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カテゴリーエラー  作者: あごひげいぬ
1章 王と名もなき小人
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1. 桜の花が舞う-1

「さて……」


 一言吐き、レイロードは感傷に引きずられそうになった思考を引き戻す。未だ舞う青白い燐光の中、残滓を振り払うようにPDを抜き出した。

 通信は不可。電波は届いていない。雷雲の主はやはりご機嫌斜めと言った所だろうか。

 レコーダーは3分を回った所。それを見てレイロードは皮肉気に笑う。


「ハッ、3分で10億エツェならボロ儲けだな」


 少なくとも、紛い物の天窮騎士(アージェンタル)に出来はしないのだ、こんな事は。そして結局、天窮騎士(アージェンタル)らしい天窮騎士(アージェンタル)、と自身を評するに落ち着く。そんな堂々巡りを繰り返すのが、ここ数年の常だった。

 もっと主観的な自身に埋没出来てしまえば、自棄を起こすでも、まだ見ぬ誰かを憎むでも、世界の所為にも出来たのであろう。が、結局は、今も昔も、客観的な自身の有り様に正しさを見出し自戒する。それでいて尚、主観的な自身の有り様も等しく存在する。

 複雑と言う程分かり辛くなく。単純という程分かり易くもない。結局は、何処にでも居る、ただの人間だ。

 刀一振りを頼りに切り込んでいた日々が懐かった。負け続けたあの日々は、懊悩に囚われる余裕もなかったと言うのに、贅沢になったものだと。


「ッ……」


 昔を懐かしんだ瞬間、レイロードを"キリングドール"と呼んだ天敵の事までもが頭を過ぎり、渋面が更に渋った。レイロードの刃に、感情は映らないのかもしれない。だが、それは真伝朔凪派夢想剣が目指した、夢想の剣とは違う物だったのだろうか? と。 

 結局、それとは互いに何の理解も出来ず、する気もなく、会う機会を失った。10年程前の事だ。今どうしているかなど分かりようもない。

 何を今更と、下らない懊悩を振り払うように、出撃地点を見返せば、遙か彼方で、巻き上がった土煙が確認出来た。ガンドルフ達が、全速で退避した跡だろう。自然とあの強面が思い出され、そこから発せられた嘗ての通り名に苦笑する。


「死に損ない、か。何も変わっていないと言うにな……」


 行いは変わらずとも、結果が変われば評価も変わる。当然と言えば当然だが。一人で切り込み、一人で終わる。今も昔も変わりはしない。されども、方や死に損ない、方や天窮騎士(アージェンタル)、理不尽な事だ。

 アルトリウス王国独立戦争、10年前に終決したそれを最後に、人間同士の大規模戦は鳴りを潜めた。未だ小規模の内紛や火種が燻っている国もあるが、概ね平時と言っていい。

 例え大規模戦が再び起きたとしても、レイロードは一人で戦うのだろう。足手まといにしか成らないのだから。今も、昔も。

 誰も横に立つ事は敵わず、誰の横に立つ事も敵わずない。必要とせず、されもしない。上も、下も、左も、右も。今も、昔も、変わる事なく、唯一人立ち続ける。実に気楽で、実に情けない。

 だからだ、多分、そんな心が呼んだのだ。

 "それ"を。


「ッ、なんだ?」


 突如、レイロードの象圏に"何か"が引っ掛かった。押し潰し、抉じ開け、吐き出す、実に不快な感覚が。

 場所は……4時方向、上空50メートル程。遺骸の燐光がそこに向かって集まって行くのを目の端で捉える。うねり、たゆたい、波打ち際の潮のように寄せては引いて。と思えば、風に揺られる炎のようにユラユラと。

 異変を感知した瞬間、状況の変化に備えるため、アウトスパーダ・明鴉(あけがらす)12振りを高速展開。

 背筋を伸ばし半身に構え、両足を肩幅程度に広げる。鞘を持つ左手は腰へ、納刀されたままの柄には、右手を軽く開いて沿える。

 剣の型と言うよりも、弓の型に近い構え。"射の構え"。レイロードが使う居合の基本型だ。

 更に、右手側の明鴉6振りの切っ先を前に向け、扇状に展開。左手側の6振りの切っ先を大地に向け、左手側を覆うように扇状に展開する。この構えとアウトスパーダの展開状態がレイロードの構えだった。


 暫し空で踊り続け、不規則で不安定だった光は、徐々にリングを象り、その姿を安定させて行く。

 そしてリングが内から外へ、外から内へと捲れるように翻り、その色は光すらも映さぬ黒へと変貌を遂げ、僅かばかり、ほんの一拍程を置き――コンクリートの礫が吹き荒れた。


「何なんだッ、一体ッ」


 人為的、としか思えない人工物で出来た大小様々な礫の弾雨。次々と襲い来るそれを、明鴉で叩き落としつつ独りごちた時、象圏への異様な圧迫感を引き連れて、殊更巨大な物体がリングから吐き出された。

 今度は人工物のみではなかった。新たに吐き出された物体、それは明確に、紛う事なく人間の姿を持っていた。大気の乱流がその落下を抑えているのか、舞い落ちる羽のようにゆらゆと落下している。

