3. 残されたもの-5
一晩明けたその翌日、プラソユ市警第3資料室で腰掛ける3人は、実に重苦しい空気を放っていた。何かあったからではない。何もなかったからだ。既に日は高く、そろそろ中点に達しようとしているのに。
カピタナン警部の報告を受けたレイロードは、デスクに片肘を突き、ふさぎ込むように項垂れると、大きく溜め息を吐いた。
「……その程度の物、だったか……」
「の、ようですなぁ……」
「そう、ですね……でも、まぁ、何とかなる気がしますよ?」
カピタナン警部の大方同意であったようだが、桜花が一人だけ、楽天的な声を上げた。そして、レイロードは再び大きな溜め息を吐き、デスクを指先で叩く。そこには、少なくない苛立ちが見て取れた。
嘆息ついでに、視線をディスプレイへと向ける。表示されているのは、プラソユ周辺の地図だ。その中に、赤く塗り潰された区域が、プラソユ全域に散見された。先程明らかになった、もう一つの物証が採取出来る地域である。レイロードは、経口タブレットを放り込みながら、くたびれたように手を振って答えた。
「こいつの……タイリクキタリスの生息地は大陸全土……プラソユだけでもこれだけだ……人海戦術にも程がある」
「何せ、バートリー・キュルデンクラインが手を出した範囲が広すぎましたぁ。不死の化け物に関しても、国境沿いでは情報の集まりも悪いですしねぇ。
ウチの全人員を導入したとしても、片方すらカバーしきれんでしょう」
導入も出来ませんしね、と肩竦めるカピタナン警部に、致し方なしと頷く。例えE.C.U.S.T.A.D.を動員出来たとしても、まだ足りない程に広域だった。
もう一つの物証、それはリスの体毛だった。タイリクキタリス、イグナークァ大陸からイグノーツェ大陸に掛けて、広く分布する、極めてスタンダードな種。精々が森林地帯に生息する、と言った所だが、市内の公園にも生息している。そう言う意味でも、生息地の特定は困難だ。レイロードは、半ば投げやりに話を振った。
「まぁいい……警部、鑑査研からの補足があるのならば頼む」
「そうですなぁ……あぁ、推定体長は25センチから26センチ程ぉ。マナによる損傷により、食性は不明、だそうです……」
「ん~何か引っ掛かる気も……」
レイロードに答えるカピタナン警部の声も、心なしか弱々しい。その一方で一人、顎に手をやり首を捻る桜花の声は然程気落ちしてはいないようだった。
尤も、桜花はそう言ったが、実際、体長が判明した所で何が分かる訳でもない。せめて食性が分かれば、多少は地域の絞り込みも出来であろうが。と、そこで、レイロードは何かに気が付き、ハッとして顔を上げる。
「……いや待て……待て待て待て……」
「どうしましたあ?」
「ん、何か?」
疑問符を浮かべる二人を無視し、レイロードはPDを弄くり出した。起動したアプリケーションは、言ってしまえば動物図鑑。アルトリウス独立戦争終戦後、暫く従事していた生態系調査のために入れていた物だ。
呼び出す項目は無論の事、タイリクキタリス。そして、桜花の言った引っ掛かりの正体を突き止めるや、ゆるりと桜花を見た。
「……これか……」
「まぁさか、本当に何かあったんですかあ?」
「ほら、どうです? 言った通りじゃないですか」
喜色を現すカピタナン警部と、何がとは言わず、得意気にふんぞり返る桜花。二人に頷くと、レイロードはPDのディスプレイをフリックし、資料室の大型ディスプレイに向かって弾く。PDの内容が大写しで表示されるや、その一部をレーザーポインターで指し示し、端的に言い放つ。
「大きすぎる」
