4. 貌なし-2
実に見事に決まったと、振り向いた桜花はふんぞり返った。何せ、使い所が限られる技だ。固すぎず柔らかすぎず、相応の弾力を持つ広い地盤がなければ、振動のうねりを十分に増幅出来ず、最大威力は見込めない。加えて、うねりの打ち返しが戻ってくるまで時間が掛かる。使用に踏み切ったのは、相手に飛び道具はないと踏んでの事からだ。
更に、外が固く内が柔らかければ、撃ち込んだ振動のうねりは対象の内部で更に増幅される。桜花の主力"閑音"のように衝撃波をばらまかないため、建造物内でも被害は少ない。レイロードの渋面が更に渋る心配もないとの寸法だ。打ち返しをソナー代わりに使えば、脱出路の目星も付け易い。
「おや? どうしました?」
正に適切な対処だったと、自画自賛していた桜花は、放心状態に陥っている目の前の3人に小首を傾げた。ともすれば、ビクリと体を竦ませ、3人がズリズリと地面を這う。訂正、用救助者に要らぬ警戒心を与えてしまっていたらしい。眉間を引きつらせながら、桜花は腰のケースからPDを取り出し怯える3人に向ける。
「イクスタッドの桜花です。前述の通り、救助に来ましたよ。
念のため確認しますが、フルール・クレール、ラナ・フォーチュン、レオル・グリーンフィールドの3名でいいですね?」
3人が一斉に、コクコクと激しく頷く。そして、また一斉に大きく息を吸い込み、やはり一斉に吐き出した。見事なコンビネーションだと感心する。脱力した全身からは、先程までの緊張感は見て取れない。桜花自身も、一安心出来ると言うもの。
「あぁ~、もう! ご同業か~びっくりした~また何か変なの来たと思ったじゃん!」
栗毛のショートカットの少女、ラナが、抱き寄せていた2人を解放し、ふて腐れるように体を投げ出す。いたずらっぽい瞳同様、仕草も感情豊かだ。やや小柄な体格が、小動物的な可愛さを醸し出している。随分と疲弊しているようだったが、命にまで別状はなさそうだ。
「あれって、象形拳だよね? イズモのマイナーなヤツ! そっちの人?」
"土蜘蛛"に目を輝かせているのは、茶髪の少年、レオル。ただの好奇心だろうが、利発そうな瞳が、逆に探りを入れているようにも思える。本人にその気はないが、言動に誤解を招くタイプだろう。
どちらにせよ、2人とも脳天気なのか、それとも胆力があるのかは判断に迷う所だ。
「ほ、ほんとに、助かった、の……?」
一方、その場にへたり込んで涙ぐんでいるのは、赤毛にセミロングの少女、フルールだ。桜花よりも高い身長に怜悧な瞳が、大人っぽい雰囲気を纏わせていたが、その仕草には、か弱い少女らしさが垣間見える。こう言う方がモテるんだろうなと、桜花は遠い目で彼方を見やる。光量の少ないこの場でも、PDは顔認識での照合を終えていた。
「ってゆーか、なに~もうちょっと大人しくしてば、あたしこんな無茶する必要なかったんじゃん」
「自業自得。考えなしに突っ走るからでしょ」
「でも、無事でいられた保証もないよ。戦場では、正解は後からしか分からないって言うしね」
ラナがくだを巻き、フルールが諫め、レオルがフォローに回る。これが3人の日常なのだろう。その光景が少し眩しく思え、PDを仕舞いながら桜花は目を細める。が、直ぐに気を引き締め、両手を打ち合わせた。
「はいはい、それくらいにして下さい。家に帰るまでが遠足ですよ?」
「は~? 何それ?」
「和雲ではそう言うんですよ――」
胡散臭げに見返すラナに、桜花は投げやりな態度で返す。警戒を解いてくれた事自体はありがたいが、少々緩み過ぎだと桜花は眉根を寄せ、背後から頭部目掛けて繰り出された貫手を躱しつつ、反対に相手の顔面へと歪曲空間を展開した左の裏拳を叩き込む。振り向き様、仰け反る相手に右のショートアッパー。跳ね上がり、がら空きになった脇腹へ右膝、そのまま打ち下ろしの蹴りへと変化させ大地に叩き付ける。が、相手は反動を利用して跳ねるように距離を取ると、四つ足を付いた獣のような姿勢で着地した。
