プロローグ
どうにもこうにも上手く進まない。行き詰まる。そんな事はよくある話だ。
それは今、天に向かって吠える青年にも同様だった。
「あ~~~の頑固親父ぃいい!」
郊外の一軒家、その庭先で盛大に頭を抱えながら、青年は天を仰ぎ見た。中点の太陽は眩く輝き、見下ろした先であくせく動き回る者達を嘲笑っているようだ。
「なぁ~~~~にがダメなんだよぉおおお! 自分だって造れないくせにぃいいい!」
一頻り喚き、怨嗟の声と共に息を吐き出し、大きく肩を落とす。血が登っていた頭から僅かに熱が取れ、青年は手に持った物へと目を落とした。弧を描き銀に艶めく細身の刀身、荒れ狂う波にも似た豪奢な刃紋。青年の打った和雲{いずも}刀へと。芯金、両面の鎬、峰、そして刃。分割してそれらを作成し、合わせて一つの刀へと仕上げる。伝統的、そして極めて高度な四方詰めなる和雲の技法は再現出来ている筈だ。
「何がいけないってんだよ……」
その思いが、青年の口から只管に愚痴を募らせる。そもそもが、ここはイグノーツェ大陸。和雲ではない。故に、真っ当な刀のサンプルが手に入らない。そんな中でこれだけ打てれば十分だろうと思わずには居られない。イグノーツェでは鉄製の刃物が廃れて久しい。鉄からチタンへ、チタンからオリハルコンへ。鉄製品など、今では好事家が手を伸ばす程度。
包丁もチタン製が一般的だ。それを父へ向けて言えば、和雲では今も職人の包丁は鉄製だと聞いちょる、と返されるのだ。だったらそれを見せてみろと言った所で、ない袖は振れねぇ、と来るのだ。ならばどうしろと言うのだろうか。それが、更に希少な刀となれば尚更だ。
そもそも、今はあの忌々しい王国から、周辺諸国が独立出来るかの瀬戸際。この征帝歴"989"年が、時代の転換期になるかもしれない。極上の一振りよりも数打ち、それも刀ではなく剣が必要なのだ。だが、彼の父は頑なにそれを由とせず、ただ渾身の一振りを打たせ続けた。
「まったく、居なくなれば少しは清々するんだか……」
刀身に映り込んだ冴えない表情に向かい、思ってもいない、されど僅かに頭を過ぎった可能性を口にした。しかし、しないだろうなと、口にしておきながらそう返す。時代遅れと言うか、時代錯誤と言ってしまって差し支えない程の技術だが、それでも十分に敬意を払うに能わう能力だ。居なくなられたら困る。そう、困るのだ。刀から顔を上げ、未だ工房に居るだろう頑固親父に視線を送る。
『その願い、聞き届けた』
顔を綻ばせた瞬間、誰も居ない筈の庭に、くぐもった声が届いた。老いた男のような、或いは若い女のような、得体の知れない声。
「だ、誰だ!」
刃を研いでもいなければ、拵えも揃えていない刀の柄を握って構える。発した声は震えていた。その目の先、庭に造られた池の水面に、人影が写っていた。
白いローブを羽織り、目深にフードを被った人影。その顔は白昼にも関わらず、そこだけ夜の帳が下りたが如き黒で塗り潰されていた。足先から背筋、手先、頭頂へと、怖気が全身を駆け巡る。何か硬質な物が打ち付けられ、耳にやたらと障る。
気付けばフードの人影は消えていた。全身から汗が吹き出し、膝が笑って崩れ落ちる。手から零れ落ちた刀が地面に落ち、石に当たって合わせ目に亀裂が走った。