引っ掛かりの正体、それはその一言に集約されていた。タイリクキタリスの体長は21センチから26センチ。尾長は16センチから24センチになる。それだけ見れば、今回の物証は十分に範囲内だ。が、それはあくまで、分布図全域から見たのもの。一つ、違和感があるのだ。その違和感に思い至ったらしい桜花も、大きく頷いた。
「ああ、あ~! そ~です、ベルクレンの法則だったんですね」
「あぁ、と言うのは?」
「なに、単純な話だ。恒温動物は寒冷地に生息する物程大型化する。イバネシュティ辺りの気温であれば、本来の体長は23センチ程度に収束する筈だ」
簡潔なレイロードの説明に、カピタナン警部が得心がいったと頷いた。ごく単純な事で、このサンプルは大きすぎるのだ。ならば、次の問題はこのリスがどこから来たのかだ。
資料だけを見れば、ヴェルジース共和国やイヴァーニウカの北部辺りになる。が、何かが引っ掛かった。断続的にレイロードの脳裏を過ぎるのは、雨だった。冷たい雨だ。暖かかったのかも知れない。あの日の雨だ。何故それが思い浮かぶのかと、眉根を寄せた時、カピタナン警部の声が響いた。
「あ、そぉだ! 993年から995年に掛けての大寒波! あれで一部山岳地帯の小動物がやられちまって、寒さに強い同一種を入れたとか聞きましたよお!?」
「ジェットの! そうか! ハッ、そいつだ!」
「そう言えば! 報道で見た記憶がありましたよ?」
思い至った結論に、三者三様、嬉々とした表情を見せてデスクに乗り出す。丁度その時期、ジェットドラゴンが、何の気まぐれか定常的な航路を変えたのだ。結果、長期に渡る気流の変化は、イグノーツェ大陸に大きな影響を与えた。
その出来事は正に、この星の支配者が誰であるのかを、人間達に知らしめるようであった。が、その時期の事は、レイロード自身の身に起きた環境変化が大きすぎ、遙か彼方に置き忘れてしまっていたのだ。
「データはある筈ですよぉ。すぅぐに叩き出しますねぇ……ほぉら、あったあったありましたよお」
言うが早いか、コンソールを叩くカピタナン警部が気勢を上げる。それに伴い、地図上に表示された赤い範囲が急激に狭められる。が、それでもまだ多い。レイロードは険しく眉間を寄せた。何かある筈なのだ、何とかそれを絞りだそうと唸る横で、リスの写真を眺めていた桜花が、ぼそりと呟いた。
「おや、タイリクキタリスには、頬袋ないんですね。リスにはみんなあるんだと思ってましたよ」
「何を遊んで……いや、そうか……それを失念していた……」
レイロードの眉間に皺が寄る。が、桜花の言葉から思い至った可能性に、その意味合いを変えていた。
リス科の一部には、食料を溜めておく頬袋と言う機能を持た種がいる。この機能は一時的な物だが、食料を蓄積する習性を持つ動物は多い。人間などその最たる物だろう。
今回の犯人も同じだとしたなら? 昨夜から今朝方に掛け、被害が出なかった理由。当然、たまたまなのかも知れない。だが、溜めておける程の獲物、恐らくは複数の己顕士を獲得していたのなら? 街中からは不可能だろう。2人も連れて歩けば目に留まる。しかし、自らの住処に獲物が踏み入れてきたのなら? ならば話は別だ。そう結論付けると共に、真鍮の瞳はカピタナン警部を捉えていた。
「警部」
「はぁい、バートリー・キュルデンクライン、若しくはドクター・ファチェッロがぁ、ここ最近出した調査の依頼ですねえ?」
分かっていますよと、カピタナン警部が口角を釣り上げる。その手は既にコンソールを叩き、めぼしい情報を弾き出している。
E.C.U.S.T.A.D.の依頼を、無許可で閲覧する事は不可能だ。しかし、調査ならば、国有地、私有地問わず、自治体への申請が必要なる。それならば警察が確認する事は造作もない。そして、申請の際には、表に出る事はないが、クライアントの名義が必要だ。絞り込みは実に容易い。
