表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カテゴリーエラー  作者: あごひげいぬ
2章 故に死者は歩く
64/71

4. 故に死者は歩く-3

 それは、フルールが想定していた中で、最悪の事態だった。先の通路から、忽然と白い影が飛び出してきたのだ。

 遅れて、長い黒髪と朱のマフラーが靡く。だが、間に合うとも思えない。となれば、遙か格上のフェイスレスを、僅かでも凌がなければならないと言う事だ。

 そうしなければ、最悪よりも事態は悪化する。何故か沸き起こった、吐き気にも似た強迫観念に、フルールが頭を抑え掛けた時、フェイスレスが両腕を共に自身の左へと振りかぶった。フルールから見れば右から斬撃が来ると、左へ避けようとした瞬間、


「左っ!」

「右だッ!」


 桜花とレイロードの叫び声に、フルールの視線が左右に泳いだ。

 何故右なのか、左ではないのか、と、一瞬迷うも、体は左に跳ぼうと動き出している。無理矢理止めて時間を失う訳には行かず、フルールはラナを引き摺りながら跳ぼうとした寸前、脳裏を、体全体を、焼き尽くすような、おぞましい既視感が襲い、網膜に何かの光景が焼き付く。

 消える桜花、断ち切られたフェイスレス、無気力に佇むレイロード。

 左はダメだ、絶対にダメだ、何がダメなのかは分からないが、兎に角ダメだ。何としてでもダメだ。奥底から湧き出る焦燥感に突き動かされ、フルールは我武者羅に体を動かした。


「あああアアアアアアァァァァァァ!」

『なに……?』


 フェイスレスが呟くが、それの意味する所を考える余裕はない。左足に力を入れ、傾いた重心を無理矢理立て直す。急激な動きの変化に、体が軋み悲鳴を上げるが、構わず加速し、ラナを引き摺りながら"右"へと跳躍。


「おぉうえぁ!?」


 ラナが得体の知れない呻き声を上げるが、構ってはいられない。まだ足りない。声にもならない声を上げ、フルールは力を振り絞った。


「つぅうううっ!」


 左端に、紅い煌めきが差している。距離が足りない。型が許すギリギリの範囲で、力任せに細剣を振り抜き、死の刃を弾き、衝撃で加速。当然の如く体は崩れ、禄に着地出来そうもない。だが、絶望感はなかった。当のフェイスレスに、明確な困惑が見て取れる。


『何故……』


 それ以上に――。


「ゼロっ! 遅いんですよっ!」


 ――桜花の拳が、フェイスレスに叩き込まれていたからだ。



 フェイスレスが爆発したように吹き飛ばされ、轟音を掻き鳴らしてコンクリートの壁をぶち抜きそして、数枚目の壁でもって、貼り付けられるようにして漸く止まる。周囲の被害は大きいが、ビルが崩れる程ではない。


「っ、たす、かった……?」

「へあ……?」

「一先ずはな。桜花」


 呆けたようなフルールとラナの呟きに、追いついたレイロードは、そうとだけ答えながら3人の前に出る。普通に考えれば、あの一撃で幕は閉じていたのであろうが、そも、普通と言える相手ではない。事実、己顕(ロゼナ)で編んだ白いローブは消えていない。油断は出来なかった。


「手応えは在ったんですけどね? 異様に硬かった。強いて言うなら……ふむ、そうですね、分厚い耐衝撃性強化樹脂でも殴ったような……ああ、そうか、人工筋肉……」

「……そうか、クイントか……」

「ええ、あの感触に似ていますね。まぁ、そんな事よりも矢張り、空間を隔てて尚、伝わって来た、ざわめきの方が問題でしょうが……」


 拳を見つめ答えた桜花に、レイロードは瓦礫に埋もれたフェイスレスを見る。だとしても、相応にダメージは通っている筈だ。そうでなければ、攻撃を躱す必要性がない。何より、生物よりも遙かに頑健な体躯を持つクイントと言えど、桜花の打撃に耐えきれる訳はないのだ。とは言え、攻められる時に攻めるのは定石。

