4. 貌なし-5
真鍮色の光から、徐々に色が失われ、力のないただの光へと変わり、そして緩やかに晴れていく。眩しさに細めていた目を見開きながら、桜花は安堵の溜め息を吐いた。
「っつ~まっぶし……って何か変わってない?」
「え? あ~うん、確かにね……」
「砂漠化の影響がこんな所まで……」
冗談なのか本気なのか分かり辛いフルールの言葉通り、オービタル・ブレードの落着地点の周辺、100メートル近くが、風化したように砂地へと姿を変えていた。その中心に立つレイロードに目を向ける。何かが横たわって居たであろう一点を見つめ、相も変わらず渋面を浮かべている。何時もの半目を浮かべ、溜め息を吐く桜花を、ラナが遠慮がちにつついてきた。
「ね、ねぇ、何でオッサンあんなに不機嫌なの……? だ、大丈夫?」
「何と言うか……まぁ、色々気難しいんですよ。あんまり余計な事ばかり言っていると、フォローしきれなくなるかも知れませんので、程々にして下さいね?」
「ア、ハイ……」
若干顔色を悪くする3人から視線を外す。脅すように言っては見た物の、実際の所、レイロードの気難しさは、他人へよりも自身へ向けられている事が殆どだ。恐らくは今回もそうだろう。先ずは聞くだけ聞いてみればいいと、桜花は気怠げに目を細めた。
砂塵が風に舞って消えていく。一体何処に消えていくのだろうか、レイロードの漠然とした感慨もまた、砂と共に風に流される。浅い砂地へと変わった一帯を軽く一瞥すると、レイロードは背を向けて歩き出した。アレが本当に"フェイスレス"であったのかは、分かりようがなかったが、どうにも気持ちのいい終わり方ではない。足取りが重く感じるのは、きっと砂地のせいだろう。
「浮かない顔をしていますね」
そんなレイロードを出迎えたのは、浮かない顔をした桜花と、妙な愛想笑いを浮かべる3人だ。何故そんな顔をしているのか、考えるのも面倒になったレイロードは、嘆息混じりに流すに納めた。桜花の言葉に、想う所はあったのだが。
「……そうか……」
――ありがとう――
それが自身の蟠りを紛らわすための幻聴だったのか、それとも本当に聞こえたのかは分からない。だが、最後にそんな言葉が聞こえた。そんな気がしたのだ。
「面倒な人だ。心が曇るくらいなら、素直に受け取ればいいんですよ」
「お前にも聞こえたのか?」
「いいえ。ですが、どうせ感謝でもされたんでしょう?」
肩を竦める桜花に、だったら放っておけと、レイロードは片手で軽く払う仕草と共に、桜花の脇を通り抜け、自身の掌を見つめた。
「どうしました? まだ何か?」
「……弱すぎた……」
それが、"貌なし"に対する、レイロード・ピースメイカーの率直な感想だった。
「いや、どこがよ……」
反射的な速度で、呆けた顔をしたラナの声が飛んでくる。確かに、並の己顕士とは比べ物にはならない。が、天窮騎士とするならば、それは余りにも弱すぎた。刀のないレイロードにすら、どうにか出来てしまう程に。
「所詮は暗殺者、と言う事だったんでしょう。不意打ちと逃げに徹すれば、アレをどうにか出来るレベルの使い手と遭遇する事など、そうそうなかったでしょうから。
伝説も所詮は人の噂、と言う事なのかも知れません」
「止めろッ」
桜花の言葉に、レイロードの語気がついと強まる。ロマーニの銀も、所詮はその程度と、そう言われている気がして。
「……言葉が過ぎましたね」
「……いや……そうだな、そうかも知れん……」
眉尻を下げる桜花に、子供じみた癇癪をぶつけそうになったレイロードは、気まずそうに視線を逸らす。その瞳が、何故か身を強ばらせる少年少女を捉え、眉根を寄せるや、
「ちょっ! うえぇ!? 確かに疲れてるけどさあ!?」
「またかよ!?」
「な、何で私まで……」
"憧憬"の己顕法で持ち上げた。途端、誰とは言わず、何時もの半目が突き刺さり、レイロードは反射的に口を開いた。
