6. 王と名もなき小人-6 (イラスト:)
遥か古の情景が紡がれては、過去の彼方へと流れて消えて行く。
「ゼェェエエエッ!」
王が名もなき小人に問い掛ければ、レイロードはマントをはためかせ、横薙ぎに振るわれた城壁が如きブレードを躱し、巨木のような腕へと黒閃を疾走らせる。
「そこ!」
名もなき小人が空を見上げれば、桜花は黒髪とマフラーを靡かせ、唐竹に落とされた流星が如きブレードを避け、巨岩のような頭部へと拳を振るい薄桜を散らす。
「はっはっー!」
名もなき小人が歩き続ければ、アズライトはオクターヴァを煌めかせ、唸る瀑布が如き尾を潜り抜け、岸壁のような胴へと蒼刃を伸ばして薙ぐ。
しかし、そのどれもが明確なダメージになっているとは言い難い。何せサイズがまるで違う。どれもこれもかすり傷程度。己顕の刃を振るうアズライトなどは、かすり傷すら付けられていない。だが、若干ながらも、動きを阻害する程度にはなるようだった。
『我らは! この地に根付いた生命を見守ると決めた筈! 何故手を加えようとする!?』
イグノーツェは変わらず意の分からぬ問答を求めるが、だからとて答えようもない。しかし、手を加える、となると……クイントだろうか? ここに来ての新説だが、誰も信じはしないだろう。
そもそも、"王と名もなき小人"の中で、人間に知恵と言葉を与えたのは王であった。ならばイグノーツェとて……。
誰かが、恐らくは黒龍辺りが思考していた時、イグノーツェの足が曲げられ引き寄せられる。それはまるで……。
「チィイッ!」
思い当たり、レイロードは羽刃を蹴って跳ぶ。その下を、暴風伴うイグノーツェの"右回し蹴り"が予想通りに過ぎて行く。
「アグレッシブ過ぎんだろ! あの王様はよ!」
アズライトが思わず叫ぶが、その分に隙は出来た。ある程度の大技でも、行ける。
――桜花!――
――承知!――
レイロードは頭上に見えるイグノーツェの右腕へ、桜花は歪曲面を蹴って頭部へと駆ける。指と言うには余りに太いそれを足場に本体へ。その際に手首へと、羽刃を踊らせ鍔鳴り一つを置き去りながら黒閃を疾走らせる。アウトスパーダに関しては無傷。刀でも大した損傷は与えられていない。が、足場がある分、多少は深い。
散らした火花が、金属の擦過音が、視界を通り過ぎ背へと流れる。水辺を打つ雨粒が如く、桜花の描いた波紋が広がり、イグノーツェの頭部へと迫る。何処からともなく聞こえる黒龍の声が、背中を押す。
「それからも名もなき小人は歩き続けました。
時に、怒り荒れ狂う大海原を渡り、時に、生命なき熱砂の嵐を突き進み、時に、極寒の吹雪が吹き荒れる山脈を越え、時に、濃霧に呑まれ光すら届かない森を切り抜け、時に、吹き出し溢れ出す溶岩を潜りながら」
物語も中盤。名もなき小人が、勇壮で凄惨な大自然を突き進む光景を垣間見る。レイロードはそれに負けじと下腕を走り、上腕を駆け抜け肩を登る。頭上では、桜花が歪曲空間を足場に、王の頭部へと左手を突き出し右拳を引き絞っている。
――先に一太刀入れるッ!――