 

「ラナ! フルール! 大丈夫!? 生きてる!?」

「うえ~い、何とかね……首痛いけどね……」

「だい、じょうぶ……」


 二人に駆け寄るレオルを横目に、レイロードは明鴉(あけがらす)12振りを展開する。


「要ります? それ?」

「減るもんでもない」

「目に見えて減りますよ?」


 半目で視線を送ってくる桜花を手であしらい明鴉を射出。直撃、の寸前、瓦礫を押しのけフェイスレスが上へと跳ね飛ぶ。明鴉は瓦礫の山へと突き刺さり、フェイスレスは天井を蹴って再び戻る。背後で誰かが息を呑み、隣からは桜花の嘆息が聞こえた。


「頑丈な……しかし、再生しているようにも見受けられませんが……」

「ハッ、誘いとも限らん。気を抜くな」


 言って、経口タブレットを放り込むレイロードに、桜花が肩を竦める。その先で揺らめく白いローブの足取りは覚束ず、肩で息するようにも見える。その姿は、前後不覚もかくやと言った様相だ。

 尤も、見た目通りかは判断に苦しむ。誘いの可能性は捨てきれず、桜花の眼も当てにならない。レイロード達が、その答えを得る前に絞り出された物は、フェイスレスの声。戸惑い、困惑に満ちた声だ。


『……私は……私は何を……何を忘れている……? 何故、変わった? ……そうだ、忘れている……何かを忘れている……何だ……? ……何を……忘れた……?』

「……おい、何だ急に? どうしたんだ、アレは?」


 訳が分からずレイロードは眉を顰めたが、その隣では、どうでもいいと言うように、桜花が鼻を鳴らす。


「知りませんよ。大方長生きし過ぎたんじゃないですか? 記憶にも限界はあると言ってましたしね。実体験だったのでは?」

「ああ……それで記憶のバックアップか。ハッ、長生きも考え物だな……まぁいい、ならば早々に斬り落す」


 合点がいったとレイロードは頷いたが、同時に、フェイスレスの態度が誘いではない可能性も高まった。ならばと柄に手を掛けるも、貌の見えないフードの下で輝く何かを垣間見、一旦矛先を引かざる負えなかった。


『……違うな、何もかも違う……私は死んでいる……死んでいるのだ。君にとってもそうなのだろう? 過去の消失は死だと。ならば、過去を失い続け、名すら忘れた私は何だ? そうだ、死んでいる。死に続けている……。

 永遠の掃き溜めの中で死に続ける……そうだ、私は不死ではない。常死(とこしに)……それこそが私だ』

「……何だ今度は饒舌に……まぁ、そうそう上手くは行かんさ……」

「また何を気取って……」


 再び双剣を掲げたフェイスレスの姿に、余計な事を言ったかと、眉を顰めるレイロードだったが、歪む眉根の原因は、それだけではなかった。どちらに向けられたのか判別できない桜花の半目もある。しかし、最大の原因は、背後から漏れ聞こえた声。色濃い困惑を孕んだ、フルールの声だ。


「とこ、しに……? 私は……聞いた……? ……何で? 何時? ……アウトスパーダ? ……死と……享受……? うっ……え……? アナザー、デイ……? あれ……? なにこれ……きもち、わるい……」

「ちょっ、なに!? どったの!?」

「ラナ、揺すらない。フルール、落ち着いて。大丈夫、深呼吸、ほら」


 嘔吐感に見舞われ崩れ落ちたフルールを、ラナが慌てて揺すり、それを咎めながらレオルがフルールの背を摩る。釈然としない面持ちで、レイロードはその様相を見やっていたが、引っ掛かりは少なからずも口に出ていた。