「いや、妙に静かになったものだからな? 疲労がぶり返したのかと……」
「……まぁ、好きにすればいいと思いますよ?」
呆れ顔の桜花に歯切れ悪く答えたが、言いながら桜花も、然程気にする事なく、そそくさと足を帰路へと向けていた。嘆息半分、その後を追おうとしたレイロードに、横から好奇の視線が飛んでくる。
「……何だ……?」
「い、いえ、別に……!」
「……そうか……」
面倒臭げに眉根を寄せるレイロードに、3人がブンブンと景気よく首を振るが、歩き出せば再び好奇の視線が集まってくる。無言で発せられる、好奇心やら好色やらが混じった妙な圧力には、あくまで気が付かないふりを押し通した。
山道は、戦闘を交えた後とは思えない穏やかさに満ちていた。木漏れ日は柔らかく、木々は優しく薫る。動物たちが興味深げに顔を覗かせ、耳を打つのは、草花の笑い声と、道行く足音、それに、学生達の呑気な声だ。
「あ~何か結構楽かも、これ」
「そーだねー何だか眠くなるよ」
「いいベッドって、こんな感じなのかもね……」
連れ出された時には縮こまっていたが、ふよふよと浮かびながら、すっかり寛ぐ3人に、レイロードは難色を示し眉根を寄せたが、その口元には笑みが浮かんでいた。
余裕が持てるのは、戦友が居るからだろうか。一人の時は気楽ではあった。だが、そこに余裕はなかったのかも知れない。何時も何かに追われている気がして。今は違う。そう感じるようになったのは、何時の頃だろうかと、頭を捻るレイロードの前で、黒髪が揺れていた。
「……レイロード……」
「何だ?」
その視線を知ってか知らずか、前行く桜花がボソリと名を呼ぶ。そして、若干落ち着かない様相で僅かばかりの視線を寄越し、幾ばくかの逡巡を見せた後、躊躇いがちに口を開いた。
「……それ、後で私も……」
「で、幾ら出す?」
が、容赦なく切り捨てる。譲歩するべき理由は、特に見当たらなかった。ジットリした半目を寄越しながら肩を落すに桜花に、レイロードは当然とばかりに口角を釣り上げ、そして大人げないその姿に、今度はラナの呆れ顔が向けられる。
「うっわ、けちくさ~」
「ねえ、ラナ。私達が誰に運んで貰っているのか、考えてから口にしてね?」
「うん、いい加減にしろよお?」
絶妙な笑顔でこめかみを引き攣らせるフルールとレオルに、ラナが口を尖らせ、桜花が肩を竦ませる。賑やかさが、心に積もる靄を少しばかり払い除け、木々の切れ間が鮮やかに一行を出迎えた。その先には、間延びしたしゃがれ声。
「おんやあ、ピースメイカー卿、随分早いお帰りでえ」
「んだよ、こっちは無駄足か、あ~SWATは撤収だ撤収! 他は現場確保行けっ! ボサッとしてんな!」
「見ろ! そっちがグダグダ言っていたせいで出遅れた!」
「うっせえ! 人質救出は警察の仕事だろうが!」
「その人質は己顕士だ! 警察はお呼びじゃないんだよ!」
「ゴチャゴチャ言うな! 鑑識の警護に何人か回せ!」
そして、重武装のSWAT部隊に、E.C.U.S.T.A.D.と思わしき己顕士達の集団だった。口論しているのは、レイロードに因縁を吹っ掛けてきた警官と、E.C.U.S.T.A.D.プラソユ局の局長だ。その二人を筆頭に、きっちりと二つに分かれて、集団がに睨み合っている。
「また豪勢な出迎えだな……」
「よくもまぁ、これだけ集めましたね……」
仲は兎も角、眼前の大所帯にレイロードと桜花は呆れ半分感心半分で呟いた。宙に浮いた3人は、人質が自分達の事だと分かったらしく、状況に目を白黒させている。そんな様子をにこやかに笑いながら、カピタナン警部が手招いた。
「いやぁ、皆さんの事が心配だったんですよお? 多分ねぇ? あ~、負傷者はその子だけでえ? 担架要らずで便利ですなぁ。レスキュー呼んでますから、そちらへどうぞお」
歩を進めながら、話を振られたレイロードは、機材を抱えて脇を抜けていく鑑識を流し見、そのまま視線で桜花に振れば、軽く片手を挙げて肯定の意が返ってくる。