レイロードは意識を伝達させると、今まで以上に揺らぐ空間を横目に、イグノーツェの頭部、その上顎へと飛び込んだ。速度を回転に変えながら左膝を落とす。鎧が甲高い音を立てて火花を散らす中、右手を柄へ、刀に質量を付与。初動が遅くなるために桜花へは使えなかったが、今ならば関係ない。
眼前で煌々と灯る四方菱輪十字、イグノーツェの禍々しくも神々しいその瞳へと、軋む体に鞭打って、全開の一太刀を叩き込む。名もなき小人が、王と再び見えた情景と共に。
――真伝朔凪派夢想剣・初の演――
「ゼェェエエエエアァァアアアッ!」
影すら映さず、光すら返さず、時すら飛ばすが如く繰り出されし夢想の一太刀。夜色のマントが翻り、撃ち出した反動がレイロードの体を反転させる。
その背の先で、四方菱輪十字は、有無を言わせず断ち斬られていた。
一振り空を薙ぐ。仄かに熱を帯びた刀を鞘へと納めながら、レイロードは直ぐ様その場を飛び退いた。代わりと響くは、イグノーツェの面へと向かう桜花の声。
「夜露に散りせし花なれど、此処に見せるは其が華よ、"八重音"!」
桜花の前面には、その名の如く八つの空間断層。一体どれほどの破壊力になるのか分からないそれへと、拳を撃ち出す。1層毎に大気が揺らめき、空間の歪みが強まる。二つ三つ四つ五つ六つ七つ、そして八つ。
拳は誰憚る事なく古の紅き王へと撃ち込まれ――世界は音を奪われ砕け散った。視界の認識が狂う程に空間が歪み、音を奪われた世界が静寂に満ちていく。その中を、薄桜の己顕が優雅に舞い、イグノーツェの巨躯を遥か先へと送り出す。
が、イグノーツェの翼が背後へと向けられ、吹き出した光の奔流が、巨体を急激に減速させる。そして遂には、完全に制止させていた。そう、完全に止まった。
――大きいのいきます! レイロード、象圏借りますよ!――
途端に桜花の意識が走る。そちらに視線を向ければ、背を丸め、だらりと腕を垂らした桜花の姿。イグノーツェを見据え、黒真珠の瞳を目一杯に見開いている。その瞳に奔る放射状の己顕光が中心へと収束し、再び拡散するや二つの同心円を象った。幽鬼のような桜花の声が響く。
「"幽世"」
硬質な紅い皮膜が球状に広がり、今にもイグノーツェを覆い尽くさんとする。レイロードの象圏を介する事で、広域展開を可能とした、桜花の取って置き。
イグノーツェの瞳がそれを見る。広がる紅い球の内側に、イグノーツェの拳が叩き付けられ、すんでの所で仕上がり弾く。
空間の断層。完全に隔離された鉄壁の檻。無論それだけではない。寧ろそれは副産物。
「似合ってはいるなッ」
レイロードは柄に手を掛けると、その紅い皮膜の檻に向かい"鳴り石"を一閃。鍔鳴りと共に黒閃が疾走り、表面に加えられた力が内部で拡大伝搬され――イグノーツェの体を横断する程の、巨大な斬れ跡を疾走らせた。
継いでアズライトが銃口を向ける。迸るは白き雷光。
己顕法の発現は大きく分けて2種。アウトスパーダや桜花の"涼篝"のように、物理変換されず己顕の力そのままに個々の有り様を顕す物。これはオリハルコンに弾かれる。もう一つは、レイロードの質量付与や、桜花の歪曲空間のように、物理干渉として顕れる物。アズライトが銃口に迸らせる雷光は、無論、後者。
「溜まった鬱憤晴らさせて貰うぜぇえ!
