0. 銀の真鍮-3
「おい? どうした? 聞こえているのか?」
報酬の交渉と共に通信障害が発生するのはよくある事である。誰とて、事が安く上がればそれに越した事はないだろう。しかし、労働の対価は払われるべきである。そう考えるのは決してレイロード・ピースメイカーに限った事ではない筈だ。そんな当然の欲求を、レイロードが胸に抱え込んでいた時、怒り心頭と言った野太い声が、背後から浴びせられた。
「ちょっと待て! この状況で金勘定たぁ、どう言う了見だよ、えぇえっ!?」
「どうもこうもあるか。報酬の要求は正当な権利だ」
厳めしい渋面に貼り付けられた眉尻を更に釣り上げ、レイロードはその声に向きもせず言い放った。今時は収監中であっても労働に賃金が発生するのだ。ともなれば、タダ働きは囚人以下である。断固拒否したい。
無論、それだけではなかったが、今の問題は男の声ではなく、口を閉ざしたPDの向こう側だ。しかしながら、声の主にはレイロードの都合など関係がないらしく、張り上げた声は尚も大きくなる一方だ。
「権利の前に! アンタの義務だろうがぁ! 天窮騎士様よぉ!」
「帝国に属していれば、な」
鬱陶しいがなり声に辟易としながら、レイロードは溜め息交じりに振り向く。見れば、大尉と呼ばれていた男が副官を伴い、オーガ種の如き形相でレイロードの機馬へと足を進めている。その憤怒の形相に、何処か見覚えがある、そんな気がした。何だったかと、レイロードが古ぼけた記憶の底から回答を引きずり出そうとしていた時、それよりも速く、野太い声が飛んだ。
「あぁあ? テメェ!? テメェ、どっかで見たかと思えば、"死に損ない"のピースメイカーじゃねぇか!」
「は? それは……?」
「あぁ? 気にすんな」
「はぁ……」
その内容に、副官が首を捻るが、指揮官は素気なくあしらい、結果、釈然としない副官の顔だけが残った。
"死に損ない"、一時、自身がそんな呼び方をされていたらしい事は、レイロードも知っていた。が、当時は気にも留めていなかった。今でも、実にらしいその呼び名には、反感所か共感を覚えてしまう程だ。
しかし、となれば、ルーデルヴォルフ時代に合っていたのだろうかと、よくよくその姿を見やる。オーガのような表情と、ノシノシとした足運びに、戦場で数度見掛けた記憶が朧気ながら蘇る。喉に刺さった魚の骨が抜けたような感覚に、レイロードは表情を崩した。
「ハッ、聞いた声だと思えば、名は……何にせよ、ルーデルヴォルフから自国の軍属、実に在り来たりな顛末だな」
「ガンドルフ・ヴェルトロだ! それの何が悪い!」
「いや? 何も」
「はぁ!?」
反射的、それに近い勢いで食って掛かってきたガンドルフだったが、返されたレイロードの言葉は、ただの肯定。その対応に、ガンドルフが呆けたように口を開けていた。かと思えば、次の瞬間には、毒気を抜かれたように頭を掻き毟る。
「あー、ったく! まぁいい、けどなぁ、何処かでおっ死んだかと思ってりゃあ、天窮騎士様だぁ? あんまりにも嘘くせぇ。テメェの実力でなれるのかよ? そんなに安いモンなのかぁ?」
「知るか。文句ならば、ロマーニ皇帝陛下と、アルト・ダルジェント卿にでも言ってくれ」
懐疑の視線を色濃く向けてきたガンドルフに、レイロードは不機嫌そうに吐き捨てた。後方から足早に近づく人影を察知し、新たな面倒を事かと感じた所為もある。
「っ! 糞がっ!」
一方で、レイロードが口にした名には何も言えず、ガンドルフが地に向けて罵声を叩き付けていた。ロマーニ帝国に属する者であれば、その名に向かって唾吐く者は少ない。軍属となれば尚更だ。機上から、地団駄を踏むガンドルフを流し見るに、多少理不尽だったかと、レイロードは自戒した。丁度その折、先に察知していた人影が滑り込む。
「ご歓談中、申し訳ありません、サー! 本隊からの支援に遅延との事! このままでは弾頭が……」