 何時の間にか、リングは影も形もなく消え去っていた。

 頭から落下して来るその姿を、数多の戦場でそうであったように、レイロードの双眸は克明に捉えていた。

 少女と言っていいだろう。清廉でありながら艶やかで、翳りを秘めながらも華やかな。

 歳は10代半ばから後半位。身長は160センチ程度だろうか、スレンダーで儚げながらも、しっかりとした体付きが伺える。

 完全に気を失っているのだろう。流麗に弧を描く切れ長の黒い瞳は朧気だ。それでいて尚、力強さを覗かせている。

 風に舞う艶やかな黒髪は、膝にまで届こうかと言う程に長い。それに相対し、何処か冷たさを感じさせる乙女雪の如き白い肌。

 袖と丈を切り詰めた和雲風の白い上着に、黒の胸当てとショートパンツは、その四肢、その素肌を惜しげもなく晒し出し、この世の者ならざる翳りを与えながら、艶やかなモノクロームの世界を創り出している。

 薄キャメル色のベルトと、ライトブラウンに染められたオーバーカップのブーツとグローブが、そこに柔らかな色彩を与え、マント状に肩に羽織った長いマフラーは朱に靡き、施されたスプリッター迷彩と共に、モノクロームの世界に華やかな彩りを与えていた。

 それらが合わさり生み出されたコントラストは何処か幻想的で、触れれば消えてしまいそうな、世界から一人零れ落ちたような、危うい儚さと美しさを醸し出していた。

 そして、その右手に握り込まれているは和雲刀。玩具ではない、本物の、刀。それも、恐ろしく極上の。遠目からでも惹き込まれてしまいそうになる程に、極上の。


「何処の……コンパニオンだ……?」


 が、しかし、そのあまりにもあり得ない装備に沸き上がった疑心が、思わず口から漏れていた。

 近接用装備を手にしているからには己顕士(リゼナー)だろう。しかし、己顕士(リゼナー)であれば、あれ程に肌を露出させた服を着る筈がない。

 己顕士(リゼナー)の斬撃は音速を超える。それはつまり、自身の斬撃、相手の斬撃、双方の衝撃波のみで、自身を傷付ける可能性があると言う事だ。故に、己顕士(リゼナー)は全身を覆う装備をするのだが……例え素人だとして、得物が幾ら何でも上等過ぎた。

 間違いなく面倒事だろう。いや、それはいい。だが、あの少女はどうするべきなのか。28年、それなりに長く、それなりに短いレイロード・ピースメイカーの人生に於いて、無報酬で働く事は、大概にして碌な結果に繋がらなかった。誰かを助けようとした場合は、特にだ。報酬に拘る理由の一つがそれだった。

 思考に耽る間にも、少女は落下を続けている。このまま行けば間違い無く頭部から大地に激突するだろう。

 余り彫りの深くない柔らかな顔立ちと、烏の濡羽色の髪。手に持った刀。胸当てに施された、蜻蛉とススキと朧月の金蒔絵の意匠。

 恐らくはレイロードと同郷の……和雲(いずも)の、少女。それに……そうだ、あのリングの事も確認しなければならない。そこまで考え、面倒になったレイロードは、どうでもいいと思考を放棄した。

「チッ、あぁ、もう何でもいい、頼むぞ……」

 そこから先は速かった。明鴉を反転させ、基部を少女に向ける。刃が触れれば、柔らかい人間の体など容易に切り込んでしまう。そのまま明鴉を向かわせ、相対速度を合わせに掛かる。既に地上10メートル。術者から離れれば、己顕法(オータル)の操作精度は荒くなる。ギリギリのラインだ。ミリ単位の精密操作。ただ斬るよりも、遥かに集中力を必要とされる作業を行い、触れるように肩を支えようとし――空に、銀閃が疾走った。


「馬鹿なッ!」


 精密操作に集中していた分反応が遅れる。少女の周囲に向かわせた明鴉が弾け飛び、地鳴りと土煙を上げ、少女が大地に激突した。

 だが、レイロードの象圏は捉えていた。土煙の向こうで片膝を突き、刃を向ける少女の姿を。


 風が吹いた。初夏の夏草の匂いを連れて。覆った土煙のカーテンを貫いて。


「言わんこっちゃないッ!」


 眼前に煌く音速の銀閃、その元凶たる刀の腹を柄頭で弾きつつ体を捌き、溢れた燐光が閃光となって奔る。銀閃を生んだのは少女だった。清廉でありながら艶やかで、翳がありながらも華やかな、両の手で刀を携え宙を舞う、眼前の少女。

 その瞳は未だ判然とせず、遥か彼方を見つめ、レイロードを捉えてはいないように見受けられる。が、そんな事など構いもせずと、少女は空中で刀を弾かれた方向に加速、レイロードへと袈裟斬りに打ち込んでくる。

 その刀の腹を背中側から鞘の小尻で弾きつつ身を屈める。刃が頭上を通った刹那、"鳴り石"の一閃。少女がその黒閃の腹を掌で叩き上げ、その勢いを利用して接地。鍔鳴りと共に真鍮の瞳がそれを捉る。その時には既に……閃光と化した真鍮が乱れ舞い、眼前の空間を尽くに斬り刻んていた……。