「あ、駄目だわ、これ」
荒く肩で息をしながら、無残に割れた刀に視線を落とし、青年は呆然と呟いた。そして、先程鳴っていた音が、自身の歯が打ち合わされていた音だった事に、漸く気が付いた。しかし、それが何かの解決になったのかは、まるで見当も付かなかったが。
そもそも、その願い、とは何の事だったのだろうか。打った刀の何が駄目だったのかを教えにでも来たのだろうか。それならば実に有難迷惑な暇人だ。
息を整え、億劫になりながらも地べたに胡座を組む。1年分くらいの寿命は、確実に縮んだ気がした。少なくとも、とっとと居なくなってくれたのは、と、そこまで考え思い至る。
「うあ……お、親父!」
立ち上がろうとして持ち上がらない。完全に腰が抜けていた。それでも、地べたを這うように無様な姿でも、青年は工房に居るだろう父の元へと足掻いた。
◇
どうにもこうにも上手く進まない。行き詰まる。そんな事はよくある話だ。
それは今、自身の机に体を突っ伏している少女も同様だった。
20平方メートル程度の室内は整理が行き届き、家主の几帳面さを表すのに一役買っている。が、ベッドに投げ捨てられた、紺のコートが調和を乱す。調度品は装飾の少ないモダンな雰囲気で合わせられ、文明と文化の息遣いを感じさせた。しかし、暖かな色合いで整えられた室内には、何処か空々しい空気が漂っている。時計の指し示す日付は征帝歴999年6月18日。その時刻は23時を廻っていたが、それとは恐らく関係ないだろう。
少女はガラスで作られた机の天板に映り込んだ、自身の顔を見る。肌に張りはなく、切れ長の瞳は力なく項垂れ、目の下の隈も濃い。赤い頭髪はしかし、暖炉の残り火よろしく冷え冷えと燻っている。
「酷い顔よね……」
その惨状に人知れず呟きが漏れた。座学にでも走れば気分が紛れるかと思えばこのザマだ。
己顕士の家系に生まれ、剣を振って十余年。15歳で、下位とは言えカテゴリーD。それは稀代の天才達と肩を並べる程の才覚。脇目も振らず走ってきた。それはハイスクールに上がった所で関係のない事だと、そう思っていた。彼に出会うまでは。
ジュニアスクール来の付き合いである友人が連れて来た人物、その最初の印象は、何だか頼りなさ気、その程度のものだった。しかし、未熟ながらも真っ直ぐな太刀筋に垣間見えた熱い意思に、指導する度に力を伸ばすその姿に、次第と心惹かれて行った。短い人生の中で胸に宿った淡い想い。恐らくは初恋、だったのだろう。それは最早過去、その幻想は物の見事に崩れ落ちたのだから。
――大丈夫! 一晩眠ればスッキリ解決! めげぜずに突き進め!――
「そう言う事じゃないのに……」
掛けられた言葉を思い出し、知らずと眉間に皺が寄る。明るく、得てして脳天気とも取れるその声に、普段ならば心が緩んだのだろう。が、その時ばかりは、何も知らない脳天気な友人の態度が、只々煩わしかった。僅かに、ほんの僅かに、それこそ1ミリメートルにも満たない、僅かな殺意を覚えてしまう程度には。
暗鬱な思考が過り、何を馬鹿な事をと、突っ伏していた机から飛び起き頭を振る。彼女は友人だ。決してそんな事は望んでいない。然しながら、やはり心に淀みが生まれた事もまた、否定出来なかった。いっそ声に出せば洗い流せるのだろうか?
