ダービーの思い出
東京に移り住んでからはや十三年。府中競馬場までは歩いても一時間という場所に住んでいるのに、ダービーの当日に現場にいたのはたった一回だけである。
明日のことなんかも気にせず競馬場にいけたときは、ちょうどディープインパクトが走っていた年なのだが、そのときも前の週のオークスと前日の土曜日には競馬場にいたのに、当日はテレビ画面の前にいた。だって、すごい混みようなのだ。ちびの私には何にも見えなくなってしまう。それは暮れの中山でも証明済みで、そのときは押されて死にそうにもなった。
一度だけいったダービーだが、娘が小さかったので内馬場から観戦することになった。まだそれほど現場で競馬を見るということに慣れていなかった。二〇〇一年のダービーである。君が代をうたったのは西城秀樹さん。真正面から見たスタンドは、ファンファーレと同時にみんなの手拍子で揺れて波のように見え、ものすごく気持ち悪かった。それだけたくさんの人が同じように動いていたのだ。
レースはほとんど覚えていない。ゴール前で一緒にいた馬友が
「角田! 角田!」
と叫んでいた。勝者のターフを帰ってきたジャングルポケットが観客に向かって吼えるようにしていた姿だけが目に焼きついた。ちなみに小学校三年生だった娘はさっぱり覚えていないらしい。
その次に印象に残っているのはやはり〇五年で、あれほど
「ダービーまでに出遅れ癖を直す乗り方をしています」
といっていたシックスセンスが出遅れたのでテレビの前でのけぞっていた。何度も書いているが、ディープのファンではなくてシックスセンスのファンだったので、今度こそ先着してくれるのではないかと期待していたからだ。もちろんこのときも馬券はとったけれど、確かシックスセンスの複勝が一番儲かった気がする。皐月賞の二着馬だったのに、低評価だった。
そして去年。私はウォッカをよく飲むので、知り合いからはウオッカが勝つたびに
「馬券とったでしょ」
といわれていたが、実はウオッカが勝ったレースで馬券は一度もとっていない。いつも二着がないのだ。ダービーもアサクサキングスってだれ? というかんじだった。だが、感動した。ちょっと泣いてしまった。四位騎手とは同じ年で、何かと私の好きな馬に騎乗していることが多い。六十四年ぶりという快挙を目撃したことも、女の子がよく頑張ったというのも胸に来た。
さて、今年は何からいこうかな。変則二冠を目指すディープスカイ。青葉賞で強さを見せたアドマイヤコマンド。皐月賞一番人気のマイネルチャールズ。ダートからの刺客サクセスブロッケン――目移りしてしまう。今のところは中山で参戦の折、叫び間違えたタケミカヅチくんと京都新聞杯の覇者メイショウクオリアくんに注目している。
一国の首相になるよりもダービー馬の馬主になるほうが難しい――この台詞はあまりにも有名だ。馬主でなくとも、ダービーは特別なレース。そこに必ずあるドラマと歴史を見逃す手はない。せっかく全国の競馬ファンがうらやむ立地に住んでいるのだから、今年こそは見に行きたい。