エリーゼの本
「私が1人で何かしているから、心配になっちゃった?」
からかうような、軽い口調だった。
「まぁね……」
エリーゼが、自分の知らない誰かと仲良くなる。それは問題ない。交友関係が広がることは、健人も望んでいた。
だがそれとは別に、新しい活動を教えてもらえない寂しさも、健人は感じている。アルコールが入り、その寂しさが抑えきれなかった。
「あら、今日は意外に素直なのね」
驚くエリーゼに返事ができず、照れ隠しのため、髪の毛をいじる健人。耳がほんのりと、赤くなっていた。
「安心していいわよ。健人が心配するようなことは何もないから。なんで恥ずかしがっているのか、私には分からないけどね」
口では分からないと言っているが、エリーゼの笑っている表情から、健人は寂しさに気付かれていると感じ、さらに顔が赤くなる。
「……」
恥ずかしい気持ちをごまかすようにビールを飲もうとグラスを手にする。だが、あいにく中身は空だった。そこでようやく、お互いのグラスが空になっていることに気づく。
「話す前に、お酒を持ってくるよ。ビールでいい?」
「健人と同じものが飲みたいわ」
返事を聞くとグラスをもってすぐに立ち上がり、キッチンへと急いで向かう。冷蔵庫からビール缶を2つ取り出すと、グラスに入れてダイニングにへと戻った。
「ありがとう」
エリーゼがグラスを受け取り、健人が座る。一度席を離れたことで、気持ちは落ち着いていた。
「それで、私が何をしているか? って話よね」
健人はビールを片手に持ち、無言で話の続きを待つ。
「図鑑を作っているのよ。それも魔物のね」
「……前に話していた魔物図鑑?」
数秒、考え込んだ健人。埋もれていた記憶を掘り起こし、新宿のホテルで名波議員と会話したときの出来事を思い出した。
あの会話があった後、エリーゼは作るようなそぶりは見せなかった。健人はてっきり、作る気が無いものだと思い込んでいたのだ。。
「私たちは、新宿ダンジョン、ゴーレムダンジョンの2つを探査したわ。その結果、ダンジョンや魔物は、私が居た世界と大して変わらないと感じたの。そうであれば、私の魔物に関する知識や経験は役に立つ。そう、思わないかしら?」
「そうだね……」
シェイプシフターのような存在が事前に分かっていれば、被害が出る前に、対策を練ることができる。現に今は、ゴーレムダンジョンの入り口では、体温を測ることでシェイプシフターが人間に化けていないかチェックする体制を整えた。
「魔物のイラストと特徴、後は戦い方をまとめて、最近になってようやく、サンプルができたところよ。健人にも見せてあげる」
そういうとエリーゼは2階の自室に戻り、数分後、文庫本ほどの大きさの薄い本を片手に持ち、戻ってくる。
「イラストはエリーゼが描いたの?」
健人は本を受け取ると、パラパラとページをめくって中身を見ていた。
まず始めに気になったのは、イラストだ。フルカラーなのは当然として、写実的なイラストは、写真ではないかと錯覚するほどリアルだった。
「まさか! プロに頼んだわよ」
ビールを飲みかけていたエリーゼが、手を横に振って否定する。
「じゃぁ、イラストレーターを探して頼んだの?」
「そうよ」
健人と違い積極的にパソコンを利用しているエリーゼ。インターネット経由でイラストレーターに魔物のイラスト作成を発注していた。その費用は、エリーゼのお小遣いから支払っている。
エリーゼは地味に小金持ちだ。衣食住の費用は全て健人が支払っている。ゴーレム島に住んでいるので、余計な買い物をする機会はない。
さらにエリーゼは、知識欲はあるが物欲はない。使う機会の少ないお金は、貯まる一方だった。
「そっか……もうそんなことまで出来るようになったんだね」
「子どもじゃないのよ? 数年も暮らしていれば当たり前じゃない」
「そうかもね……」
自分が異世界に転移したら、こんなに積極的に動けるかと想像したところで、その考えは意味がないと中断する。