「あぁあ!? どいつもこいつも! 発射間隔を延ばせ、取り敢えず倍だ!」
割って入ってきた通信兵の報告は、芳しいものとは言えず、ガンドルフが更に顔を歪める。機上のレイロードも、周囲に展開された兵器を見渡しながら眉を顰めた。対応可能な兵装は、まだ温存されているように思えて。
「そこらに迫撃砲を転がしているだろう。使えばいい」
「馬鹿が! こっちの目的は足止めだ! 万が一装甲抜いて、激昂でもさせたら後がねぇ! 分かれや!」
「成程」
相も変わらず表情筋を酷使するガンドルフに、レイロードは納得の言葉を返す。始めから時間稼ぎ狙い、しかし、時間を掛ければ顛末は同じだ。即ち、壊滅。今この場に居る兵士達は覚悟の上だろうが、大して面白くもない結末を想像し、レイロードはPDに目を落す。通話中の表記は未だ消えてはいなかった。
「どの道不要になる……それにしても遅い」
「あぁあ!?」
食って掛かってくるガンドルフを片手であしらい、PDを再び耳に当てる。レイロードとて、この古馴染の戦友が、自身にタダ働きを要求するとは、流石に思っていない。思っていないが、こうも反応が悪いと少々心配になったりは、する。故に、多少声が低くなってしまったとしても、それはきっと仕方のない事だったのだろう。
「おい、聞こえているのか? ナロニー、ナロニー・セルデューク」
『今―ユマスです。セルデュークじゃぁあ―ません』
「漸くか……で、どうなんだ?」
そんな僅かばかりの疑心を乗せて向けられた声に対し、しれっと答えるナロニーに嘆息しつつも答えを促す。それなりの付き合いがある。先の反応から、大体の予想は出来ていたが。
『申請終わっ―よ。ゴルニヴァクフ―動いていたから、安くな―だろうけど。多分10億エツェくらい―と思う。ロマーニ名義になるから、受け取り―そっちでね』
「チッ、分かった、それで良い」
「おぁおい! 聞けよって、10億!? 安すぎんだろ!?」
想定よりも幾らか安い値段に、思わず舌打ちするが、ないよりは遙かにマシだ。ロマーニの平均年収が500万エツェである事を鑑みれば、十二分な大金とも言える。尤も、戦場に立つ者からすれば、破格の安さであり、それは横で目を見開いているガンドルフからも見て取れた。
『ごめんね、ありがと、助かったよ。
代わりに今度、うちのワンコ好きなだけ触らせてあげるからさ』
「……それは魅力的だな」
やけにはっきりと聞こえた最後の通信は、雷雲の主の気紛れだろうか? 目を細めながら、それに答えたレイロードの声は、それまでに比べ、少なからずとも柔らかいものだった。
通話を終え、役目を果たしたPDに目が落ちる。嘗ては事ある毎に聞いていた、戦友からの労いの言葉。
手を伸ばしていたら、そこに届いたのだろうか? 変わらなかったのだろうか? もう知りようがなく、考えても仕方のない事だが。厳しい表情を崩し、自嘲気味な笑いが溢れた。
「無いな……」
「なんだぁ? フラれたか? "死に損ない"」
口角を釣り上げ厭らしい笑みを浮かべるガンドルフを無視し、手綱を握る。そんな事より今は仕事だ、と頭を切り替え、レイロードはPDからアプリケーションを起動させた。
クイント対処用レコーダー、何の味気もなくそう呼ばれる物だ。クイントはマナを発生させる。それを利用し、マナ散布状況から戦況を記録するのが、このアプリケーションだった。
本来、大規模戦に於いては、専属の監査官が状況確認を行う。しかし、今回は緊急のため監査官が居ない。万が一のための状況記録だ。アプリに目を落したまま、レイロードはガンドルフに一言告げる。
「ここから先は俺の仕事だ。手を出すなよ、邪魔だ」
流れ弾、或いは流れミサイルの処理までは面倒が過ぎると、端的に伝えたのだが、ガンドルフの顔には、何故か僅かばかりの哀愁が漂っていた。そして、そこから発せられた声もまた。
「はぁ~、一人で突っ込んで、それでまた死に損なうのかぁ? 変わんねぇなぁ、おい、"死に損ない"よぉ……」
