プロローグ
――…………………――
――なんだろう……なにかが、きこえる……――
微睡みの中で、何かが聞こえた。何かと問われても、何かは分からない。でも、それは多分、誰かの声だ。理由などない。ただ、そんな気がした。
ならば、それは誰なのだろうかと、朦朧とし、判然としない頭の片隅で、少女はその姿を思い描く。
母、だったのだろうか? 父、だったのだろうか? 生まれてこの方、高々10年。ともすれば、まるで知らない声だった気がする。然れど10年、ともならば、酷く懐かしい声の気もした。
――………………ン――
――なにを……いっているの……?――
また、聞こえる。何故、懐かしく思えるのか。働かない頭で考える。そして、ああそうかと、一つ思い当たる。思えば昔から、誰かの声を聞いていた気がするのだ。記憶も定かではない昔、父と母に抱かれながら。
その情景は、今も心の中にある。ただただ、何処までも広がる、蒼一色が。それは多分、空と言う物だったのだろうに、少女の奥底には、深海の如く満ちている。そう思えば、何だか不思議で、少し面白い。
そんな心の奥底に潜む幻影に、少女の母が映る。その姿は、少女のよく知る、快活な笑顔。映る少女の父も、優しく微笑んでいた。しかし、今思えば、泣いていた気もする。溢れ出る哀しいみと、抑えようもない喜び、その双方に。
理由は分からない。そもそも、それが現実であったのか、それとも、いい夢であったのか、或いは、悪い夢であったのか、少女には分からない。だが、声が聞こえていた。
――……………オン――
――あれ? わたしの、なまえ……?――
今のように、掠れた霧の向こうから、誰かが少女の名前を呼んでいた。それを、少女はボンヤリと思い出す。
誰だろうか? 誰だったのだろうか? 緩やかに浮上する朧気な意識と記憶は、何も応えてはくれない。
――あなたは、だれ……?――
――…………シオン――
誰かと尋ねてみても、答えは返ってこない。ただ、名前を呼ばれていた。
――ねえ、あなたは、だれ?――
もう一度呼び掛ける。きっと無駄なのだろうが、でも、やってみない事には、何も変わらない。尤も、それは受け売りだったが。しかしそして、答えはあった。
「貴女のクラスの担任教師ですよ? シ、オ、ン、さ、ん?」
「ふえ……?」
机に突っ伏したまま、その少女、シオンは、気怠げに顔を上げる。母親譲りのブロンドが、陽光に照らされ美しく輝く。自身が発したその眩しさに、シオンは目を細めた。ボンヤリと、父親譲りの紅い瞳を開けば、にこやかに頬を引き攣らせる、若い女性の顔が映る。
「……おおっ? りねっとせんせい、あなたでしたか……」
「んふっ、貴女でしたか、じゃないでしょう? 何か言う事は?」
正体は分かったが、件の教師、リネットは何だか機嫌が悪いらしい。まだ20代後半となれば、更年期障害ではないだろう。
何がそうさせるのかシオンには分からず、緩やかにカールを描くボブカットの毛先に指を絡める。その刺激ににか、停滞していた脳が徐々に活動を再開する。それにより、確かに忘れていた大事な事に気付き、シオンはおもむろに口を開いた。
「……ん、おはようございます……」
途端、周りから笑いが沸き起こった。眼前の女教師も笑っている。何時から自分はコメディアンになったのかと首を傾げるが、笑顔で溢れるのはいい事だと、シオンの母も言っていた。ならばきと、これはいい事なのだと、一人納得する。
が、どうにも違う気もして、もう一度首を傾げていた所に、リネットから引き攣った微笑みが尚も飛ぶ。
「んふ、ふふ、もうすぐ12時ですよ、シオンさん?」
何故か顔の下にあるノートデバイスに目を落せば、右下の時刻表示も近しい時間だ。成程、確かにそれは面白い挨拶になってしまったと、シオンは納得する。
挨拶は正しくしなければならない。礼節は人間関係を円滑に進める為には重要だと、シオンの父も言っていた。シオンは頷き訂正する。
「それはそれは……こんにちは……」
