1. 暗雲-6
北イグノーツェ大陸に於いては伝統的な石とレンガ造りの建造物が、柔らかい色彩を伴って情緒豊かに、それでいて整然と立ち並ぶ。それは、都市自体が一つのデザインとして設計されたようにも見え、穏やかさと華やかさが寄り添っているようだ。
その建造物群は大きく二つの分類に分けられる。一つは表面の至る所に時代の跡を残し、佇まいその物すらが歴史を偲ばせる純然たる文化の遺産。もう一つはそれらに趣こそ近いが、全体的に華美さや造形の複雑さを抑え、シルエットのライン取りで演出するモダンテイストの建造物。景観を重視し、高くとも4階建て程度が殆ど。住宅、ショッピングモール、公共施設、現代社会の基礎基盤を描く物だ。
足元の石畳にしても、その実衝撃吸収剤を混ぜた物で、歩行者やペット、機馬の足回りに対して負担を軽減させている。建物の合間には並木道が伸び、道行く人々を安んじる。
機能と情緒を併せ持った都市、それがロマーニ帝国ロマーニの首都、人口500万人にも上るアレッサンドロ・エマヌエーレ、通称アレスである。イグノーツェ最大の都市に相応しく、通りには人と機馬、そして車が溢れ活気に満ちている。それでいて慌ただしさは感じさせず、寧ろ緩やかで大らかな空気が漂っている。
そんな平穏に脇目も振らず、赤い機馬が駆けて行く。その騎乗には、押し潰されそうな渋面に黒髪の男、即ちレイロードだ。リゾート区から都心を繋ぐ大動脈、ヴェニエス・ルチェロ通りをひた走り、左手側に帝国公園を収める。その先を直進すれば、帝国大鉄道テルマーレ駅が見える。ロマーニ語で浴場を意味する駅名は、前面に公衆大浴場が存在していた事が由来だ。そして、その浴場は今現在、E.C.U.S.T.A.D.アレッサンドロ・エヌマエーレ局として機能している。つまり、レイロードの目的地だ。
パーキングエリアに機馬を着けると、並木道を抜けて入り口へ。改修され自動ドアとなっているそこを通れば、古めかしい外観とは打って変わり、現代改修された内装が広がる。が、何ら感慨なく、透明なディスプレイで造られた掲示板群を過ぎ去り、受付に向かう。
眉根を寄せた何時もの渋面のまま、開口一番問い掛ける。怨嗟でも漏れ出しそうな、低く恨みがましい声だった。
「PDが損傷したらしく、対応を願いたいのだが」
「は、はい! そ、それでは10番窓口へお願いいたします」
頬を引き攣らせながら、必死の営業スマイルを浮かべる受付嬢を横目に、壁に掛けられた案内板に目を通す。建物1階右側にそれを見つけると、軽く手を挙げ礼を告げそこにへと足を向ける。受付嬢が背後でホッと息を吐いていた。
元浴場と言っても、その面積は広大だ。横200メートル縦100メートルにも及ぶ事から、それは分かるだろう。必然的に、近い距離を歩かなければ、目的の窓口に着かないと言う事だ。行き交う人々は相応に多く、市内で活動する一般の己顕士から、野戦用装備の己顕士までと幅広い。
壁にはめ込まれたディスプレイからは、本日の犯罪発生件数や案件の発生件数、クイントの分布図が映し出されている。
本日、桜花が向かったヴォールト草原付近にも、クイント発生予報が表示されていた。が、桜花に掛かればどうと言う事もないと、レイロードは気にも留めず10番窓口へと赴いていた。
「PDが損傷したらしく、対応を願いたいのだが」
時間でも巻き戻したように、先と変わらぬ言葉を吐きながら、カウンターへPDを乗せる。
「は、はい、ではPDをお預かりすますので、発券機から番号札をお持ちになって暫くお待ち下さい」
若干引き攣りながらも、窓口の女性職員がPDを受け取りバックへと消えていく。それを見送ったレイロードは、窓口に据えられた発券機のボタンを押した。そして出て来た番号に眉を顰める。それは何の縁なのか、レイロードに与えられた天窮騎士の番号、21だった。
「最近のは、よく壊れるのか……?」
