騎士と乙女と甘いお菓子
とろりとした糖蜜を生地に馴染ませるようにしながら混ぜ込むと、ジェスは木べらを持つ手を一旦止めた。
あとは生地を型に流し込んで、黄金色に焼き上げるだけ。
とても甘い生地の表面に、少し焦げるまで煮詰めた、ほろ苦い飴で作った結晶を散りばめたら、少しは食べ易くなるかしら…?
「どうしたの? お菓子を作っている最中に溜息なんて」
ケイトに指摘されてジェスははっとする。
「あの…甘すぎるかな、と思って…」
「変なこと言うのね。お菓子は甘いものでしょう? 特に糖蜜を使うケーキは」
「甘い物が苦手な人にも食べやすいお菓子を作ってみようと思っているの」
「でも、クレイは今度いつ来るか分からないでしょ?」
サラの婚約者であるワイルダー公国の皇子は甘い物をあまり食べない。いつも殆ど手を付けずに残されてしまう…と、国王夫妻が絶賛する菓子の作り手であるジェスとすっかり親しくなった城付きの料理長がそうジェスにこぼしている姿を何度か目撃したことのあるケイトは、心優しい妹の負担を少しでも軽くしようとそう言った。
「クレイの為じゃなくて…」
じゃあサラかエリーに頼まれたの? そう言いかけて、ケイトは「甘い物が苦手な」もう一人に思い至った。
クレイがサラの護衛の為にと残していったワイルダー公国の騎士団員に、一人、そんな人がいたような…。
その顔を思い出そうとしても、どうもよく思い出せない。
二手に分かれてハーヴィス王城に向かった時の、どちらの隊だったかの記憶も既に曖昧だ。
「甘い物が苦手な人って、他の国には結構いるのかしら?」
あくまでも世間話のように話を続けながら、ケイトはジェスの反応を見る。
「ワイルダー公国も、ハーヴィス王国も…これから国交を深めていく上で、相手側の嗜好に合わせていかなくてはならない場面が増えていくのは確実でしょうね。クレイ一人の好みについてはサラに任せておけばいいけど、他の重鎮の場合はそうもいかないし…。そうだわ、ジェス。彼に協力してもらったらどうかしら?」
「か…彼って?」
ジェスの声が明らかに裏返ったけれども、ケイトは真面目くさった表情を崩さない。
「確か騎士団の中に一人、クレイと同じで甘い物が苦手な人がいたわよね? 私、国王陛下から相談を受けてるのよねぇ…。なるべく和やかに外交を進める為に何かいい考えは無いか、って。美味しいお茶菓子があれば、難しい話も少しは和やかに進むんじゃないかしら、って思うんだけど…?」
「どうですか?」
「美味しいですよ」
「そうではなく…。もっと砂糖が少ない方が良い、とか…」
「ですが、もともとこういうものなのでしょう?」
そう言われて、ジェスはぐっと詰まる。
彼の言う通りだ。甘くて美味しいものから甘さを無くしてしまった時、美味しさは何処に行ってしまうのだろう?
村一番の菓子の作り手と言われ続け、国王夫妻に少し褒めそやされたくらいで思い上がっていたのかも知れない。
甘い物が苦手な人に、お菓子の味見をさせるなんて。
「あの…無理をさせてしまってごめんなさい」
「え」
ばつの悪そうなジェスを見て、彼、アイクは驚いた。
「甘い物が苦手な人にも食べて頂けるようなお菓子を、なんて勝手なことを思って…。苦手な人にとっては迷惑な話ですよね。代わりに果物や木の実を用意した方がずっと良いもの。あ、お口直しにお茶は如何ですか?」
今にも泣き出したい気持ちを押し殺して笑顔で茶を勧めるジェスを、アイクは真面目な瞳で見つめ返す。
「…お茶はいただきますが、口直しに、などと思っているわけではありません。僕は無理などしていませんし、あなたから差し入れをいただいて迷惑だなどと思ったこともありません。恥ずかしい話ですが、今まで菓子を食べた事がなかったので食べ慣れていないだけで…あまり気のきいた事は言えませんが…その…あなたの作る菓子は美味いと思います」
「久し振りにあの菓子が食べたいな…」
愛しい妻が幼子の為に甲斐甲斐しく世話を焼く姿を見つめながら、クレイはふと呟く。
赤ん坊が産まれてからサラはとにかく忙しく、クレイもその上を行く忙しさだったので夫婦でゆっくり語り合う事はおろか、一緒に食事を摂る事すらままならない。
こうしてぼんやりと同じ空間でひとときを過ごせる事すら珍しいのに、一緒にお茶を飲む事など夢のまた夢だ。
「お茶を淹れてきましょうか?」
呟きに対する思わぬ返答に、クレイは驚いた。
「菓子があるのか?」
「一緒に食べる事は出来ないけど、せめてお茶くらいは一緒に飲みたいと思って作ってみたの」
お互いの心が通じていた事に、クレイは嬉しさを隠し切れずに笑みをこぼす。
クレイが幼い皇子の相手をしながら待っていると、ほどなくサラが二人分のお茶と菓子皿一枚を持って戻って来た。
「召し上がれ」
クレイは差し出された皿にいそいそと取りかかる。
酒をたっぷり含んだ干し果物と香ばしい木の実がぎっしり詰まったケーキは、強い甘さが苦手なクレイにとって木苺のパイの次に食べやすい焼き菓子の一つだった。
焼き過ぎにならないように、しかしほんのり焦がしているお陰で、それほど甘さが気にならないように仕上げてある。
このケーキをジェスがリブシャ王城の料理長に提案してから、リブシャ王城では賓客に必ずと言っていいほど出されるようになり、瞬く間に近隣諸国の王侯貴族に評判の菓子となった。
「ジェスは天才だな。干し果物や木の実なら我が国でも比較的簡単に手に入るし、味も申し分ない。日持ちも良いから無理して一度に食べなくても済むしね。騎士団でも好評だよ」
「干し果物や木の実をお菓子に使っているから、ワイルダー公国の人にも親しみやすいのかしら」
ワイルダー公国の郷土料理をどこか意識した材料に、サラは首を傾げる。
「そうだね。そうかもしれない。酒が駄目な人は敬遠してしまうところが玉に瑕だが」
「お酒を使わなくても作れるのよ。その場合は甘さが強くなるけど…。今度作ってみる?」
「僕はこっちの方がいいな。それに、今度は木苺のパイがいい」
他愛ない会話を続けながら、ささやかな家族団欒を二人は楽しむ。
「ところで、このケーキに名前は付いてるのか?」
ふと尋ねたクレイに、サラは悪戯っぽく笑った。
「特につけてないみたい。だけど料理長はジェスに隠れて『騎士と乙女の初恋』、って呼んでいるそうよ。エリーがジェスの耳に入れるのは時間の問題ね」
バレンタイン時期に因んで、手作りほのぼのネタを…と思って書き始めましたが、思わぬ方向に話が転がってしまいました。
でもハッピーエンドだから、まぁ、いいか?