新宿ダンジョン探索
「あれ? ベッドで寝たっけ?」
部屋に差し込む朝日によって目を覚ました健人は、体を起こして周囲を見渡す。広い部屋には、新宿の街並みが一望できる窓があり、朝日が差し込んでいた。着ている服は昨日と同じものだ。特に体に異変も感じない。記憶はないが、自分で部屋まで移動したのだろうと、健人はそこで考えることをやめた。
一通り状況の確認が終わると、酒臭い体をきれいにするため立ち上がり、キャリーバッグから着替えを取り出すと、シャワールームにまで移動する。
数分で全身を洗い終わった健人は、いつも以上に気合いの入った表情をしていた。
「あら。もう起きたの?」
髪の毛を濡らしたままシャワールームを出ると、黒いロングTシャツにジーンズを着たエリーゼが、名波議員と話し合いをしたソファーに座っていた。テーブルにはコーヒーの入ったマグカップが置かれており、しばらく前からいたようだった。
「寝ていられるほど、余裕のある状況じゃないからね」
話しながら歩き、当然のようにエリーゼの隣に座る。
「そうね。さっき鈴木さんから豊田さんが所属していたパーティの同行許可が下りたと言っていたわ。1時間後に迎えに来るらしいわよ」
「そっか……じゃあ迎えが来る前に、ダンジョン探索士に討伐参加の依頼をしてから、新宿ダンジョンに向かおう。見学をさくっと終わらせてからエリーゼが取材を受けて、そのままゴーレム島に直行だね」
昨日の話を思い出しながら、本日の予定を口にする。
「予定が詰まっていて、休む暇すらなさそうね。東京を観光したいとおもっていたから、少し残念だわ」
エリーゼは、1時間でもいいから東京を自由に散策する時間はあるだろうと考えていた。実際、新宿ダンジョンや取材などがなければ数時間程度の観光はできただろう。私情をはさむ余裕はないと理解しながらも、名波議員を恨まずにはいられなかった。
「シェイプシフターの討伐が終わったら、長期休暇をとって東京で遊ぼう」
「いいわね! 楽しみが増えたわ!」
健人との旅行に胸を躍らせたエリーゼは、体の中からやる気が満ち溢れてくるのを感じる。現金なもので、観光できることが決まると名波議員への気持ちも霧散していた。
「そうと決まれば、早速朝食を頼もうか」
東京に来た時と比べて、ストレスが減り表情が明るくなり食欲が出てきた健人は、ルームサービスを使い朝食を頼む。
運ばれてきたパン、オムレツ、スープといった朝食を食べ終わったころに、携帯電話がブルブルと震える。
「ええ。それでは10分後に来てください」
「誰から?」
「護衛の鈴木さんからだよ。10分後に迎えに来るって」
エリーゼとの穏やかな朝が終わり、あわただしい1日が始まる。すでにダンジョン探索用の準備を終えていた2人は、迎えが来るとすぐさま車に乗り込み、新宿ダンジョンへと向かって車が走り出した。
健人は、新宿ダンジョンの運営方法を参考にして、ゴーレムダンジョンを運営している。運転免許のように個人ごとに発行するセキュリティカード、魔石の換金、探索記録など基本的な仕組みは全く同じだ。
そのため、新宿ダンジョンの運営を視察しても、あまり意味はない。もちろんオペレーションレベルであれば参考になるかもしれないが、新宿ダンジョンも運営し始めたばかりで、健人が見た限りゴーレムダンジョンと大きな差はなかった。
だが、健人個人だけで見れば、新宿ダンジョンにまで足を延ばしたのはムダではない。ゴーレムダンジョンとは異なるタイプのダンジョンの探索。そして魔物との戦闘経験は必ずプラスとなる。
「ここが、新宿ダンジョンへ向かうための入り口です」
先頭を歩いていた鈴木が向かったのは、少し前まで新宿駅の改札へとつながる地下通路の入り口だった。
階段を降る途中に、防壁のような、しっかりとした鉄製の壁が目の前に出現する。新宿駅周辺は全てダンジョン特区のエリアに含まれており、特にダンジョンから魔物が出てこないようにと、地下に続く階段には全て防壁のような壁が設置されていた。
「下に降りるので付いてきてください」
護衛の鈴木が胸元のポケットからダンジョン探索士の免許を取り出し、近くにいる男性に見せると、防壁が開き中に入ることができた。
「ゴーストタウンみたいですね」
階段を下りて地下通路を歩く健人が抱いた印象だった。
ダンジョンが出現する前の新宿の地下通路には、数多くのショップがあり、行きかう人も多かった。だが今は、全てのショップはシャッターで閉まっている。さらに他のダンジョン探索士よりも早くダンジョンに入ったため、周囲には健人達しかいない。
