2. 不可解-7
レイロードは引き摺るように桜花を連れ、ごった返すモールを突き進む。衆目からの奇異の視線が飛び交っていたが、そんな物など気にも留めかった。
俯く桜花にしても、普段は横柄さを滲ませるその口からは、文句一つ出てこない。ただ顔を俯かせたまま、幽鬼のように歩くだけ。この場に来た時とは、正反対の立場となった二人は結局、機馬に辿り着いても、何一つ口を開く事はなかった。
レイロードは、機馬に辿り着くや、放り投げるようにして桜花をタンデムシートに乗せると、相も変わらぬ渋面を湛えたまま、自身も機馬へと飛び乗った。直ぐさまイグニッションキーを回しスターターを起動、駆動系が掻き鳴らす嘶きが空虚に響く。
「……何が、したかったんだ……」
「……分かりません……」
その音に紛れ込ませるように発せられたレイロードの声に、桜花もまた、消え入りそうな程にか細い声で返す。レイロードが聞き取れた事自体、偶然かと思える程に。そんな桜花の声が、風に乗ってまた一つ耳元に届く。
「ただ、ただ……・識らなければと、今、識らなければと……心の奥底で、何かが囁いた気がしたんです……それだけですよ……」
「……そうか、分かった」
意気消沈とする桜花に、レイロードは短く答え、アクセルを踏み込んだ。どうせ犬でも連れてくれば、機嫌も直るのだろうが、見ず知らずの人から借りる訳にも行かず、変わりにと、"憧憬"の己顕法で、機馬のバックパックから白黒と赤白の毛玉を取り出す。そして、ふよふよと所在なさげに漂う微笑ましいその毛玉を、桜花に押しつけた。
「むぅ……ユキムネ……アルくん……」
ヌイグルミに顔を埋める桜花の顔色に、僅かばかり赤みが増す。安い奴だと苦笑しながら、レイロードはPDを取り出すと、本日2度目となるアドレスを呼び出した。そこから届いた声は、間延びしたしゃがれ声だった。
『はぁい、どうしましたぁ?』
「警部か、度々すまんな。調査を依頼したい件がある。今は大丈夫か?」
『ちょぉど署に戻ってきた所ですんでぇ、大丈夫ですよぉ? 何か進展がぁ?』
カピタナン警部の問い掛けに、レイロードは一瞬言葉に詰まり、後ろの桜花を盗み見る。ヌイグルミに顔を埋めながらも、暗鬱な雰囲気を撒き散らす姿からは、何時ものような得体の知れない自信は見て取れない。関係がある、とは、断言出来そうになかった。
「……いや、分からん。もしかすれば、関係があるかも知れない、その程度だ」
『些細な事からでも、事件の糸口は見つかるもぉんです。先ずは、なぁんでもおっしゃって下さい』
「分かった……ディヌ・イリエの死因と状況について知りたい。詳細の確認は取れるか?」
『ディヌ……あぁ、例の鍛冶士さんでぇ? 分かりましたぁ、お調べ致しますんでぇ、少ぉしお待ち下さいなぁ』
「すまない、助かる」
PDの向こう側で、カピタナン警部がコンソールを操作する気配を感じながら、レイロードは、桜花の視線もまた、背中に感じていた。その視線は何時もの呆れたような物ではなく、何故、と言った疑念の視線であった。
レイロードは軽く嘆息すると、PDを保留モードに切り替え、桜花を見る事なく、気怠げに口を開いた。
「お前の瞳は信用している、それだけだ。何かを識ろうとしたのであったなら、何かがあったんだろうさ。ハッ、それが関係あるかは知らんがな」
己顕に情報が残されるのであれば、桜花の瞳はその残滓を読み取っていたのかも知れない。様々な情報を知らずの内に読み取り、ソールの中にあった何かと無意識に結びつけた可能性はある、ただそれだけの話だ。要は、藁にでも縋りたい、と言うだけである。
「……すみません……」
「……それは、俺に言うべき言葉ではなかったな……」
「……すみません……」
『あ~、よろしいですかぁ? 聞こえてますぅ?』
項垂れる桜花を余所に、PDから間延びしたしゃがれ声が届き、レイロードは保留を解除すると、直ぐに応答に応える。
「ああ、聞こえている。問題ない」
『ディヌ・イリエさんなんですがねぇ? 病死とあるだけで詳細報告は残っていないようです。ですが、検死報告として上がっていますんでぇ、何らかの嫌疑は一旦掛かったんでしょう』
「なに? それでも情報が残っていないのか?」
