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カテゴリーエラー  作者: あごひげいぬ
2章 故に死者は歩く
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1. 暗雲-5

 雨が降っていた。冷たい雨だ。暖かかったのかもしれない。凄惨で、無慈悲で、幻想的な雨が。

 雨粒に打たれ、木々の葉が揺れた。そこから落ちた雫は、涙なのだろうか。

 その雨の下、開けた木々の合間に対峙する人影が二つ。

 一人は頭部までを覆い尽くす壮麗な銀鎧の騎士。肩からは、鮮やかなロイヤルブルーのマントが靡く。手には紅い切先を持つバスタードソードが握られている。中世代その物と言っても過言ではないバロックスタイルの鎧は、お伽話から抜け出してきたようだ。

 もう一人は、ポンチョ型のレインコートで体を覆い、フードを目深に被っている。腰には大きな反りを持った刀が見えた。

 銀の騎士が、携えたバスタードソードをユルリと持ち上げる。片手にも関わらず、その挙動に重さを感じさせない。真紅の切先が、相対するフードへと突き付けられた。

 そして、瞳すら窺い知れないフルフェイスの兜の奥底から、輪郭を覗かせない声が漏れ出した。


『貴様……貴様ガソウカ!』


 歳はおろか性別さえも判別出来ない荒々しい声。しかし、その中には明確なる憤怒の感情が渦巻いている。対峙し、その感情を叩き付けられたフードの人物は、的確にそれを認識していた。

 フードの中から発せられたのは、低く沈んだ声色。


「何の話かは知らんが、多分違う。他を当たってくれ」


 その陰鬱な声は、さしたる動揺も見せず、淡々と言葉を紡いで見せる。発せられた言葉が事実であると、突き付けるように。

 その言葉を受け取った銀の騎士が、真紅の切先が、激情に流され震える。そして、雨粒さえも揺らすが如く、更なる怒声が響き渡った。


『騙ルカ! ソノ空虚ナ殺気コソガ証!』

「何を言ってッ!?」


 負けずと声を張り上げたフードの人物は、突如眼前に現れた光景に息を呑んだ。銀の燐光が舞っていた。大気を覆い尽くすかの如き銀の燐光が。それが閃光となって奔り、別の姿へと有り様を変えていく。それは、剣。ロングソードと分類される、剣。極限まで研ぎ澄まされた己顕(ロゼナ)の刃。それは……。


「銀の……アウトスパーダ……?」


 フードから漏れた声が、原初の己顕法(オータル)の名を紡いでいた。数える事すら儘ならない膨大な銀の剣が、フードの人物へとその切先を一斉に向けていた。


『私ガ! ロマーニノ銀ガ! 貴様ヲ討ツ! 逝ネ! "フェイスレス"!』


 そして――空と大地が銀で埋まった。



 微睡みの中、緩やかに瞼を開ける。そこに銀はなく、薄暗い室内がただ物静かに広がっていた。添え付けられたインテイリアは、どれもが洗練されたモダン調。その部屋に添えられた二つのシングルベッド、その一つに横たわっていた男は、疲れて艶の無くなった黒髪を軽く掻き上げ嘆息した。

 端正ながらも、人を寄せ付けそうにない渋面が、殊更不機嫌そうに歪む。緩慢な動作で彷徨う、機械のように怜悧な真鍮色の瞳が、枕元に置かれた時計を捉えた。

 指し示していた時間は12時8分。その時刻を見つめていた瞳が鋭く細められる。そしてまたも嘆息一つ。次いで、鍛え抜かれた筋肉に覆われるその体を、気怠げにベッドから抜け出させた。

 もう一つのベッドは既に無人。相応に広い室内を怠惰に歩き窓際へ。陽の光を遮るカーテンを開け放つ。差し込んだ光に視界が一瞬白に染まる。180センチ程はある男の眼前には、その倍近い高さを誇るガラスの壁。その向こう側で、蒼穹に浮かぶ太陽が燦然と輝き、穏やかに凪ぐ深蒼の海面が、その光を映し出していた。

 目を細めた男の口から、低く沈んだ声が漏れ出す。


「寝過ぎたか……」


 肩を落としながら、覇気を感じさせぬ情けのない声で、レイロード・ピースメイカーは呟いた。

 意気消沈しながら、二つのベッドを横切りキッチンへ向かうと、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し流し込む。

 水分が失われていた体に若干の潤いが戻り、レイロードは人心地が付いた気分になった。とは言え、体の芯に残る、淀みのような倦怠感が中々拭えず、直ぐに渋い表情へと戻る。誤魔化すように、常用している経口タブレットを口に放り込む。ミントの爽やかな香りと清涼感が広がるが、表情を変えるまでには至らない。その不景気な顔を引き連れてリビングへと足を運び、そして面倒臭げに声を投げ掛ける。


「昼はどうする?」


 その声への返答は、無言。よもや、今更になって、部屋を一緒にした事に機嫌を損ねたのかと頭を捻る。何も艶っぽい話がある訳ではない。単なる経費の削減だ。付け加えれば、一応は監視の名目もある。部屋を分ける訳にもいかなかった。