「んふふふふふ……そういうことではないですよ……?」
はて、何が違うのだろうかと、シオンは途方に暮れ掛れる。が、横から腕をつつく、ノートデバイス用のスタイラスペンと、それを持ち、苦笑いを浮かべる友人の姿に、キリキリと頭のモーターが回り出し、今自分の置かれた状況を理解し始める。
今居る場所は、ルースカルナ・ジュニアスクール3階第4教室。5年間に大規模改築が行われ、全体的にモダンな雰囲気に生まれ変わり、空調からディスプレイに至るまで、至極快適だ。周囲で笑い声をあげているのはクラスメート。時節は征帝歴999年6月31日、バカンスシーズン前の、前期最後の授業中。
ならば今、自分は何をしていたのかと言えば、纏める必要すらなく、それはつまり成程、居眠りだ。となれば、する事など一つしかないと、シオンはノソリと体を起こす。
「母がですね……」
「あら? お母様が?」
「はい、母がですね、昨晩、眠りに就こうとするわたしの部屋へ、とうとつに侵入してきまして」
「そうなのですか?」
「はい。なんでも、新作げーむをげっとしたから、一緒にやろうと。くーぷですね。あ、新規あいぴーで、タイトルは、ぼーんう゛ぁにっしゃーです」
「で、どうなさったんです?」
そう、する事など決まっている。とどのつまりが、言い訳である。つらつらと昨夜の出来事を掻い摘まんで並べるシオンに、リネットは笑顔で応えるが、明らかに心は笑っていない。額に湧き出る冷や汗を物ともせず、シオンは淡々と事実を告げる。
「はい。己顕士が剣の代わりに銃火器でくいんとと戦うんですが、なかなかに骨太ではーどなあくしょんげーむに仕上がっていました。なんでも、ろまーにに実在する、銃を使う己顕士さんが、監修したとか。これが、おもしろくてですね、二人ですっかりはまってしまいまして、父も呆れつつ観戦していました」
「ですから?」
笑顔で凄むリネットに、シオンはついつい腰が引けそうになる。が、ここで引けば相手の思うつぼ。強い意志こそが、眼前の困難を打開すると信じ、シオンは眠たげな眉をキリリと釣り上げた。
「確かに、わたしは、よく眠そうな目をしていると言われますが、これは生まれつきであり、その反面、今は居眠りをしていましたが、それは家族さーびすの一環によるもので、原因は両親にあり、わたしは何ら悪くありません」
言い切り、チョコンと胸を張る。落ち度は全く見当たらない。完璧だと自画自賛する。が、周囲から、あ~やっちゃった、とでも言うような、哀れみの視線が飛んでくる。そして事実、どうにも眼前の女教師の機嫌は、すこぶる優れないらしい。
「……あら……そうなんですか? でも、シオンさんも止め時を失ってズルズルとお付合いしてしまったんですよね? 明日からはサマーバカンスですよ? 今晩ではいけなかったんですか? 自制も出来た筈ですよね? ご両親に、お休みになる旨をお伝えする事は出来ませんでしたか? それとも、シオンさんのご両親は、そんな事もお聞き入れ下さらない、無情な方々ですか? 違いますよね? ではシオンさん、貴女が本来やるべき事は何か、もう一度思い出して見ませんか?」
圧倒的で静かな剣幕に気圧され、シオンはダラダラと冷や汗を流しながら目を見開く。
確かに、未だクイントを精霊と信じ、信仰をしているらしい西大陸では、謙虚さは美徳だと言われる事もあると、両親の旧知から聞いた事はある。が、このイグノーツェでは違う。最後まで足掻き、戦う事こそが美徳である筈だ。少なくとも、シオンは父からそう教わったし、歴史の授業でもそう言っていた。
ならば、何も間違いなどあろう筈はない。ない筈なのだが……己顕士を題材にしたゲームをプレイしていようが、己顕士ではないただの少女の心は、割とあっさり折れていた。
「ご……ごめんな、さい……」
「…………。
……ふぅ……まぁ、いいでしょう。ご自分の発言には、努々気を付けて下さいね。皆さんも、いいですね」