「――で、ないと、怖い人に捕まってしまいますからね」
無意識に反応したため、今になって漸く敵を確認する。平静を取り戻していた筈の3人から、明らかな動揺が見て取れた。
「うそ……」
「何、で……」
ラナとレオルが呆然と呟く。それも当然だろう。何せ、桜花の前に居るのは、白ローブだ。
「もう1人、居た……?」
そうであって欲しい、とでも言うようなフルールの呟きが耳に入る。が、先程残ったローブが見当たらない。同一個体と見るべきだろう。半信半疑であったのだが、どうやら本当に不死身だったらしいと、内心舌打ちしながら桜花は判断した。ドクター・ファチェッロの話を聞いていなければ、桜花も動揺していたかもしれない。
軽く背後を覗うが、目を見開き硬直する3にんの姿は、即座に対応出来る状況とは言い難かった。だが、逆に言えば、無駄に動かれない分、護衛は容易い。
「動かないで下さいね」
桜花は念を押しし、白ローブの出方を様子を覗うべく目を凝らす。その瞳が、白ローブの手に変化を捉える。大地に突き立てていた指先の形状が、鋭く、固く、長くなっていく。そう認識した次の瞬間には、白ローブが桜花の眼前に迫っていた。
「で? どうしました?」
真っ黒な顔面へと拳を叩き込み、返す刀で吹き飛ぶ白ローブを"涼篝"で薙ぎ払う。万象を焼き却す薄桜の炎に包まれ、白ローブは10メートル程先まで吹き飛ぶと、何度か地を跳ね動かなくなる。
速いと言っても、レイロードの剣速に比べれば止まっているも同然。思考も何もない、本能に任せるが如き行動は動作も単調。迎撃は造作もなかった。
ただ死なないだけかと、桜花は落胆にも似た感情で、薄桜に包まれた白ローブを見る。"起源"以外の術名を告げなかった故、炎は弱いが、その分、状態はよく見えた。鎧か何かだと思っていた部分もまた、体の一部だったらしい。最早、目の前の白ローブは、直立二足歩行を行うクイントと認識した方が語弊はないだろう。尤も、それもこれまでだが。とっとと終わらせようとした時、呆けたようなラナの声が届き、桜花はその気勢を削がれた。
「薄桜色の己顕……何てバカみたいな出力……」
「出力なんて何の目安にもなりませんよ?」
レイロードに向ける何時もの半目を送ると、ラナが分かっていると言わんばかりに、眉根を寄せて肩を竦めた。己顕は、白に近づく程に出力が高くなるとされる。が、出力など、一秒間に精製出来る己顕の量と言うだけ。数値化もされてはいるが、機械での正確な観測が出来ないため人間頼り。その数値も、赤緑青の3原色を256段階に分け、RGB値を掛けただけ。大した意味はない。
例えば、桜花の薄桜ならば約1500万。レイロードの真鍮は200万と言った所。これだけでも無意味だろう事が窺える。アルトリウスの天窮騎士、剣聖イル・バーンシュタインなどは最たるもので、その色は朱だ。数値にすれば5万にも満たない。
精製された己顕は丹田辺りに蓄積され、実際に使う分はその己顕だ。出力が高ければ息切れしにくい、と言うだけであり、出力と容量のバランスが肝要なのだ。そして、最終的にものを言うのは、己顕法の性質であり、顕装術の練度であり、それを十二分に使いこなせるセンスや経験、そして技量だ。
「あ……ちょっと待って!」
「待って! ソイツは!」
レオルとフルールが何か言わんとしていたが、これ以上付き合っている暇もないと、両手を目の前に掲げ、合掌。打ち鳴らされた音と共に、薄桜は白ローブを――どうともしなかった。
「お、おや?」
"涼篝"の制御が、完全に桜花の手を離れていた。桜花は小首を傾げたが、叫ぶレオルとフルールに得心がいく。
「己顕を吸収するんだ!」
「しかも全身から! アレじゃ餌を与えただけ!」
そして一つ理解した。被害者の死因だ。己顕は全ての生物に宿る。使い過ぎれば、出力は0に近いレベルまで落ちるが、それでも途切れる事はない。途切れる時は即ち、死ぬ時だけ。ならば、逆はどうか。