朝方からの受付番号にしては大きい数字に、前日分からの引き継ぎである事を、願わずにはいられなかった。
ソファーに座って待つ事10分程、カウンターから妙に硬い声色で、番号札21番でお待ちのお客様、と呼び出しを受ける。眉を顰めながらその場に向かうと、先の女性職員が青白い顔で待ち受けていた。
「お待たせ致しました、ピースメイカー卿」
「……いえ、それ程待ってはおりませんので」
滑らかに紡がれた声からは、何故か感情が消え失せている。何故か、と言うよりも、天窮騎士相手に、クレーム処理をしなければならない可能性に、心が折れてしまったのだろう。居た堪れなくなったレイロードは、なるべくに丁重な対応を心掛けようと、胸中誓った。
「それで、状態はどのように?」
「当方と致しましても、極めて遺憾ながら、データの完全なサルベージは難しいと言わざるを得ません。
本体側ですと身分証と一部アプリ、増設チップ側に保存されていたデータは問題ないのですが、その……」
そこで言い淀んだ女性職員に大方の事情を理解し、髪を掻き上げながら溜息を吐く。眼前の女性職員から魂が抜けていっている気がしたが、一応は聞かねばならないと先を促す。
「先をお願いします。いえ、何かあったとしましても、それは貴女の責任ではありませんので」
「その、PDに移していたマネーレコードに関しては、マナの影響で全階層復元不可能との事です。また、マナの影響が非常に強く観測されましたので、サルベージ及び本対抗は無償にて行わせて頂きます」
覚悟はしていたが、宣告されたと同時にピクリと眉が跳ねた。眼前の女性職員が今にも卒倒してしまいそうになるのを感じ、なるべく平静を装う。
「そうですか、分かりました。なに、小額が入っていただけなので気になさらず。
サルベージ可能な物はして頂き、PD本体は交換対応をお願いします」
「畏まりました。直ぐに対応致します。申し訳ありませんが今暫くお待ち下さい」
「分かりました。お気になさらずに」
フラフラとその場を去って行く、哀愁漂う女性職員の背中に溜息を吐き、レイロードもまた、フラフラとソファーへ向かう。絶対にタダ働きはしない、そう強く心に刻みつけて。
全財産約4000億エツェ、小国の国防費用にも届きかねない金額が、泡と消えた瞬間だった。
それから再び10分程の後、多少は血の気の戻っだ女性職員から、以前使っていた物と同型のPDを受け取ると、レイロードは直ぐ様その場を後にした。これ以上の長居は酷であるだろうし、2階の1番窓口にも向かう必要があったからだ。
足早に向かいながらPDを弄る。アドレスは以前のものが使えたのは幸いだった。メールのデータも飛んではいない。しかし、ならばこそ、何故に金が飛ぶのかと未練が頭をもたげるが、仕方がないと割り切る。
凡そ並の人間では立ち直れそうにもない金額だが、正直な所、金にそれ程の未練はなかった。と、状態を確認していた所、旧友たるナロニーからメールが届き、眉を顰める。何かと開いてみればそこには……。
《レダく~ん、姫ちゃんが壊したウチの補修費、正式な請求書来たから送っとくね~。とっと入れてよ~。期限は今月末までだから~》
「な、に……?」
思わず足を止めて画面を見入る。日付は征帝歴999年6月21日。つまり、昨日だ。頭を振り絞り記憶を手繰り寄せる。
「あ……」
そして、極めて間の抜けた声を吐き出した。
確かに、金額の試算は提示された。された、が、請求は来ていなかったのだ。請求金額6億エツェ。文無しの現在、到底払える金額ではない。目の前が真っ暗になり、足下が瓦解し奈落に引きずり込まれるような錯覚を覚える。近くに居た同業者が見かねてか、大丈夫かと声を掛けてくるが、何とか大丈夫だと答える事が出来た程度だ。
「マズイ事になった……」
顔面を蒼白にさせながら再びそう呟き、レイロードは幽鬼の如く1番窓口に向う。通行を管理するゲートにPDを翳しロックを解除、足を踏み入れた。
