2. 不可解-3
通信網へのPD登録は簡単だ。会議室に据えられた端末から、レイロードと桜花のPDに充てられたMACアドレス、機器に割り振られた固有のIDをシステムに認識させるだけ。アプリケーションのインストールが自動で行われ、物の数秒で登録は完了した。
「受信だけに限定してますんで、有事の際にはあたしに連絡を」
「ああ、了解した」
カピタナン警部から返されたPDを受け取りながら答え、レイロードはインストールされたアプリを立ち上げる。PDから気怠げな女性の声が響いた。
『本部からプラソユ4へ、13番街で酔っ払い同士がハッスル中の事案が発生、対応されたし』
『りょ~かい、ったく、市民さんは気楽なもんだ。得体の知れない何かの対策より、こっちに予算回してくれよ』
『ちょっと止めてよ、記録残るんだから』
愚痴を垂れる男の声を聞き流しながら、レイロードはそっとアプリを終了した。何となく気まずい雰囲気が周囲を包む。
「まあ、何ですなあ、夜中ですからねえ」
「……そうだな」
「……仕方ないですね」
カピタナン警部にレイロードと桜花が追随し、三者三様に虚空へ視線を巡らせ、そして聞かなかった事にした。そそくさとPDをしまうレイロードに、カピタナン警部から声が掛けられる。
「ああ、所で今晩は?」
「ん? ああ、ホテルは取ってある。大丈夫だ」
そうですか、と返すカピタナン警部に、レイロードは軽く手で答えた。桜花が、寝そべるミオリを見つめていたが、見なかった事にしておく。確かに名残惜しいが、敵地とは言えずとも、疎まれているであろう場所に、居座る気にはなれない。当然の事と言えた。
桜花を促しつつ席を立つ。現状ではやれる事も無いだろう。現場検証にしても、日の光があるに超した事はない。と、そこでもう一つの目的についても、聞けるならば聞いておこうと、レイロードはカピタナン警部に問い掛けた。
「ああ、別件だが、ディヌ・イリエ、と言う鍛冶士を知っているか? 郊外に居を構えていると聞いたが……」
「鍛冶士、ですかあ? あぁ、ちょぉっとお待ち下さいねえ。そっちの方面には疎いもんでしてえ」
レイロードの問いに、カピタナン警部が頭を掻きながら署の端末に向く。その姿を眺めながら、桜花が一歩レイロードに寄り、耳打ち程度に声を発する。
「その方なら刀を?」
「師からそう聞いた……もう十数年前にはなるが……」
「それ、大丈夫なんですか?」
軽く言葉を交わす二人に、ディスプレイから顔を上げたカピタナン警部の視線が注がれた。その表情は何とも申し訳なさそうなもので、レイロードに嫌な予感を感じさせた。
「そのお……その方、既に亡くなってらっしゃるようですねえ。
ただあ、ソールと言う息子さんが居るそうで、市街中央区に店を構えているようです」
「そう、か……」
カピタナン警部からもたらされた内容に、レイロードの表情が自然と硬くなる。店がある、と言う事は、技術も継いでいるのだろうが、その腕前は分からない。刀は鉄製の武器でも殊更に扱いの難しい武器だ。修復するにも、単に火を入れて叩けば良いという物ではない。もし、最悪修復が不可能であった場合、代わりが必要になる。が、イグノーツェでは鉄製品が廃れて久しい。剣と言えば、チタン系かオリハルコンだ。レイロードから言わせれば、あんな物はただの鈍器と変わりなく、刀の形をしていようが、とても使う気の起きる代物ではなかった。
「大丈夫ですか? 眉間が凄い事になっていますよ?」
気遣っているのか、それともからかっているのか、何とも判別し辛い桜花の声。その声に、思考の迷宮に迷い込み掛けたレイロードは、現実へと引き戻される。知らずと右手が柄へと伸びていた。軽く嘆息し、声の代わりに片手を上げ、大丈夫だと桜花に告げると、カピタナン警部に顔を向ける。
「すまない、助かった」
「どういたしましてえ」
「今日の所は引き上げる。進展があればまた。宜しく頼む」
「こちらこそお、宜しくお願いします」
口の端を上げ微笑むカピタナン警部に、レイロードと桜花は軽く頭を下げ資料室を後にする。出がけ様、振り返った桜花が、実に名残惜しそうに、ミオリに向かって手を振っていた。
深夜2時を回っても、警察署内を漂う気配は慌ただしい。出入り口に向かいながら、レイロードはヒシヒシとそれ感じ眉根を寄せる。桜花も言葉少なに、黒真珠の瞳を静かに先へと向けていた。
正面ホールに差し掛かった際、ガラの悪い男達が数人の警官に追い立てられるように連行されて行くのを見る。さながら羊と牧羊犬、と言った所だろうか。尤も、どちらも可愛さの欠片も無かったが。
肩を警棒で叩きながら、連行されて行く羊達を見送っていった牧羊犬、もとい警官の一人が忌々しげに呟く。
「こんな事に時間を取られたくないぜ、全く。市内にゃ得体の知れない化けもんが居るかもしれないってのによ」
「ここん所は己顕士ばかりだ、市民に被害がないだけマシかね。どっかの兵器、なんて事にならなきゃ良いんだが……」
もう一人の警官が、キャップのツバを伏せながら、そう漏らしていた。その内容にか、桜花が拳を口元に当て、何やら考え込んこみ、そしてポツリと溢した。