「ダンジョンの出現により人が住めなくなる。まさにその通りですね。ですが、そのうち人は戻ってくる予定です」
新宿ダンジョンが出現して約1年。様々な準備が終わり、ダンジョン探索士向けのショップ、宿泊施設などが作られる予定だった。現在は人がいないこの場所も、少しは活気が戻るだろう。
「その時になったら、また来てみたいですね」
話ながらも無人の通路を歩いていると、壁にぽっかりと空いた穴をふさぐように取り付けられた鉄製のドアの前にまでたどり着く。そこには、ドアを守るように2人の警備服を着た人間が立っていた。
「このドアを開けるとすぐに草原があります。魔物がいる可能性もあるので十分に気を付けてください」
警備の2人に会釈をしてから、事前に用意していたセキュリティカードをかざしてドアを開けると、健人とエリーゼを案内するように先頭に立って、新宿ダンジョンの中に入る。護衛の鈴木と田尻はダンジョン探索士であり、ダンジョン内も案内する予定だった。
すでに弓を片手に持っていたエリーゼは、一瞬、健人の方を見てからドアを潜り抜ける。
「緊張しても仕方がないし、俺も入りますか」
最後に残された健人は、移動の邪魔になるため大剣は手元になく素手だった。手に何も持っていない不安を振り払って、覚悟を決めてエリーゼを追って中に入る。
「何度来ても不思議な光景だ」
大都市には不釣り合いな、草木の青臭い匂いを風が運んでくる。空には、別世界の様に太陽に似た光があり、目の前には草原が広がっている。魔物だけしか存在しないが、独自の生態系をもった隔離された別世界。それが新宿ダンジョンだった。
「典型的な自然系のダンジョンね」
いつの間にか隣に立っていたエリーゼがつぶやく。
「気付いていると思いますが、草原内にある土がむき出しになった場所が道です。途中で何度も分岐しますが、正解の道を歩いていくと地下に続く階段に到着します」
説明されてようやく、健人は道の存在に気付く。視線を遠くに向けるとダンジョンに入ってきた生物を導くように、不自然な道が続き、奥にある森の中にまで続いていた。
「今日は少し森に入って、ゴブリンと戦闘したら帰りましょう」
全員が無言でうなずくと、森に向って歩き出す。身体能力を向上させて移動したため、十数分という短い時間で到着した。
森の中に入った健人の感想は「不気味な森」だった。目に入った幼樹は光を浴びて元気に成長し、一見普通の森のように見えるが、奥に進むにつれてさらに不自然な部分が見えてくる。外にある森とは違い、鳥の鳴き声は聞こえず虫すら存在しない。木々も目を凝らしてみると作り物の様に感じられる。見た目とは違い、生命の息吹が感じられない場所だった。
そんな不自然な森を観察していると、静寂を破るように前方から、草を踏みしめる音が聞こえる。
「どうやらゴブリンが近づいているようですね。どうします?」
先頭を歩いていた鈴木は無言で前を見つめ、その後ろにいた田尻が振り返り質問をする。
「音からして2~3匹だと思うし、健人にお願いしてもいいかしら?」
返答の代わりに、すぐさま両手を前に出す。魔法を出す合図を出した健人を見て、前にいた鈴木と田尻は左右に分かれて道を開けると同時に、腕の周囲に氷槍が3本創られた。
「打ち漏らしたらフォローお願いできる?」
「もちろんよ」
最後尾にいたエリーゼは、健人に言われる前から弓を構えていた。
迎撃態勢が整ってから数秒すると前方のから勢いよくゴブリンが2匹、木々から飛び出し、道に出てくる。片手に木の棒と腰みのだけを身に着けた原始人のような姿だった。
すでに獲物がいることに気付いていたのか、2匹のゴブリンは、迷うことなく健人達の方に向って走り出す。
どのような行動をするのか興味深く観察していた健人だったが、無策に突っ込んでくるゴブリンを見ると興味を失い、準備していた氷槍を射出する。回避を試みようと横に動こうとしたゴブリンだったが、魔法の動きの方が早かった。
「「ゴギャ!!」」
頭を貫かれたゴブリンは、同時に短い泣き声を上げると倒れ、黒い気に包まれる。
「やっぱり雑魚ね。ダンジョンの中も、特別おかしいところはないわ」
消えゆくゴブリンを見つめながらエリーゼがつぶやく。
「ここまでで十分よ。そろそろ戻りましょ」
本格的な探索ができるのであれば話は別だが、今回は軽く視察するだけだ。エリーゼの知識との差異がないことが確認できただけで十分意味があり、これ以上時間をかける必要はなかった。
「分かりました。それでは、魔石を拾ってから戻りましょうか」
鈴木と田尻が地面に転がる小さな魔石を拾い上げると、来た道を戻り1度戦闘をするだけで新宿ダンジョンを出ることとなった。