4. 故に死者は歩く-7
桜花が崩れるように倒れ込み、レイロードは弔いもそこそこにそちらへ向かう。見れば、疲弊と言うよりも、衰弱したように虚ろな瞳で呼吸を荒げ、肩で息をしている。恐らくは瞬間的な己顕の枯渇だ。
フルールとレオルも倒れ込み、疲弊を顕わにしていたが、命に別状は見られない。レオルの状態にしても、プロテクターに護られ大きな火傷は見あたらない。あれだけ地力の差がある相手に剣を振るった結果がその程度であれば、見事天晴、としか言いようもない。
一番無理をしなければならない筈のレイロードが、一番マシな状態と言う事に、己の不甲斐なさを痛感しながら、片膝を衝いて桜花に手を伸ばす。
「大事ないか? フルール・クレール、レオル・グリーンフィールド、そちらはどうだ?」
レイロードの呼び掛けに、件の二人が気怠げに視線を寄越し、力のない笑みを浮かべる。しかし、その中には、確かな充足感が浮んでいた。桜花もまた、二人を一瞥すると、レイロードに手を伸ばす。
「……ボーナス、弾んで下さいよ?」
「ハッ、まぁ、それなりにな」
胡乱げな瞳で手を取る桜花に、レイロードは苦笑して応え、桜花を立たせて肩を貸しながら、シャッターを明鴉で人間大にくり貫く。その破片が床を叩き、耳に響く金属を掻き鳴らす。その音に負けないよう、レイロードは声を張り上げる。
「もう大丈夫だ! 手を貸してくれ!」
流石に入り組んだビルの中を、"憧憬"の己顕法で運べる程の繊細さは残っていなかった。
「いやあ、なぁんとかなりましたかあ。まぁさか、本当に当たるとは思いませんでしたけどねえ?」
しわがれ間延びした声と共に、脇に抱えた大型ライフルを軽く掲げて見せ、ボサボサの頭を掻くのは、恰幅のいい壮年の男。今回の雇い主たる、プラソユ市警のカピタナン警部だ。その背にから顔を覗かせる少女が一人。
「おお、おお、ホントにどうにかなったんだ? おねーちゃんびっくりだわ。いやいや、何と言うか、何かスゴいね~色々とさ。ってか、何か剣消えてなかった? 何あれ? 手品? 錯覚?」
賑やかに声を響かせ姿を現わしたのは、元気に眉を跳ね上げる栗毛のショートカット、ラナ・フォーチュン。レオルのブレードラックを引き釣るその姿に、フルールが気怠げな視線を投げる。
「……おねーちゃん……?」
「何時もの事でしょ、気にしないで。石燕百派月窓流・"鬼"、だよ。剣を見えなくする型。ほら、マイナー剣法も役に立っただろ?」
「あ~そりゃ悪うございました~」
フルールの口から零れた疑問を、レオルが矢張り気怠げにあしらい、そしてラナへと言葉を向ける。 軽口で返すラナとは対照的に、フルールは複雑な表情で、誰に聞かせる訳でもなく「そう」とだけ呟き、それ以上は何も言わず口をつぐんだ。
そちらに目を向けていた桜花が、近づいてくるカピタナン警部へと、逃れるように視線を変えた。
「ああ、えと、ラナは分かっていましたが……警部は何時から……? 全然気が付きませんでしたよ……? フロアも広いのに、よく分かりましたね……」
「いんやあ、ピースメイカー卿のPDに、警察通信のアプリ入れたでしょう? お陰で場所が分かったんでえ、ちょっと前からねえ?」
眠たげに口を開いた桜花に、カピタナン警部がウィンク一つを投げ寄越す。レイロードは象圏で二人を捉えていたが、桜花も気配や何かの、レイロードには分からない感覚で捉えていると思っていたため、意外ではあった。
「何はともあれ、当ててくれて助かった。本当にただの警察官なのか?」
「そりゃあもう。あのお、剣? ですかあ? あれがなければとてもとても」
眉根を寄せるレイロードに、カピタナン警部は盛大に首を振る。明鴉でサポートはした物の、気付かれずにフェイスレスの剣へと弾丸を直撃させたのは見事だった。あの一撃がなければ、また別の流れになっていたかも知れない。桜花を見れば、その通りみたいですよと、弱々しい視線が返ってくる。で、あればそうなのだろうと、レイロードは一人納得した。己顕士でなくとも、足下を掬われる可能性もあるのだろう。フェイスレスのように。
