0. 銀の真鍮-2
閑散としたオフィスに、空調の音とジャズミュージックが寂しげに響く。
天井から吊り下げられたスピーカーから流れる音は、実に安っぽい。
部屋の中心に置かれたデスクには乱雑に資料がバラ撒かれ、アクリル板としか思えないディスプレイが窮屈そうに鎮座している。
デスクの先には大きくもなければ小さくもない、何の変哲もない窓がはめ込まれ、揺れるカーテンはこの部屋の主を日光から守るために孤軍奮闘中だ。
窓の下には人一人が寝転べる程度のソファーが、所在なさ気に居座っている。そこに寝転び、退屈そうに雑誌へ目を通している女性が、一人居た。
「退屈だよね~暇な事は素晴らし~けどさ~」
誰に問い掛けるでもなく、目を通していた雑誌を放り投げながら発せられた声は、若くとも取れ、それなりの年齢にも取れる不思議な声色だった。
淡いブロンドのボブカット。左耳付近には編みこんだ自身の房が垂れている。均整の取れたスタイルをパンツルックのスーツに包み込み、雰囲気だけはヤリ手のキャリアウーマンを思わせた。が、投げ出されたデスクと寝転んだソファー、やる気など微塵も感じさせない怠惰に鈍る青い瞳が台無しにしている。そんな人物がこの部屋の主、ナロニー・ユマスであった。
彼女の仕事と言えば、極稀に舞い込んでくる重要案件の振り分けと、処理された案件の整理、他国支部への連携依頼、その程度だ。
「これでそこそこのお給料貰うってのも、何かあれだよね~」
責任はそれなりにあるが、本当にそれなりでしかない。このフォンティアナ公国はロマーニ帝国の傘下に収まっているのだ。本当に重要な案件ならば、ロマーニが対応に当たる事になる。
国土も小さい。何せイグノーツェ諸国連合で最小だ。国の収入源も観光産業に依存している。
このオフィスが存在している首都、アイオ・ロクツィオは、石造りとレンガの建築物が立ち並び、中世に迷い込んだような感覚を人々に提供している。彼女が居座るこの部屋とて、外から見れば石造りだ。
郊外に出れば様々な遺跡にお目に掛かることも出来る。観光都市国家、とでも言った所だろう。
その怠惰な静寂を打ち破り、部屋に1つだけ設置されたドアが激しく打ち鳴らされた。
「室長! 開けて下さい! 緊急事態です!」
切羽詰まったような若い男の声。この声の持ち主はナロニーの記憶上に一人しか存在していない。
「ん~? 新人君? なに~? あ~ちょっと待って~今開けるからさ~」
ノソリとソファーから起き上がると、オフィスチェアに腰掛けながら、デスクに付いている小型のコンソールを触る。
デスクに鎮座するアクリル板が光を遮り鮮やかな色を写し出した。その前では空気の抜ける音と共にドアがスライドして開かれ、焦った表情をありありと表した若い男が飛び込んで来る。ブラウンの短髪の下に汗が見て取れた。ナロニーの記憶にある通り、管理室の新人職員レリオ・ベニーニだ。
「室長! 大変です! ゴルニヴァクフとの国境付近で、急激なマナ散布密度の上昇が観測されたとの報告が、政府より入っています!」
「ふ~ん? で、原因は? クイント?」
レリオの声に大して興味なさげに返し、ナロニーは肩をほぐし問い掛けた。
「あ、いえ、原因までは上がって来ていませんが……私は生まれも育ちもフォンティアナです! 今までこのような事は記憶には……何でそんなに落ち着いて居られんですか!?」
慌ただしく捲し立て狼狽える青年とは裏腹に、この部屋の主は慌てる事なくあしらう。ナロニーの見た目からはそうは見えないが、荒事には馴染みがあった。自身で解決は出来ないかもしれないが、目の前でドンパチやり始められても、この態度を崩さない程度には。
「いや、だって、原因が分からなければ対策の仕様もないじゃん?