"フォオオオルゴォオーレェエエエ・ビィィイイアンカァァアア"!」
バレルを溶かしながら撃ち出された弾丸は、雷光を纏い尾を引いて檻へと至り、内部へ大量の雷電を巻き散らす。愛犬の名を取ったそれは、愛らしいフォルの見た目とは似ても似つかず、2万度を超える雷光の熱が、イグノーツェを覆うオリハルコンの表面装甲を融解させる。
「悪いがッ!」
レイロードは剣帯に鞘を収め、大太刀を抜き放ちながら一閃。更に、左手で桜花が投げ寄越した"夜桜"を掴み一閃。右の大太刀でもう一閃。次いで左。外連と謂われる刀の二刀流なれど、桜花の感覚と、レイロードの筋力を持ってすれば不可能ではない。
左右の大小、その一太刀毎に、体の何処かが壊れる、そんな感覚がレイロードを襲う。再び体にガタが来始めているらしい。それでも、そんな事で、振るう刃を止める事など、出来はしなかった。
物語も終盤、王と名もなき小人が繰り返す問答のように、左右の二刀が行き交い疾走り、檻の外からイグノーツェの胸部を削ぎ落としに掛かる。黒龍が告げた通り、殆ど賭けだ。教皇の組んだマナサーキットが、ヴァノッサと共鳴したのならば、同様にコアも胸部にあるとしての。
だと言うのに、硬い。表面は融解しているが、分厚い装甲の内部は未だ健全らしい。
「フザケろ! 俺じゃ足りねーってかよ!」
アズライトの悲壮な声が届く。バレルは溶け落ち次弾はない。何としてでも今、見つけなくてはならなかった。二刀二振りの黒閃を乱れ撃ちながら、レイロードが険しく叫ぶ。
「まだかッ!?」
「見えません!」
「マナ放出はッ!?」
「分かりません!」
問われた桜花が激しく叫び、レイロードが再び叫び、桜花が再び叫ぶ。意識の伝達すら忘れて一心不乱に只管切り込む。その度に桜花の瞳からは血涙が滴り落ちる。
桜花の限界も近い。これ以上の時間は掛けられない、そう思った時、イグノーツェの翼端から光が迸った。
「クソがッ!」
ならば駄目で元々と、球に向かい回し蹴りを叩き込む。揺れる巨躯に併せ、紅の装甲が僅かに崩れた。
「見えた!」
と同時に桜花の声が響く。勝機が見えた。王が探していたものを見つけたように。
後は黒龍の"王と名もなき小人"が何かを起こしてくれれば尚、機運が高まる。ここまで他人任せに戦った記憶など、毛頭思い付かなかった。
「桜花ッ! 持たせろッ!」
「言われなくとも!」
紅い檻の中に白が満ちる。先と同じであれば正直怪しかったのだが、幸か不幸か、一瞬で収束した光の後には、十全にブレードを引き絞る王の姿。誰とは知れず息を呑む。ブレードが振られ、檻がひび割れ、そして怒号と共に砕け散った。
『今更! この程度で! 何を成すか! イグナークァアアア!』
「グゥッ!」
「っあう!」
余波の煽りを受け、レイロードと桜花はその場を弾かれ宙を舞う。レイロードは飛びそうになる意識を、割れんばかりに奥歯を噛み締め引き起こした。視界には瞬間的な己顕の不活性化に依って落下する桜花。アウトスパーダの基部で以ってそれを受け止め引き寄せると、"夜桜"を桜花の鞘へと収める。
「全開、なんですけどねぇ……」
「離れる……回復は?」
「……1分は要りませんね……」
荒い吐息で力なく呟く桜花へ端的に告げ、返す桜花の襟首を掴みその場から跳ぶ。決め切れなかった以上、次が必要だ。倒れられる訳には行かない。地に近づくにつれ、詠う黒龍の声が強く明瞭になって耳に届く。
「人と人、その間に生きる事に世界を見たのです。
人と人、その繋がりが消えた時、それこそが世界の果てとなるのです」
"憧憬"で減速し接地、レイロードとアズライトが交差し、共に笑う。口の端を釣り上げて笑う。人と人の繋がりを、世界に生きる事を示すように。その姿に、桜花が僅かな眺望を向けていた。
「っしゃ! んじゃ汚名返上と行きますか!」