 しかし、機嫌を損ねたからと言っても、全くの無反応はあり得ない。そう思い、レイロードは片眉を顰め、同居人の定位置となっているソファーに目を向けた。

 そこで、レイロードの渋面を出迎えたのは、目の隠れたモノクロの長毛犬と、赤毛に白が入った仔狼、のヌイグルミ。ビアデットコリーのユキムネと、ヨアケオオカミのアルくんが、仲睦まじく寄り添う姿だけだった。

 己顕士(リゼナー)特有の認識領域である象圏にも、それ以外は掛かってこない。尤も、桜花であれば、象圏からも姿を消せるのだが。一瞬の沈黙の後、レイロードはまたも大きく嘆息した。


「ハッ、何をやっているのだか……」


 当然の事だろうと自嘲する。そも、今日は朝から簡単な環境調査の仕事を入れており、それを桜花に任せていた事を漸くに思い出す。この場に居ない事は至極当たり前の事だった。

 取り敢えずは連絡だけでもと、来た道を引き返しベッドルームへ。枕元のPDを手に取り――眉を顰めた。ディスプレイに映るは黒一色、何も映してはいない。背筋に走った焦りの色を、何食わぬ顔で自戒し、電源ボタンを長押し。反応は、ない。スライドさせたりボタンを叩いてみたり、終いには本体を小突いてみるが、やはり無反応。


「馬鹿なッ……」


 突如降って湧いた困惑に知らずと声が出てしまう。バッテリー切れ、と言う可能性は、ない。PDは一度充電が完了すれば最大で半年稼動出来る。更に、現代の電化製品は基本的に無線電源だ。そして、ここはロマーニでも指折りの高級ホテルである。つまり、電源供給がなされていない、と言う事は考えられない。となれば……。


「壊れた、だと……?」


 只々呆然と、レイロードから魂が抜けたような声が漏れ出る。

 この時、レイロードをとある感情が襲った。生命として当たり前の感情。不要だと押し殺し、諌めてきた感情。桜花の前にあっても、ドラゴンの前にあっても、制しきれていた感情。それは、紛れもなく恐怖であった。


「身分証は……いや、いや、それはいい……先ずは……金か?」


 PDは単なる通信機器ではない。その最大の用途は、身分証明書と財布なのだ。レイロードは所属する国家を持たない。故にデータ以外での身分証が存在しない。

 更に、E.C.U.S.T.A.D.から支払われる報酬は、国家の承認を得た口座に限られる。そして、やはり所属国家を持たないレイロードに対しての振り込み先は、E.C.U.S.T.A.D.で認可されたPDしかないのだ。データのサルベージが不可能だった場合、無一文になってしまう。

 己顕士(リゼナー)は指紋、声紋、網膜、血液のデータが登録されているため、身分証の再発行は問題ない。付け加えて、一国家に匹敵するとされる天窮騎士(アージェンタル)を野放しにはしないだろう。が、金銭の保証は全くないのだ。


「マズイ事になった……」


 何も映さぬディスプレイを見つめ、感情の抜け落ちた声を吐き出しながら、直近で必要になりそうな支払いがないか思考する。

 何せ己顕士(リゼナー)用の装備は金が掛かる。衣服型の防弾防刃具であっても、最高ランクであれば上下フルセットで100万エツェ。プロテクター型ならば2000万エツェ。レイロードの、チタン系複合材を用いた騎士甲冑ならば、1億エツェにも達する。

 尤も、ロマーニ騎士団用のオリハルコン製騎士甲冑、フィールドモーター型即応性パワーアシスト機能、耐衝撃及び持続性パワーアシスト用樹脂系人工筋肉、対銃火器用電磁フィールドジェネレーター、サーモグラフィー、スターライトスコープ、放射線サーチ、マナサーチ、短波通信機能等、諸々搭載の1セット10億エツェに比べれば非常に安価だ。市販はされていないため比べられる物でもないが。


「待て、待て、何が要る……」


 鎧は既に買い直した。こう言う時に量産品は有難い。機馬の修理も済んでいる。桜花用の機馬は……取り敢えず保留。ホテル代は前払い。だが、刀は修復に出さなくてはならない状態であり、これは完全に死活問題だ。細々とした日用品や食費代も必須である。桜花への給与支払い義務もある。国家の後ろ盾がないため、各種保険も利かない。対物、医療、全額自腹だ。やはりそれなりの金銭が必要だった。


「マズイ事になった……」


 先の台詞を再び口にし、肉球柄パジャマからシャツとズボンに着替えると薄手のジャケットを掴む。そして、レイロードは可及的速やかにホテルの自室を飛び出した。

 品良く、そしてさりげなく豪勢な絨毯を早足で駆け、そのままの足で1階へ。広々としたロビーを突っ切りフロントへ向かい声を掛ける。


「済まないが、空いている機馬はあるか?」

「畏まりました」


 眉根を寄せ不必要な威圧感を発するレイロード。にも関わらず、フロントは何ら動じる様子を見せず腰を折るとイグニションキーを取り出した。


「こちらをお使い下さい、A-3のパーキングになります」

「助かる」


 恭しく両手を添えて差し出されたそれを掴み、レイロードはパーキングに直行する。貸出された機馬は赤が眩いMAアウグスト社製の高級機。躊躇なくそれに跨ったレイロードは、駆動系が奏でる嘶き一つを響かせて、超高級ホテル、ピアッツァ・レアル・ロマーニを後にした。

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