2. 不可解-5
桜花とレイロードは共に、どっと体を包む疲労に見舞われていた。肉体的な疲弊はないが、心因的には飲まず食わずで数日間戦い続けたような感覚だ。故に、休息は必要不可欠であった。
「これからの事、どうします?」
近くのカフェテラスで腰を落ち着け、桜花は今後の方針をレイロードに尋ねた。と、言っても、物証をカピタナン警部に届けるのが先か、近くにある筈である鍛冶屋が先か、程度だが。そんな桜花の問い掛けに、レイロードが暫し思案げに顔を伏せると呟いた。
「……分かれる、か……」
「え、嫌ですよ」
「それはお前の我が儘だろう……」
桜花はレイロードの意見を即座に否定した。人手が足りない以上、二手に分かれた方が効率的だ。しかし、刀の修理に関しては、レイロードが向かわなければ意味がない。
と、なれば、桜花が署へ向かう事になるのだが、昼となれば昨夜に比べて圧倒的に人は多い。それは煙たがられている矢面に、一応は部下である桜花が立たされる、と言う事だ。意味が分からない。それを拒否する事は、我が儘とは言えないだろう。 桜花としても、イグノーツェの鍛冶が如何程か、確認したかった事もある。
そう言う意味合いでの否定だ。
「んん?」
と、そこで、桜花は周囲からの気色めいた視線を感じ、眉を顰めると、気がつかれない程度にそっと視線を巡らせた。
昼時にもなれば、カフェにはそれなりに人は居る。そんな中の幾人かが、見世物でも見るように、面白可笑しそうに時折こちらを覗っているのだ。
はて、何かそれ程に面白い物があるだろうかと、内心首を傾げる。桜花の姿に見惚れている訳ではないだろう。女性が多いからだ。ならばレイロードかとそちらを覗うが、何時も通りの渋面が辛気臭くあるだけだ。別段面白くもない。強いて言えば、傍から見ればやたら深刻そうに見えるだけ。
そこまで考え桜花は気が付く。
――これからの事、どうします?――
――……分かれる、か……――
――え、嫌ですよ――
――それはお前の我が儘だろう……――
それはまるで、男から別れ話を切り出され、縋り付いている女の図、に、見えなくもない。いや、事実そう捉えている人々が確実に居るのだ。実に心外である。が、原因が判明したのであればそれは正せばいい。
桜花は軽く咳払いをすると、姿勢を正して切り出した。
「"二手に分かれる"のは反対です。そもそも、責任者はあなたです。仕事を取ってきたのもあなたです。責任の矢面に立つのは当然では?」
顔はレイロードに向けながらも、その実牽制しているのは野次馬達だ。桜花はちらちらと、視線だけで周囲を見渡す。気配での察知も可能な限り忘れない。敵意程ではないが、野次馬根性も分かり易いのだ。
「確かに、道理だな……」
数多の敵を牽制する桜花を知ってか知らずか、レイロードが陰鬱に口を開いた。眉間に皺が深く刻まれているが、それは何時もの事。まぁ仕方ない、そんな程度の表情だった。
そして、レイロードの解を以て、つまらなそうに野次馬達から興味の視線が消えていく。
ホッと一息ついた桜花に、レイロードがPDを取り出しながら、訝しげな視線を送ってきたが、一先ず無視しておいた。
「それでは……で、どうします?」
周囲からの無遠慮な視線が消えた事で、桜花は改めて訪ねる。その問いに対するレイロードの答えは、無言でPDのディスプレイを差し出す、と言った物だった。
映された文字は、カピタナン警部。実に面白味のない結果に、桜花は無言でコーヒーに手を伸ばす。確かに、警部は終日署に居る訳ではない。行き違いになるのは勘弁願いたかった。
「ああ、カピタナン警部か? ピースメイカーだ。今、時間は大丈夫か?」
『はあい、大丈夫ですよお。どうなさいましたあ?』
レイロードが耳に当てたPDから、間延びしたしゃがれ声が、嫌にはっきりと桜花の耳にも届く。これも職業柄なのだろうかと、小首を傾げる桜花を余所に、レイロードとカピタナン警部の話は続いていた。
「いやなに、現場で遺留品の可能性がある物を回収した」
『おおやまあ! ほぉんとうですかあ!?』
相変わらずの渋面で、淡々と告げたレイロードの声に、心底に驚愕した、と言わんばかりの声。スピーカーを割らんばかりに響いたその声量に、PDを遠ざけながらレイロードが眉を顰める。渋いその表情に釣られ、桜花もついと眉を顰めたが、その時には、レイロードは既にPDを戻し、二の句を続けていた。
「可能性があるかもしれない程度だ。余り期待しないでくれ。まぁ、それで鑑識に依頼をと。今は署か?」
『あぁ~別件で出ておりましてえ、15時頃の戻りになるかとお。他に御用があるのでしたらあ、そちらを済ましてしまわれてはあ?』
カピタナン警部の提案に、レイロードが顎に手を当て、逡巡するような仕草をとる。が、それも一瞬。顔を上げると、直ぐさまに口を開く。蒼穹を見つめる真鍮の瞳が、本当は何を見ているのか、桜花には分からなかった。
「そうか、分かった。その辺りに署へ向かう。ではな」
『はぁい。それではあ』
