1. 桜の花が舞う-2
決まると思った斬撃を凌がれた事にも驚いたが、一瞬にして覚醒した少女の回復力にも驚かされる。気絶からの復帰は、暫く頭や体が言う事を聞いてくれないのが常だと言うのに。
どれ程警戒してもし足りない。が、先程振るった明鴉を引き戻し、相手に必要以上に警戒されても話が進まない。状況の回収に努めんと、レイロードは未だ構えたままの少女に問い質した。
「どう言う状況か? それはこちらが聞きたい所だな。お前が出てきたリングは何だ」
「さぁ? 造った本人も知らない機能のようでしたから。私には分かりかねますね」
「造った? それは誰だ」
「さぁ? よく知りません」
少女の口から発せられた声は、涼やかながら何処か横柄さが見え隠れする。従って、レイロードの眉間の皺も深まろうと言うもの。
「では、そもそも何をしていた」
「ん? あぁ……いえ、何と言うか……ちょっと世界を救って来ただけですよ?」
「話にならんな」
何かに気が付いたよう素振りを見せた少女だが、一瞬虚空を見上げた後、可愛らしく小首を傾げながら返した答えは、全く以て要領を得なかった。それを意にも介せず、少女は言葉を続ける。
「まぁ、色々ありまして。ところでその物騒な物を納めてくれませんか?」
「断る。先ずはお前がそれを納めろ」
「おや? いいんですか?」
少女のその言葉からは、言わんとする事がまるで要領を得ず、レイロードは眉根を寄せる。まさか無手の方が強い、などと言う事はないだろうと、渋面を更に渋らせた。
「何がだ?」
「私は無手の方が強いですよ?」
「フザケろッ」
どうやらまともに取り合う気は、少女にはないらしい。レイロードには、そうとしか判断出来なかった。
顕装術で強化すると言っても、初動に必要なのは筋力だ。筋力が少ないと初速は遅くなる。近接戦闘に於いて、女性が男性に及ばない最大の理由は、筋力と質量による物だ。少女は奇襲と連撃により、初速の遅さを補っていたように見受けられる。
刀を捨てれば確かに初速は上がるだろうが、音速域に至るのは切っ先付近。得物が短くなれば、最高速度は遅くなる。何より、拳に直接負荷が掛かり、砕けるのがオチだ。
但し、己顕法と鎧が、レイロードに格闘戦を可能とさせた事を鑑みれば、少女が無手術を使える可能性も、示唆はしていた。尤も、レイロードは刀を振るう方が強い。無手の方が強いなど、戯言としか思えなかった。
「もういい。先手はお前が打った。無理にでも大人しくして貰う。腕の1本や2本は覚悟しておけッ」
「ほぅ? 随分と威勢のいい……貴方如きが、果たしてこの私に敵いますかね?」
「ほざけッ、どのお前だッ」
共に、挑発なのか本気でなのか判断し難い台詞を吐いて、剣呑な空気が二人の間を徐々に支配してゆく。
レイロードはアウトスパーダを通常展開。周囲に真鍮色の燐光が溢れ出す。
来るかと目を細めるレイロードを気にも止めず、レイロードの左ショルダーアーマーを一瞥した少女が、奔る閃光の中、悠々と問い掛けてきた。
「ところで……肩に刻まれたXXI……真鍮色のアウトスパーダ……貴方が……レイロード・ピースメイカーですか?」
「それがどうした」
少女がもたらした、またも意図の掴めない問に返し、レイロードは眉間の皺を深める。
「いえ、別に。戦う理由が……そう、理由が、出来てしまっただけですよ」
そして、その答えはやはり、揚々として理解の及ばぬモノだった。
天窮騎士と知って尚、戦う気力が落ちない所か、上がる者が居るとは思ってなどいなかった。余程の馬鹿か、それとも絶対的な自信があるからか。若しくは、世間ではその程度の認識なのか。
少なくとも、全開のレイロード・ピースメイカーの敵ではない。今もアウトスパーダが世界を覆い尽くさんと展開されていく。それを如きと呼んだ。
故に問い掛けたのだった。答えに期待はしていなかったが、展開時間は稼げる。油断はしない。