「別にあたしも大した怪我じゃないんだけどね~」
「休むに越した事はないでしょ」
「応急手当だけだったしね。ちゃんと診て貰うに越した事はないよ」
レイロードの頭上では、それとなく不満を口にするラナを、フルールとラナが諫めていた。そして、二人の意見を後押しするように、聞いた事のある声が届く。
「傷口から感染を許している場合もあります。未知の場所、未知の敵と遭遇したのであれば、些細な傷でも診断を受けて下さい」
神経質そうな表情、抑揚のない声。それに加え、光を反射する眼鏡が、冷徹な雰囲気を醸し出す。それでいて、記憶に残りにくい、どうにも不思議な個性の男。何故居るのか、疑問に思いながらも、レイロードはその名を呼んだ。
「……ドクター・ファチェッロ、貴方も来ていたのか……」
「ええ、警部からお話しを伺いまして。無関係とも言い切れないでしょうし……」
「何だか重装備ですね」
自虐的に首を振るファチェッロは、桜花が言うように、薄手の防弾防刃ジャケットを着込み、手足を警察用のプロテクターで固めると言った重装備な物。
「軽装の範囲でしょう。戦場に赴く可能性がある以上、それなりの装備はしておきますよ。先ずはこちらに」
だが、それはあくまで一般人とすればの話だと、ファチェッロは肩竦め、レスキュー車の後部へ手招く。それを受けて後を追う直前、レイロードは、所々素肌を晒すラナの格好を一瞥し苦笑する。ギリギリと歯噛みする音が聞こえたが、手で塞がれた口からは、それ以上の音は出てこなかった。
桜花の半目から逃れるように、前を向いたレイロードは、その時、ファチェッロの鉄面皮に、僅かな険しさを見る。重なるように、ファチェッロの口が、重々しく開かれた。
「……結局、犯人は……不死だったのでしょうか……?」
「……一側面では……しかし、結局消えてなくなった……跡形もなく……恐らく何も出ないでしょう……警察には悪い事をした。貴方にも……」
物証の確保は出来ないだろうと、レイロードは戦場を振り返る。元凶の特定に繋がる事はないだろう。不死の研究材料も、また同じだ。が、ファチェッロはただ静かに首を振る。
「いえ、人には過ぎた代物だった、知らなくともよい事だった、それだけです……それでいいのでしょう……」
「……そう言うもの、何ですかね?」
「……そう言うもの、ですよ……」
桜花に対し、そう談ずるファチェッロは、何処か悲哀と寂寥を漂わせ、しかしまた、何処か安らぎを感じさせる、不思議な表情をしてした。それが何なのか、何であるのか、心に引っ掛かるものはあったのだが、近付く影と、徐々に暴れ出した荷物に、そそくさと3人をレスキュー車に放り込めば、解放されたラナが拳を握り込む。
「こ、このオッサンぅっ! 何時か目に物みせて……うおぉぉおっ!? なにっ!? でかっ! でかいよっ!?」
が、その威勢も何処へやら、レイロードの横から顔を覗かせた、被毛で目の隠れた白黒の大型犬に、慌てふためき後退る。車内の最奥にぶつかって止まったラナに、ファチェッロが至極迷惑そうに眼鏡を押さえ、一方で、目を輝かせたフルールが、PDを神速で抜き放つ。
「か、かわいいっ!」
「ふふっ、ミオリくんですよ」
「っ! ミオリくんっ!」
観光地そっちのけで犬を追い掛けると言う、典型的なシュバレ人観光客そのものと化したフルールに、桜花がミオリの頭を撫でながら満足げに微笑む。意味もなくミオリの名を呼びながら、シャッターを切るフルールに、今度はレオルが吸い寄せられてくる。
「いいな~、おっきいなぁ」
「うえっ!? 何であんたら平気なの!? でかいよ!? もう犬じゃないよ!? 熊とかだよっ!?」
「そんな訳ないだろ、怯えすぎだよ。ほらほら」
レオルが恐れ戦くラナに苦笑しながら、フルールに抱き付かれ、自撮りに付き合っているミオリを撫で、その後ろでは、桜花が揺れる白い尻尾の先を掴む。若人に囲まれ、もみくちゃにされている当のミオリはと言えば、何処か誇らしげにフンフンと鼻を鳴らしていた。
