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カテゴリーエラー  作者: あごひげいぬ
2章 故に死者は歩く
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2. 不可解-6

「す、すみません! いえ違うんです」

「ああ! 何でもないんですよ!?」

「いえいえ、ちょっと目つきが悪いだけですので!」

「普段通りの顔なんですよ!?」


 肩で息をしながら、桜花はあくせくとすれ違う人々に平謝りを繰り返した。平穏な憩いの場に突如現れた鬼気迫る表情の騎士が、本当に何でもない事を只管に周知し続け、結果、道行く人々の恐怖を、幾らか軽減する事に成功していた。

 そんな桜花の労力とは裏腹に、目的の店舗は直ぐに見つかる。何せショッピングモールのど真ん中に鎮座していたのだ。しかも、その店舗は非常に大きかった。当たり前、と言えるだろう。

 が、やはり問題はその店構えである。店先に掲げられた電光掲示板を見上げながら、桜花はそこに書かれた文字を、気の抜けた声で読み上げた。


「イリエ家電店……」

「…………」


 同じくその文字を見上げるレイロードの瞳は、絶望的な悲壮感を漂わせていた。その陰惨な己顕(ロゼナ)に中てられた訳ではにだろうが、店に入ろうとしていた中年夫婦が腰を抜かさんばかりに狼狽していた。これ以上この男を鎮座させてしまえば、それは明確な営業妨害だ。


「ま、まぁ、入ってみましょう。大きいお店ですし、或いは……」

「そう、だな……」


 桜花は、気の抜けた返事を返し、屍と化さんとするレイロードの背を、物理的に店内へと押し込んだ。自動ドアがこれほど有り難い物だとは、その時まで思っていなかった。


「いらっしゃいませ~何かお探し物があれば、お気軽にお申し付け下さ~い」


 二人を出迎えたのは、煌々と照らす店内照明と、それに負けじと愛想のいい女の声。見事な営業スマイルだ。イグノーツェで見かけるのは珍しい程。しかし、その胸中にある物は、面倒くさそうな客が来たな、と言う物であった事を、桜花の瞳が識らせていた。


「いえ、お構いなく」


 これはアテに出来ないと、桜花が断りを入れた直後、屍と化した男から声が発せられた。怨念でも詰め込んだかのような、それはそれはオドロオドロしい声だった。


「刀の、修復は出来るか……」

「へ? カタナ?」

「……剣だ」


 その内容に店員が一瞬キョトンとした顔を見せたが、剣、と言う単語を聞くや、得心がいったと言う表情を見せると、二の句を続けた。


「ああっ! それではこちらにどうぞ、店長をお呼びしますので~」

「出来るのかッ!?」

「ひっ!?」


 それは一人の屍を蘇らせるには十分な一言。生気を取り戻したレイロードが、店員に掴み掛からない勢いでオーガの如き渋面を漲らせていた。結果、哀れな店員は泣き出しそうに悲鳴を上げる。そんな駄目な大人に、桜花は何時もの半目で冷ややかな視線を送るだけだ。


「レイロード……」

「いや、済まない……少し気が逸っただけだ。案内を頼む……」

「ふぁ、ふぁ~い」


 ガクガクと涙目になりながら先導する店員に、桜花は労いの声援を心の声で送る。届く事はないだろうが、それは気持ちの問題だ。遠巻きに感じる奇異の視線が少し鬱陶しい。こう言う事で注目を集めるのは本意ではないと、桜花は期待に揺らめくレイロードのマントを追った。

 足早に進めど、脇を過ぎ行く家電品を流し見る。技術は日進月歩だが、それに伴いデザインは味気なくなってきているように思えた。ディスプレイなどは特に顕著で、どれもがただの透明な板だ。精々が台座で個性を出すくらい。逆に、掃除機などは中々に個性的だ。風来坊な生活には無縁ではあるのだが、少なからずとも購買意欲を掻き立てられた。

 桜花がちらちらと店内を物色する一方で、レイロードは黙々とただ真っ正面を見つめている。何を考えているかと、その後頭部へ訝しげな視線を送った時、怯えたような店員の声が耳に届く。