「むぅ、13件……思ったよりも残りましたね……」
「ハッ、問題ないだろうさ」
眉を顰める桜花を横目に、レイロードはPDの背部カメラでディスプレイを映す。PDに地図が表示され、次いで即座にデータが同期される。赤い範囲と調査依頼が保存された事を確認するや、レイロードは席を立つと、つっけんどんに桜花を手招く。
「ハッ、行くぞ」
「おや? どちらへ?」
小首を傾げる桜花に気勢を削がれ掛けるが、よくよく考えればそれも仕方がないか事かと、何とか持ち直す。桜花が6月頭まで所属していたルーデルヴォルフと言う組織は、どの国でも情報開示に大差はなく、良くも悪くも緩いのだ。
一方で、E.C.U.S.T.A.D.と言う組織は、同じくイグノーツェ大陸共同組織と銘打ってはいるが、結局の所、国との繋がりが強く出る。要するに、他国のE.C.U.S.T.A.D.への情報提供は渋いのだ。通信越しならば尚更である。となれば、やる事は一つ。
「イクスタッド・プラソユ局だ」
直接交渉に挑めばいいだけだ。ジットリとした桜花の半目が、また乱暴な、と訴え掛け、カピタナン警部もまた、無茶はせんで下さいよ、と苦笑を浮かべている。似たような反応をする二人に、レイロードは何時もの渋面を不満げに返した。
「馬鹿な、紳士的にやるさ」
それだけ言い残すと、レイロードは足早に資料室を後にする。後に続く桜花が、疑わしげな半目を送っていたが、それ以上のやりとりをする気はなかった。やはり見た目の問題なのだろうかと、胸に残った少々の不満は、口にした所で何も解決しそうになかったからだが。
機馬と併走するクラシカルな自動車の助手席から顔を出し、ミオリが気持ちよさそうに目を細める。タンデムシートの桜花が、抱きかかえたユキムネの手を振り尾を振り、ミオリの興味を惹こうとしていた。そんなたわいないやりとり眺めながら、10分程機馬を駆れば、目的地は目の前に見えていた。
大凡がそうであるように、プラソユ局もまた、駅周辺に居を構えるE.C.U.S.T.A.D.の一つだ。他に比べて珍しい点と言えば、ビル内にテナントを構えている事だろうか。
整然としたパーキングに機馬と車を着け、カピタナン警部を先頭に自動ドアを潜る。ざわめいていた室内の視線が一気に集中し、次いで一際大きな呆れ声が届く。
「ハァ……警部、こっちはこっちでやると言った筈なんだがね? それとも別件で? 大した事件は発生していなかったと思うが?」
人垣を割って現れたのは、実に大柄な男だ。短く刈り上げた頭髪に、顎のラインに沿って整えられた髭が、厳めしい顔つきと相まって威圧感を与える。加えて、ガッシリとした体躯は、荒事に従事していただろう事を想像させるに難くない。
「いやぁ、局長、ちょぉっとお伺いしたい事があるだけなぁんですよお?」
「駄目だ駄目だ! こっちは身内がやられてるんだ。こっちでケリを付ける。
あんたらだって、身内がやられた時なんざ、決まって手を出させない。文句は言えんだろ?」
「おう! そうだぜ! もっと言ってやれ!」
「いいぞ局長!」
「役立たずはすっこんでろ!」
局長と呼ばれた男に賛同する歓声が、周囲から沸き起こっていた。参ったと表情を崩すカピタナン警部とは反対に、局長はしたり顔だ。無駄だ、止めておけ、そう言った意志がありありと浮かんでいた。
見回しても、悲壮感は感じられない。怒りや悲しみではない。彼らが自らの手により解決せんとするのは、誇りのため。死者の誇り、戦友の誇り。実に身勝手な己顕士達の欲望だ。