「んでさ~いやまぁ、いいんだけどね~?」
そんな感慨に耽っていたレイロードの意識を、何処か厭らしい含みを孕んだラナの声が遮る。何かとそちらを窺えば、声同様、厭らしい笑みを浮かべたラナが、両手を腰にフルールとレオルを見下ろしていた。
「そのね~? ん~とね~?」
「……なんだよ?」
その態度にか、レオルがムクレ面を返すが、ラナのニヤケ顔が緩む事はない。
「ん~? ん~? いやね~? おふ~、お二人は何時まで抱き合っているのかなぁ~って うぷ~」
「へ……・? なななななそう! そう! あれ、あれっ! そう! あれ!」
「うえっ!? いや、NoNoNoNo! あ~いや、いやこれは! いつっ!?」
厭らしい笑みを押し殺すラナに、大慌てで取り繕うとするフルールとレオルだが、ジタバタと藻掻くだけで禄に状況は改善していない。恐らくは、まともに立ち上がるだけの力もないのだろうが、その体で無理矢理体を動かそうとして力尽き、また倒れると言う悪循環に陥っていた。そして、悪はそこに付け込むものだ。
「そいやさ、そいやさ、気絶してるフルール運んでいた時ってさ、色々当たってよね、何かとは言わないけどさ~ねぇ~?」
ラナのネットリとした言葉と視線が、舐め回すようにフルールへと注がれ、
「ちょっ!? お前何言ってんのっ!? どうしようがあったてのっ!? いやいやいや、や、やましい事なんて何にもないからっ!?」
「ほほ~ん? へ~? ほふ~ん?」
レオルが床を這って後退り、フルールが居心地悪そうに身を捩る。ラナの視線が次なる獲物を求めてレオルに注がれた。
「あ、あ、そういやさ~? 桜花が城に穴空けた時さ~」
「な、何だよ……」
身構えるレオルだったが、床に倒れたままでは、まるで様になっていない。そして、厭らしいラナの笑みは、留まる事を知らなかった。
「フルールのぱんつ見てたっしょ?」
「……え……?」
雑作も無く地雷原へと踏み込むラナの発言に、フルールが猜疑と軽蔑の入り交じった眼差しをレオルへ向ける。
「みっ! 見てないからっ! ラナの言ってる事だよ!? 本気にしないで!? そもそもアンダーアーマー付けてて見える訳ないよ!? 透けてないでしょ!?」
全力で否定するレオルだが、レイロードにその真偽は分からず桜花を見る。厚手の男性用装備は確かにその通りだが、薄手の女性用装備がどうなっているのかまでは知りようがない。が、そもそも、桜花自体アンダーアーマーを付けておらず、静かに目を逸らす。その先では、ラナが一歩後退ると、真顔でレオルを見下ろしていた。
「うっわ……ドン引きだわ……悪質な冗談のつもりだったけど、それって要するにスカートの中は覗いたって事っしょ……?」
「…………」
「いっ、一般的な話だろ!? ふ、フルール、そ、そうだよねっ!?」
ラナの言葉に、フルールが悲しげな視線をレオルに送り、送られたレオルが見苦しく取り繕うが、フルールの貌に悲嘆の色を増させるばかり。
「そう、よね……私のなんか見えても……嬉しくないでしょうし……」
「う、うれ? え? いやいやそう言う事じゃなくて! フルールはたまに会話が噛み合わないよね!? と言うか! 二人とも俺をどうしたいのっ!?」
喚くレオルに、肩を竦め小馬鹿にするような笑みを浮かべるラナ。頭を掻き毟るレオル。賑やかな若人達を、微笑ましく、或いは生暖かく、レイロードとカピタナン警部はを見守っていた。
「……あれが、若さか……」
「故の過ちですかねえ? いやあ、でもまあ、何だか、こっちも若返った気にさせてくれますなあ」
「ハッ、それはそうかもな」