「"何だ"、お前は……」
「ふむ、何だと言われると中々に難しいですね。私は何なのか……何なんでしょうね……故に、私は"私"になるために、今、此処に居る」
意外にも返って来た答え。それは自身の存在の証明。レイロード自身も覚えがある。嘗て自身を蝕み、時が経つに連れ消えて行ったあの焦燥感。唯々只管に刃を振り続け、身を切り、骨を砕き、それでも何かを求め彷徨っていた若かりしみぎりの……。
子供の戯言と嗤う気にはなれなかった。だが、少女の求めた答えは、それとは違う、そんな違和感もまた、覚えていた。
そしてその時、確かに少女に感じたのだ。落ちてきた少女に感じた感覚。意識を取り戻す前に見えた幻想。触れれば消えてしまいそうな、翳りを秘めた儚い美しさを。
だが、それも直ぐに消える。
「そうですね。では、せめて名乗りましょう。今はこの刀の銘を借りて……」
真鍮の羽刃が照らす中、少女は仄かに微笑むと、ゆるりと構えを解く。左拳を腰に当て、右手に刀を構えると真っ直ぐに突き出し、切っ先を天に向けそれを呼んだ。少女が持つ刀の刃紋に、鍔に、その意匠を象った、イグノーツェから遥か東、和雲に咲く樹木、春を連れ、そして散って行く、儚くも華やかな花の名を。
「"桜花"、と」
告げた少女の、桜花の顔に、不敵な笑みが溢れた。
「そして今、私がこの銘を駆る故に、ならば刃は不要、ですね」
自信に満ち溢れた微笑みのまま、声と供に桜花の手が霞む。澄んだ鍔鳴り一つ響かせて、天を見上げていた筈の刀が、後腰に佩いた鞘に収められていた。その無謀に、レイロードは思わず声を上げる。
「正気か?」
「どうでしょうね。正気にて大業は成らず、ですか」
その問へ、はぐらかすように、されど臆することなく零し、桜花が動いた。左足を踏込み、体を落とし、左腕を突き出し、右腕を大きく引き、弓を引き絞るような構えに微笑みを乗せて。
刹那、レイロードの象圏が、桜花の右拳前面に歪みを捉えた。圧し潰されるような不快感を引き連れて。
桜花の微笑みが、自信に溢れるその姿が、象圏で捉えた感覚が、レイロードに今から繰り出されんとする拳を、全力で避けろと告げていた。
「"閑音"」
静かな、それでいて、隠せぬ程の力強さを秘めた桜花の声。それと共に拳が歪み、霞んだ。
「チィイッ!」
どちらが速かったのか、レイロードは自身の警鐘に従い、全力で大地を蹴っていた。
そして――大気が爆ぜ飛んだ。
埒外の衝撃がおぞましいまでの速さで大気を外へと押し出し、伝達媒体を失わせ、音すら掻き消して薄桜に染まった己顕の花吹雪が咲き乱れる。その一撃で、レイロードの背後に展開していたアウトスパーダの半数が持っていかれた。
「何だッ、このッ、威力はッ!」
想定を遥かに超える速度と威力を叩き出したその攻撃に、レイロードの顔が盛大に歪む。
「手品はタネが分からないから面白い。そうは思いませんか?」
「ハッ、同感だなッ」
軽口を叩きながらも、桜花の拳が再び迫る。それをレイロードは再び全力で避ける。大気が爆ぜ、桜が舞う中、すれ違いざまに羽刃12振りの波状攻撃を繰り出す。が、切り返し、幻影を残して繰り出された桜花の正拳が、裏拳が、肘打ちが、蹴り上げが、尽く羽をもぐ。何故か桜は舞わなかった。その視界の隅で、弾かれた明鴉の1枚1枚が、その刃が、基部が、乾いた音を立てて割れ、10の欠片となり燐光を放つ。
――リビルド――
「臆しましたか?」
「抜かせ……」
桜花の挑発するような軽口に、レイロードは射殺さんばかりに視線を投げ付ける。
とは言え、大太刀は砕かれればそれでお終い。手品のタネが割れるまで、アウトスパーダに頼らざるを得ない。距離が必要だった。
レイロードは後方に跳躍しながら、周囲の明鴉3振りを射出。それを桜花が、大気を砕き桜を舞わせて撃ち落とす。