「いやあ、よかったねぇ~ミオリぃ」
そこに飼い主たるカピタナン警部も混ざり、場の賑やかさに拍車を掛ける。そんな賑やかで和やかな場を、ファチェッロの咳払いが一喝した。
「んんっ! そろそろ出発しても宜しいですか? 搬入先は診断結果から決めさせて頂きますので、追って連絡を。異存は?」
「ああ、いんやあ、済みませんねえ」
「あ、ああ、済まない。宜しく頼みます」
慌てて承諾したレイロードに、承知しましたと、頷いたファチェッロが、レスキュー車の後部ドアを閉めるや、心地よいモーター音を奏で走り出す。緩やかに遠ざかるレスキュー車の小窓に、名残惜しそうなフルールの顔を貼り付けながら。
「……・何だか、売られていく仔牛の歌を思い出しますね……」
「……やめろ……やめろ……」
胡乱げな表情で呟いた桜花と供に、レイロードは心底悲痛な面持ちで見送りながら、自身の機馬へと歩を進めた。
軽快に揺れる機馬の機上から、景色が鮮やかに流れていく。山並は既に遠く、街並みが近づくが、頬を撫でる風は柔らかく、季節の香りも緩やかに届く。タンデムシートでは桜花の長い長い黒髪が、艶やかに舞い踊り、機馬のサイドに据えられたバスケットからは、ユキムネとアルくんが時折顔を覗かせる。車窓から顔を出したミオリは、気持ちよさそうに目を細めていた。
機馬のディスプレイでは、アナログ表示の時計針が、頑なに使命を全うし時を刻み続け、その横では、タコメーターが張り合おうと唸りを上げている。その様が先の光景を思い起こさせ、レイロードは経口タブレットを放り込むと、並走する車内のカピタナン警部に問い掛けた。
「……所で警部、あの連中、よく集まったものだな」
「んん? ああ、いやあ、双方にですねえ? 相手がドラクル城に向かったと、そう伝えただけですよ」
「ああ、それで。対抗意識剥き出しでしたからね」
然もありなんと、桜花が呆れ半分感心半分と頷ずくが、その瞳には何時もの半目が据えられていた。
「いやあ、嘘は言っていませんよお? ほらあ、ピースメイカー卿方と、あたしが向かっているんですからあ?」
確かに、レイロード達はE.C.U.S.T.A.D.であり、カピタナン警部は警察だ。言葉通り嘘はない。悪びれる事なくはにかんで見せるカピタナン警部に、桜花の半目が注がれていたが、何処吹く風と流される。が、その笑顔が、突如真面目なものへと切り替わった。
「それにですなぁ、双方互いの与り知らぬ所で、全部終わっていたとなれば、納得もせんでしょう」
「……確かにな」
何も知らず全てが終わっていた場合と、現場に着いたものの、互いを牽制している内に、第三者が終わらせていた場合では、感情の落とし所も変わってくる。前者では、全ての矛先は、出し抜いたレイロード達に向けられるが、後者ならば、矛先は3方へ分かれる。そして、自分達にも責任があるかもしれないと思わせられれば、納得のしようもあるものだ。
「待ってくれ! その、ロマーニの己顕士」
それを示すように、背後から掛けられた声は、威圧感の中にも、躊躇いが感じ取れる。街並に入る直前、機馬を並走させてきた厳つい声の主に、レイロードと桜花は軽く会釈した。
「局長殿か……」
「どうしましたあ? 急用ですかあ?」
「いや、警部、大した事じゃないんだ。ロマーニからじゃ報告書が回ってくるか分からん、アンドレのヤツは答えやしない。詳細まではいい、犯人は確実に仕留めたんだな? クイントだったのか?」
矢継ぎ早に繰り出された問いに眉を顰めるが、依頼先も解決者も他国となれば、詳細が回るかは、相手のさじ加減一つ。警察からの情報も、付き合い次第だ。一E.C.U.S.T.A.D.の局長として、管轄内の事件がどう終息したかは、気が気でないのだろうと、一人納得する。