「こ、こちらでお待ち下さい~」


 視線を戻せば、場所は既に店内の端。広いとは言え、所詮は店内、と言った所だろうか。そして、そこには佇んでいたのは、実に質素な単なる扉。

 逃げるようにしてその場を去って行く店員を流し見ている内に、レイロードはと言えば、既に扉を潜っている。何も逃げはしまいだろうと、少し呆れながらもその後に続く。そんな桜花を出迎えたのは、光量の抑えられた照明と、微動だにせぬレイロードの背な。これのせいで暗いのではなかろうかと、レイロードの脇から部屋を覗き、そして桜花は詠嘆の吐息を吐いた。


「ほう、これは……」


 そこ広がっていたのは、僅か5メートル四方の古戦場。壁に、棚に、部屋の至る所に飾られた数々の武具が、静かにその身を休める夢の跡だった。大剣、短剣、曲剣、槌、槍、斧、斧槍、イグノーツェで振るわれ、今は手に取る者も居なくなった物達。それらは皆、決して豪奢な物ではない。造りがいい訳でもない。しかし、長い歴史を、幾度の戦場を、誰かと共に重ねてきた事を偲ばせる静かな風格と、朽ち行く儚さに満ちていた。

 その中の一振りに、レイロードの手が伸びる。濡れたように艶めく刀身、独特の長く反った刃。掴んだ物は、当然の如く大太刀だった。レイロード得物に比べれば幾分かは劣る。が、これほどの物は早々手に入らないだろう。その刃を見つめる真鍮の瞳は、まるで叱責するような、呵責に耐えるかのような、得も言えぬ険しさを窺わせるている。が、不意にその瞳が緩んだ。


「ハッ、この眠りを妨げるのは、些か無粋だな……」

「ですね」


 穏やかに微笑むレイロードに桜花も頷き、柔らかく表情を崩した。刀剣で囲まれた室内に、和やかな空気が満ちていく。恐らくは、他人が見れば不気味とも取れただろうが、桜花には、そしてレイロードにも、何とも言い難い心地良さを感じさせていた。


「いや~何と言うか、いや、凄い! 本職の方は、やはり見る目が違うんでしょうね。父もよくそう言っていましたよ」


 鋼の世界に埋没していた二人を引き戻したのは、情緒に満ちたこの世界とは無縁に思える朗らかな男の声だった。歳はレイロードよりも少し上、30代前半と言った所だろうか。

 元々気配は感じ取れていたが、心地よい余韻をぶち壊され、桜花の眉間に皺が寄る。レイロードは……何時もの事だった。そんな二人の事などお構いなしに、男は声のトーンを落として続ける。


「大体の剣はな、眠りから覚める事を望んじょる。その身が砕けるまで振るわれるのを望んじょる。じゃがな、こいつぁもう役目を全うしおった。その身を削りきった。起きる必要なんぞありゃせんっ、と」

「はぁ……」


 厳つく作った顔を崩し、男がはにかむ。件の父親を真似たのであろうが、桜花には似ているかどうかなど分かろう筈もなく、間抜けな返事を返すのが関の山だった。


「実は、売ってくれと頼まれたらどうしようかと、内心焦っていたんですよ。実用品としても、アンティークとしてもガラクタでしょうが、売るつもりはなかったので。いや~よかった」


 手を打って陽気に笑う男に、桜花は呆れ顔で視線を送る。しかし、気付いているかいないのか、男はズンズンと前に進み出て、にこやかにレイロードの前に立った。


「申し遅れました、私はイリエ家電店の店主を務めさせて頂いております、ソール・イリエと申します。どうぞごひいきに。

 おっと、拵えはチタン包みのホオノキですか。お嬢さんの物はウルシ塗りのホオノキですか。確かに軽く、刀身も痛めにくいですが、今の己顕士(リゼナー)には力不足でしょう? どうです、オリハルコン包みの樹脂製鞘もオーダー出来ますよ! しかも! 何と、たったの100万エツェ! これは買い換えるしか ないでしょう!?」

