戦いの前に
疲労困憊。
コテージに戻った2人は、そう表現するのが適切なほど肉体的、精神的に疲れ果て、ダイニングにある長いテーブルに突っ伏していた。
先ほどの騒ぎが嘘のように、お互いの息使いしか聞こえない静かな空間。動かずに休んでいると、忘れていたノドの渇きを体が訴え始めたので、残った力を振り絞って健人は立ち上がった。
「飲み物をとってくる」
ゾンビのようにフラフラと歩く健人は、冷蔵庫から500mlの水のペットボトルを2つ取り出すとすぐに戻り、片方をエリーゼに渡してから、ふたを開けて一気に水をのどに流し込む。
飲み込んだ瞬間、水が細胞1つ1つにしみこむような錯覚を覚え、生き返るような気持ちになる。健人は、先ほどの探索で消耗した体力が少し戻ってきたように感じていた。
正面で疲れ切った様子で座っていたエリーゼも、水を飲んでから心なしか笑顔を取り戻した。
お互いに十分休めたことを確認すると、ゴーレムダンジョンの入り口でつぶやいていたエリーゼの発言について質問をした。
「ゴーレムダンジョンにいたフロアボス……名前がないと不便だな……仮にアイアンドールと名付けるけど、確かにアイツはヤバい気がする。でも、絶対に倒さなければいけない魔物? 地下を目指すのを諦めたら倒す必要ないんじゃない?」
エリーゼは、首を横に振ることで健人の発言を否定する。
「フロアボスは基本的に部屋から出てまで、侵入者を追いかけることはしないと言われている。でも、アイツはゴーレムダンジョンの出口近くまで追いかけてきた。それもごく自然に。それに部屋を出てから魔物が大量に出現していたし、もしかしたら……1階の魔物の出現や行動を、ある程度コントロールできる可能性だってある」
一呼吸置いてから、エリーゼは自身が出した結論を健人に伝えた。
「実は、その気になればいつでも外に出れるんじゃない? 大量の魔物を引き連れたアイアンドールが、ゴーレムダンジョンの外にいつ出てきてもおかしくない……私は、そんな風に考えている」
健人は、アイアンドールに支配される無人島といった、最悪の事態を想像した。
「そうなったらこの島は……」
魔物に支配された無人島。その姿に思わずゴクリとのどを鳴らした。
「そうね……物量で私たちを押しつぶした後は、支配者として君臨して、無人島の資源を使って数を増やし続けるでしょうね。幸いなことに、海を渡ることはできないから本島にまでドール達が出ることはないと思うけど……飢えず、休息が不要で、増え続ける。そんな魔物がひしめく無人島で、私たちが生き残る方法はないわ。生き残りたいのであれば、先手を打つしかない。ヤラれる前にヤレってね」
逃げ道のない無人島で、不眠不休で活動する魔物から身を守るすべはない。1日2日であれば可能かもしれないが、時間が経過するにつれて生存率は間違いなく下がっていくだろう。
秘密の多い無人島に外部から助けを求めるわけにもいかないこの状態は、援軍の来ない籠城戦に似ている。違う点と言えば、魔物は降伏など受け入れずに、殺戮の限りを尽くすということだろう。
魔物が襲ってくるかどうかわからない。確証はなく、通常より襲ってくる可能性は高い程度だ。だが、襲われたら逃げ道もなく、魔物に殺されるだけの運命が待ち受けている。
エリーゼの説明を受けて、健人もようやく現状を正しく認識することができた。
「参考事例なんてないし、ゴーレムダンジョンから出て来ますか? と、魔物本人に聞くことはできない。だが、大丈夫だろうと思っていたらある日突然、魔物に襲われて居場所はなくなっている……確かに、ヤラれる前にヤレったほうがいいと思う。でも、それは勝算があったらだけど。エリーゼは勝算あると思ってる?」
ダンジョンを攻略した実績のあるエリーゼであれば、アイアンドールを倒すアイデアがあると思い、彼女に意見を求めた。
「あるわ」
健人の期待に答えるように、自信に満ちた顔で力強く頷いた。
「実は過去に何度かアイアンドールに似たような魔物は倒したことがあるよ。基本的な戦法は、前衛が引きつけている間に、強力な魔法の矢を創り出して放つ。単純だけど、効果的な戦法よ。それで使う魔法だけど……初探索の時にウッドドールを燃やした火の矢があったことを覚えてる?」
「ああ。この世に誕生した瞬間に燃え上がり、消滅した可哀想なウッドドールならよく覚えている」
ウッドドールが消滅した場面を思い出しているのか、健人は目を閉じ、腕を組んで頷いていた。
「ちょっと! 表現に悪意がこもってない?!」
「ご、ごめん! 本当にごめん! 何も考えずに言っただけなんだ!」