「……完全に己顕を吸い尽くされた人間は、死に至る……そう言う事ですか……」
桜花の視線の先で、"涼篝"の炎が、白ローブへと吸収されていく。量子化していた際に聞いた、供給する、とは己顕の事だったと言う訳だ。"土蜘蛛"が決まった事で、詳しい話は後で聞けばいい、どうにでも出来ると慢心していたが故に、気にも掛けていなかった。
『そうらしいね。別に望んでいた訳ではないよ。おや? 何だか先にも言ったような……?』
完全に薄桜を吸い尽くした白ローブが、記憶の混濁でもあるのか、顎に手をやり小首を傾げる。その仕草は、何処かユーモラスであり、目の前の化け物が、悪意を持って人を襲っている訳ではないと、暗に告げているようだった。だからこそ余計にタチが悪い。歯噛みする桜花に、真っ黒なフードが向けられる。そこから発せられた言葉は、実に恐るべきものだった。
『それにしても君の己顕……空腹は満たされても味気がないな。まるでアルフォード料理のようだ』
「んなっ!?」
――え、会長? いや、恋人とかはちょっと……――
――佐伯って、たまに女子だって事忘れるんだよな――
――織佳ちゃんって、たまにすごくばかっぽく見えるんだよね――
――妹さんとか、お母様は凄く綺麗なんだけど、織佳はその、なに?――
――俺ゃぁオメエを娶ってくれる漢が居たらよ、それだけでもソイツに感謝しちまうよ――
――お母さんね、思うんだけど、幾ら髪を伸ばしても、織佳ちゃんは女の子っぽくならないと思うの――
桜花の脳裏に、走馬燈のように流れ出ては消えていく台詞達の数々。高校時代の男子クラスメート達、中学時代からの友人達、父と母。そのどれもが、やんわりと、そして確実に、ちょっと心を抉っていった。が、白ローブの一言は、その中でも殊更に心を抉る一撃だ。
「ひ、酷い……酷すぎる……」
にやける口元を押さえてラナが涙ぐむ。
「私なら、もう、生きていけない……かも……」
無駄な脂肪分が蓄積された胸元に拳を押しつけフルールが苦悶する。
「ねぇ、君達、一応俺の故郷なんだけどさ、そこ。確かに飯は不味いけど……」
レオルのフォローは、何らフォローになりはしなかった。
自身の己顕は、歪んではいても決して空虚な物ではない筈だと信じていた桜花は、追い打ちを掛ける非礼な少年少女へ怨念じみた瞳を向ける。
そして、見た。苦悶するフルールが、おどけるラナが、呆れるレオルが、その内に宿らせた感情を。それは、言い知れぬ恐怖への怯え、そして鼓舞だ。非礼にも、薄情にも、不躾にも思える彼らの態度が、湧き出る恐怖を薄める、自身を鼓舞するための行動であったのだと、桜花の魔眼、プリミティブ・レイは告げていた。そうと識ってしまえば、怒る事など出来はしない。桜花は知らずと3人へ微笑み掛けていた。
「ふふっ、安心して下さい。貴方達には指一本、触れさせはしませんよ。ええ、保証します、絶対に帰すと」
「え…・…?」
呆気に取られた3人の顔が、少し面白い。レイロードに言わせれば、きっと甘いのだろうし、桜花からすれば、単なる傲慢だ。だがそれでも、怯えながらも立ち向かおうとする年下の少年少女を、己顕士だからと見捨てる事は出来なかった。
放棄し掛けていた冷静さが引き戻され、成すべき事の思考が巡る。理想は白ローブの抹殺。しかし、"閑音"は使えない。威力が高すぎる。下手をすれば城ごと倒壊させかねない。となれば、3人の救出を優先するべきだろう。しかし、白ローブの抹殺も重要だ。それ自体はレイロードにでも任せればいい。刀がなかろうがどうにかするだろう。
問題は外に引き摺り出せるかどうかだ。白ローブは自身が絶対的に有利だと錯覚している節はあるが、逃げた際に追ってくるかは分からない。4人を追うとなれば、一人では頭数が足りない。手勢が居るかどうかとなるが、強いて気になる点を挙げるとすれば、地下に散見される白骨だろうか。何かあるとすればあの辺り。
「一つ、聞きますが、アレの手勢は確認出来ましたか?」