「え、ええ? いえ、あの……」

「要らん」


 鞘の材質を的確に言い当て、無駄に知識と商売っ気を見せるソールにたじろぐ桜花。対照的に、バッサリと切り捨てるレイロード。こう言う時は、この男の無愛想が実に心強かった。


「それは残念です。しかし、数少ない刀の使い手さん達は、皆さん決まってそう言うんですよ、きっと矜持なんでしょうね。はははっ」


 しかし、敵も然る者。まるで動じず、軽く両腕を開いて歓迎の意を示しながら、朗らかに微笑む。紛う事なく強敵だ。そう認識し、桜花が気を引き締める傍らで、レイロードが徐に刀を抜き放っていた。

 シットリと濡れたように艶めく鋼の刀身。豪壮で覇気に満ちた大乱れ刃の刃紋。古刀を偲ばす小切先。幾度となく、超常の猛撃を捌ききったその刃は、疲れ、くたびれていたが、その芯には未だ覇気残しているように感じ得た。まだやれる、まだやれるのだと、幾度となく立ち上がる姿を、誰かに重ねて幻視する程に。


「……はっ!? ちょ、 何を乱心して……おや?」

「…………」

「…………」


 引き釣り込まれそうになった幻想の彼方から舞い戻り、桜花は咄嗟にレイロードを諫めようとし、そこで気がついた。二人の男の視線もまた、掲げられた刀に吸い込まれている事に。レイロードは何時もの渋面だが、その表情は無念と呵責に苛まれた沈痛な渋面。一方の店主、ソールは、憧れのヒーローにでも出会ったかの如く、喜悦と驚愕、詠嘆を滲ませた、一言では言い知れない表情を湛えていた。


「あの……?」

「あっ!? あ~いえ、あ~何と言うか、あ~これ程の物が……あ~いや何と言うか! ああっ~! 何と言う事か!」

「…………」


 訝しむ桜花の声に、ソールが慌てて取り繕いながら、言葉にならない言葉を発し、レイロードは変わらず沈痛な瞳で見つめる。そして、そこから絞り出された声もまた、聞いた事のない程に沈痛な物だった。


「この刀、直せるか……?」

「ふぅ……一言で申し上げれば、私ではご期待に添えるかどうか……もし、父が存命であっても、これ程に見事な刀を、完全に修復出来たかは……」

「ええ? 確かにそこそこの業物ではありますが、大業物と呼べる程の出来ではないですよ?」


 表情を一転させ、暗い陰を落すソールに、桜花は思わず口を挟んでいた。確かに、レイロードの大太刀は業物と呼んでいい出来映えだが、それでも極上品は程遠い。故郷、和雲(いずも)の一流鍛冶士とまではいかずとも、それなりに修復は出来るのでは? と踏んでいたため、拍子抜けしてしまったのだ。


「まだ上が!? 何と奥の深い……。

 と、兎も角、状態に関してですが……一見すれば然したる損傷は見られないのですが……その、騎士様は、ご自身の刀がどのような状態かは、お分かりになると思いますが……」

「ああ……刀身の合わせも微妙に歪んでいるようだが……恐らくは……芯金が、折れている……」

「……それは……」


 二人が話した刀の惨状に、桜花は息を呑んだ。人間に例えるなら、内蔵が破裂しているような物だ。直すとなると、恐らくは一旦バラして打ち直し、再び重ねると言う荒技を使うしかないだろう。大手術に加え、成功すかも怪しい大博打だ。桜花の表情も自然と暗くなってしまう。重い沈黙が、その場を支配した。


「上物の刀は、芯金、両面の鎬、峰、そして刃を合わせて刀身とします……この状態では、一旦全てを分解し、合わせ直すと言う力技に頼るしかないでしょう……ですが、今のイグノーツェに、繋ぎとして使えそうな鉄は……。

 ……せめて……せめて、まともな鋼が手に入れば、極僅かですが算段も付いたのですが……」

「そう、か……」

「…………?」


 沈痛な男性陣とは裏腹に、桜花は不可解な物でも見つけたように、キョトンと小首を傾げていた。今の話を聞く限りでは、修復の算段はある、技術もある、しかし、材料だけがないように聞こえたからだ。