カピタナン警部が発した内容に、レイロードは眉根を寄せる。ソールの取り乱し方からして、実際、何かがあったのだろうが、その情報が残っていないとなると、急激に怪しさが増してくる。やはり当たりかと、レイロードが色めき立った時、出鼻を挫くが如きカピタナン警部の声が飛んだ。
『あぁ、いえぇ、恐らくは鑑査研のシステムには残っている筈ですよぉ? 時期が時期でしたからねぇ、署のシステムリプレースとも重なりましてぇ、事件性なし、と判断された案件は、データ移行の優先度が下げられましてねぇ、未だに移行されていない物も幾つかあるんです』
「そう、か」
『あたしは取り敢えず鑑識に向かいます。ピースメイカー卿もぉ、そちらに回って頂けると、遺留品の回収も楽になるんですがぁ、構いませんかぁ?』
「分かった、そちらに向かう。現在はモールを出て――」
と、レイロードは今が何処であるのか、把握していない事に気が付き周りを見渡す。来た道とは打って変わり、高木が連なる並木道。指標となりそうな物は見当たらないが、道行く先には中央区への入り口が見て取れる。そこに、お誂え向きに出迎えた標識を確認し、レイロードはそれを読み上げた。
「――エルゼオ・カピス通りに入る所だ」
『あぁ、でしたらぁ……法定速度で30分程ですかねぇ。許可申請はしておきますんで』
「ハッ、了解した。では後程」
『はぁい、お待ちしております』
速度を守るよう、暗に釘を刺すカピタナン警部に苦笑する。昨日も器物損壊に関して、彼の同僚達に苦言を呈された。昨日今日あったばかりの人間から、直ぐに信用を得ようなど、虫のいい話だろう。
「まぁ、そんなものか」
肩を竦め、PDを機馬のコンソールに納める。結局の所、己顕士とは異質な存在なのだ。PDが示す鑑査研は、プラソユ市警から2キロ程離れた場所を示していた。鑑査研、つまり鑑識捜査研究所は、警察署に設けられた鑑識では解析出来ない物件の調査を行う機関であり、警察署とは分けられる事が殆どだ。プラソユでも例に漏れずと言った所だろう。
一人納得しながら、並木道の終端を左に曲がり、機馬は騒がしくも和やかな町並みを突き進む。
「……そこ、右ですね……」
「……そうか……」
相も変わらずヌイグルミに顔を埋めつつも半目の桜花に、レイロードは眉根を寄せながら機馬を操る。僅かばかりに安堵する気持ちが生まれが、表に出す事はなかった。
目的地たる鑑査研は、プラソユ市警に比べると年期の入った建物であったが、それでも現代建築と呼べる物だ。警備にPDを出せば、直ぐに許可が下りゲートが開く。
空きの多いパーキングには、機馬も馬車も少ない。妙に年季の入った車が見えたが、カピタナン警部の物だろう。何となくだが、ささくれだったあの拳とよく似ている、レイロードにはそう感じられた。
レイロードは機馬を駐めると、桜花を促す。流石に桜花も、ヌイグルミを持ち込もうとはしなかったが、バスケットに戻すその背中は煤けて見えた。
自動ドアを潜れば、ヒンヤリとした冷房の風が頬を撫でる。と同時に、恰幅のいいボサボサ頭と、白黒の毛皮が、二人を出迎えた。
「どうもぉ、お疲れ様です」
「いや、こちらこそ手間を掛ける。先ずはこれを」
「あぁ、こりゃどうもぉ、こいつは大きな一歩ですよぉ」
「だといいのだがな」
遺留品を渡した際、カピタナン警部の瞳が一瞬、何もなくなったレイロードの剣帯と、マントの影に隠れる生気の抜けた桜花へと向く。が、何も言及する事はなく、直ぐに受け取ったビニール袋へと注がれた。見据える瞳は剣呑な空気を漂わせていたが、それも一瞬。降参だとでも言うように、軽く首を振り、次いで眉根を顰めた。
「何かの毛、ですねぇ。何か見当がぁ?」
「いや、こちらとしても、違和感を覚えた程度だ。何故なのかは……駄目だな、見当が付かん」
「そうですかぁ、あぁ、はぁい了解しましたぁ。そこの君ぃ、そうそう、君」
「あぁ、警部ですか、今日は何です?」
お手上げだと、手を振るレイロードに、カピタナン警部が頷き、廊下を歩く職員を捕まえると、遺留品をプラプラと手渡す。やや困惑気味な職員の反応など意に介せず、カピタナン警部が続けた。
「それ、鑑定に回しといて。あぁ、例の事件絡みだから、なくさないでよぉ?」
「ええっ? 本当ですか? でもまぁ、警部ですからね。ああ、はい、分かりました。直ぐに回します」