1番窓口の担当は案件の提示だ。各種情報が提示されているため、関係者以外は立ち入れないよう通行が管理されている。比較的広く取られたスペースに立ち並ぶ、20台程の掲示板状ディスプレイは中々に壮観だ。どれも横1メートル縦60センチ程、板状の大型ディスプレイであり、そこに現在開示されている案件が表示されていた。
各種案件はPDから検索出来るが、最新の内容が反映されるのに一日二日は掛かる。故に、最新のウマイ案件はE.C.U.S.T.A.D.で検索するのが基本だ。
なのだが、最も報酬額の高い、クイントの討伐に碌なものがない。どれもカテゴリーC以下。報酬で言えば120万エツェ程度だ。
「何がどうなっている……」
視線だけで射殺せそうな迫力を醸し出し、レイロードは眼前のディスプレイに提示される内容をスクロールさせ歯噛みした。
クイント討伐の依頼に関しては、騎士団及び軍が手の回らなくなった際に出される。ロマーニは騎士団の質は高く、軍も精強だが、それ以上に国土も広い。そのため、カテゴリーA程度は比較的提示されていた。カテゴリーBであれば極めて高い頻度で提示されていた筈である。だと言うのに、それが、ない。
一体どうなっているのか? カテゴリーCにしても、やや高めの報酬が付けられている事を疑問に思っていた際、隣の掲示板から己顕士達の声が届く。
「あ~いいのは持ってかれてるな~。やっぱりバカンス前だとこんなもんかね~。そっちはそうだ?」
「いや、駄目だな。めぼしい物は残っていない。Cがあるだけでも儲けもの、と思うべきか?」
そう、そうだった。6月終わりから9月頭くらいに、イグノーツェではバカンス休暇がよく取られる。学生などは2ヶ月近く、社会人は家族と折り合わせて2週間から1ヶ月程。そして、旅路や遊地の安全確保を行うため、シーズン前はクイント退治の報酬も上がる。戦闘系にとっては書き入れ時なのだ。
天窮騎士の称を賜ってからは2A、3Aが主体。それ以前は調査系。この時期でもそれらは捌ける事がほぼない。故に、レイロードの頭からバカンスシーズン前、と言う事項がスッポリと抜け落ちていた。
ならば討伐は駄目だと案件を切り替える。ソートをカテゴリー別に、A以上を提示。
「範囲にプラソユは……いや、先ずはアレスか」
一瞬だが、用のあるプラソユを検索候補に入力し、そして指先が宙を迷う。が、先ずはと範囲をアレス近郊に絞る。1件確認。報酬額5億エツェ。補足に、十分な戦闘技能を有している事、の記載を見るや、詳細を見る事なくフリック操作でPDに転送。即受諾申請。息を殺してディスプレイを睨み付ける事数秒、受諾完了の通知を見るや、安堵の溜息を漏らす。そのまま近場のソファーに力なく腰を下ろし、漸く案件の容を確認する。
「……何だ?」
そして、自身で受諾した案件の内容に片眉を釣り上げた。
《イバネシュティに於ける連続殺人事件の捜査。
イバネシュティ首都圏プラソユに於いて、近日になり外傷の確認が出来ない変死体が多数確認される事案が発生。イバネシュティ首都プラソユにて己顕士数名が同様の変死体となって発見される。これによりカテゴリーAに昇格。提携都市であるアレッサンドロ・エマヌエーレへ支援要請が発生。被害者はD.R.999 6月22日時点で11名。市民への不安が高まらない内での解決が望まれる。
詳細は現地プラソユ市警、オリビュ・カピタナン警部に確認の事》
「何と面倒な……」
提示されている内容に思わず頭を抱える。内容もそうであるが、レイロードの意を汲んだのか、はたまた汲まなかったのか、現場がイバネシュティの首都プラソユなのだ。アレス近郊に絞ったが、そのアレスに支援を求めたために候補として選択されてしまったらしい。