「えと、あの……つまり、使えそうな鉄があればいいので?」

「そう、ですね・・・…そう、なります……」

「ハッ、だがそれがないと言っている」


 それを確かめるべく問い掛ければ、ソールが頷きながらも首を横に振り、レイロードは小馬鹿にしたように鼻で笑う。相も変わらず重苦しい念を飛ばす二人を前に、寧ろレイロードに、桜花は何時もの半目を送りながら、部屋の扉に足を向けた。


「心当たりがあるので取ってきますよ。恐らくは極上物の筈ですから」

「……なに? おい? 桜花?」

「ええ!?」


 訝しみ、驚愕する二人をその場に残し、桜花はその場を飛び出す。店の売り場を一直線に抜け、そのままモールへ。

 ごった返す人の波を物ともせずに潜り抜け、大凡の人間では理解出来ないであろう速さで機馬へと辿り着く。そして、バスケットから覗くユキムネとアルくんの頭を撫でながら、それをマフラーへと包む。例え使い物にならなくなっていたとしても、手放す事には、少なからずとも心が痛んだ。

 一瞬訪れた哀惜を振り払い、再びイリエ家電店へと舞い戻るまで、往復1分と掛かる事はなかった。


「はいはい、戻りましたよ」


 舞い戻った桜花の前には、時でも止まっていたかのように、出掛けと変わらぬ二人の男の間抜け面。目を細め、そんな男達にマフラーをゆるりと解いた。現れた姿に、レイロードの表情に苦渋が浮かぶ。


「お前、それは……」

「ええ、そうですよ」

「…………」


 姿を見せるは、側面を無残に削がれた銀の孤月。短い付き合いではあったが、己の分身と呼んでも差し支えない程に馴染んでいた愛刀の、亡骸だった。暫し、二人の間に沈黙が降りる。尤も、それは直ぐに破られたが。


「あぁ……ああ……ああ! あぁあああ! 何と、何と言う事だ……こんな物が、こんな物が……こんな物が存在していたなんて!」


 先と似たような台詞を口走りながら、ワタワタと、ソールの手が動く。削がれた"桜花"に手を伸ばそうとし、さんざん宙を彷徨った挙げ句に引き戻され、再び伸ばされたかとも思えば、今度は迷った挙げ句に自身の頭を押え込む。

 実に珍妙な行動を取るソールに、レイロードの苛立ちが、眉根に現れていた。


「それで……直る、のか……?」


 そこから発せられた物は、絞り出されて涸れたような声。不安と期待と、呵責と苛立ちがない交ぜになった、それででいて幼子のような声、少なくとも桜花にはそう感じられた。


「え? ああ、その刀を鋳つぶして、この刀をですか? ええ、流石にこれだけ損傷が酷いと……」

「……逆だ……」


 桜花へと視線を走らせたソールに、レイロードの口からは、絶対零度以下にまで下がった声が漏れ出す。その冷気に中てられたソールはと言えば、表情から完全に色が抜け落ちていた。

 今までのロイロードからは感じた事のなかった、凝縮された殺気、桜花の背筋にさえ寒気を与えるようなそれに、ついと宥めの言葉が口を衝く。


「レイロード、先ずは深呼吸でもして心を落ち着けましょう。こんな時こそ自戒ですよ。あなたの十八番でしょう?」

「ッ……」


 そんな桜花に、レイロードが我を取り戻したように目を見開き、次いで片手で顔を押さえる。軽く上げられたもう片方の手が、大丈夫だ、と桜花に伝えていた。本当に大丈夫なのだろうかと、眉を顰める桜花を余所に、レイロードが溜め息交じりに口を開く。


「すまない、少し焦っていてた。ハッ、考えてみれば、刀を必要とする戦場など、早々ありもしないと言うにな。こちらのミスだ、申し訳ない」

「い、いえ、わ、私こそ、本来の目的を忘れ、動転しておりました。店主として恥ずかしい限りです。申し訳ありません」


 僅かばかり表情を崩すレイロードと、深々と腰を折るソールに、これならばもう大丈夫だろうと、桜花はホッと一息吐く。事実、男二人はギクシャクしながらも、会話を続けていた。


