではない、どこかにあるだろう世界を毎日想像していた。子どものころは、そんな妄想することだけが楽しみだった」
健人は相槌を打ち、運転をしながら静かに話を聞いていた。
「そんなある日、ダンジョンが異世界につながっているって話を聞いたのよ。そのときから、人間が集まる街で生活すると心に決めたわ。今思うと、世間知らずだったからこその考えだったような気がするけどね」
大人になってから住んでいた森を飛び出し、人間・獣人・ドワーフといった多種多様な種族が住む街に移住したエリーゼは、人のずる賢さ、獣人の肉体的強さ、ドワーフの器用さなどを目の当たりにして、当時は強いカルチャーショックを受けていたが、それと同時に異世界に行けばもっと強い刺激をもらえると考え、異世界へ想いは日に日に強くなっていた。
その想いに比例するようにダンジョン攻略にも熱が入り、攻略するための人・金・技術、利用できるものは全て利用して、30年という長い時間をかけて最下層を攻略することに成功していた。
「人間、エルフ、獣人といった人類が管理しているダンジョンは10箇所あるんだけど、最下層まで到達した記録が残っているのは3箇所だけ。色々と情報を集めて自らを鍛え、仲間を募り、ここにたどり着いたのよ」
あたりまえだが、命をかけて最下層を目指すより、換金率の高い素材を落とす魔物を狩るハンターの方が多い。未だ最下層まで到達したダンジョンが3つしかないのも、前人未踏の地を目指すにはあまりにも危険で、そしてリターンが少ないのが原因だった。
「頑張れば最下層まで来れるんだ。みんなエリーゼみたいに最下層に行きたがるの?」
「ううん。到達可能なだけで、最下層に挑戦する人は少ないわ。普通は命がけの探索なんてしないわよ。それに何か条件があるみたいで、水晶に触っても移転しなかった人もいるみたい」
「なるほど。移転する条件があるかもしれないんだ。謎は深まるばかりだね」
その後も会話は途切れることなく続き、ようやく目的地についた健人たちは駐車場に車を停めて、堀の周りを歩くことにした。
(外国人の観光客が多いな……。これなら帽子さえとらなければ不用意に目立つこともなさそうだ)
健人は、エリーゼが外国人であることで注目を集めるかもしれないと心配していたが、ここ数年で日本に訪れる外国人観光客が増えた。観光地に限って言えば、外国人を見かけても周囲の人は「最近よく見かけるようになった」程度の意識しかなく、昔みたいに「あそこに外国人がいる!」と人の視線を集めることはなかった。
そんな事情に気づかないエリーゼは、堀の近くにある、黒と白のコントラストが見事に描かれている長塀を眺めながらのんびりと歩いていた。
「ここにきてやっと、理解できる建造物を見た気がするわ。私の世界の文明レベルは、このお城が建てられた時期と同じぐらいなのかも」
「そうすると江戸時代より前になりそうだね。そんな人が現代に来たら、理解できないものが多くても不思議じゃないか」
「うん。ここに来てから驚きの連続。分からないことばかりだよ」
二人とも隣り合って歩き、長塀から幾重にも連なる石垣群を通り本丸御殿の方に進むと、20メートルの高さを誇る石垣の上にそびえ立つ城が目に入る。難攻不落と表現するのがふさわしい。そんな景色に圧倒された二人は見上げたまま立ち止まってしまい、周囲の警戒がおろそかになっていた。
その瞬間、突発的に強い風が吹き始めエリーゼの帽子が宙を舞う。
「あっ」
帽子のつばがなくなったため、目の前が急に明るくなったことで事態を理解する。慌てて頭を抑えたが、その行動には意味がなく、すでに10m近く飛ばされ地面に落ちていた。
健人はエリーゼの声を聞いて振り向き、すぐに落ちた帽子を取りに走り、数秒で彼女の頭に帽子をかぶせて速やかに立ち去った。だが、ここは九州でも有数の観光地。さらに、平日といっても周囲には外国人観光客が多数いる状態だ。数秒の間で人の目はごまかせるかもしれないが、スマートフォンで撮影された写真から逃れることはできなかった。
偶然にも、城を背景にポーズを取っている黒人男性の後ろに、エリーゼの顔と耳がはっきりと写った状態で、SNSに投稿されてしまったのだ。話題になる画像は一瞬で世界中の人間にシェアされる。今回は、「日本にエルフが生息する」と話題になり、英語圏でシェアされ、1日遅れで日本のまとめサイトに掲載されて一躍有名人になってしまった。
最初は整形したエルフ耳だと思われていたが、整形では実現しにくい横に長く伸びた耳とそれが自然に見えるエリーゼの美貌が合わさり、一部では「本当のエルフかもしれない」と話題になり、ネット上で検証班が立ち上がるほどであった。
その検証班が定期的に話題を提供した結果、長くても数日で忘れ去られるはずだったエリーゼの写真が、数ヶ月間話題になっていた。