「馬鹿かッ!」


 完全に無意識の内に行動していた。レイロードの体に染み込み、刻み込まれた戦場(いくさば)の記憶が、少女の速さに、剣技に中てられ、羽刃を撃ち出していた。

 暴風が吹き抜けた後には、最早少女の姿は存在しなかった。

 当然、と言えば当然なのだろう。クイントすら容易に斬り裂くのだから……ではない。

 レイロードの左手側、凡そ20メートル。静かに頭を廻し、レイロードの瞳がその場を見つめた。

 足を大きく開いたスタンス。大地に平行に寝かせられた刀身。両手で口元に引き寄せられた柄。

 風に流され黒が、朱が、揺れ、はためく。

 少女の姿が、そこにはあった。レイロードの象圏が痕跡を捉える事なく。


「有り得ん……」


 気付かぬ内に声が漏れた。気絶したような状態であれだけ動ける訳がない、と。

 無意識で、だけならばさほど不思議はない。レイロードとて、無意識の内に行動していた。しかし、気絶は脳や体が一時的に機能が麻痺している状態である。そうなれば、如何な使い手であろうと反応は出来ないのが普通だ。レイロード自身、あのような状態になれば、無意識に体が反応する事もないだろう。

 だが、目の前の少女は動いている。それも一切の淀みなく。何より、象圏で捉えられていない事がそもそも異常なのだ。

 レイロードが思索する間を与えず少女が動く。右片手一本突き。


「…………」

「速い……なッ!」


 影すら置き去りにして迫った少女の一撃を柄で弾く。羽刃が舞い踊り世界を真鍮色に染め上げ、と同時に、少女の姿が掻き消えた。

 レイロードの背後を少女が駆け切り抜ける。その刃を回し蹴りで蹴り上げつつ抜刀、黒閃を疾走らせるが空を切る。


「少しは大人しくッ、出来んのかッ」

「…………」


 本当に意識がないのか疑わしくなる程のヒットアンドアウェイの連撃が、レイロードを幾度となく襲う。

 レイロード・ピースメイカーの現在の戦闘スタイルは、己顕法(オータル)が生まれる以前の、それこそ騎士が魔術師(メイガス)の盾であった頃の集団戦法だ。

 アウトスパーダで数を埋め、一人で一軍に匹敵する戦闘単位を構築する。そしてその軍は、術者によって完全制御され、消耗しようが逐次補充される。

 アウトスパーダを射出し、拠点を移動させながら蹂躙するその姿は、始まりの天窮騎士(アージェンタル)、アルト・ダルジェントが取った戦闘スタイルでもあった。レイロードが自身を天窮騎士(アージェンタル)らしい天窮騎士(アージェンタル)と評するのは此処にある。

 そのスタイルは、自陣に斬り込んで来る相手には鉄壁と言ってよかったのだ。それが今、影すら置き去りにして舞う少女を、捉え切れていない。

 結果的に見れば、落下中の少女を放置したとしても、何事も無く生還を果たしていたのであろう。

 無意味。それどころか牙を剥かれる始末。

 何より意識を失った状態でさえ他者を排除しようとする攻撃性。こんな者を市中に放てばどうなるか、考えたくもない。


「獣とてまだ分別があるだろうに……」


 少女の凶刃を捌きながら零す。結局はレイロードの碌でもないジンクス通りと言う訳だ。

 だが、それでもレイロードの目に映る少女は、触れれば消えてしまいそうな、翳りを秘めた儚い美しさを感じさせていた。

 その所為、という訳ではないが、レイロードは攻めあぐねていた。明鴉を12振りしか展開していないのが証拠だ。

 然しながら、温い対応では利かない。手心を加えては止められない。敵として処理するしかなくなっている事も事実。しかし、あのリングとの背後関係の確認もまた、重要な案件だ。意識だけは戻って貰わなければ、確認すら不可能である。無報酬でも今対処しておかねば、結局後でお鉢が回ってくるのは、レイロードになる事くらい予想が付いていた。


「目ぐらい覚ませッ」

「…………」


 面白くもない想像に辟易としながら、目まぐるしく戦場を駆け抜ける少女に吐き捨て――眼下には少女と、放たれた突きの姿が存在していた。


「チッ!」


  舌打ちと供にその突きを甲で捌き、明鴉で斬り込む。しかし、時間差で舞い散る12の羽刃を、少女は的確な動作で対応して見せる。或いは体を捻り躱し、或いは刀で弾き、或いは無手で捌き、或いは潜り込み、バックステップで避けて。

 その接地の際を、レイロードの大太刀が捉えた。黒閃が疾走る。少女の足は大地に届いてはいない。

 終わったか。レイロードがそう感じたその一撃を、接地する筈だった少女足が蹴り上げ、


「あのぉ……これは、どう言う状況でしょうか?」


 鍔鳴りと共に、涼やかで、されど困惑気味な声で、流暢なロマーニ語が少女の口から響いていた。

 それまで見えていた儚さは、何処かに消えていた。

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