「今度はこっちか……一体何処から拾ってきた……」

『メモリーリークを、起こしたのだろう』


 些細な疑問に答えたのは何故か、双剣に目を落したままの、フェイスレスその者から。相も変わらずな訳の分からなさに、レイロードは盛大に眉根を寄せる。


「……何の事だ? 何を言っている? 答えろ……」

「いえ、聞いた所で、答えなどないでしょうよ……」


 問い掛けたレイロード自身は、至って真剣であったが、桜花が呆れたように半目を飛ばしてくる。言われてみればそうかと、眉根を寄せるレイロードへの返答は、振り上げられた右の一撃。


『……っ!』

「チッ……!」

「ほらっ! 言わん事はない!」


 レイロードは舌打ち混じりに柄へと手を掛け、桜花がしたり顔で吠えるがしかし、届けられたのは、剣撃だけではなく。


『……このイレギュラーナンバー、アナザー・デイは、情報を蓄積するメモリーだ……』

「っ……!?」


 唐竹に振り下ろされた一撃を、抜刀時の柄尻で捌き、一太刀返しながら散開。黒閃は、桜花を牽制しながら奮われたフェイスレスの左剣によって、軌道を外され空を切る。


『先の切り結びで、蓄積されていた記録が漏れ出し、あの娘に転送された……』

「何だそれはっ、俺には何も見えなかったッ! っ待てッ!」

「ああっ! もうっ!」


 一歩引いて左薙ぎを回避、がら空きの背へ拳を撃ち込まんとしていた桜花を諫める。フェイスレスの攻め手は緩やかで、当たりようはない。ならば、突如始まった問答の時間を稼ぐ方が遙かに重要に思えた。フェイスレスが握る左右の剣がそれぞれ、桜花とレイロードに向けられる。


『……あの娘が特殊なのだ……』

「ほう? よもやそれで狙ったんですか? 手の内が知られぬように? つまらない動機だ」


 嘲笑うかのような桜花の問いに、フードの奥底に沈んでいるのであろう貌が、3人に、蹲るフルールに、そして、ラナに向けられた。何故か怯えたように赤毛が跳ね、消え入りそうな程に、か細い声が漏れ出す。


「……ちがう……」

『……いや、違う……私は、栗毛の娘を狙った……』


 それを無視して放たれたフェイスレスの言葉は、一瞬、ほんの僅かではあったが、確かに時間を止めた。それが1秒であったのか、2秒であったのか、そもそもそれ程の時間も経っていないのか、レイロードには分からなくなっていたが、凍り付いた時間を砕いたのは、ラナの場にそぐわぬ妙にコミカルな驚愕だった。


「…………はぁ!? あたしっ!? いや、な~んでよっ!? なん~でそこであたしよっ!?」

「いえ、ほんと脈絡ないんですが……」


 目を白黒させて見開くラナに倣うように、桜花もまた、気の抜けた声を漏らす。が、と同時に、眼前の刃を拳で弾き、右回し蹴りを撃っていた。瞬間、フェイスレスが即座に身を引き躱す。相変わらず回避性能は異常と言って言い。レイロードは明鴉12振りを、ラナとフェイスレスを遮るように展開し様子を覗う。眉間が嫌に強ばった。


『そうだ、脈略などない。ただ、それを願った者がいた。故に叶え――』

「――ちがうっ! そんなことわたしはっ!」


 感情の見えないフェイスレスの言葉を、悲痛な叫びが切り裂いた。桜花のような眼を持たないレイロードにも、まるで視認できる程の痛みを、その声に覗かせて。


「ふるーる……?」


 訳が分からないと、ラナが小首を傾げる。そこには、先程までに覗かせていた、奇妙なほどの気力はなく、抜け殻のように空虚な声だった。そんなラナに向けられたフルールの貌は、道に迷った幼子のように怯え、吐き出された声は、今にも消え去ってしまいそうな程に脆く、上擦り掠れていた。