「それで、今一度確認するが、直るのか……?」

「そう、ですね……恐らくは、ですが……その、大事な物、なのですよね?」

「あぁ……いや、取り立てどうと言う事はない。ここ数年の付き合いなだけだ。アレスの骨董品屋でたまたま見つけた程度の、な……」


 レイロードの瞳が、懐かしむように刀身に注がれる。恐らくは、先の戦いでも思い起こしているのだろう。その瞳からは、克明に刀への思い入れが見て取れた。とてもどうという程度の物ではない。それはソールも感じ取ったらしく、何かを決意したように、口元が引き締められていた。


「分かりました! 未熟ながら、このソール・イリエ、全力で修繕に当たらせて頂きましょう!

 いやはや、騎士様のその瞳、亡くなった父が、よくそのような眼差しで刀を眺めていた事を、何だか思い出してしまいました。ここで剣に込められた想いを、無碍に散らしてしまえば、あの世の親父にどやされてしまいますしね」

「そうか……頼む。

 ……その、父君が亡くなったのは10年前と聞いた……やはり、独立戦争で、か?」


 聞きながら、当時の事を思い出していたのか、レイロードの表情が曇る。昨晩も同じだ。何らかの心残りがあったのであろう事は推測出来たが、そんな事よりも、桜花の瞳は、一瞬表情を強ばらせたソールに向けられていた。威勢よく啖呵を切ってはいたが、その実、内心には不安が渦巻いている事は、容易に見て取れた。然れど、問題はそこではない、桜花にはそう感じられていた。そして、その正体は、次に発せられたソールの声の中にあった。


「ああ、いえ、病です」

「そう、か……無遠慮な事を聞いた。すまない」

「そんな、お気になさらずに」

――嘘だ――


 愛想笑いを浮かべるソールの一言に、桜花の瞳は強烈な欺瞞を感じ取っていた。

 亡くなった事は事実。しかし、病死ではない。少なくとも、この男は病と言う欺瞞で父親の死を塗り潰そうとしている。そう思わば、急激に心の芯が凍っていく。

 今、それを暴かなければならない。何故だかは分からないが、強迫観念にも似た想いが桜を支配していた。得体の知れない感情に突き動かされた桜花は、唐突に二人の間へ割り込むと、ソールに詰め寄り掴み掛からん勢いでその瞳を覗き込んだ。


「ほう? 本当に……本当にご病気で? いいえ、違いますね? 違いますよね? 少なくともあなたは知っている。病死ではないと知っている」

「な、何を……」

「おい? 桜花? 何をしている! ッ!?」

「邪魔をしないで貰いたい」


 肩に伸ばされたレイロードの手を、見向きもしないで振り払い、桜花は尚もソールの瞳を覗き込む。気圧されたソールがその場に尻餅をついて倒れたが、どうでもよかった。

 瞳に己顕(ロゼナ)が収束されていく。見えないはずの物を、識るはずのない物を求めて瞳に集まる。集う己顕(ロゼナ)は、大気を見透かし、漂うマナを読み取り、そしてソールの内に秘められた感情を曝し出していく。

 無秩序に絵の具を混ぜ込んだような、得も言われぬ混沌とした姿。それは恐怖だ。恐怖が見えた。拭いきれない恐怖が、心の奥底に沈んでいる。世界から色が失われ、真っ黒に包み込まれていく。それは誰の世界からだろうか。どうでもいいかと、桜花は目を細め、ソールの耳元で囁いた。


「何を恐れているのですか? 何を隠そうとしているのですか?