そして、手を叩くリネットに合わせるように、予鈴が前期の終わりを告げる。「危険な事はしない、誘わない、楽しいバカンスにして下さいね」と言うリネットへ、口々に返しながら、クラスメート達が蜘蛛の子を散らすように教室から姿を消していく。
その様子に、紛う事なく解放された事を理解し、シオンは盛大な嘆息諸共、再び机に突っ伏す。
「ほら、シオンも帰ろ? もう、授業早々眠たそうにしてると思ったら~」
そんな有様のシオンへ声を掛けてきたのは、友人のリサだ。栗色のポニーテールと結ばれた白リボンが、元気に跳ね回る。繊細に施されたレースと細やかな生地が、安物でない事を物語っていた。先程シオンをつついていたスタイラスペンも、ソーリオ連邦に社を置く老舗のブランド物だ。
早々自由に散財出来ないシオンの家からすれば、少々羨ましいが、この学校の生徒は大抵裕福だ。シオンの家とて、貧しい訳ではない。現に、シオンの纏う装飾品も、安物と言う訳ではない。リサの装飾品程高くはない、と言うだけだ。文句を言っても仕方がないと、シオンは伸されたリサの手を何となく掴み、ふと、声が口を衝く。
「ねえ、りさ……」
「ん? なに?」
が、しかし、言い淀む。が、キョトンと首を傾げ、シオンの言葉を待つリサに、何でもないと、反故にするのも気が引け、結局、シオンはそれを尋ねた。
「あの空の向こうから、誰かに呼ばれたことって、ある?」
「え……? ええ~? なにそれ? ゲームの話?」
何やらゲームばかりしているかのような友人の口ぶりに、シオンは、ふくれ面で違うと首を振る。そもそも、ゲーマーなのはシオンの母親であり、シオン自身はそれ程でもない……筈だ。シオンが自身の外聞に悩む一方で、リサは口元に人差し指を添え、窓の外に広がる蒼を見上げていた。
「まぁいっか……ん~空からか~……空ね~……。
……ああ! それって、ジェット・ドラゴンとか、フィアース・ドラゴンのこと?」
「おおっ、どらごん! それは考えつかなかった。
……どらごんってしゃべるの?」
「え……? ……さ、さあ? 喋れるんじゃ、ない? スゴそうだし……」
考えなしに出たシオンの言葉に、困り顔でリサが首を傾げる。何故、凄いと言葉を喋れるのか、シオンには甚だ疑問であったが、それはリサも同じだったようで、答えに窮したらしく、助けを求めるように、残っていたリネットへ顔を向ける。
「あの、先生、知ってます?」
「ジェットやフィアースが、ですか……? う~ん、どうでしょうね。ドラゴンの生態は、まるで分かっていませんから。ドラゴンの専門家、と言うのも聞いた事がないですし……昔の書物から紐解くにしても、お伽噺にすら出てきませんから」
実に下らない質問だった筈だが、顔を上げたリネットは、嫌な顔一つせず、と言うよりも真剣な表情で二人に答える。怒られる事も多いが、シオンは、この真摯な教師を、嫌いになる事など、出来よう筈がなかった。目を細めるシオンの隣で、リサが小首を傾げた。
「え? でも、お伽噺でお姫様をさらったり、財宝を隠したりってお話し、よく聞きますけど……」
「ああ、それは……確かにドラゴンと書かれてはいるのですが、実際の所、亜龍種を指していたと考えられているそうです。
人を浚うのはガッゼーラ、財宝を溜め込むのはアッゾーダ、町を破壊する姿はヴァノッサですか」
すかさずリネットが相槌を打つも、並べられた呼称に馴染みがないのか、リサがおずおずと手を挙げる。
「す、すみません……その三種の違いがよく分かりません……」
「仕方がないですよ。私達からすれば、亜龍種も、お伽噺のような物ですから。そうですね……」
リネットが微笑みフォローを入れる一方、シオンはと言えば、この三種は、ファンタジー物でも、現代物でも、ゲームではお馴染みの大ボスであり、ともなれば、しっかりと認識出来ていた。昨晩も、アッゾーダの範囲魔術に苦戦を強いられた。共にプレイしてしたシオンの母にしても、「やっぱり銃じゃ無理だってえぇぇええええっ!」と、頭を掻き毟っていたが。