「ち、ちがうっ! わたしはっ! ちがうっ! そうじゃ――」


 縋るように叫ぶフルールの声を、酷く冷淡で無感情な声が阻んでいた。


『――願わなかったと』

「黙ってろッ!」


 レイロードは咄嗟に明鴉で斬り込むが、梨の礫。尽くを躱され、捌かれ、フェイスレスの口すら封じる事は適わなず臍を噛む。

 言葉は刃だ。姿無き刃。それ故に、誰にも届かず、誰にでも届く。そして時に、鉄の刃よりも、深く刻まれる。事実、今、その刃は届いていた。


『瞬き程も抱いた事はないと、その胸中に。誓えると? 君の剣に』

「それ……それはっ! ……それ、は……」

「……そう、なんだ……」


 最初こそ、力の込められた声はしかし、一瞬にして気勢を失い、消え入りそうな、寧ろ、何処かに消えて霧散していた。ラナの声も、また。

 レイロードは殊更に歯噛みした。必要以上に握り込んだ拳に、柄巻きが短い呻きを上げる。愛刀の悲鳴に、強ばった掌を無理矢理開き、何とか握り直す。鬱憤と不甲斐なさを押し込め、せめて一太刀とした所に、場違いな程朗らかに、レオルの声が響いた。


「う~ん、でもそれってさ、仕方ないんじゃない? だってさ、ラナ、時々クソウザくて、つい、死ねって思ちゃう事あるからさ」

「……え……? ……れおる……?」


 笑顔で話すレオルにラナが、何を言われたのか分からないと、呆然とした瞳を向ける。それはまるで、世界にたった一人残されたかのような空虚さに満ち、深淵へと引きずり込まれてしまいそうであった。

 それを一瞥したレオルは突如、何故か死んだ魚のような瞳で何処かを見据える。出てきた声もまた、抑揚のない呟き声だった。


「俺のプディング勝手に食べた時とか」

「…………………………………………へ?」

「俺の、プディング、勝手に、食べた、時、とか」


 気の抜けた吐息を漏らすラナに、レオルが濁った瞳でもう一度、嫌に強調して繰り返す。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!?」


 対するラナの返答は、耳をつんざく絶叫を鳴り響かせる事だった。

 しかしそれは、曇り空から差す光にも似て、それまでの陰鬱な空を、何処かへと吹き飛ばし、力強い夏の日差しを、確かに呼び込んでいた。


「っっっんっ! っっっな事で殺されて堪るかってのっ! ぶぁぁぁっかじゃないの!? FFFFFuckingggg nowwwWWW! uuuuUnderstaaaandddDDD!?」


 ラナが噛みつきそうな勢いで、レオルの肩を揺さぶるが、当のレオルは何処吹く風と、ネットリとした視線を送り続ける。鼻から抜けたような溜め息が、無駄に辛辣さを助長する。


「は? 何言ってんの? グリーンフィールドの家が送ってくれたプディングだよ? 沸いてんの?」

「ひっっっとつやふたついいじゃん!?」

「え? なに? 今まで何個俺のプディング食べたと思ってんの?」

「おっぼえてる訳ないじゃん!」

「だからそんだけ食ったんだよね? 舐めてんの?」

「うっわ、小物くっさあ! くっっっさぁぁあ寄んな臭う!」


 酷く無様な醜い言い争いに、フルールがキョトンと首を傾げる。レイロードは何とも言えず、居たたまれないような表情で目を逸らせば、何やら眠たげな桜花の半目と視線が合う。黒真珠の瞳に奔る己顕ロゼナ光は、切れかけの電球のように疲れ切り、何がそんなに一大事なのかと、レイロードに訴え掛けていた。