半目で睨んでいるエリーゼに気がついた健人は、慌てて立ち上がり身振り手振りで、他意がないことを伝えようとしているが、慌てれば慌てるほど先ほどの発言に裏があるのではないかと思えてしまい、エリーゼの目つきはさらに鋭くなっていた。
今までだと、このまま健人への追求が始まるところだったが、今はアイアンドールの脅威に備えるのが先だ。そう判断したエリーゼは、大きく息を吐いてから本題に戻ることにした。
「何も考えずにって……まぁ、いいわ。話を戻すけど、魔力を込めれば鉄さえ溶かすほど強力な火の矢を作ることができるんだけど、あいつを倒す矢を作るのには5分はかかると思う。その間、健人は注意を引き付けておいてほしいんだけど……」
健人の魔法でも似たような攻撃は可能だが、エリーゼが5分かけて作る魔法を放つとなると、2倍以上の時間が必要だろう。数秒遅れただけで命取りになる戦闘で、それは無謀だ。
お互いにそのことは理解していたので、特に問題なく会話は進む。
「ああ、任せてくれ! 5分間はなんとか時間を稼いでみる。それに俺の方でも、あいつを倒せる便利な道具が手に入らないか、伝手を使って探してみる」
「……大丈夫なの……?」
経験の浅い健人に頼るしかない自分への不甲斐なさと健人のアイデアに対する不安、あっさりと受け入れてくれた安心感。エリーゼは、今までに感じたことのない複雑な感情を抱いていた。
「あぁ。一応、考えはある。確かに失敗続きだったし自信はないけど、あいつの注意をひくためにも魔法以外の選択肢はあった方がいいと思う」
「……健人がそういうのであれば、任せたわ」
今までの経験から、健人が新しく試す道具に不安しかないエリーゼだが、危険な前衛を担当してもらう引け目もあり、素直に従うことにした。
「おう。さっそく明日本島に向かって準備してくる」
「それなら私は、ゴーレムダンジョンの入り口を、念のため見張っておくわ」
さすがに今晩はコテージで寝る気にはならず、2人ともクルーザーで夜を明かすと、道具を購入するために健人は本島に向かい、エリーゼはゴーレムダンジョンの監視と入り口付近の調査に向かった。
◆◆◆
準備を始めてから3日が経ち、アイアンドールの退治が明日へと迫った夜。健人とエリーゼは、マグカップに入ったホットレモンティを楽しみながら、ダイニングで静かな夜を迎えていた。
「準備は整ったみたいね」
つい数時間前まで慌ただしく活動していた健人だが、金に糸目をつけず走り回った結果、目的であった大型の専用容器に入った液体窒素を手に入れていた。
今はゴーレムダンジョン前にあるテントに入れてあり、エリーゼには液体窒素の効果や的に使うまでの段取りは伝えているので、あとは明日が来るのを待つだけの状態だった。
「一応ね。本当に効果があるのか不安だけど、こればっかりはやって見ないとわからない。ウジウジしてても意味がないし、アイアンドールを倒すことだけ考えるよ。それより、ゴーレムダンジョンの方はどうだった?」
「外はいつも通りだったけど中には魔物がいたわ。恐らく、この前逃げ出した時に出現したヤツだと思う……」
一度出現した魔物は、自然消滅しない。
消えるときは、誰かに倒されたときだ。この無人島で魔物を倒せる生物は健人達だけであり、ゴーレムダンジョンに魔物がいるのは、エリーゼの予想した範囲内であった。
だが、予想の範囲内だからといって問題がないとはいえない。
5mもあるアイアンドールを倒すためにはエリーゼの魔法が必須だが、高出力の魔法を放つためには時間が必要であり、ウッドドールはその邪魔をする可能性が高かった。
「アイアンドールと戦う前に、倒しておかないとマズイな」
「ええ……」
取り巻きを先に倒す。この結論にたどり着くのも当然だろう。
エリーゼも同じ結論を出していると思い話かけた健人だったが「とりあえず返事をした」といった彼女の態度に疑問を抱いたため、念のためもう一度確認をすることにした。
「明日は、ウッドドールの数を減らしてから、アイアンドールを倒す流れで問題ない?」
「ええ……」
「明日は晴れると良いな」
「ええ……」
質問に返事はするものの、何か他のことを考えているのか、内容を理解せず、壊れたロボットのように同じような言葉を繰り返すエリーゼ。
何か悩みを抱えていると感じた健人は、会話を中断して話を聞くことに決めた。
「エリーゼどうした? さっきから歯切れが悪いというか……気になることでもある? もしあるなら、遠慮なく言って欲しい」
健人の言葉を聞いたエリーゼは、ビクッと一瞬動いてから体を硬直させたかと思うと、言いにくい話を切り出そうとしているのか、口を開いては閉じる行為を何度も繰り返してしていた。