尤も、レイロードにはそのような記憶はないのだが、態々話の腰を折る事もないと同意を返す。
アズライト達と組んでいた時にしても、アズライトとナロニー、黒龍の3人を、遠巻きに眺めて程度。少年時分の2歳差は意外に大きい。
それに、あの当時、皆明るく振る舞ってはいたが、戦友以上ではない、もっとドライな、悪く言えば、何処か冷めた関係だった。それだけに、アズライトと黒龍が結婚していた、と聞いた時、レイロードは驚いたのだが。
思い起こしてみれば、随分と灰色の青春時代を過ごしていたのだなと、レイロードは少々陰鬱な気持ちに囚われる。尤も、それは左手に治まる物から目を逸らす為の、逃避に過ぎなかったのかも知れないが。
昔を懐かしむ男二人を尻目に、桜花だけは、何故か顔を青白くしていた。
「いえ、いえ、レイロード、レイロード・ピースメイカー、何言ってるんですか、戯れに見せ掛けた修羅場ですよ、修羅場、分かりましょうよ、大人なんですから何とかして下さいよ……」
「……理不尽な……」
意味の分からない注文を付けてくる桜花に、レイロードは嘆息したが、返ってくるのは何時もの半目。正直な所、ただからかわれているあの場に、どのような問題があるのだろうかと、カピタナン警部に目を向ける。が、同じく何の事だか分からないと、肩を竦める姿が返ってくるだけだ。そんな二人に、何て駄目な大人達なんだと、絶望に満ちた貌を向けてくる桜花。
いい加減に鬱陶しくなり、レイロードが、もういいと、手を払った時、レオルが仰向けに寝転び、疲れ切ったような嘆息を漏らした。
「……ああ、もういいもういい、それでいいよ……ラナはさぁ、たまには兄を労おうとは思わないの?」
「いや、あたしが姉だし。そっちが弟だし」
「出生登録上では俺が兄だよ」
「んなこと知ってるよ。でもあたしの方が姉っぽいっしょ? ねえ? フルールもそう思うっしょ?」
互いの関係性で押し問答を繰り返す二人の視線が、フルールに向けられる。が、当のフルールはと言えば、目を点にして固まっていた。ついで程度に桜花を見れば、こちらも同様。
「えと、あの、二人とも分かってたんですか? 資料にはそんな事……」
「親兄弟には、根幹の動きに似たような癖が出る。これだと断言できる所作はないが、何となくは分かる物だ。警部もそうなのだろう?」
「ああ、いいええ、残念ながらあ。あたしは単に刑事の感ってヤツでしてねえ。本部長にも、そんな物にばっか頼るなあって、どやされるんですがあ、どおにも染みついてましてえ」
カピタナン警部に話を振れば、一瞬桜花へ視線を向けた後、おどけるように首を振って自嘲気味はにかんだ。桜花を慮っての事だろう。尤も、流石にこの程度で気を遣う必要はないのだが。
レイロード達の会話に聞き耳を立てていたフルールが、おもむろに口を開く。
「えっと……本当に……兄妹……?」
「……うん、双子……ラナから聞かなかったの……?」
「……弟みたいなもの、としか聞いてない……レオルだって、違うとしか言ってない……」
「ああ……ラナが会う人会う人そればっかだったから……もう面倒になってそれだけしか言ってなかったかも……」
レオルの回答に、フルールは呆然とラナを見上げる。その視線から逃れるように、ラナは明後日の方向を向き、掠れた口笛を吹いて誤魔化す、と言う、古典的な対応でその場を凌ごうとしている。
「……確かにあの理不尽さは、姉っぽいかもしれませんね……」
「何だ、お前もそうだったのか?」
遠い目で眺める桜花を、茶化す程度のつもりでレイロードは口にしたのだが、その途端、桜花がハッとしたように目を見開き、そして力なく項垂れる。体の疲労だけには見えなかった。
「……そう、かも知れません……いえ……そう、だったんでしょうね……私の眼は、色々と見えてしまうから、見ようとしなかった……それが結局、見なければいけない事を見落とした……」