「……その、何だ……アルフォード人にとってのプディングは……お前にとっての、犬みたいな物だと思えば……」

「ああ、それはダメですね、仕方ない」

「……なんてひどい……」


 あっさりと納得するする桜花の声に、フルールの呟きが紛れ、レイロードが気怠げにラナを見れば、案の定。


「オ前もかぁぁああああっ! ちっちゃいわぁあああ! デカいのは胸だけかぁあああ!?」

「ちょっ!? そこは関係ないでしょ!? やめっ!?」


 耳聡く反応したラナが、矛先をフルールへと変えると、レイロードの隣で無気力に佇む誰かとは違う、無駄に豊

かな胸部を鷲掴んで押し倒す。身を守ろうと、フルールが必至に身を捩るが、追及の魔手は緩まない。


「つーかなにこれ!? 何か硬い!? あれかっ!? 偽物かっ!?」

「ちぇ、チェストプロテクターに決まってるでしょ!? そっちも結構あるんだから付けてるでしょうが!」

「付けんわっ! 邪魔くさいっ!」

「んなっ!? 体軸1ミリブレれば、剣先1センチはブレるのよ!? もっと気を遣いなさいよ!? 己顕士(リゼナー)に胸なんて邪魔なだけなんだからっ!」


 かしましい2人の姿に、汚物でも見たかのように目を背けたレイロードだったが、だからと言って二人の喧噪が留まろう筈もなく。


「残念! あたし剣使いませんからっ!」

「なにその屁理屈!? 無手だって関係あるでしょっ!? 装備のセオリー無視してミスったなんて、目も当てられないじゃないっ!」


 レイロードの視線の先には再び、やる気の喪失した相棒の淀んだ瞳。何とも言葉に詰まり、桜花にも存在する話の焦点となっていた部位に、何となく視線を逸らした。


「……そうなのか……?」

「ん? ああ……ええ、まぁ。私くらいのプロポーションが、高機動型女性己顕士(リゼナー)としての最適解くらいですよ。あの二人はもっと絞るべきですね……まぁ、今はそれ以前の問題ですが……」

「……まぁ、そうだな……」


 それなりに慎ましい胸元に指を立て、何時もの得意気なポーズを採る桜花だが、ヘナッとした指先だからなのか、眠たげな半目だからなのか、何時もの華やかさは感じられなかった。


「大体っ! 今回だって、暑いから~、なんて言って肌出してっ! それで結局怪我したじゃないっ!」

「あ、あんな状況想定できるかぁぁあああっ!」


 何か大事な事を忘れている気もしたが、色々と面倒になったレイロードは、窓辺に映る茜色の空へと思考を放棄した。尤も、だからと言って、実りのない論争が絶える事はなかったが。


「はぁ!? 普通の装備してれば問題なかったでしょ!? そもそも肌出すなっ! ああ……もうっ! 何時も何時もっ! 昔っから何でそう無神経なのっ!?」

「はぁああ!? 気ぃ遣ってんじゃん!? むしろ気遣いの達人じゃんっ!」

「どっ、どこがっ!? もうそれだけで十分無神経なんじゃないっ!? ああっ! いい加減っ、は、な、せっ!」


 遂に我慢の限界に達したのか、フルールが歯を剥き出し、ラナの頭を強引に押し戻し振り解く。引き剥がされたラナが目を見開き、バランスを崩して尻餅を付くも、結局、燃え上がる火口に燃料を投下しただけ。そのまま大の字に倒れると、自棄になったかのように捲し立てる。


「はあーーーー! うっわっ!? なに暴力!? 暴力!? 口で勝てなきゃ暴力ですかぁ!? そりゃあたしじゃ敵いませんからねえーっ!? あーそうあーそう! あーええですやんっ!? 好きにしたらええですやん!? ころしたらええんやないですかぁーーーーっ!?」

「っ……! なに開き直ってっ! そう言う所が無神経だって言ってるっ! 私はっ! ――」


 フルールが、その赤毛にも負けない程、燃え上がるように眉と目尻を釣り上げ、拳を力強く握り上げる。音すら聞こえて来そうな程に力の籠められた全身はしかし、不意に糸が切れたかの如く緩められ、吐き出された声もまた。