何故に今更、昔の事を掘り返してくるのか、レイロードには分からなかったが、その台詞に含まれる言葉に問題がある事は分かった。
「死に損ないは止めろ。分からんのか?」
希望は絶望とは違った毒、甘い毒だ。緩やかに伝搬し、一気に膨れ上がる。そして、容易く弾ける。天窮騎士と言う希望を見つけた兵士達の炎が、"死に損ない"の言葉でもって、急速に気勢を下げていた。
有名所とは違う、大して名の知られていない天窮騎士、それが疑心へと変わって行く。既に、兵士達は今まで通りの気概は感じられない。これでは折れる。
「分かってるさ」
しかし、ガンドルフから返ってきた答えは、肯定の意。何か勘違いしているのではないかと、その目を見るが、その瞳は間違いなく、レイロードの意図を理解していた。そしてまた、レイロードも理解する。
「そうか……」
これで兵士達は逃げられる。ロマーニ帝国にて、絶対的な存在である筈の天窮騎士の敗北。それは逃れられない絶望となり、逃げる気力さえも奪うかも知れない。しかし、それが始めから紛い物だと知れていれば? 恐らくは撤退する気力は残る筈だ。
先までは、死ぬ気だった、しかし、逃せる口実が見つかった。この男にとっては、兵士達も守るべき家族の一員だったのだろう。しかし、それは……。
「だがな……舐めるな……下らん配慮は不要だ。精々が国境線数キロまで下がっていろ」
「なぁ、おい……今回の件、正規ルートから案件が公開されりゃあ、2Aって所だ。適正価格は100億エツェ程か? 本当に分かってんのかよ?」
ガンドルフの言わんとする所は詰まり、今レイロードが向かう戦場は、それだけ危機的な場所であり、本来ならば一人で対処する事など、到底不可能な状況である事の示唆だ。
確かに、本来は大陸最大の狼、ヨアケオオカミの生息域調査の一環で訪れた。にも関わらず、妙な事に巻き込まれたと言える。が、
「望む所だ――」
レイロードに応えるかの如く、PDに《standby ready》とアルフォード語の表記が走り、タイマーと共にレコーダーが稼働し始める。日付は征帝歴999年6月6日15時12分。間違いはない。ならば、後は向かうだけ。
――紛い物と言えども天窮騎士――
「――ロマーニの銀に、敗北など、ない」
何時か誰かに聞いた言葉が、口を衝いて出た。今も尚、明確に思い出せる何時かの。今も尚、鮮明に思い出せる、誰かの言葉が。
「あぁあ? んだぁ? 大した自信だなぁ、おい」
ガンドルフの言葉には耳を貸さず、心の残滓を払うように、かぶりを振る。PDを仕舞い、機馬のイグニッションキーをスタンバイへ。そして、息付く間もなく、人間の頭部程はあるシート高から飛び降りた。
夜色のマントが風に舞い、接地と共に鎧の金属音が鳴り響く。優に100キログラムを超える全備重量は、何の危なげもなく、ガンドルフの隣へと降り立っていた。
「うお!? あっぶねぇ! 降りる場所くらい考えろや!?」
大仰におどけるガンドルフには目もくれず、レイロードは遙か先を見る。幾度の戦場を越えて鍛え上げられ、絞りこまれた筋肉が全身を覆う重装騎士。装備を含めれば180センチを超えるだろうか。
「ハッ、ならばこの程度、造作もないだろうよ……」
皮肉気に笑うその様は、隣に立つ筋肉の塊のような男よりも尚、威圧感を放っていた。
左腕がユラリと左腰にある得物を掴み、剣帯から鞘ごと引き抜く。その刃渡りは1メートル近い。大きく弧を描くシンプルな黒染めの鞘。平たく装飾の少ない真鍮色の鍔。両手で持つ事を想定されたであろう柄。サーコートと同様の、藍に染められた柄巻き。
大太刀、そう呼ばれる近接戦闘用切断兵装。イグナークァ大陸北東の島国、和雲皇国で生み出された兵装である。これを生み出した時代の人間からすれば大きくとも、現代人の体格ならば程よい物。それは1000年を過ぎる時代の流れを感じさせるには、十分だろう。