言葉を交わし、レイロードが通信を切りつつ、コーヒーカップに手を伸ばす。そしてそれを片手に相変わらずの渋面で、尚もPDを弄っている。桜花は恐らく、と思いながら、心当たりを現前の渋面騎士に訪ねた。
「ナビですか?」
「ああ、警察のアプリをインストールした際に、マップが更新されていた。ガイドがないよりはマシだろうさ」
桜花の問いに視線も上げず、レイロードが返す。ナビと言ってもそれ程正確ではない。PD内でエミュレートされたジャイロで位置を計算するだけだ。桜花は、先程レイロードが見ていた物に視線を巡らせた。
「空から見えればいいのですけどね」
「ハッ、夢物語だな」
青く染まる空を見つめて呟いた桜花の声を、レイロードが素気なく切り落す。そして、それが事実だとでも言うかの如く、遙か空の大海原に、二筋の航跡雲が尾を引いていた。その主の姿を見る事は出来なかったが、涙の跡にも見え、桜花は暫しその跡を眺めていた。案外、先程レイロードが考えていた事も、その程度の物だったのかもしれないと。
「ああ、所で会計は割り勘だ」
感傷的な気分に浸っていた桜花を、実にケチ臭く現実的なレイロードの言葉が、現実に引き戻す。最悪な後味に思わず眉を顰めるが、その口から出た言葉も、情緒とは無縁の物だった。
「接待目的の経費で落ちませんか?」
「落ちん」
眉根を寄せながら小首を傾げる桜花に、レイロードも眉根を寄せて答えた。共に視線は合わせず、あらぬ方を向き、そして沈黙を保ったまま、どちらからともなく席を立つ。レイロードの手には、会計用のシリコンシートがぞんざいにつままれていた。清々しい空の下、荒涼とした空気を撒き散らしながら、二人はその場を後にした。
機馬のコンソールに突き刺さったPDから映し出されているのは、市内のマップだ。入り組んだ路地を示す画面を、いつも以上の渋面でレイロードが睨み付けながら機馬を走らせる。桜花は、その様子をタンデムシートから繁々と眺めていた。じきに右手に曲がれば目的地付近だが、機馬は速度を落さず突き進んでいる。そう言えば、最初にあった時も道を間違えていたかと思いだし、レイロードの脇から顔を覗かせる。
「ああ、その道を右ですね。暫く進むとショッピングモールがあり、その中のようです」
「そうか……」
中々にアクロバティックな体勢で、桜花が目的の道を指す傍ら、応えながらも、レイロードが鬱陶しげに顔を歪ませていた。誤魔化さなかっただけマシかもしれないが、間違えていた事には変わりない。そう思わば、桜花は冷ややかな視線を何時もの半目で送っていた。
せめて人生の道には迷ってほしくないものだ。無論、桜花が言えた義理ではないのだが、それはそれ。そんな桜花の視線から逃れるように、レイロードが大仰に機馬の舵を切る。
暗鬱とした路地裏から、開かれた大通りへと。コロコロと姿を変えるイグノーツェの景観は、何度味わっても面白い。桜花にはそう感じられた。変化を楽しめるのは、心が死んでいない証だと、桜花を少し安堵させる。そして、その安堵の先にある光景に、レイロードがボソリと呟いた。
「本当に、あそこ、か……?」
「いえ、さあ? どうでしょうね……」
その声に、視線を先に向けた桜花もまた、困惑を顕わに小首を傾げる。二人の目に映っていた物、それは、本当にただのショッピングモールだった。
イグノーツェ大陸に於いて、ショッピングモールは大別して二種類ある。大衆用と、戦闘用だ。民間と言う括りに当たるE.C.U.S.T.A.D.は、兵装の補充も個々で行う。遙か昔は各支部局内でも販売されていたのだが、己顕士が増加し、必要兵装も格段に増えた現代では、専用のショップが必要になっていた。そして、一般市民に威圧感を与えないよう、専用のショッピングモールが作られたのだ。
「ただのモールだが……」
「そうですね……」
が、何度見ても、そこにあるのは一般大衆用のショッピングモール。カップルやら親子連れやらで賑わう、ごく平穏な光景だった。そこへ突如現れた己顕士二人、場違いも甚だしい。
尤も、桜花からすれば、注目を浴びた所でどうと言う事はない。が、問題はレイロードだ。機馬を進める渋面は、何時にも増して厳めしさを醸し出している。
桜花からすれば、その表情が困惑に満ちた物だと分かるのだが、他者から見れば、威嚇以外の何物でもない。周囲から突き刺さる好奇と畏怖の視線に、桜花はそっと視線を下げた。
「兎に角、店の確認だ。なければ……チッ、その時考える……」
そんな桜花にはお構いなしに、レイロードが吐き捨てる。悪鬼の如きその貌は、近くを通り掛かった青年に、短い悲鳴を上げさせていた。
これは困惑しているだけなんです、そう言った所で事態が好転する筈もなかろうと、桜花は盛大に溜息を吐きながら、機馬から飛び降りる。僅かに遅れて、イグニッションキーを抜いたレイロードもまた地に戻り、桜花を一瞥すると眉を顰めた。
「何だ? 行くぞ」
「いえ、行きますけどね……」
無駄に力強く刻まれた天窮騎士の眉間の皺を、桜花はげんなりと見返す。桜花には、賑わうショッピングモールが監獄にも思えてならなかった。