「いっそ居なくなってくれれば……」
そう思い、実際に口にして自嘲する。馬鹿な事だ。やはりそんな事は望んでいない。少し、気分が軽くなった気がして嘆息する。
『その願い、聞き届けた』
刹那、誰も居ない筈の室内に、くぐもった声が届いた。しわがれたような、或いは若々しいような、得体の知れない声。
背筋に走った悪寒を振り払い、少女は咄嗟に窓を見遣る。ベランダへと続くガラス張りのドア、そこに見た。若しくは見なかった。白いローブに、頭部をフードで覆った人影を。フードの中は底なしの沼か深淵の淵なのか、朧気にすらも感じさせない程の何も映さぬ黒一色。
喉まで漏れ出し掛けた悲鳴を飲み込み、まばたき一つした時には、既にフードの人影は消えていた。全てが幻であったかのように。
「くっ、そんな筈……」
強張っていた体に活を入れ、机の脇に立て掛けていたレイピアを抜き放ちベランダへ向かう。夏の夜の風は、さめざめとした荒涼たる少女の心とは相反し、柔らかい涼やかさを連れて来る。そんな事など気にも留まらず、少女は鋭く周囲を見回す。部屋は4階、地上までは14メートル程。眼前100メートル先には森林公園。風を受けて優しく揺れているが、何かが走り抜けるような、そんな怪しい素振りは見られない。左右には、明かりも疎らに部屋が並ぶだけ。上は……分からない。
「見てみないと……」
険しい表情は崩さず、ベランダに常備していた戦闘用シューズに足を通す。そしてそのままベランダの柵へ足を掛け、体を反転。跳ぶ。眼前を寮の壁と窓が過ぎゆき、右手に持ったレイピアが、月に照らせれ紅く煌めいた。眼下には屋上。人影は、ない。痕跡も、見当たらない。気の所為だったのかと思いはしたが、幻にしては"それ"から感じた怖気は克明過ぎた。
「だったら、下?」
ならば用はないかと、大地へ向かう。ひざ上程度のスカートが風に舞い、そして僅かに感じる浮遊感。それも束の間、体が大地に引き寄せられ、迫る。接地の瞬間、右手を掬い取るように軽く回す。パリィングの型の一つだ。顕装術によって一瞬だけ強化された身体が接地の衝撃を抑え込む。軽く息を吐くと、再び森林へと目を向けた。
やはり、何もない。瞑目し、もう一度大きく息を吐く。全身から緊張と力が抜けていくのを感じる。
「そこ! 何をやっているか!」
が、響いた怒声に身が縮こまる。恐る恐るとそちらをみれば、頭に角を幻視するかの如き女の化生、もとい、寮監が、腕組みと共に眉を釣り上げ佇んでいた。ゴクリと唾を飲み、大慌てで釈明に奔走する。
「い、いえ、私の部屋のベランダに人影を見まして、その、確認をと思って……」
「馬鹿者! ならばそれこそ一報を入れろ! クイント相手と人間相手では勝手が違う! 死にに行く気か!
……まぁいい、で、何か居たか?」
「いえ、何も……」
憤怒の形相で迫る寮監に言葉尻が弱まる。今の寮監ならば天窮騎士にでも勝てるのではないだろうかと、現実逃避に走ってしまう。実在するかも怪しいが、レイロード・ピースメイカーくらいになら、勝てるのではないだろうかと。
少女が下らない逃避に時間を捧げる一方で、寮監はPDを取り出し警備に連絡を入れていた。
連絡し終えた寮監がPDを仕舞い、溜息混じりながらも、若干柔らかく声を掛けてくる。
「まったく……最近どうした? そんな事では週末からの遠征にも許可を出し渋りたくなる」
「いえ、プライベートで少し……」
その気遣わしげな声が、却って自身への嫌悪感として伸し掛かる。またやってしまった。回りが見えずに先走った。もし、本当に相応の使い手と相対していたら、いや、同格程度、それこそ下手をすれば格下相手でも、返り討ちにされていたかもしれない。
「そうか……今日はもう休め」
自責に駆られ項垂れる少女へと、寮監は表情を崩しながら告げ、柔らかくその赤い頭を撫でた。
「……はい……申し訳、ありません」
週末の野外活動、そこで彼と彼女と、また行動しなければならない、そう思うと気分が沈んだ。そんな少女に寮監の取った行動など、まるで利く筈もなく。肩を落として寮に戻る頃には、先程の声の事など、既に頭から抜け落ちていた。