「え? あ、っと、どうだろう……えっとさ、信じられないかもしれないけどスケルトン……そこら辺の骨が動いたんだよね」
「ここを家と言っていたから、可能性は高いと思う」
一瞬迷いを見せたラナが、散らばる白骨を見回し、フルールも肯定的に答える。桜花は素直に頷く。そこに疑問など生まれはしなかった。
「成程、骨格は生物を形作る基盤です。動きもするでしょう」
「いや、どんな理屈なの、それ?」
不死者に比べれば、骨が動く事など些細な事だと桜花は思ったのだが、レオルが否定気味に首を捻る。何か変な事でも言ったのだろうかと小首を傾げる桜花に、白ローブから声が掛けられた。
『相談は終わったかな? それでどうするのかね?』
「当然、逃げますよ?」
桜花は白ローブの頭部を掴み、暗に追ってこいと耳元で囁く。桜花にとって、10メートル程度は距離の範疇に入りはしない。
『っ!?』
そして、白ローブが何か反応するより早く、押しつけるように大地へ叩き付けた。
「"居伏"……」
大気が甲高い悲鳴を上げて凍りつき、爆発的に膨れ上がった氷塊が白ローブを瞬時に捉え拘束すると、有り余った冷気は成長を止める事なく、蔦のように延び広がる。大気の悲鳴が泣き止んだ後には、盛大な氷のオブジェがそびえ立っていた。
「さて、行きますよ。ただの氷です、そう長くは持ちません」
桜花は手を叩きながら、言葉もなく立ち竦む3人に告げると、氷漬けとなった白ローブを流し見ながら背を向けた。氷の牢獄から視線を感じる。こちらを見ている、そう確信し、思い通りに動いてくれる事を祈りつつ走り出す。
「あ~待って待って! いくいく!」
慌てたようにラナが叫び追随する。顕装術を使えるだけの集中力もないだろうラナに合せ、速度は常人のそれまで落した。着いてくるのに問題はないようだった。フルールとレオルも直ぐに併走してくる。
「ちょっと待って、私達が入って来た時、扉は開いていたけど、出ようとした気には閉じていたの。塔からは出られないんじゃない?」
「それもオリハルコン製の……ってまさか……抜ける、の?」
途中、フルールとレオルが疑問を口にするが、何とも答え辛い。来る際には入り口が分からず、結果、桜花が量子テレポートで先行したのだ。入り口の場所自体、今知った所だ。桜花は逡巡すると、答えられる部分だけを曖昧に口にした。
「慣れれば難しくはないですよ? まぁ、今回は最短ルートで行きますから、関係ないですけど、っと、ここですよ」
胡散臭げな視線を寄越す3人にはそれ以上答えず、桜花は目的地の前で止まる。目星は土蜘蛛を撃った際に確認済み。比較的柔らかく薄い地層の箇所だ。ドラクル城は高台に建築されているため、上に抜けずとも、直進して外に出られる箇所がある。加えて、ここからならば先は平地だ。白ローブも見つけ易い事だろう。
「ちょっと~、何もないじゃん」
「隠し扉、とか?」
「あ、確かにありそうだよね、手分けすれば……」
愚痴るラナに構わず、フルールが壁を触りながら、仕掛けがないかと探り始め、レオルがそれに追従する。二人とも、ラナの愚痴が疲弊を隠すための強がりである事を見抜いているようだった。微笑まさと、若干の羨望を覚えたが、一先ずは心に仕舞う。
「多分ありませんよ。下がって下さい。抜きますから」
目を点にする3人を壁際から引き剥がし、桜花は羽織っていたマフラーを外すと前方で回し、布地の表面を歪曲空間で覆いながら円錐状に組み上げる。拳を引き絞る桜花の前で、旋回する朱の刃が大気を切り刻み、歪な音を立てて鳴く。
「果て成せ"旋路"!」
一撃、錐の中心部へと拳を撃ち込む。朱に染まった錐が弾けるように広がり、石壁をごっそりと削り取りながら歪曲空間の渦を作り出す。独楽の要領でマフラーを引き抜き更に加速。空間の暴風が解き放れ、唸りを上げて突き進み、眼前に新たな道を作り出していく。
「っ――!?」
「うぺっ、砂入った……ってイタタタ!」