桜花が衆目に冷めた目を向けていたが、レイロードは嫌いではなかった。が、埒も明かないかと、PDを片手に、交戦の意志はないと両手を軽く広げ、レイロードはカピタナン警部の前へ出る。
「成程、そちらの仰る事も理解出来る。戦友を弔わんとするは道理だ。その件に関してしゃしゃり出るつもりは毛頭ない。この案件に関して少々伺いたいだけだ」
「そちらは?」
「失礼、私はこう言う者だ」
腕組みしつつ、顎で支持する局長に、レイロードはPDの画面を切り替え、身分証を表示させる。周囲からは見えないように位置取る事も忘れない。レイロードの広大な象圏を持ってすれば難しくはない。
カテゴリーODの記載に目を留めた局長の表情が一瞬強ばった。手応えを感じたレイロードは、再びPDの画面を切り替えながら、畳み掛けるように先を続ける。
「しかしながら、安否の確認は別問題ではないだろうか? せめて、この案件の中で、ここ数日連絡が取れない者が居るかだけでも開示出来ないか?」
「いや、それは……しかし、どの案件も郊外だ。連絡が付かなくても可笑しかないだろう?」
先手は確実に利いていた。局長の威勢が、先程に比べて大きく削がれている。周囲からは懐疑の視線が二人に注がれていたが、局長が口を開くより早く、レイロードは話を進めた。天窮騎士を前面に押し出した威圧交渉だ。下手を打てば不要な軋轢を生む。出来る限り、個人間での交渉に見せ掛けたかった。
「それは確かに……失礼ながら、その中にロマーニ出身者は? いやなに、関わった事件の中で、ロマーニ人の被害者が出たとなると、"双方"がうるさくてな。あの国のライセンスを持っていると、肩が凝る。この13件で構わんのだ、どうか?」
大仰な手振りで苦笑し、PDを見せるレイロードに、局長は引きつった笑みを浮かべた。この場合の"双方"とは、無論、ロマーニ国家とロマーニのE.C.U.S.T.A.D.、強大な影響力を持つこの二つを指している。暗に、尋ねられても秘匿した、となれば、責任はそちらにあるぞ、とも取れる言い回しだ。相当に肝の据わった人物でなければ、顔が青くなるのも仕方がない。
「ちょ、ちょっとまってくれ、私も多忙でね。す、少し見落としているかも知れない。おい! 情報を!」
「あの、いいんですか?」
「構わん。聞いただろう、この13件でいい。それとも何か? 私にロマーニとやり合えと?」
現に、局長はすっかりと威勢を失っていた。周囲にしても、流石にロマーニと正面切ってやり合おうなどと掲げる者はいないようだ。この時点で、天窮騎士の称を傷つける事なく、ロマーニがプラソユ局に圧力を掛ける、と言う構図へすり替える事に成功した。局長のメンツも潰れはしないだろう。
「ロマーニからは2件、エギル高原の調査と、ドラクル城の調査だけだ」
内心で安堵するレイロードへ、忌々しげな局長の声が届き、投げるよな仕草に併せて、PDへ情報が転送される。エギル高原の調査は2名。エインス・ツァーリ、25歳、男性、カテゴリーE。ヨッド・ロメオ、23歳、男性、カテゴリーE。
ドラクル城の調査は3名。フルール・クレール、15歳、女性、カテゴリーD。ラナ・フォーチュン、16歳、カテゴリーE。レオル・グリーンフィード、16歳、カテゴリーF。
どちらもクサいが、たった2件だけで確証は掴めない。もういいだろうと、顔を歪める局長に、レイロードは静かに瞳を向けた。
「助かる……所で……その中にシュバレやゲルニッツ、エスカロナやアルフォード、それに……イヴァーニウカ、ヤコルダ、シクロウ、テルベル、イドリア、スルニらは含まれていないか? 実はそちらのライセンスも所持していてね。面倒は掛けたくないんだ」
後は分かるだろうと、レイロードは肩を竦めて見せた。前半四カ国は、ロマーニ帝国に次ぐ、イグノーツェの大国家。後半はイバネシュティに隣接する国家群だ。
