オーガ探索
朝になると健人は、フローリングの堅い床の上に敷いた寝袋から抜けだし、窓を開けて新鮮な空気を取り込む。そのついでに窓から外を眺めた。
夜にBGMとして降り注いでいた雨は止んでいる。曇り空ではあるが天気は崩れるようには見えない。今日から探索できそうだと安堵するが、地面がぬかるんでいることに気づいて顔をしかめた。昨日まで残っていたはずの足跡が消えていると、予想できたからだ。
また面倒くさいことになった。そんなことを考えながら窓を離れると、リュックに入っていたレーションを胃袋に入れて、水を流し込む。ちらりと、エリーゼの姿を見ると健人と同じように朝食を数分で終わらせていた。
「準備は?」
「オーケーよ。最低限の食料と水を持って行くわよ」
「夜は戻ってくるってことだよね?」
「もちろん。この場所は有効活用しましょ」
プロテクターを身につけた健人は、腰に剣をつけて背中にリュックを背負い、同じような格好をしたエリーゼは手に弓を持って売店から出て行く。
樹海に入ると散策コースを歩いて探索を中断した地点まで移動する。舗装された道を歩いただけなので、昨日引き返した地点まで三十分程度で到着した。
エリーゼは健人をその場に残すと、道から外れると草をかき分けて樹海の奥へと進んでいく。
「コンディションは最悪に近いわね」
ぬかるんだ地面が足に負担をかけて、雨水が付着した草がズボンにまとわりついて濡らし、不快感を固めていく。地面に残っていたはずの痕跡はキレイに流されていた。
エリーゼは大きな溜め息をついて気持ちを切り替えると、リュックから赤い布を取り出して、目の前にそびえ立つ木に巻き付けた。さらに蛍光塗料で矢印を描き足す。機材が不足している今、道に迷わないようにエリーゼが工夫した目印だ。
これから何度も往復することを考えると、迷わずに進める布の存在は二人にとってここ強い存在である。
「奥に行きましょ!」
振り返って健人を呼び寄せると、一定の間隔で目印をつけながらも樹海の探索を続ける。周囲を調査しながら、さらに目印をつけて歩いているので、その進みは遅いが、必要なことだと割り切って作業を進めていた。
「何だか懐かしいわね」
健人が目印をつけている間、周囲を警戒していたエリーゼがつぶやいた。
「故郷を思い出す?」
「うーん。どうかしら? 私が生まれたところは、もっと危険な場所だったからこんな風にしゃべっている余裕はなかったの。それに生えている植物だってもっと物騒だった。でも言われてみれば、共通点は見当たらないのに似ているって感じるわね」
なぜかエリーゼは昔に住んでいた森林を思い出していた。最初はその事実に対して深く考えることをしなかったが、健人に説明しているうちに心の中に違和感が芽生え、その原因をさぐる。
「うーん。何でかしらね」
ポンポンと顎に指を当てながら、健人を見る。彼がいることで懐かしさを感じることはない。次に木々を見る。アマゾンの熱帯雨林の方が似ているのでこれも違う。生き物が豊富だった故郷と比べて、動物を見かけないのでこれも違う。と、思ったところで違和感が形になる。
「動物がいない?」
「そういえば静かだね」
違和感の正体は強力な魔物に怯えて動物が存在しない静寂した状態だった。
このような場合はすぐに逃げろと教え込まれていたエリーゼは、脳内に危険信号が鳴り響き、背中から冷や汗が伝い落ちたような気がした。
「警戒度を上げるわよ。もしかしたら近くにいるかもしれないわ」
「分かった」
シャランと音をたてながら、健人は鞘から剣を抜いた。不意を打たれてもすぐに行動できるように、重心を低くしながら移動を再開する。
足音を立てないようにゆっくりと歩いているため、進みは遅い。だがそのようにして慎重に周囲を調べていたからこそ、エリーゼは生物の死骸を見つけることが出来た。
エリーゼは手を上げて健人を停止させると、一人で死骸の近くに寄る。
それは体が食いちぎられた鳥の死体だった。
頭部は生前の姿を残しているが、体は羽がむしり取られ、内臓は空っぽだ。肉もほとんどなく骨が目立つ。自然死したというよりかは、誰かに殺され、一部を食べられたように見える。
「まだ腐ってない。血は雨で洗い流されて、残された肉はしっかりと濡れているわね。周囲に足跡は……残っていない。遅くて二、三日前、もしかしたら昨日の夕方ぐらいに居たかもしれないわ。森が静かなのも、ここで食事をしていたから?」
死骸や周囲の状況をエリーゼが観察した結果だった。
ここからどこに立ち去ったのかは分からない。だが近づいているという確認を得られる物証を見つけ僅かに心に余裕が出来た。
「野鳥が食べられたのは間違いなさそうよ。行き先は不明だけど、もう少し奥の方に行ってみましょ」
健人の所にまで戻ったエリーゼが提案すると、二人は探索を続けるが、それ以上、新しい発見はない。相変わらず森は静かなままだが、目的のオーガとも遭遇できずに一日が過ぎてしまった。
翌日も樹海に入ると目印までは急いで進み、その後は慎重に周囲を探索する。時折、枝が折れた木などは見つかるが、オーガの姿は一向に見つからない。粘り強く何度も探索を続けると、四日目の夕方頃にブロック塀に囲まれた小さな庭と赤瓦を乗せて至る所に蔦が絡みついた洋館を発見した。
「あえて聞くけど、樹海って人が住む場所じゃないわよね?」
「うん」
「そうよね。じゃぁ、あれはダンジョンで間違いなさそうだわ」
「え!? 建物がダンジョン?」
「ダンジョンの入り口は洞窟がメジャーだけど、建物や特定の空間そのものだったりする場合のもあるのよ。空間がねじ曲げられているのか、見た目以上に広いから要注意よ」
館のような二階建ての建物だが、中に入れば三階、四階と続く階段があり見た目とサイズが一致しない。あくまで洋館はダンジョンの入り口でしかないので、ダンジョンは外見に縛られることはないのだ。
「ダンジョンか。探索してみたいけど、どうしようか?」
「悩ましいわね」
古びた洋館のダンジョン。エリーゼは今までの経験から、ゴーストやゴーレム騎士といった、アンデッド系の魔物が出現すると予想していた。ダンジョンから魔物が出てきたのであれば、同系統の魔物が目撃されるべきであるのだが、報告に上がっていたのはオーガだ。間違ってもアンデッドではない。
もしこことは別の場所にダンジョンが発生して、オーガが外に出たのであれば、この狭い地域に二つのダンジョンが存在することになり、ジャングルの時のように危険度は跳ね上がる。
だが見た目とは合わない魔物が出現するダンジョンもあるので、目の前のダンジョンを調べるまでは確定しない。樹海に二つダンジョンが発生したのか知りたいのであれば、中に入って、魔物の種類を確認する必要があるのだ。
「時間も遅い。それに探索用の準備も不足しているわ。明日にしましょ」
武具は問題ない。だが食料や水、明かりなどダンジョン探索に必要な道具が不足していたのだ。魔物と戦うにはダンジョンの奥に進む必要があり、準備は万全にしておきたかった。
「迷わず進めば昼前には着きそうだし、俺も賛成」
二人は洋館の周囲を調査しながら目印をつけると、拠点として利用している売店へと戻り、明日への準備をすることに決めた。
翌日すぐにでも探索できると思われていたダンジョンだったが、思惑通りにはいかない。健人らが再びこの地に訪れるのは、ずいぶんと先になってしまうのだった。