「ハッ、家族だろうが所詮は他人だ。分からん物は分からんだろうさ」
「……家族の居ないあなたが、それを語るんですか……?」
せめてものフォローにと、何気なく口にしたレイロードだったが、返されたのは、剣呑とした桜花の視線。裏目に出た対応に、自嘲する以外なかったレイロードに代わり、桜花を諫めたのは、カピタナン警部だった。
「まあlまあ、それも多角的な視点、ってやつですよお? 皆が皆、恵まれた家庭にある訳ではないですからねえ?」
「っ……いえ、すみません……失言でした。後生です、忘れて下さい……」
「何の事だ?」
沈痛な面持ちの桜花に、レイロードは肩を竦めて見せる。知らずに傷付けていた、と言う事は、誰にもあり得る。気にしないのも問題だが、気にしすぎるのも問題だ。眉尻を下げる桜花の頭に、レイロードはそっとその手を乗せた。
「痛っ! いたたたたっ! 卑劣なっ! だからっ! 髪がっ! ガントレットにっ! 子供ですかっ!?」
「ハッ! 気にするなッ」
目尻に涙を浮かべる桜花を、レイロードは、これで完全にちゃらだと盛大に笑い飛ばす。が、そんな物など意に介さないとばかりに、ラナの声が響き渡った。
「あっ!? ああ! あ~あ~、へ~ほ~はふ~ん? つまりぃ~、フルールはぁ、レオルがあたしに気があると思ってて~なのにぃ、あたしはそんな気ないように振る舞っててぇ、けどベタベタしてたぁ、とか思ったんだぁ~?」
新しいオモチャを見つけたかのように、ネットリとした厭らしい視線と笑みがフルールを捉える。一方、その視線を向けられたフルールは、と言えば、顔を伏せて床に倒れ込んだままピクリとも動かない。
「……………」
所謂死んだフリ、である。当然ながら、誰も誤魔化しようがない、されようもない。そんな事は分かっているのだろうが、もう何も思い付かないのだろう。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいでもだってしょうがないじゃない見た目も性格も戦い方もファミリーネームも全然違うのに兄妹だって分かる訳ないじゃない」
伏せられた顔の奥から、起伏のない言葉を吐き出すので精一杯のようだ。そんなフルールの姿を見、流石のラナもバツが悪そうに頭を掻く。
「……はぁ~、ま、確かに、そうかもね。身に覚えのない恨み買っても、しょうがないのかなあ……ん~ああ! 止め止め! もう面倒だからさ、皆悪かったし、皆悪くなかった、て事で終了! んだから、ほい、いい加減帰ろう?」
そして、柔らかに微笑むと、未だ床に倒れ込んだフルールとレオルに手を差し伸べる。顔を上げたフルールが泣き笑いで、レオルが苦笑でその手む。そして、ラナが二人を引き起こそうとし……盛大に転げた。呆れたようなレオルの視線が突き刺さる。
「なにやってんの……」
「……あたしにそんな筋力はなかったのさ……」
「あ、それは知ってた」
自嘲するラナに、何故か目を輝かすフルール。放っておけば収拾がつかなくなりそうな状況に、レイロードは嘆息一つ、"憧憬"の己顕法で3人を掴んで立ち上がらせる。桜花が羨ましそうな瞳で見ていたが、当然の如く無視を決め込む。
「……行くぞ」
「そうですねえ、ただあ、下はマスコミ来てるんでえ、地下からウチの車両で出ましょうかあ?」
「ああ、それは助かりますね、本当に……」
カピタナン警部の発言に、桜花が安堵の吐息を漏らす。それはレイロードにも同じ。説明責任やら何やらと、面倒な事はあるのだが、相手が相手だけに、事実の公表はイグノーツェ統括機構に委ねられる事になるだろう。
だが、先ずは一息つきたいと、レイロードは道案内を促す。尤も、それは皆同じであったらしく、力強く頷くと、カピタナン警部を先頭に、一行はバートリー・キュルデンクラインのビルを後にした。