「この魔物の特徴って面白いね。何回も戦っているウッドドールだけど、知らないことの方が多いんだなって、気づかされたよ」
ウッドドールのページでは、武器の種類、ドロップアイテム、敵を発見すると助走をつけてジャンプする、といった行動パターンなどが書かれていた。
経験則でなんとなく察していたことが、言葉にすることではっきりと気づく。健人はウッドドールのページを開きながら、一人で納得していた。
「でもね。この本の情報が正しいとは限らないの。人伝で聞いた特徴も入れているのよ。だから、作ったは良いものの、売って良いのか悩んでいるのよね」
悩みを思い出し、大きなため息を一つ吐く。
魔物図鑑として販売するのであれば、正確な情報でなければならない。虚実入り混じる図鑑など、価値はないに等しい。
「なるほどね……魔物が存在しなければ、検証のしようもないか」
だからと言って、時間をかければ正確な情報が手に入るわけでもない。日本にある2つのダンジョン。そこに出てくる魔物は限られている。エリーゼが知っている魔物は、もっと多いのだ。
もちろん、今確認されている魔物だけに限定して作ることも可能だ。だがこの本が真の価値を発揮するときは、未知の魔物と出会ったときだろう。初めて出会った魔物の特徴を知っていれば、無駄な危険を冒す必要はないのだ。
「でも、この本を使わないのはもったいない」
「うーん。とりあえず、私たちだけに配る?」
「そうだねぇ……」
知り合い限定であれば、まだ許されるか? 健人は悩みながらも、配る方に天秤が傾いていた。
「私に健人、礼子さん、明峰さん、ヴィルヘルムさん、ミーナさん……梅澤さんも入れておきましょうか」
「梅澤さんの時だけ、嫌そうな顔をするね」
健人は、相変わらず梅澤が苦手だなと、くすりと笑う。
「出会った頃の印象が悪いからね……それに性格も好きではないのよ。でも、仕事は出来るから、ここに居てもらわないと困るし……思い通りにいかないものね」
「俺は結構好きだけどね。梅澤さん。仕事は出来るし、気も使える。確かに、人が争っている姿を見るのが好きで、性格が悪いところもあるけど……適度な距離を保っていれば気にならないかな」
健人はためらうように一呼吸おいてから、
「それより――」
「ミーナさんが苦手?」
苦手な名前を上げようとして、先に言われてしまった。
「よくわかったね」
「当然よ」
あなたの事だからと、エリーゼは心の中で付け足す。
「勘違いしてほしくないんだけど、ミーナが悪い訳じゃないんだよ? あのぐらいの年頃の女の子は、基本的に苦手なんだ」
ミーナは、素直で努力家で性格も良い。健人はそのように思ってはいるものの、10代の若い女性というだけで、苦手意識を持ってしまい、話しかけるのも躊躇してしまうほどだ。出会ってからこれまでの間、ほとんど事務的な会話しかしたことがない。
「へぇ……私は年頃の女の子に見えないってことかしら?」
健人の発言ですっと目を細める。コトンとわざとらしく音を立てて、グラスをテーブルに置いた。
「…………」
会話が止まり、気まずい空気が漂う。どうすればこの危機を乗り越えることが出来るか。健人が今までにないほど頭を悩ませている。
健人を助けるために、天が助け舟を出したのか、タイミングよく腰のあたりから振動を感じた。ポケットからスマートフォンを取り出すと、ディスプレイには名波議員の名前が表示されている。
「……電話だ」
これ幸いと、エリーゼの返答を待たずに、電話の通話ボタンを押して耳に当てる。
「清水です。ええ……お久しぶりです――それは私の仕事ではないのでは? 失敗した? ですが……」
最初は営業スマイルを浮かべていた健人だったが、話が進むにつれて、みけんにしわが寄る。その表情からエリーゼは、どうやら深刻な問題が発生したと察し、じっと電話が終わるのを待っている。
「――わかりました。明日、東京に向かいます」
時間にして数分。深いため息とともに通話が終わり、新しい困難へと立ち向かうことが決まった。