「ふむ……・やはり、己顕士は人にあらず、と言う風潮は何処にでもあるものなんですね」
桜花の口から出された言葉に、レイロードは一瞬眉を顰め、
「ハッ、同じ括りには出来んだろう」
どうでもいいと斬り落した。レイロード自身は納得出来る事だ。桜花も納得出来ているだろう。いや、戦場に出た事のある己顕士ならば皆、納得出来るのかもしれない。剣一振り持って、銃器と複合チタン装甲で武装した戦車を破壊する。それはとても同じ人間だと言えるものではない。
「まぁ、そうですけどね。ロマーニはそのような風潮は薄かったので」
「銀が居るからな」
「成程」
肩を竦めてみせる桜花を背に、ドアへと向かう。促すようにマントが揺れた。歩きながら、先の警官達の視線が胡散臭そうに注がれている事に眉を顰める。妙な言い掛かりを付けられる前にホールを抜けようとし、結局は無駄に終わった。
「おい、あんたら……」
短い言葉の端からも感じ取れる険のある声。明らかに歓迎されていない事が分かり、無視して通り過ぎようとする。が、何度か軽く肘で小突く桜花に、胸中で嘆息しつつ警官達へ振り向いた。
「何か……?」
「見るからに己顕士って感じだが……あんたら、カピタナンが引っ張ってきた連中か?」
確かに、レイロードにしても桜花にしても、一目でそれと分かる装いだ。カピタナン警部が連れてきた事にも、大凡間違いはないだろう。ただ、そこから先に何が続くかは判別出来ず、レイロードは首を傾げた。
「それが何か……?」
「面倒起こすなって事だよ。市街でもお構いなしに剣を振り回す馬鹿がまぁ~多くてよ。何しに来たんだか分かりゃしねぇ」
日頃溜まっていた鬱憤が、夜の帳と眼前に現れた己顕士に触発されたのか、警官から剣呑な言葉が吐き出される。同僚らしき警官も、特に止める様子がない所を見ると、同様の感情を抱えているらしい。
確かに、己顕士は閉所での戦闘を苦手とする。未熟な者は勢い余って周囲に被害を与える事も多いのだ。行政組織に限らず、この手の問題はどの国でも聞こえていた。
未熟ではなくとも、少々気合いが入って要らない被害を出す事もある。今、レイロードの後ろで視線を逸らしている少女のように。故に、警官の言葉を否定する気にはなれず、レイロードは苦笑して返した。
「成程、それは耳に痛いな」
しかし、その姿が警官には余裕か、侮っているかのように映ったらしく、表情が険しいものに変わっていく。が、歯軋り一つすると、不満げに表情を歪めた。
「チッ、偉そうによ……いいか、余計な手間掛けさすんじゃねぇぞ。ここは俺達の街だ、俺達で守る。
それとも何か? 騒ぎ起こして、また戦争でもおっぱじめよう、ってんじゃないだろうな? あんなもん、二度とゴメンだね」
一方的に吐き捨て、煮え切らない態度を引き連れながら、警官達はその場を去って行った。
「ふむ、矜持があるのは良い事ですが、ああも意固地では取り付く島もありませんね」
「どうでもいい。行くぞ」
腕組みをし、憮然とした表情で不平を漏らす桜花に、レイロードはいつも通りに素っ気なく答えると、プラソユ市警を後にするべく歩を進めた。
ホールを抜ければ、夜の風が優しく迎える。先の喧噪が嘘のように流れて消えて、物悲しい木々の葉擦れが耳を打つ。しかし、そんな事よりもレイロードには、"あんなもん、二度とゴメンだね"、その言葉の方が遙かに耳には残っていた。
西側にとって、アルトリウス独立戦争は対岸の火事だった。しかし、周辺諸国の人々にとっては、10年経ってもその心に傷跡を残している。飛び交う弾丸、疾走る剣撃、血と硝煙の臭い、砂塵と瓦礫の荒野、狂気と憎悪。その場に居たレイロードの脳裏にも、焼き付いている光景だ。
イバネシュティは直接の戦場になる事はなかったが、その余波には晒されてきた筈だ。そんな抜けきらない不安の中で、得体の知れない何かが跋扈しているかもしれないのだ。戦う力のない市民に通達するのは酷というもの。携わる者達は気が気ではないだろう。そう思わば、レイロードの口から人知れず声が漏れていた。
「……世に平を成す、それも天窮騎士の務め、か……」
「ほう? 成程。ふふ、あなたは"レイロード・ピースメイカー"ですからね。なれば、造作もないでしょう」
その僅かな囁きを桜花が拾ったらしく、口元に手を当て微笑む。呟きを聞かれた事に加え、何ら疑う事なく発せれた桜花の言葉に、気恥ずかしさを感じ目を背けた。
「俺の名の事を、言った訳ではない……」
「だとしても、ふふ、あなたはレイロード・ピースメイカーだ。そう名乗れるだけの力はある。それは、この私が保証しますよ?」
一切何の根拠も示されず、答えにもならない桜花の答え。だと言うのに、その言葉は何故か、すんなりとレイロードの胸に落ち、そして代わりにと口から声が上がる。その声は、普段に比べ、幾分か軽さを感じさせるものだった。
「ハッ、何処のお前か」
「おや? あなたの助手の私ですよ?」
何時かした問答。その時には返ってこなかった答えに、違いないと、レイロードは表情を崩して笑った。そして桜花もまた。月影に艶めく長い長い黒髪が、楽しそうに揺れていた。