「正体が何であったのかは、定かでは……唯一として、"貌なし"と、そう呼ばれていたとは、言っていましたが」
『"貌なし"? ……"貌なし"……"無貌のへレナ"、か? 法歴1400代に、そう呼ばれていたの女流騎士がいたらしいが……確か、戦場では常に、何の装飾もない仮面を付けていたことが由来、だったか。こっちでも余り聞く名じゃないな。"フェイスレス"の名が強すぎる」
肩眉を上げて苦笑する局長に、確かにと、レイロードは肩を竦めて見せれば、継いで桜花が訝しげに首を捻る。建造物が描く無機質な影が、桜花の貌に重なり色を奪う。黒真珠に疾走る己顕光だけが、嫌に鮮明だった。
「しかし何ですね、だとすれば、過去からの亡霊、とでも言うんでしょうかね……むぅ、ゾッとしませんね……」
それも一瞬、再び光に飛び込めば、鮮やかに色を取り戻す。先には長い橋。空を見れば、暖かな陽の光が充ち満ちている。あの微笑みが、何故か重なって見え、レイロードは目を細めた。
「ですが、それも消えた。もう、戻る事もないでしょう」
「……そうか……それだけ分かれば、それでいいさ……現場は軽く見てきた……。
正直、機を焦りすぎてはいたと、今は思う。私も含め、ウチの連中はルーデルヴォルフ上がりが多くてね。血の気も多い。あのままでは、無駄に犠牲を増やしていたかもしれない。
礼を言う、助かった」
最後にそれだけ言い残し、局長の機馬がギアを上げ、一足先に橋を掛けていく。感慨深げにその背を見つめるレイロードの口の端に、僅かな笑みが浮んだ。
悪い気はしなかった。それは、礼を言われた事にか。あの微笑みが、腑に落ちた事にか。古巣の臭いを感じた事にか。それとも……"貌なし"が、"フェイスレス"ではなかった事にか。そんな気持ちの揺れを、つぶさに感じ取ったのか、桜花がレイロードの顔を覗き込んでくる。
「何だか嬉しそうですね」
「……そうか?」
「ええ、そうですよ?」
真っ直ぐに見つめる黒真珠の瞳に、どうにも居心地の悪さを感じ、レイロードは思わず視線を逸らした。
外した視線の先には、バートリー・キュルデンクラインの高層ビルが飛び込んでくる。今回の元凶、と目されるも、何も繋がらないであろう場所。
あくまで可能性の話。だがそれは、"フェイスレス"が今も尚、生き続けていると言う可能性にも言える事。何処かで誰かが、理不尽な死を迎えるかも知れないと言う可能性でもある。それを喜ぶのかと、自身の気構えに呆れたのだ。
「えと、あの、どうしました?」
「……いや……」
桜花が不思議そうに顔を覗き込んできたが、それしか言えずに口を噤む。が、その沈黙を破り、警察通信に一瞬のノイズが鳴り、思わずPDを引っ張りだすや、荒涼とした声が響き、レイロードとは言わず、桜花までも眉を顰めた。
『あーカピタナン、聞いてるか!?』
「なぁんだあい?」
『何だじゃねぇよ! 無茶苦茶な連中呼びやがって! 城壁にトンネルが空いてるわ、平野が砂地になっているわ、現場検証もあったもんじゃねえ! ったくよ……取り敢えず、上から何か言われる前に、取れるもんは取ってくが、期待すんなよ。
だがまぁ何だ……俺達だけじゃ、マズかったかものな……それに、ああまでされちゃあ、ちっとは胸が空いたよ……ああ! そうじゃねえ! あの連中にふざけんなっつっといてくれ!』
だそうです、と肩を竦めて見せるカピタナン警部に、レイロードと桜花は、互いに顔を見合わせ、そして気の抜けたような笑みを浮かべた。重苦しい気配は、何処かへ飛んでいた。が、そんな事などお構いなしにに、PDから荒涼とした声が再び届く。
『あー後な、何でかこっちに回ってきたが、あのガキ共の収容先、バートリー・キュルデンクラインだとよ、入れるように手筈を整えておくとさ』
「ほおんとうかい? そいうつあ……」