「往くと、するか……」
「だから聞けよ!」
過ぎ去った月日の哀愁でも感じたのか、レイロードは緩やかに柄を撫で囁く。つま先で何度か大地を軽く叩きながら、漸くにして真鍮の瞳は、背に掛けられた無粋な声に向けられた。
「チッ、何だ? 手短に話せ……」
「あぁ、面倒くせぇヤツ……んでよ、昔も、今も、何でテメェは無謀ばかりに足を突っ込む……」
レイロードに向けられた瞳は、先よりも深い哀愁と悲哀が漂っていた。それは、僅かばかりでも、同じ戦場に立った戦友への悲哀。故に、レイロードは応えた。誰でもない、嘗ての、ほんの僅かな戦友として。
「……嫌いだったからだ」
「何がだよ?」
「理不尽が、だ」
それだけ告げると、ガンドルフの言葉を待たず、レイロードは一息に大地を蹴り抜く。その踏み込みは、盛大な土煙を上げ大地を穿ち、レイロードを撃ち出していた。
それは、アルト・ダルジェントがもたらした技の一つ。騎士を騎士足らしめ、己顕士を己顕士足らしめた技法。
銃砲火器が浸透した今も尚、己顕士を最高戦力足らしめる奥義。
武術の"型"その物に有り様を見出す事で、己顕を行使し、瞬間的な身体強化を可能とさせた究極技法。
"顕装術"、歩法にすら及ぶその技は、レイロードの体を遥か先まで推し進め、その速度を時速600キロメートルにまで達しさせていた。彼我の距離は4キロメートル。接敵まで約25秒。
どうでもよかった。相手が何であれ、どうでもよかったのだ。レイロード・ピースメイカーのやるべき事に、何ら変わりなどなかったのだから。
「あんの、馬鹿が……」
立ち上る粉塵に、またもむせながら、ガンドルフは既に見えなくなった騎士への悪態を吐いた。己顕士はあの速度で動くのだ。連携など出来はしない。ならば、状況を見守るか、下がるかしかない。可能な限り巻き込まれないように立ち回るには、有り難い事に、下がるしかなくなっていた。
「大尉、その、死に損ない、とは……」
胡乱げに先を見つめていたガンドルフの隣で、副官のジェラルド・バラッキ少尉が、実に遠慮がちに訪ねてきた。実戦経験のないこの青年は、まだまだ頼りない。バイザー型のHUD越しに、不安げな瞳が見て取れた。話した所で何か変わる訳でもないだろうが、やる事もなければ、少しくらいは余計な事もいいだろうと、ガンドルフは口を開いた。
「あぁあ? ああ、まだアルトリウスで内戦やってた頃の話だ。お前らはジュニアハイくらいか? まぁそんな時代にだ、そこいらの戦場に現れちゃあ、一人で突っ込み、挙げ句ズタボロになってメディック送り……何度も、何度も、そんな事を繰り返している馬鹿が居た……そんで付いた渾名が"死に損ない"……昔の話だ……」
「天窮騎士が、であります……? 大尉のお言葉を軽んじるつもりなどありませんが、自分にはその、にわかに信じられないお話で……たっ! 大尉、あちらを!」
昔話に懐疑的な視線を向ける自身の副官へ、どうしたものかと、ガンドルフが顎に手をやり考え込んでいた矢先、そのジェラルドの指先が、遙か地平を指し示していた。咄嗟にマルチスコープを取り出し覗き込めば、そこには、低空弾道ミサイル、アデスでさえ揺らぐ程度であった深紅の巨体が、大きく体を崩し、地に倒れ伏せる様が展開されていた。
「マジかよ……あの野郎……本当にどうにかしちまうのかぁあ? ……あぁあ! 撤退! 撤退だぁあ! ポイントCまで、全速退避! 早くしろぉお!」
「「サー! イエッサー!」」
ガンドルフが割れんばかりに声を張り上げ、部下達も声を張り上げる。仮設本部のテントは瞬時に格納され、多脚砲台が駆動音を上げ動き出し、オートマタ格納用トレーラーが車輪を回す。対象までは4キロ程度。安全圏とは言い難く、手を出されれば壊滅は必至。
「……くたばんなよ、死に損ない……」
慌ただしく部隊が撤退の準備を進める中、ガンドルフは一度だけ振り向き呟いた。