「――私はラナに、死んで欲しくない……殺したくなんて、ない……何で何時も、無神経なの……?」

「…………」


 その声を向けられたラナは、それまでとは一転、気まずそうに眉を歪め、ノソリと上体を起こす。そして、暫くの沈黙の後、掠れた声で呟いた。


「……ごめん……」

「っ……ごめん……」


 それはフルールも同じく。共に謝意を口にした少女二人はしかし、バツの悪そうに顔を伏せたまま。桜花を見れば、つまらなそうに眠たげな瞳を向けていた。

 レイロードは、どうした物かと口を開き掛けたが、結局、場を収める言葉が見つからず、溜め息だけが漏れ出した。代わりに、とでも言うように、落ち着いた柔らかさを持って、レオルの声が届く。桜花が何故か、ギョッとしたように目を見開いたが、意味は分からなかった。


「よっし、これで二人とも、少しはスッキリしたんじゃない? まぁさ、長く一緒に居る人だとさ、その人の良い所が普通になっちゃって、たまに見える嫌な所の方が目に付いて、積もり積もって、心にもない事、考えちゃう時もあると思う。それもしょうがないよ。完璧になんて生きられないし。

 でもさ、気を張りすぎて、それを悟られないようにして……そんなんじゃ、何時か頭のネジ飛んじゃうって」


 悪戯っぽく笑うレオルの顔に、レイロードは何かの翳りを見た。桜花もまた、その姿に目を細めている。それは多分、見知った誰かの事だったのだろう。だからと言って、口出しする事でもなく、レイロードは静かに胸の奥に収め、レオルの声を聞く。


「だからさ、こいつ程じゃなくてもいいから、フルールはもうちょっと、不真面目に生きてもいいんじゃない?」


 言ってはにかむレオルに、ラナが不機嫌顔で口を尖らせたが、何か言う事はなく、僅かに微笑んだフルールが、言葉を噛み締めるかのように、静かに頷く。


「不真面目に……か……うん、頑張って、みる……」

「ちょ~と、それ頑張るもんじゃないって~。既に先行き不安てどうよ?」

「ああ、もう、う~る~さ~い~、直ぐにどうにかなる訳ないでしょう?」


 硬さの残るフルールに、ラナが茶々を入れば、気の抜けたような、呆れたような、程よく肩の力が抜けた声で返事が返り、それを見たレオルが苦笑する。


「う~ん、だったら無理する必要も無いんじゃない?」

「そんな!?」

「いや、だってそれじゃ本末転倒じゃん?」


 困惑するフルールに、至極真っ当な答えを返すラナ。気の抜けたやりとりをする姿に、漸く落着したかと、レイロードもまた、気の抜けた吐息を漏らす。そんな緩んだ空気の中、レオルがラナとフルールを庇うように立った。


「そんな訳だから、この二人は、もう関係ないよね?」


 静かな、しかし、明確な怒りを秘めた声の先。何もない筈の空間へ、レイロードは、ゆるりと視線を向け――己の迂闊さに、思わず右手で顔を覆う。怨嗟にも似た、底冷えのする声が湧き出て吐き出された。


「……やって……くれたな……」

「……私に近しい、感覚と認識を欺瞞する己顕法(オータル)……象圏もなしに……?」


 隣では、桜花が不快感も顕わに自身の頭を小突いている。傍観に徹していたフェイスレスの目的は不明だが、大方、仲違いの様子を眺め、悦にでも浸たっていたのだろうと、レイロードは高を括る。

 睨み付ける二人の先で、俯き伏せられたフードからは、何も垣間見えず、そして矢張り、流れ出たその声からも、感情は見えない。


『人は見たい物だけを見ようとする。得体の知れない恐怖を私に重ね、姿を奪い、忘却の彼方へと置き去り、そして安寧を得る。君も同じだ、ピースメイカー』

「……ホザいてろ……」


 毛を逆立てるレイロードに、桜花が、今度は落ち着いて下さいよ? と、胡乱げな瞳を向ける。分かっていると手で返し、大きく息を吸い込む。そのままに吐き出せば、俯いたままに話すフェイスレスを、多少なりとも冷静に捉える事が出来た。