もたらされた情報に、カピタナン警部の目が細められる。人懐っこい笑顔の底では目まぐるしい勢いで算段を立てているのだろう。レイロードの肩から身を乗りだし、その様子を興味深げに伺う桜花を、鬱陶しげに払えば、何をケチ臭い事をと、桜花が眉根を寄せた。
『ハァ、ったく、何モンだ? あの陰気な医者』
「ロマーニのドクターだよお? と言っても、出身はこっち。オルレンテ東地区だけどね。そう言やあ、アンドレってベルデ・ジュニアハイだったよね? 歳も近いし、案外見た事あったのかもよお?」
『一々覚えちゃいねぇよ……あん? 待てよ……おい、そいつ幾つだ……?』
突如として訝しげな声を発したアンドレに、レイロード達3人は、怪訝な表情で顔を見合わせる。先程の会話の中で、妖しげな情報など思いも付かない。それはカピタナン警部も同様らしく、眉根を寄せて応答する。ミオリも小首を傾げていた。
「33歳だったよお? 965年9月18日生まれの。ちょっとなんだい?」
『あーてことは……前か?』
「いや、だからなあんだいっ?」
意味深な物言いに、カピタナン警部の語気も荒くなる。だが、それ以上に、眼前で、耳元で、取り交わされてた言葉が、ジワジワと喉元を締め付けるように、嫌な感覚が漏れ出してくる。あの学生達を、恐るべき死地へと、送り出してしまったのではないのかと。
『んだよ……ったく、ああ、977年にな、地区整理でオルレンテ東地区の指定公立校が、ノースプラソユ・ジュニアハイに変わってんだよ。かみさんがそうだったからな。間違いないぜ、おい?
在学中なら兎も角、入学前じゃその進路は妙だろ?』
「……おいおいおいおい、偽造……だってのかい? 出所は公文書だよお? 何の為に……」
『はぁ? 俺が知るかよ。妙だが、絶対に有り得ない、って訳でもねぇしな……なんだよ?』
アンドレが気の抜けた声を発する一方で、その場の3人は、一様に言いようのない怖気に襲われていた。桜花は目を見開き、何もない空間を無表情で見つめ、カピタナン警部は、頭を掻き毟ろうとしていたまま手が止まっている。ファチェッロの言葉の中に一つ、矛盾を見出していた。
――傷口から感染を許している場合もあります――
「……何故、俺達を診断不要と判断した……」
「ええ……何故、空気感染を考慮しなかったのか……」
「始めからあ、ピースメイカー卿達が、戦っていたモノを知っていたぁ……」
『おおい!? あつらそこにいんのか!? 聞いてんのか!? おい、カピタナン!』
そして一つの可能性に思い至る。理由など分からない。が、レイロードと桜花を、近づけさせたくなかったとしたら……。瞬間、レイロードは、機馬をトップギアへ叩き込んでいた。
「あの子らを確保するッ! 警部ッ!」
「理由はなんだって構いません! 付近の封鎖を! 走った方が速い、先行します!」
「ピースメイカー卿も! 行って下さいっ!」
カピタナン警部に頷き、桜花がシートを離れた時、レイロードの視界、その遙か先で、赤い光が弾けた。桜花の足が止まり、ミオリの太い吠え声が耳を打つ。バートリー・キュルデンクラインの中層、22階が、爆炎に包まれていた。桜花から、静かな怒気が漏れだしてくる。
「レイロード、レイロード・ピースメイカー……呼ばれていますよ……」
「ッ……分かっているッ!」
「なぁんて事を……これが手筈だってぇんですか……」
22階、0から数えた21番目。レイロードが冠された天窮騎士の番号。愕然としているカピタナン警部を横目に、レイロードの奥歯は割れんばかりに噛み締められ、眉根は千切れんばかりに寄せられる。
『おおい! だから何だってんだ!? 切っちまうぞ!?』
「ああ……あぁ待った! 待ぁったアンドレ! バートリー・キュルデンクラインが燃えてるんだよ! そっちからも人戻して!」
『はぁ!? んだそりゃ!?』
「往くぞッ!」
「ふざけた真似をしてくれる……」
思考を取り戻したカピタナン警部に後を任せ、レイロードと桜花は、地を砕くが気勢で駆けだした。