それにさ、最近良く聞くからね~。それとも、マナハザードの危険性でもあんの?」
想定される被害の中でも最悪と思われる事象を持ち出すが、レリオから返って来た内容は肩透かしもいい所だった。
「え? いえ、それも報告には……」
「ダメじゃん。それで何しろってのよ」
その台詞に、ナロニーは大きく溜息を吐いて肩をすくめた。
魔術が世に現れ、科学が生まれて幾星霜。マナは大気中に自然発生している素粒子の一つであった事が判明する。
このマナだが、自然発生している程度の濃度であれば問題ない。が、密度が増すと生体機能へ障害を与え、最悪の場合には死に至らしめた。そのため、散布密度が一定値を越えるとマナハザードと呼ばれ、周囲一帯を封鎖する必要性が出てくる。
このマナ散布密度上昇の最も高い原因がクイントであった。つまり、クイントはマナを体内で生成し発散させる、生物とは決して相容れる事のない存在だったのだ。
「ダニロさんとリーチャは?」
「お二人は、防衛省と外務省に通信対応中です。ですので室長には私からと。と、兎に角、人員を集めてクイントの対策を……」
「あ、そ。その前に調査ね~、クイントが原因じゃなかったら意味ないし。ってか、うちの防衛省って意味あんのかね~予算持ってるだけじゃん」
就任以来からの付き合いである二人の名を出すも、手すきではないらしい。小国故、仕方のない事だが、対応を投げっぱなしにする政府への愚痴を絞り出し、ナロニーはコンソールに置かれた手を動かす。
「そ、そうですね」
「ま、新人君が言う通り、戦闘員も集めたいんだけど、状況が不明じゃ~予算が厳しいかなぁ」
未だ落ち着かないレリオを横目に、ディスプレイに目を走らせ人員のチェックを始める。が、残念ながら人材は乏しい。人口50万人程度の国家に据えられた"E.C.U.S.T.A.D."では、十全な人材を確保出来なくても致し方のない事だ。
征帝歴763年、人類の生活圏が広がるに連れ、国家組織だけでは対応が困難になった事により、民間でもこれらに対処するため、イグノーツェ諸国連合共通規格組織が発足する。表向きは、だが。
それが、Egnotze Countries Union Special Tactical Army Division(イグノーツェ諸国連合特殊戦術師団)、略称略称E.C.U.S.T.A.D.(イクスタッド)である。
軍、警察組織の一部権限を委任された完全ライセンス制であり、そのライセンスも国家毎に個別であるため、実質的な国家機関と変わりはない。
事、このフォンティアナ公国には、軍も騎士団も存在していない。そのため、クイントの対処はE.C.U.S.T.A.D.及び、ルーデルヴォルフに任せられていた。
「や~ぱ、国内だけじゃ無理かな~これは」
目の前のディスプレイに映る人材は代わり映えがしない。調査と戦闘を同時に行えるのが理想だが、調査は兎も角、戦闘可能な人材が乏しい。最高でカテゴリーC。上級己顕士と呼ばれ、戦闘において困ることはない、とされるレベルなのだが、僅か5名しかいない。イレギュラーが予想される場合はもう少し人数が欲しい所だ。
レリオには原因が分からないならば対処の仕様がない、とは言ったものの、十中八九はクイントだ。発生の原因がクイントであれば処理してしまえばいい。
時代は変わり、己顕士の存在、強力な銃火器等、最早クイントは人類の天敵足り得なくなっていた。
クイントが発するマナは、確かに今でも驚異ではある。しかし、戦術マントに代表される、ミスリル繊維等でマナサーキットを編み込む事で、周囲のマナを温度調節や酸素等に変換処理させ拡散し、影響を軽減出来るまでに文明は進化していた。
とは言え、常人にとっては野生動物とは比にならなず、圧倒的な脅威である事に変わりはない。先ずは調査し状況を確定。その後、対処に移るのが常套なのだが、緊急時ならば同時に行なってしまいたい。しかし、状況が不明なため予算が組めない。
一人で調査と討伐を行えるのが理想だったが、そんな人材はこの国には居なかったのだ。
「ロマーニに救援を? でしたら尚更早くしないと! 帝国大鉄道にも近いですし!」
「何も状況が分からない段階で、救援も何もないでしょ。って、大鉄道付近なの? まぁ、今日、知り合いのイクスタッドが、ヨアケオオカミの生息域調査とか、地味~な事で訪ねてくるから、もうそっちに任すわ」