エリーゼは、怒られるのが分かっていながらもミスを報告しなければいけない新入社員のように無かったことにしようとも思っていたが、健人が心配そうにエリーゼの顔をのぞく姿を見て、衝動に突き動かされるように悩みを打ち明けることに決めた。
「……このことを話すか悩んでいたんだけれども……聞いてくれる? 私はまだここに住む必要があるから、戦うしかないんだけど、健人は違う。あなたは、戦わずに本島に戻る選択肢だってあるはずよ? 私に付き合う必要はない。悪いことは言わないから、この無人島から離れなさい」
口に出してしまえば、ためらっていたのが嘘だったかのように詰まることなく、ずっと気にしていたことを伝えることができた。
先ほど口に出した言葉は紛れもなくエリーゼの本心だが、それと同時に「それでも残ると言って欲しい」と、神様に祈るような気持ちでもいた。
不安な表情をしたエリーゼが、健人の顔を見つめている。
「普通に考えれば、無人島から離れるべきなんだろう。でも、この前話した通り、生徒との事件が原因で親しい人との関係はすべて途絶えているんだ。まだ、これだけならまだ何とかなったかもしれないけど、実名報道したニュースを面白おかしくまとめたサイトがいくつもあってね……俺の名前で検索すれば、そのまとめサイトをすぐに見つけることができるんだよ」
「でも、その事件は無実ってことで決着がついたんでしょ?」
「あぁ。でも、残念なことに無実だったことは報道されなかった。関係者を除く第三者にとって、俺は今でも<生徒に手を出した元教師>ってことになっている」
個人にとっては大きな出来事だが、世間から見れば「またか」と思われるほどありふれた事件であり、そんな事件を最後まで追う人は少ない。さらに「実はこの人は無実でした」と宣伝してくれる人など、運に恵まれない限りありえないだろう。
「そんなことってありなの?」
エリーゼはキレイな顔にシワをつくり、嫌悪感を隠すことができないでいた。
「好きか嫌いかは別として、人は他人の不幸に興味をもってしまうものだし、そしてすぐに忘れてしまう。それに、人の不幸でお金を稼ぐの行為は、日常的に行われていることだよ」
「そんなことって!」
「エリーゼ落ち着いて!」
エリーゼの怒りのポルテージが徐々に上がっていることを察していた健人は、エリーゼの言葉をさえぎって話をつづけた。
「怒ってもらえるのはうれしいけど、インターネットが普及した今では、残念ながらそんな珍しい話ではないよ。それに結果的には感謝してるんだ」
「感謝? 人の不幸が好きな人間に?」
「あぁ。職を追われたおかげで宝くじには当たったし、無人島やクルーザーといった小金持ち程度じゃ手に入れられない贅沢をしている。なにより……エリーゼに出会えた幸運に比べれば、俺の不幸なんて無いも同然だよ」
男らしくはっきりと伝えた健人だが、その代償は高くつき、恥ずかしさのあまり顔を赤くして汗をかいていた。
普段であれば、そのことをからかっていたかもしれないが、エリーゼも健人の言葉は効果てきめんだったようで、先ほどとは違う意味で口をパクパクと魚のように開閉させながら声を出せずに顔を赤くしていた。
ずっと恥ずかしがるわけにもいかず「ゴホン」とわざとらしく咳払いをして気を取り直すと、先ほどの質問に答えた。
「最初の話に戻るけど、仮に本島に戻って生活したとしても、実名で検索されることを考えると戻る気が起きない。それに俺はこの無人島に来たときに、ここで生きてそして死ぬ。そう、決めてたんだ。だから、この島を乗っ取ろうとする魔物と戦う覚悟はできている」
「……私と一緒にいてくれて……ありがとう……」
1人で戦うかもしれない不安から解放されたエリーゼは、涙を流しながらもなんとか礼だけは口にすることができた。
「お礼を言われることじゃないよ。2人とも自分のために戦うだけだろ? 俺にとっては最後に残った安住の地。エリーゼにとってはセーフティエリアとして必要な場所。無人島は、俺たちにとってなくてはならないものだ。2人で一緒に戦って、そして勝ち残ろう」
「明日は絶対に勝ちましょう。それも完璧な形でね」
ダンジョンの出現にともなう魔物の脅威。これらすべては、エリーゼが来なければ発生しなかったかもしれない。むろん、健人もそのことについて考えたこともあった。だが、それは無意味な想像と切って捨てていた。
現代日本の社会から追放された健人と、長い旅の末に落ちつける場所を見つけたエリーゼ。全てを失ってからようやく手に入れた2人だけの居場所を、無人島での生活を守りたい気持ちは同じだった。