「……もう、全部持って行ってくれ……」
「すまない、助かった」
力なくカウンターへ寄り掛かる局長と、気力を削がれたE.C.U.S.T.A.D.達に、レイロードは一礼でもって応えた。何処が紳士的なのかと、桜花が何時もの半目を飛ばし、カピタナン警部が苦笑する。
横暴だと、周囲の不満が爆発しそうになる瞬間、レイロードが次に放った言葉は、その場を一瞬で静まらせていた。
「約束しよう。以降、この件で何が起きようと、どのような被害が出ようとも、一切合切の責任は私が負うと。
……失礼する」
大凡、個人の発言とは思えない内容。たとえそうであろうとも、譲れない一言を残し、レイロードは静まりかえったその場から踵を返す。肩を竦めつつ、少しばかり誇らしげに桜花が従い、カピタナン警部が局長に手で挨拶を送る。去り際、自動ドアの開閉音に紛れて、静まりかえったその場から、誰かの呟きが漏れ聞こえた。
「結局、何だったんだよアイツら……」
「さぁな……イカレた己顕士だよ、単なるな……」
次いで聞こえたのは、プラソユ局局長の声。それは、天窮騎士の名の下、全ての責を負うと宣言したレイロードへの回答だった。ただの妄言だ、気にするな、E.C.U.S.T.A.D.の一局長として、全ての責任を見ず知らずの誰かに負わつもりはないと。それ程に無責任ではないと。
「ああ! 兎に角だ! 依頼はあるんだ! 先越されんな! 意地を見せてやれ!」
「おうよ!」
「ったりめーだ!」
「やってやりますよ!」
周りを鼓舞する局長に、存外話の分かる男ではないかと、視線だけを送る。見れば、この場に集まっている者達だとて捨てたものではないだろう? と、活気付いていく室内に、局長は厳つい顔を綻ばせていた。
賑わいだしたプラソユ局を尻目に、レイロード達はPDに記載された情報に目を通す。状況からすればターゲットは、複数人で調査に入り、且つ、人目に付かない場所でありながら、それなりの建造物がある案件だ。
付け加えれば、最後の被害者が出る前後に調査を開始した案件だろう。蓄積と言う手段に出たのは、それ以降だと思われるからだ。当然、それまで偶々出会わなかった可能性もあるが、可能性は低いと見て排除する。
「ふむ、この四件でしょうかね? 調査開始申請日と、実調査開始日にズレがある点は、少々気になりますが……」
「あぁ、気にするな。よくある事だ……マズったか……」
「そう、ですね……少し距離が……」
桜花の疑問をレイロードはさらりと流した。申請はあくまでも申請。実調査が始まった期間と食い違う事はよくある。そこは気にする点ではないと、レイロードはPDを睨み付けた。
該当箇所は、ベルン遺跡、イシュロー宮殿、カリナ離宮、そしてドラクル城だ。問題なのは、どれも該当地区が見事に離れている点だ。頭を悩ます二人に、安堵したようなカピタナン警部の声が届いた。
「ああ、そいつぁよかったぁ、いえなにね、ちょっとした事件ちと関わりがあるかも知れないと思われていたのでぇ。いえいえ、そうじゃないですよぉ。兎に角、イクスタッドにも連絡を入れておいて下さぁい」
少し離れた場所でPDに向かっていたカピタナン警部が小走りで戻ってくる。警察用PDは、着信側にその旨が表示され、着信拒否設定も出来ない。安否確認を取るには最適だった。
「ベルン遺跡、カリナ離宮、クリアです。途中から共同でやっていたようで」
「助かる。ならば、残り2箇所か……」
これならば、桜花とで2箇所を個別に確認した方が速いかと、レイロードが眉根を顰めた時、今度は
桜花の声が響いた。
「ああ、黒龍、すみません。少し聞きたい事が。大丈夫です?」