職員は、半信半疑と言った反応ではあったが、状況を把握するや、小走りでその場を離れていく。少なくとも、鑑査研との間に確執は見られない。対応はそれなりに期待は出来そうだった。
「じゃぁ、こちらに。あたしも着いたばかりなんで。データルームの入室許可は取ってありまんでぇ、お気兼ねなく。ミオリぃ、行くよぉ」
助かる、と軽く手で応え、歩を進めるカピタナン警部をミオリと追う。桜花はと言えば、大量に溢れるミオリの被毛へと顔を埋めていた。人様の家人に何を断りもなくと、レイロードの眉がひくついたが、当のカピタナン警部は、苦笑しながらも、その表情は、お気の済むままにと、言外に語っていた。
「あぁと、ここですなぁ」
通り過ぎ掛けたドアの上に掲げられた、データルームの表記を見上げ、カピタナン警部が慌ただしくPDを掲げる。短い電子音と共に、ロックが解除される音が響いた。厳重とは程遠い質素なドアを潜れば、合せて室内に明りが灯る。照らし出されたコンソール類は、科学捜査を生業とするには、些か時代遅れと言った所。大丈夫なのかと、眉を顰め懸念するレイロードに、カピタナン警部がコンソールを立ち上げながら応えた。
「いやぁ、こっちは旧データルームでしてねぇ? 今は殆ど使われていないんですがぁ、データ自体は大丈夫だと思いますよぉ?」
「……そうか……」
疑心を覗かせるレイロードの前で、カピタナン警部がコンソールにPDを翳せば、直ぐにもディスプレイに検索画面が表示され、慣れた手付きでデータを入力していく。そして、然したる時間も掛からずに、目的の情報がディスプレイに表示された。
桜花もノソリとミオリから離れ、幽鬼の如き足取りながら、レイロードの隣に並ぶ。二人の眼前で、カピタナン警部が、ディスプレイに映し出された当時の報告を読み上げ始める。
「あぁ、何々ぃ、運び込まれた時点で、心停止から30分程度と思われるにも関わらず、極めて強い筋組織の収縮が確認されたぁ、と。
えぇ、状況から神経毒が疑われたがぁ、血液中からは死因と思われる物質は確認出来ずぅ、またぁ、分泌物に関してもぉ、特筆される状態は確認出来なぁい。
外傷に関しても同様でぇ、手に浅い切り傷が見られたものの、検体の職業を鑑みれば、不自然な点は見受けられなぁい。
よって、当案件はぁ、検体の不自然さは拭えない物の、呪いと言う現象が実証されない限り、自然死と結論付ける以外にない、と」
「また、何とも歯切れの悪い……」
「…………」
カピタナン警部の背中越しに、当時の報告を、レイロードは眉根を寄せ、難しい顔を崩さない。生気の抜けたような顔をしていた桜花も、今は険しい表情に変わっていた。
「うぅん、確かに、何とも言えませんなぁ……他にはぁ……こりゃぁっ……」
画面をスクロールさせていた、カピタナン警部の手が止まり、その表情が瞬時にして強ばる。
「どうした?」
何事かと、レイロードは眉を顰めつつディスプレイを覗き込み、やはり息を呑んだ。映っていた物は、検体を撮った当時の写真、そしてその中の一枚。怨嗟、恐怖、絶望、無念、懇願、それらが合わさったような、壮絶な死に顔を湛えた老人の姿だった。
レイロードは、幾度となく戦場で死者を見てきた。しかし、これ程に壮絶な死に顔など、見た記憶はなかった。
「そうですか……最後に見た姿は、彼が看取った姿は、その深淵に刻み込まれた姿は……これ、だったのですね……必至に、忘れようとしていたんですね……忘れたくないのに……忘れようと……」
悔恨に濡れた少女の声に、レイロードはゆるりと振り向く。そこには、再び表情の抜け落ちた桜花が居た。それが、心の内を見せまいとする虚勢なのか、後悔からの失意なのか、レイロードには窺い知れず、視線を再びディスプレイに戻す事しか出来なかった。軽く息を吐き、そして言葉も吐き出す。
「警部、当時の検視官は分かるか? これだけ強烈ならば、忘れてもいないだろう」
「あ、あぁ、はぁい、あぁ、えぇ、こいつぁ……当時の人手不足からぁ、インターンが担当していたようですねぇ、これですと連絡が付くかどうか……名前はぁ……ああ、ありましたぁ」
続きを探してカピタナン警部の目がディスプレイを泳ぎ、そして止まる。
「エッスィオ・ファチェッロ、となっていますなぁ」
「何とも奇妙な縁ですね……」
桜花の呟きに、レイロードもただ眉を顰めるばかり。その名は、6月頭の入院時、レイロードの担当医であった人物と、同じ名であった。