思い出の歌
気がつくと二回しかエッセイを更新せず、一度は競馬にも参戦せず、馬券は一つもとれず七月が終わっていた。先週なんて、競馬をテレビでやっていることも少なく、なんとなく映像を見られない私としてはテンションが下がってしまった。
珍しく内田博幸騎手と武豊騎手が騎乗停止になっているなと思ったら、武騎手の場合は新馬戦だった。
新馬とはいえ競馬場に来る限りは十分なお稽古をしてやってきているのだろうが、やはりいろいろ逸話はある。コーナーを曲がりきれずポケットに突っ込んでの競争中止だとか、ゲートをでることができなかっただとか。ダイワメジャーがパドックで座り込んでしまったのも新馬戦だったのではないか。
デビューするものたちがいて引退もある。
障害騎手一筋の嘉藤ジョッキーが引退された。申し訳ない、私はよく存じ上げていなかった。五十四歳。騎乗暦は三十年。三十年前といえば、私は馬といえば馬車を引くか動物園にいるものと思っていた頃だろう。競馬の存在すら知らなかった。競馬場の存在も。他の障害主戦のジョッキーたちに囲まれた引退式の笑顔がとても印象的だった。優しい、どこか切ない、まるでサラブレッドのような笑顔だと思った。
ロックドゥカンブも登録を抹消された。期待していた馬だけに残念だ。その他にもたくさんの馬が今週も引退している。ふと思った。函館記念四連覇に挑んだエリモハリアーはどうするのだろう。
四連覇に挑むというだけですごいことだが、どういう馬なのかなと戦績を追って見ると、デビューの時にはすでにセン馬だった。ということは、競走馬としての人生がサラブレッドとしてのすべてとなると、そのときにすでに決まっていたということだ。勝ち味に遅かった彼には無縁ではあったが、クラシックレースにも出られない。ブラッドスポーツである競馬において「血を残す」ことができない彼はひたすら「走ること」に生きていく。次走は新潟記念の予定らしい。ぜひ、G1の舞台で彼を見たい。
今週はなんとなく競馬の雑誌を買った。芹沢騎手の通算六〇〇勝達成や中舘騎手の一万四〇〇〇回騎乗達成の記事の横に塚田騎手の近況の写真があった。脳挫傷で意識不明に陥り、現在は実家に戻っているらしい。車椅子の写真が痛々しかったが、生きていてくれてよかった。これからどんなふうに競馬に携わっていくのだろうか。そういえば、競馬学校に見学に行ったときにも車椅子で校内を移動されている職員さんに出会った。
私は競馬ファンを気取っているけれどまだまだだなと思う。酒のあてにてらてらとしゃべっている程度にはいいけれど、まだまだ行ったことのない競馬場も多い。牧場にも脚を運んだことがない。若手で地方ジョッキーの二世だったりする騎手たちや、白毛のユキチャンは地方競馬の発展にも一役買おうとしている。私なんて実はまだまだ知らないことのほうが多いのだ。
「競馬が好きな人って、本当に好きだよね」
いつのレースがどんなで、自分の応援している馬が誰の騎乗でどういう展開でレースを運んだかをつらつらと話すよね、といわれた。
「その記憶力を他に生かせればいいんですけどね」
と笑って答えたが、無理して覚えているわけじゃないんだよねと思った。無理して勉強しているわけでもない。そう、例えば昔流行った歌を聴くとその頃の自分や好きだった子や、そのせつない感情までも一時間前のことのように思い出せるように、その馬の名前を聞くと、レースの様子やそれと同時にそのレースを見ている自分を思い出す。だから本当は語っている向こうのその脳裏にある場面は競馬だけではなかったりする。それを説明するのはなんだかしゃくだし、恥ずかしかったのではぐらかした。
「来年のダービーはどうですかね」
誰とどこでどんなことを思いながら、何を託してレースを見るのだろうか。そう思いながらいったら
「まだ夏なのに来年のことなんていったら鬼が笑うよ」
といわれてしまった。まぁ、伝わりにくいですかねぇ。