 本当は……本当は、貴方が……殺した?」

「違う! 俺じゃない! お、俺はそんな事望んでいなかった! あ、アレが! あのフードの何かが親父を殺ったんだ! そ、その筈なんだ! け、警察がまともに調べればさえしていれば!」

「桜花!」


 桜花の一言に、ソールが恐慌に駆られたように叫び、何かから逃れるように頭を抱え込んだ。レイロードの叱責を無視し、桜花は尚もソールに食らい付く。もっと、もっと奥底へ、恐怖の根源へと深淵を覗き込む。どうなろうが構わないと、心までも貪り尽くすが如くに。


「でも、望んだのでしょう? 貴方が望んだのでしょう? 本当は望んだのでしょう? だから……」

「違ぁああう! 俺はぁああああ!」

「桜花ッ! やめんかッ!」

「あふっ!」


 凄まじい力で襟首を引き摺られ、桜花は珍妙な声を上げて床に転がる。無理矢理にソールから引き剥がされた事で、漸く桜花は現実に引き戻された。失われていた光が灯り、世界に色が蘇っていく。

 呆然と天を見上げれば、そこには先とは比べ物にならない程の憤怒を湛えたレイロードの顔。


「私は……なにを……?」

「何をもあるかッ! 何がしたかったんだお前はッ!?」

「分かり、ません……・分かりません……ただ、識らなければならないと……」

「チッ、もういい、俺が言えた義理ではないが、少し頭を冷やせ」


 レイロードの瞳が桜花から外れ、釣られるように緩慢な動作でそちらを見れば、そこには歯を打ち鳴らし、違う、違うと、恐慌に陥り震え縮こまるソールが居た。その姿に、何と声を掛ければいいのか分からず、桜花の手は暫し宙を彷徨い、結局は床へと落ちる。と、同時に、ドアが激しく打ち開かれ、人影一つと共に、悲鳴にも似た女性の叫び声が飛び込んできた。


「どうしたのソール!? 何かあったの!? ねぇ、大丈夫!?」

「ア、アンナ! アレが……アイツが! また、また見えたんだ!」


 その女性は一目散にソールへと駆け寄ると、震え縮こまるその体を優しく包み込んだ。


「大丈夫、大丈夫よ……分かるでしょ? 私が居るでしょ? だから、ね? ほら、大丈夫……」

「忘れていたのに! 忘れられていたのに! 何でだ!? 何で……あ、あぁああ今度はお前を! きっと、きっとそうなんだ……だから!」

「居るから、ここに居るから……大丈夫よ……」


 ソールをあやすように宥めていたアンナの瞳が、桜花を、レイロードを捉える。途端、優しげな瞳は姿を消し去っっていた。桜花には直ぐに理解出来た、その眼差しに込められた感情が、憎悪と侮蔑に塗れていた事を。桜花の妹が、彼女に向ける眼差しと、同じ物であった事を。


「……蛍佳……」

「帰って! 夫が何をしたんですか!? こんな事をしなければならい理由があるんですか!?」

「……いや……すまない、だが、今頼れる者は……」

「帰って! いいから帰って下さい!」


 漏れ出た妹の名を切り裂いて、アンナの怒声が響く。何とか取り繕おうと、レイロードが眉根を寄せていたが、それも梨の礫。結局は、その剣幕に負け、諦念と共に口を噤んだ。

 何を間違ったのだろうか、いや、間違ってなどいない筈だ、自身の内で未練がましく囀る声に、桜花は辟易とする。ただ一言謝罪の言葉を述べ、頭を下げる、それだけの実に単純な所作が、何故か出来ない事に。


「分かった……暇をさせて頂く……本当に、申し訳ない事をした……」


 代わりに、レイロードが深々とその頭を下げていた。その姿を桜花はただ見る事しか出来なかった。

 情けなさからか、全身の力が抜けて立ち上がる事すら出来ない。そんな体たらくを、レイロードが無理矢理に引き上げたが、抗議出来よう筈もなかった。


「……刀は、ここに置いておく……後を、頼む……」


 棚の古戦場に、自らの相棒と"桜花"の亡骸を横たわらせ、最後にもう一度、軽く頭を下げ、レイロードがその場を後にする。逃がさぬとばかりに、桜花の腕を引きながら。結局、桜花は最後まで、頭を下げる事は出来なかった。ただただ、桜花を睨み付けるアンナの瞳が、重なった妹の姿が、恐ろしかった。

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