尤も、そんな事を言えば、ゲームばかりやっている事を肯定するようにも思われ、視線を逸らす。そうしている間に、考えが纏まったのか、リネットが口を開く。
「掻い摘まんで言えば、ガッゼーラは翠色で、超音速で飛ぶ事が出来るそうです。アッゾーダが蒼色で、様々な魔術を行使するそうですね。
後は紅色、お伽噺に見られる、悪いドラゴンの代名詞、炎のブレスを吐くのがヴァノッサ。どれも、全長20メートル前後にまでなるそうです。との記載が、図書室の図鑑に載っていました」
「へ~そうなんですね~。正直、スゴさが想像できないですけど……あ、でも、それで何でドラゴンじゃないって、なるんですか?」
リサの呈した尤もな疑問に、シオンもコクコクと頷き、リネットへ熱い視線を送る。二人に見つめられたリネットは、顎に手をやると、少々困ったように視線を天井へ這わす。
「う~ん、一言では言えませんが、お伽噺のドラゴンは皆、翼の生えたトカゲのような姿をしていますよね? ですが、現実のドラゴンで、似た姿をしているのは、ジェット・ドラゴンだけです。色も黒ですしね。フィアース・ドラゴンは白とされていますし、唯一タイダル・ドラゴンが蒼色ですが、これは蛇のような姿で、翼もありません。赤いドラゴンは、そもそも存在すらしません」
確かに言われてみればと、シオンとリサは神妙に頷いた。それを見て、同じく頷いたリネットが先を続ける。
「そもそも、お伽噺では、往々にしてドラゴンは退治されます。ですが、科学技術や、己顕士さん方が、これだけ発達した現代社会でも、現実のドラゴンを退治する事は不可能とされています。
法歴以前にしましても、魔術が科学に成った事を鑑みると、魔術師さん達の時代では、到底ドラゴンを退治できたとも思えませんし」
「そうなんですか……知りませんでした……その、私、そう言うの興味なくて……」
「ふふふ、男の子は兎も角、女の子では仕方がないですよ。そんな事より、お洒落と恋の方が大事ですものね?」
「え……あ~ははは、そうですよね~」
ウィンクするリネットと、頬を赤らめるリサを見るに、そう言う相手が居るのだろう。これは非情に重要な事だ。何せ、シオンは全く知らなかったのである。
確かに、相談されても全く力になれそうもないが、だからと言って教えてくれないのは如何な物か。そう考え、シオンは脳内で相談された際のシミュレートを行う、のだが……散々引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、全部ご破算にしてしまう姿が容易に思い浮かび、汗が額を伝う。友人の判断は的確かも知れない。
何処となく陰鬱な気分に囚われるシオンだったが、それはきっと、会話を弾ませる二人の姿と、傍観する自身の姿に、不公平さを感じた事もあるのだろう。きっとそうだと言い聞かせ、シオンは頬を膨らませて割り込んだ。
「それで、せんせい、結局どらごんって、しゃべるんですか?」
「え? あ、ああ、そうでしたね。すみません、横道に逸れすぎましたね。そうですね……こちら側では、あまり聞かない話なのですが、大陸西端、エスカロナ近海で、航海中にタイダル・ドラゴンが喋り掛けてきた、と言う話は、西側では有名なんです。どう言う訳か、録音しても、声は入っていなかったそうですが」
「ふえ、そうなんですか。そんな話もあるんですね。じゃあ、やっぱりしゃべるんだ」
「それにしても、そんな遠い国の話、よく知ってますね」
リネットの話に、シオンとリサは素直に感心した。何せ、エスカロナは北イグノーツェの西端。幾ら交通手段が発達した現代でも、国を跨げば、それは別天地と言っていい。それ以上に距離が空くとなれば尚更だ。l
そんな二人にリネットが、「私は、両親がアルフォード出身ですからね」と、はにかむ。アルフォードは北西の島国で、確かにエスカロナと近かい。両親から、そのような話を聞く事もあったのだろうと納得する。
