宝塚記念
有馬記念はグランプリと呼ばれ、宝塚記念はサマーグランプリと呼ばれる。どちらもファン投票を行い、その上位に優先出走権が与えられる。しかし秋のG1戦線に向けて休養をとる馬も多く、秋の最終目標とされる有馬記念とはどうしても違いが生まれてくる。また近年では海外 G1への前哨戦としての参加も多い。
ところがこの宝塚記念、まだ連覇した馬どころか、二度優勝した馬は出ていない。
これも二〇〇五年のこと。
いつもはテレビで観戦となるのだが、たまにはパークウインズで見てみようと思い立ち、府中まで繰り出した。天気はよかったように思う。競馬場についてみると、土曜競馬の開催なのではないかと思うほど、たくさんの人がいた。
春競馬はダービーまで、としている競馬ファンも多い。そのため安田記念はクラシックよりも人出が少ないし、宝塚記念となると、先にも書いたように休養馬も多いために時に盛り上がりにかけることがある。なので思った以上の人出であった。
何レースか馬券をちょっとずつ買いながら宝塚記念を待った。私はもともと関西の出身だし、宝塚には高校があるのでこのネーミングだけでもちょっとし思い入れが出てしまう。それに今年はタップダンスシチーの連覇がかかっていて、前哨戦となる金鯱賞で強い勝ち方をしていたので期待が膨らんでいた。
ファンファーレを聞いたのは、西門にちかいスタンドだったと思う。まるで目の前でレースが行われるかのように手拍子が起こった。ぞくっとしたのを覚えている。馬券はなにから買ったのか定かではない。
大外だったタップダンスシチーは、ゲートが開いていつものように前へと行き始めた。画面が十五頭の馬を映し出し、一頭ずつ紹介するアナウンスが流れる。後方グループまで紹介し終わって、画面が先頭に切り替わる。大方の人間がそこにはタップが映し出されるだろうとの予想に反して、押さえ切れなくなったコスモバルクがいた。スタンドから
「ああ、また行ってしまったか」
というような笑いがどっと波のように起こった。
タップダンスシチーはじわりじわりと進出して行った。最終コーナーに差し掛かり、先頭に立った。しかし脚色が鈍い。割れんばかりの声援でアナウンスがまったく聞こえなくなった。赤と青と白の勝負服は馬群に沈んでいく。ゴールを最初に駆け抜けたのはスイープトウショウだった。牝馬の制覇は他にただ一頭だけである。
馬券が絡んでいなかったこともあるけれど、なぜか少し冷静な気分だった。空を見上げて思った。目の前でレースはやっていない。この歓声も声援も本当は届くはずはないのだけれど、この空はつながっている。「聞こえていますか」と問いたくなった。
スイープトウショウは頑固な馬で、よく馬場入りを嫌がる。主戦の池添騎手が、キャンターに入る前に下馬している姿をよく見かける。どこかの記事に
「にんじんをやって食べてくれなかった馬ははじめてだ」
とのコメントを見た。返し馬もまともにできない状態が続く中、よく頑張ったと思う。個人的見解では、関東圏でのレースのときに嫌がるそぶりが多い気がするので、彼女はいわゆる標準語が嫌いなのではないかと推測している。ばりばりの関西人というわけだ。
今年の宝塚記念は私にとって勝負だった。エッセイを書き始めたから振り返ってみてわかったことなのだが、この三年春のG1には参加しているだけとなっている。全く馬券を取っていないのだ。三年連続G1の初日が秋以降に持ち越しはまずいと思い、予想を展開した。もちろんメイショウサムソンは強い。凱旋門への遠征も控え、下手なレースはできないだろう。互角に戦えるとすればと考え、岩田ジョッキーの代役となる三十七歳のルーキー、内田騎手のエイシンデピュティーを選んだ。いつも買っている新聞が対抗に推しているのを知ったのは予想をした後からだったので、これはいけるのではないかと思い、ようやくG1の初日をつけることとなった。
アタマ差で二着に敗れたメイショウサムソンは凱旋門への出走が微妙な状況と伝えられている。道悪の影響もあったし、決して弱い競馬ではなかった。ぜひとも参戦して欲しい。あなたの夢、そして私の夢を乗せて。
この空はフランスにもつながっているのだから。