プラソユはアレスから4000キロ以上の距離がある。何とか1日で着く距離ではあるが、それでも内容を考えれば、時間が空くのは悪印象だ。行くにしても、出来ればアレスで軽く諸費を補填してから行動したかった事もある。本日桜花が環境調査を行っているものの、調査はクライアントが成果を確認して始めて報酬が支払われる。即金ではないのだ。しかもそれ程高くはない。
とは言え、一度受けてしまった以上、天窮騎士が降りる事など、他の誰でもなく、レイロード自身が許さない。やるしかない。無駄に気を遣ってくれた検索システムに恨みがましい思念を飛ばしてみたが、何も起きはしなかった。
「……どうにも、ならんか……」
軽く毒づき、またも眉を顰める。どうにもこうにも上手く行かない。そんな事はよくある話だ。ともなれば、軽い討伐系で旅費を稼ぎながら、機馬で現地まで突っ切る他ない。その後、向こうに高額案件が出る事を祈るばかりだ。この案件だけでは、圧倒的に資金が不足している。
そう腹を括るも、相棒に事実を告げるに気分が重い。実に情けない溜息を吐きながら、PDからアドレスを呼び出し応答を待つ。
数度のコール音が鳴り、PDの向こうから何となく陽気な、そして何となく横柄な、それでいて涼やかな声が届いた。
『はいはい、あなたの桜花さんですよ』
「端的に言う、PDが壊れた。結果文無しだ。金を稼ぐためイバネシュティ、プラソユまで出る。詳細は後で。路銀がないため小金を稼ぎながら機馬で突っ切る。戻り次第出るぞ」
矢継ぎ早に捲し立て出方を待つ。PDを持つ手がじんわりと水気を含む。眉間に寄る皺が殊更深くなる。ゴクリ、と喉が鳴った気がしたが、恐らくは気がしただけだ。
『……ほぅ?』
冷ややかな声だ。夏場にも関わらず冷気さえ感じる。そして幻視した。桜花が何時もの半目で冷ややかな視線を送っている姿を。実に容易い事だった。額を一筋の汗が伝う。
漂う異様な緊張感。それを桜花の溜息が破った。
『ふぅ……まぁ、壊れてしまったものは仕方がありません。あなたの所為でもないですしね。そうすると言うのなら厭はありませんよ。
しかし、ここから離れても良いのですか? 刀はどうするつもりで? 貸しませんよ?』
普段通りの声色に戻った桜花に安堵する。一つ、大きく深呼吸し額の汗を拭う。夏だからだ。そして先の桜花から投げられた問に返す。
「要らん。それに、問題はない。元々プラソユに持って行くつもりだった」
『成る程、なれば問題無いですね。それに、ふふっ、あなたは運が良い』
「なに? どう言う事だ?」
含みのある桜花の物言いに思わず聞き返す。が、考えてみればどうもこうもない。話の流れから、後は高いか低いかだけだ。
『いえ、緊急なので安くはなりますが、ふふっ、フィアナータを2匹討ちましたのでね』
「何だとッ!? でかしたッ!」
桜花から告げられた景気の良い内容に、声を張り上げ喜び勇んでソファーから跳ね起きる。朝起きてから不景気な事ばかりだったが、漸く持ち直したらしい。何せフィアナータは中型でありながらカテゴリーB。正規ルートなら2000万エツェ。2匹なら緊急対処で値が下がったとしても1000万は出るだろう。これで少しは余裕が見えた。と、そこで、周囲からの白い、或いは生暖かい、若しくは微笑ましい視線に気が付き眉根を寄せる。PDからは呆けたような桜花の声。
『れいろーど? どうしました?』
「いや、どうと言う事もない。荷物を纏め次第出るぞ」
レイロードは何食わぬ渋面で答えながら、されど足早に、周囲の視線から逃れるように壁際へ移動する。そこへ、そんな状況など知る由もないであろうPDの向こう側から、呑気な声が届く。
『分かりました。ああ、でもお昼は摂りますよ?』
「ハッ、メニューは任せる」
『いいでしょう、任されました。桜花さんは、さっぱり系のパスタをご所望ですよ?』
呑気な桜花の声を聴きながら、レイロードはとっととその場を離れる。共にランチを摂る事に、さも当然と答えていた事は、何ら意識していなかった。