アズライトはオクターヴァを両手で以って握り込むと、眼前に掲げ青眼に構えた。同時にオクターヴァと"同調"する。己顕を刃へと極めて正確に調整し、出力するその機能へと。自身の中にある己顕の流れを調整し、オクターヴァから出力された己顕を再び体内に取り込むと、循環させ更に出力を上げていく。
アズライトブルーの己顕光はその色を薄め続け、遂には純白へと、己顕の持ち得る最大出力へと増幅された。アズライトの髪が、瞳が、オクターヴァの刃が、純白に輝き迸る。
『紛うか貴様ァァアアアア! 何者かァァアアアア!』
その変化に、イグノーツェが吠えた。ブレードを天高く掲げ、翼端から光を放ちながら距離を詰めて来る。そして、一撃を振り下ろした。
「ああぁあ!? 俺、だ、よォォォオオオオオオ!」
アズライトは負けじと吠え、踏み込む。大地がひび割れ純白の刃は強大に膨れ上がる。紅と白、振るわれた刃と刃がぶつかり合い、"均衡を保つ"。これこそが真骨頂。顕装術では不可能な恒常強化。人の身で遥か巨大なイグノーツェと鍔迫り合う程の。
切り結び、弾け、切り結ぶ。その度に体が悲鳴を上げ、足が崩れそうになる。だが、それでもレイロードよりはマシな状態だと言い聞かせ立て直す。
若干に体が崩れた隙に、イグノーツェの腕が動いた。背負った四方菱輪十字へと。そして、あろう事か、それを投擲した。
『アァァアァァァアアアアア!』
四方に散らばる菱形から純白の刃が伸びる。まるでオクターヴァのように。紛うか、と言うのはそれを指していたのだろう。回る刃が全てを刈り取り駆逐せんと迫る。だが、
「んーーーな芝刈り機で今更なァァアアアア!」
下から上へ、大地諸共逆風に斬り上げ打ち返す。眼前を占めていた環が消え去り、代わりに迫るは王の腕。途切れそうになる意識を、黒龍の声が繋いで奮い立たせる。
『其処に残された人間は既に老いていました。もう永くは生きられないかもしれません。
ですが、彼は一人ではありません。人と人の間に生き続ける限り、それは人間なのですから』
あと少し、あと少しで読み終わる。そう、一人ではないのだ。まだ持つ。待たせる。でなければ、何のためにここに居るのか分からない。嘗て、いや、結局は今も、その背中を追っていた友が、アズライトの背を見ているのだ。無様は晒せない。
振るわれた拳を流し、腰溜めにオクターヴァを構える。フィン状の柄が放射状に広がり環を描く。それに伴い、刃も巨大な円錐を形作る。
「剣だと思ってたかぁあ!? 残念! 実はランスでしたぁあ! ってなァァァアアア!」
アズライトの気勢に応え、突撃槍から雷光が迸る。オクターヴァ自体をも溶かす高熱の白き雷。
その一撃を、がら空きになった胸部へと、全開の突撃で以って撃ち穿つ。
「主役貰ったァァアアアア!」
『矮小ォォォオオオオオオ!』
大気を貫き音を抜き去って、一筋の白き閃光となったアズライトの一撃はしかし、瞬時に交差された両腕に塞がれる。されど構うものかと突き穿ち込む。白雷が大気を焦がしイグノーツェの装甲を溶かす。が、表面装甲に留まるのみ。が、それならそれで上等だった。
「ンだったらよォォオオオオ!」
決死の形相で吠えるアズライトに応えるが如く、オクターヴァの刃が膨れ上り、そして弾けるように割れるとイグノーツェの両腕を握り込む。
『ヌゥゥウウウウウ!?』
「逃さねぇぇぇええーよ!」
巨大な己顕の手で、唐突に両腕を封じられ、イグノーツェが苦悶の咆哮を上げた。勝機と、アズライトはイグノーツェの腕に乗り、更にその拘束を強めて締め上げる。してやったりと、口の端を釣り上げて笑うアズライトの背で、真鍮と薄桜が舞った。
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