半ば感嘆しながらも、レイロードはさらに12振りの羽刃を引き寄せる。その所作に合わせるかのように、二人の周囲を真鍮が煌めく。それは、先に弾けた明鴉の欠片。その破片自体を基点として姿を取り戻した、120の羽刃が上げる反撃の狼煙だった。
「何と器用な……」
桜花が目を見開き、呆気に取られたように呟く。桜花の意識がそちらに取られた事を利用し、空中に展開していた明鴉を、フェイント混じりに撃ち出す。さらに補充も同時に行いながら、明鴉の幾百かを複数の群れに纏め上げる。まるで真鍮の蕾のように。
音速の羽刃を桜花が尽く捌き、時折桜が舞っていく。
「器用に躱すものだ……」
その様を眺めながら、レイロードは独りごちる。撃ち出し明鴉は既に1000を超えた。躱された刃は大地に突き刺さり、戦場における墓標の様相を呈している。それに反し、誰一人死者が存在しないのは幸運な事なのだろうか。それとも、未だ戦いの終末を示唆する事がないのであれば、それは不幸な事なのだろうか。そんな想いを抱きながら、レイロードは眼前で織りなされるコントラストを淡々と眺めていた。
真鍮の蕾が芽吹き、閃光が大気を貫く中、新緑に、蒼穹に、黒が舞い、朱が踊り、桜が咲き誇る。
特に黒がよく映える。陽光を受け艶やかに煌く黒髪が。和雲では黒は高級な色として扱われる事が多いらしいが、レイロードには余り理解出来なかった。だが、今、眼前で舞い踊る黒を眺めていると、それが分かる気がした。
「美しいな……」
不機嫌しか写していないような顔から零れ落ちた不釣り合いな言葉。それと共に上空の蕾が花開き、桜に負けずと真鍮の大輪を咲き誇らせる。
真鍮の大輪に合わせ、レイロードが周囲に纏った12の羽刃が、遥か空を目指す翼の如く広げられる。
そして、大気を引き裂き、掻き乱し、削り断ち、12の削刃が獲物を前に咆哮を上げ唸り狂った。
思考を、戦力を、目的を、敵に読ませないための演出。ならば、それは可能な限り大仰で構わない。
「存外デタラメですね、貴方も……」
削刃が生み出した吹き抜ける暴風に長い黒髪を流され、微笑みを浮かべる桜花に一筋の汗が伝った。真鍮の瞳がそれを捉える。
「陽光にでも当てられたか?」
「いえ? 見ての通り快適ですよ?」
視線は逸らさず、桜花が露出部分の方が多い自身の服装を指し示す。それを一瞥し、レイロードは簡素に返した。
「……そのようだ」
「それにしても……少々演出過剰では?」
「過剰な位で丁度いい――」
事の真相を突いてきた桜花を、レイロードは何食わぬ顔で受け流す。しかし、実の所、全てのフェイントを、演出を、それらを一目で看破出来るのであろうか、との疑問が、心中で沸々と湧き出していた。
確認が必要だ。そうでなくては次手に詰まる。少なくとも、桜花の"閑音"は瞬間的な対応には使えない、若しくは十分な威力が出ないのだろう。無論、奥の手としてはあり得るが、そう織り込んでおけば、大太刀も振るえる。
「――そうは思わないか?」
尋ねるレイロードは、両腕を軽く広げ、客人を持て成すが如き所作。戦場には到底不釣り合いな仕草で以って桜花を迎えた。
実にワザとらしく生まれた隙。己顕士が切り返すには十分な時間。それに、桜花が応えた。
「ええ、そうですね」
「ほう? 乗って来るか……」
仕掛けるような言い分を放った桜花に、上空から羽刃を射出。それを桜花が何故かバックステップで躱す。ウィンク一つに、人差し指をチッチッチッと振りながら。そして、宙を舞うその姿が、大気に溶けるように消えて行った。
一拍の静寂。視界、そして象圏からも、桜花がその姿を消した。それ自体は先もあった事、原理など、どうでもよかった。問題は、何時、どこに来るか、それだけだ。レイロードの背には明鴉。なれば、来るとするなら堂々と。
――正面――
そこに、レイロードは拳を撃ち抜かんとする桜花の姿を捉えていた。迎えるは射の構え。そこから繰り出される斬撃は左方から右方へと限られる。筈だった。