『君は、私を同じ天窮騎士(アージェンタル)と認めたくはないのだろう? 気の触れた暗殺者だと、信念などない、異常な殺戮者だと。ああ、それは概ね間違ってはいないよ。そうあるべきだ。そうでなくてはならない』

「クソがッ、こうも堂々と馬脚を現すか……」


 フェイスレスの言い草に、レイロードから自然と真鍮色の己顕(ロゼナ)が溢れ、瞬きも許さぬ早さで羽刃を象る。最早言葉は不要と、斬り込まんとしたレイロードはしかし、次いで発せられた言葉に機先を失う。


『……だが、異常なのは、君とて同じだろう? 見知らぬ誰かの栄誉のために、自らの人生を捧げると言うのだ』


 確かにそれは、天窮騎士(アージェンタル)レイロード・ピースメイカーが踏み出した一歩目の動機だ。桜花が不安げに眉根を寄せたが、大丈夫だと手で返す。


「……見誤るなよ……俺が追っているのは、嘗て目指し、何時しか諦めていた、俺の描いた銀の姿だ……」


 だがそれは、見据えたその先は、遙か幼少のみぎり、師と共に、夜空に浮かべた幻想の姿でもあったのだ。例え辿り着かない旅路であっても。


『その理想に、私が達していないからと、私を否定するのか? 他の天窮騎士(アージェンタル)達はどうだ? 君はどれ程知っている? マクシミリアンは? イルは? エナは? ダルクは? そして、当代は? それだけではない、過去の先達はどうだ? 皆が君の理想に達していると?』

「……黙れ……」


 その問い掛けに、レイロードは答えようがなかった。桜花が腕組みしつつ、不満げな視線を送って来たが、だからと言って、どうもしようがない。割れた窓から流れる風に、耳を傾けてみた所で、風の噂も聞こえてこない。

 誰と交流がある訳でもない。話程度に聞いただけ。その心の裡など知りようもない。ましてや、天窮騎士(アージェンタル)の称は、自ら名乗る物ではなく、他者から与えられる物。ならば、否定出来よう筈はない。それを見透かしたように、フェイスレスが続ける。


『そうだ、違うだろう? 違うだろうさ。君の理想など、君ですら信じていない幻想だ。だと言うのに、ただ君は、私を認めたくがないだけの一心で、私が天窮騎士(アージェンタル)である事を否定する。浅ましい事だ。

 確かに、私が望んだ訳ではないが……それとて、君も同じだろう? その惰弱な浅ましさが――』


 不意に、フェイスレスが顔を上げる。真っ黒なフードの中に、そこにあるであろう両の瞳に、目映い輝きが見えた。この上なく、その紋様はよく見えた。輪の四方に円が一つずつ配置された、十字架とでも言うべき紋様。それは、紅龍・マグナドラゴン・イグノーツェの、人間の王を彷彿とさせる瞳。思い出される圧倒的な理不尽に、悪寒が背筋を駆け上り全身を粟立たせる。


『――可能性を潰した』

「ッ!?」

「ちょっ!?」


 レイロードは衝動に突き動かされるままに、桜花の声を振り切って、形振り構わず出し得る最大速度で突撃すると、羽刃の援護の元、大上段に構えた鞘から"禊落し"を撃ち放つ。その間、コンマ1秒足らず。黒閃がフードを切り裂く瞬間、


「……え……?」


 "隣から桜花の声"。"斬り掛かって来たフェイスレス"を、"迎撃せんと右薙ぎに振り抜いた刀"が、"距離を取った筈の桜花"の喉元に迫り――あわや捌かれ、虚空に黒閃を描く。


「……なん……だ……?」

「……わ……かる、わけ、ない、でしょう……」


 呆然と尋ねるレイロードに、矢張り呆然と桜花が返す。背後に視線を送ってみても、3人共に目を見開き、分からないと首を振るだけ。迫っていたはずのフェイスレスは、その場を動かいてすらいない。余りにも不可思議な現象は、恐怖する事すら、レイロードに忘れさせていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