「と、それはいいとして、そうですね、他の2体は姿形も全く異なりますし、一概には言えない所がありますが……それでも、ドラゴンとして括られています。であれば、シオンさんの仰る通り、喋ると考えても、よいのではないでしょうか?」
尤も、その内容も確たる理論があっての事ではなかったようだが。しかし、何となくは理解出来、シオンは矢張り、何となく頷いた。
とは言え、声の主がドラゴンであるのか、と言われれば、そうではない気がしてならず、どうにも腑に落ちないと、シオンは変わらず首を捻る。
「ん~でも、なんだろう、多分、違うとおもう……なんだろう?」
「う~ん? そう言われても……私は聞いた事なんてないし……って言うか、そもそも夢、の中での話だよ、ね?」
「ん……? ……たぶん……?」
隣で困惑気味に首を捻るリサへ、シオンもまた困惑気味に首を捻る。言われてみれば、夢、だった気もする。たまに見る、妙に印象に残る夢、その類いだ。尤も、夢か現か、それ事態は大して重要ではない。そんな気が、シオンにはしていた。
変わらず困り顔のリサに、悩まなくていいと首を振る。それが、本当に、リサへの心配りだったのかは、シオン自身分からなかったが。
互いに困り顔で見つめる二人を、何かに迷いながら、リネットが見つめ、言葉を選ぶように口を開いた。
「その……シオンさん。その声、ですが……もしかしたら、生まれる前の記憶かも知れません」
「……はい?」
突如降って沸いた、宗教じみた言葉に、シオンとリサは素っ頓狂な声を上げていた。困惑する二人を余所に、リネットが思いを馳せるが如く、窓の外に広がる蒼を見つめる。
「覚えていますか? 空に流れるあの航跡雲を、稲光るあの巨大な積乱雲を、初めてそれらを見た時の事を。私達は、アレがドラゴンなのだと、理解していた筈です。誰に教えられた訳でもない筈なのに……ごく自然に、当たり前に、それを識っていた……」
「……はあ……」
言われてみれば、確かにそうではあるのだが、どうにも要領を得ず、シオンとリサは生返事を返す事しか出来なかった。そんな二人の姿にか、リネットが、やってしまったと、顔を押さえ、そしてどうにか言い繕おうとかぶりを振る。
「ああ、いえ、それが剣影教の輪廻転生論ですとか、胎児の記憶ですとか、象圏の影響ですとか、諸説あるのですが、その、詰まり……その声も、ドラゴンの記憶と同じような、え~と……。
……理屈で説明できない事柄もあるのですから、深刻に思い悩まなくていいと、そう、言いたい、のでしょうか?」
「悩んでいるのはせんせいです」
が、結局は滅裂な内容に収まり、シオンは眠たげな瞳を更に眠たげにして担任を見つめ……そして、微笑んだ。それが何であれ、案じてくれた事が、嬉しかった。
「でも、そうですね、あんまり気にしないようにしておきます。知り合いのおじさんの、洗脳そんぐだったのかもしれないですし。なんか、しょっちゅう一緒の写真に写ってますから。帰ったら、母か父にでも、あやしいそぶりを見せていなかったか聞いてみます」
口にしてはみたものの、実際の所、シオンは迷っていた。大した事ではないのかもしれないが、両親に話すべきではいと。それこそ、理屈もなしに。そんな迷いを掻き消すように、勢いよく立ち上がり、リサの手を引く。
「ん、帰ろ。ごめんね、りさ、変なことに付き合わせて。せんせい、ありがとうございました」
「んん~ん、いいよ別に。ありがとうございました~」
「はい、気を付けて帰って下さいね」
リネットの笑顔に見送られながら、リサが、「まさかその人、シオンにしか見えてなかったり」などと、ホラー映画さながらの話を振ってくるが、「ないと断言できる」と、シオンは言い切った。この国の人間ならば、顔と名前くらいは知っている筈の人物だったからだ。
リサが、つまらなそうに頬を膨らませ、シオンはトドメとばかりに、それをつつく。
じゃれ合いながら、教室から踏み出せば、窓から降り注ぐ光が突き刺さり、それを手で遮り目を細める。
暖かかった筈の日差しは、既に暑く、胸の中に燻る何かを焚き付けるように、熱く、シオンを照らしていた。