『構わないけど、なぁにぃ? オカルトは詳しくないわよ?』
如何にもオカルトチックな服装で身を固めている三十路女の戯れ言に、レイロードは思わず眉根を寄せる。幸運にも、その事は伝わる事はなかったらしく、桜花と黒龍の会話は続いていた。
「いえ、衣服に関してです。法歴1400年代のイバネシュティで、麻のローブを作っていた地域はありますか?」
『ローブぅ? その時代は絹か綿よ? しかもイバネシュティ? あの当時でも、エレニアナ教じゃないわよ、あそこ。作ってないんじゃないかしら?』
そう、ローブだ。ソール・イリエが怯えていた、白いローブ。そも、ローブとは、魔術師達の装束だったと聞く。それが、エレニアナの領土拡充と共に、エレニアナ教の司祭服として定着し、征帝歴以降は、服飾の一種として伝えられてきた。
そして、法歴当時のローブは、その殆どが絹で織られていた。と、なれば、麻のローブは糸口になり得るかも知れない。
「ふむ……エレニアナ教の宣教師やらが滞在していたような事は?」
『ん~そうねぇ、そう言う観点で言えば、全土に居たとは思うわよ? ただ、ローブを作っていたとなると……あら? そうね、麻なのよね……だったら……』
桜花の持つPDの向こうから、何かドタバタと掻き回す音が聞こえる。何をやっているのかは分からないが、家捜ししてる事に違いはないのだろう。自宅か大学は分からなかったが、その中にはアズライトの声も紛れていた。
『うおーいなんだぁ? 本なんて引っ張り出してよ、データ化済みなんじゃねーの?』
『魔術関連はね。こっちは被服類の歴史、っと、ああ、これねこれ。ニンジャ娘、あったわよ』
「でかした! で、どうだ?」
「ちょ、れいろーど!?」
その言葉を聞いた瞬間、レイロードは桜花に引っ付いてPDに耳を傾けていた。桜花がグイグイと顔を引き剥がそうとしていたが、所詮は小娘の細腕だ。レイロードを押し返す事など出来よう筈もない。尤も、桜花も引くつもりは微塵もなかったようだが。
『ピースメイカー? なに人のPD取ってるのよ。いかがわしい事してないでしょうね? ちょっと? 聞いてるの?』
「大丈夫なので、兎に角お願いします」
「問題ない」
黒龍に答える桜花の半目が、何時にもまして強い光を放っている気がしたが、冷や汗を無視してレイロードは次を待つ。
『場所は三箇所、一つはイバネシュティ東端のエラン、これはヤバル……現ヤコルダへの輸出用だったみたいね。
次にプラソユ北端のフロリロル。こっちは、カリナ離宮へ納めていたみたいね。エレニアナ教の司祭が滞在でもしていたんでしょう』
ギリギリで掠める。あと少しタイミングがズレていれば、捜査範囲に入っていただろう。明らかに運が向いてきていた。
残りは一つ。ただただ次の答えを待つ。その時間が、嫌に永く感じる。気が付けば、桜花も聞き入るようにPDに注力し、その視線は見えない何かを捉えようとか、宙のただ一点を見つめていた。
『最後は、ツァラ・イバネスカ。ええとそうね、ランドマークとしては……ドラクル城かしら?』
「助かりました!」
「恩に着るぞ!」
「あたしも、レスキュー回して向かいます!」
PDから聞こえた、ちょっとなによ!? と言う黒龍の悲鳴を放り投げ、レイロードと桜花は機馬に飛び乗り、カピタナン警部が車へと急ぐ。
一般市販機ではリミッターが掛けられている、機馬の最高速モード、ギャロップモードをオンにすると同時に、アクセルを踏み込む。ギアが一息に5速まで叩き上げられ、立ち上がった機馬の前足が天を駆ける。駆動音が響かせる機馬の嘶きと、車の奏でる古めかしいモータ音が、喊声となって沖天に猛々しく鳴り響いた。