帝国大鉄道は、ロマーニ帝国傘下6ヶ国、即ち、ロマーニ、ゴルニヴァクフ、フォンティアナ公国、エレニアナ法国、メルラナ王国を結び、帝国内を1周する物資運搬の大動脈だ。損壊時の影響は計り知れない。
不安を隠す事なく狼狽するレリオを諌め、ナロニーが口にしたのは、現状で最も信頼出来、且つ、安心して任さられる相手への斡旋だった。何時もタイミングが良いのか悪いのか、よく分からない相手への。
されど不安が拭えぬのか、レリオは体を乗り出し問い詰めてくる。
「だ、大丈夫なんですか? あ、何人程居らっしゃるんです?」
ナロニーは、ディスプレイから顔を上げると、そのままリクライニングにもたれ掛かり、話を切り出した。
「あ~? 話したことあったけ? あたしさ、若い頃はルーデルヴォルフに所属してたのよ。んで、年の近い少年少女4人でさ、チーム組んでたのよ。あたし以外は己顕士だったけどね」
「え? あの……室長が、ですか? いえ、お聞きした事は……」
不意に無関係そうな話を振られ、困惑気味ながらもレリオが答える。
ルーデルヴォルフは、ロマーニから海峡を挟んで西側、永世中立を謳う、ソーリオ連邦に本部を置く傭兵統括機構であり、民間の戦闘集団統括機構としては、E.C.U.S.T.A.D.より以前から存在していた。
主な違いは、E.C.U.S.T.A.D.が行政機関の一部権限を委任され、各種自治体、法人からのみ依頼を受け付けるのに対し、ルーデルヴォルフは戦闘行為のみを行う他、個人からの依頼も受け付けている所である。
一見すれば眉目秀麗なこの部屋の主には似つかわしくない前歴だ。レリオが首を傾げるのを面白そうに見上げ、ナロニーは続ける。
「そよ~、やっぱ話した事なかったか~誰に話したんだっけ? フィオレだったかな?」
「はい? 呼びました?」
「ううん。呼んでな~い」
室長室からひょっこり顔を現した女性職員、フィオレを、ナロニーは無下にあしらった。フィオレにしても、そうですか、と軽く頭を下げ、足早に去って行く。何だったのか頭を傾げるが、皆それだけ慌ただしいのだと納得する。
「ま、いいや、で、その時の一人が来んの」
「はい? え!? あの、お、お一人……ですか!?」
「そ、お一人~その子が今イクスタッドなのよね。多分、名前だけは聞いた事があるんじゃないかなぁ」
ニヤニヤとした笑みで、慌てふためくレリオを観察しながらも、ナロニーは思い浮かべていた。眉間に皺を寄せた不機嫌そうな渋面を。
「ルーデルヴォルフからイクスタッドに転向……まさか……」
「ふふぅ~ん。そのまさかよ」
徐々に表情が強張っていくレリオをご満悦の笑みで迎えながら、ナロニーは肘掛けに腕を放り出す。
「風斬り、ルアン・ミシェリ!?」
「……ごめん……誰それ?」
然しながら、目の前の青年から発せられた名は、残念なら聞いた事もないものだった。得意顔から一転、呆けた表情になるナロニーに今度はレリオが食って掛かる。
「え、室長、ご存知ないのですか!? シュバレ共和国のスラム街から成り上がり、カテゴリーBの己顕士にまで上り詰めた、ルアン・ミシェリ女史ですよ!」
「いや、ごめん。ほんっと知らない」
「じゃぁ、誰なんですか~」
がっくりと肩を落し意気消沈のレリオに嘆息しながらナロニーは姿勢を正す。件のルアン・ミシェリのファンだったのだろうか? それは兎も角、本来彼女が想定していた名が出て来ないのは、考えてみれば仕方がない事かもしれない。こんな場末と言っても差し支えない場所に、"それ"と故知が居るとは思わないだろう。そもそも"それ"自体、顔写真も公表されていない。半ば都市伝説の類に思われているフシもある。故に、その名を、その称を、口にした。
「天窮騎士レイロード・ピースメイカーよ」
「…………え?」
実に何でもないように告げられた畏怖の名に、レリオは完全に固まっていた。それが今朝方の事である――。
――そして今、征帝歴999年6月6日15時2分。
『おい、聞いて―るのか? お―、ナロニー』
「急に聞こえなくなっちゃったんだけど~電波悪い~?」
『おい、何―? 本当―通信障害―?』
件の天窮騎士が、インカムの向こう側で報酬の交渉を要求していた。