逆袈裟――黒閃は対面の桜花、その左肩へと放たれていた。
真伝朔凪派夢想剣・"蛟{みずち}"。抜き切った際に手首を返す事で、自在に軌道を変える虚と実を同時に行う斬撃だ。が、桜花には一切の動揺は見られず、やはり分かっていたかのように、ショートアッパーで黒閃を弾き斬撃を潜る。今度も桜は舞わなかった。
「見えていますよ」
レイロードの所作は流石にワザとらし過ぎたのだろう。これでは単純な読みであるのか、特異な何かであるのか判別が付かない。レイロードは桜花の言葉を受け流し、次いで削刃を振るう。
幾重にも巻き連なる暴風を伴って削刃が吹き荒れる。その最中にあっても桜花の涼し気な表情は崩れない。しかし見た。桜花が手を翳した先で、削刃が何かを軋ませ滑らせれたのを。それを誤魔化すためでもないのだろうが、嵐の中より桜花の声は続ける。
「自身を戒めるかのように、何処までも広がる深淵の闇。その中で、届かぬ願いに憧憬を馳せるが如く差し込む一条の光が……」
「……そうか」
一瞬眉を上げる程度で素っ気なく返す。桜花が口にした言葉。それはレイロード中に秘める"起源"の姿だった。ならば、今までの攻防も読まれていた、と言う訳ではない可能性が高い。明確な手段は分からないが、瞳術、魔眼、そう呼ばれる物の類。言葉通り見えていたのだろう。更に、一瞬捉えた何かの軋み。それが眉を上げさせていた。
「つまらないですね……貴方は」
レイロードの起源にか、それとも態度にかは分からないが、桜花が目を細めて囁く。
レイロード・ピースメイカーの起源は二つ。憧憬と自戒。憧憬はアウトスパーダの形にも色濃く顕れた。その結果が、自由に空を掛ける羽のような姿となったのだろう。
そしてもう一つ、レイロードにとって自戒とは、自らを大地に押さえ付ける重力に似ていた。その影響は内と外へ顕れる。
レイロードに対し半身で隠れた桜花の左拳。そこに歪みが生じたのを象圏が捉える。読まれるならば最早戦術も何もない。全ての攻撃を当てに行くだけ。"蛟"、自在に軌道を変えた斬撃が桜花の拳を捉えた。僅かなズレでも拳を外し、相打ちになり兼ねない一撃を易く誘う。
それが自戒の内への己顕法。常と顕れ、自身の感情を、血流を、筋組織の不律動を戒め、ミリは愚か、ナノ単位での肉体制御を可能とさせ、それはレイロード・ピースメイカーの基盤となった。
黒閃を桜花の左拳が跳ね上げ、桜花が呻く。
「くっ!」
そして外へは……"質量付与"として、自戒の己顕法は顕れた。
桜花の背後に削刃を並べ退路を断つつ、頭部付近へ削刃を一振り。分速4万回転を超えるその刃を、桜花が右手で容易く弾き、またも何かが軋む。
残った桜花の左手へ、右手でマントを掴み振り上げた。質量が増加し、刃と化したマントは黒閃を疾走らせ桜花へ迫る。それを桜花が、これまで同様に払わんと手を伸ばした瞬間、自戒を解除。元の質量と質感に戻ったマントを腕がスリ抜け、その勢いに桜花の体が崩れる。振り上げたレイロードの右腕は、そのまま自身の頭上、掲げられた大太刀の柄へと流れるように運ばれた。
「あっ……」
桜花の口から吐息が漏れた。
レイロードは納刀された鞘を逆手に持った大上段の構え。対して桜花は体勢を崩したまま。その様は処断を待つ罪人と、浄土に運ぶ案内人。
真伝朔凪派夢想剣・"禊落し"。
「だろうな」
レイロードは先程の桜花の発言に応え、そして刃は鞘から解き放たれた。
入から繋ぎ、十分な加速を得た刃に、自戒の己顕法を発動。大太刀の質量が跳ね上がると共に、周囲の光子にも質量が与えらた。光子が大地に引き寄せられ、反射の軌道が逸らされた事で、刹那の時間、刃の軌道が光を失い黒閃となって振り下ろされる。秒速1000メートル、質量30キログラムに達した黒閃は、レイロード・ピースメイカーの決め手となった。
その黒閃が風を斬り砕き、砂塵を噴き上げ大地を、"抉らされて"いた。