荒れ狂う嵐に、フルールが身構え、レオルが背を向け、肌を露出させていたラナが喚く。賑やかな一行の前で、嵐は吹き荒れ、そして唐突に過ぎ去った。後には、雲一つなく澄み渡った空が残される。即席のトンネルの向こう側、20メートル程先から、目映い光が祝福するかのように溢れ出していた。
誰ともなく歩き出す。行く先など決まっていた。徐々に徐々に歩を速め、遂には走り出す3人を眺めながら、桜花は穏やかに微笑む。そして、心地よい歓声が響いた。
「外っ! だぁあああああAAAAAmazing! あたしは青空になるぅうううううう!」
「Yeahhhhhhh! Ggggggreat! Wonderful!」
「青が、あんなにも、きれい……」
ラナが両手を突き上げ、レオルが緑の絨毯に飛び込み、フルールがそよぐ風に髪を押さえて目を細める。穏やかな木々のざわめきを聞きながら、桜花もまた光の中に舞い戻る。眼前には、直径300メートル程になる平地。外周は木々で囲まれている。嘗ては、乗馬や騎士達の演習が行われていたのかも知れない。戦場としては十分だろう。手を叩き、気の抜けている3人に注視させる。
「はいはい、まだ終わってはいませんよ。一休みは外周まで移動してからにしましょう」
3人が一斉に、行き先へと視線を向ける。動きは一様に疲労を感じさせるが、瞳には活力が満ちていた。視線を戻したフルールが、ラナとレオルを見る。
「分かった。レオルはラナをお願い。私は通信圏内まで先行して、たす」
「いいから、向こうまで行って下さい」
桜花はフルールの話を強制的に打ち切った。この場でチンタラしていては、背後から白ローブに襲われかねない。桜花はどうとでも出来るが、他の3人は難しいであろうし、助けも必要ない。そろそろ気付いてもいい頃合いだからだ。
「ほらほら早く」
「え? え?」
桜花は、目を白黒させるフルールの背中を、文字通り物理的に押して急かす。訳が分からないと言った表情のフルールだったが、大人しく足を動かした。
「ラナも早く、おぶろうか?」
「うへ~い、い~よ大丈夫だって」
レオルが手を伸ばすが、気怠げに返事をしたラナは、ふらつきながらも自身の足で走り出す。その光景を、フルールが切なそうな瞳で眺めていた。
桜花の背中を嫌な汗が伝って行く。つまり、そう言う事なのだろう。白ローブはどうにでも出来るが、男女間のいざこざをどうこう出来る気は全くしなかった。道も半ばと言った所まで来ても、フルールが発する、肌にピリピリと刺さる愛憎の念は収まっていない。何故か会話も聞こえてこない。誰でもいいから助けて欲しいと願っていた時、何かが近づいてくる気配を感じ、桜花は安堵の吐息を吐いた。
「来ましたか」
「え!?」
その一言に、フルールが足を止める事なく即座に反応すると、険しい表情を張り付かせて振り向き、レオルも一歩遅れて振り向いた。
「うそだろ!?」
「なに!? 追いつかれ……」
最後に、疲弊を湛えて振り向いたラナの声が何故か途切れ、顔から表情が抜け落ちていく。その様に、得体の知れない恐怖を感じたのか、フルールとレオルが恐慌にも似た声を上げる。
「ラナ!? なに!? どうした……の?」
「何だよ!? "ジェット"か!? "フィアース"か!? 何が出たんだ……よ?」
そして揃って空を見上げると、やはり揃ってその顔を困惑させる。そして、そんな3人を代表するように、ラナが空を見上げたまま呟いた。
「うん、何か変なオッサン降臨しとるよね」
「はぁ? 何ですか一体……」
要領の得ない3人の反応に、桜花は間違ったのかと眉根を寄せ、疑心暗鬼に頭上を見上げた。が、そこに想定外の物などありはせず、銀鎧から夜色のマントを棚引かせる藍色の騎士が居るだけだ。陽光の中、張り付けた渋面を崩す事なく、緩やかに舞い降りてくる姿は、実にレイロード・ピースメイカー然としている。何も可笑しい所は見当たらないと、対応を決めあぐねている3人に小首を傾げながら、桜花は手を振って相棒を出迎えた。