6. 王と名もなき小人-4
砲弾の如く弾かれたレイロードの体は、制御を失い大地で跳ねながら、それでは止まらず岩壁へと激突。そして、石片と共に崩れ落ちたレイロードを、巻き上げられた土煙が覆い隠す。打ち上げた拳を戻す間もなく、桜花は呆然とそれを見送っていた。
――ヒメナ! 何でもいい! メルカドルを!――
真っ先に反応したのはアズライト。それを受けて黒龍がレイピアを宙に疾走らせる。
「メルカドル・デ・リブロス! サーキット開放!」
その声に応え、剣身が幾何学模様を走らせるや、黒龍が土煙に向かって投擲。剣は狙い過たず土煙に飛び込むと、間髪置かずに青白い光を撒き散らす。マナを消費させ、レイロードの周囲からマナの脅威を取り除く事が目的だ。
土煙は晴れず、崩れた岸壁と相まって、目視での確認は出来ていない。それでも生きている筈だ。軽い一撃とは言え、桜花の打撃を受けて立ち上がったのだ。あの程度で死ぬ筈はない。何より、レイロードの象圏は未だ生きている。ならば、死んでいよう筈がない。
だが、レイロードが崩れた切欠を作ったモノこそ、先日に桜花自身が撃ち込んだ一撃の気がしてならず、無闇な焦燥感に体が焦れる。
「落ち着きなさい。どうせあの程度で殺せる男ではないわ。死に損なう事だけは昔から折り紙付よ」
「んあ、でなければ今まで生きちゃいないさ。だから先ずは前を向こうや」
少々突き放したような黒龍とアズライトの諭告。変わらず平然とした仕草に、桜花は大きく息を吸い込み、そして大きく吐き出した。少しは頭が冷える。
イグノーツェの狙いが桜花であるならば、寧ろレイロードは安全だ。そう考える桜花の眼前で、イグノーツェの視線は、レイロードが倒れている筈の場所へと向けられ、次いでその顎門を大きく開かせた。
『何故オレを阻む! ならば消えよ! ならば滅せよ! 我が元に還れ!』
光が、集う。周囲に散らばったマナを掻き集めるように、イグノーツェの元へと、開かれたその顎門へと。
「ブレス!? 体外で!?」
凡そ亜龍種とは根底から異なる光景に、黒龍の悲鳴にも似た声が耳をつんざく。
その間にも光は収束し続け、明るく、そして巨大に成長して行く。その光の中心では、マナがサーキットもなしに物質化し始めている。デタラメだが、存在自体がデタラメなのだ。気にしても意味が無い。
還れと言うのが放出したマナを指すものか、はたまたレイロードの事を指すのかは分からなかったが、やる事は変わらない。
「黒龍! これなら行けますか!?」
「せめて下へ!」
桜花の問に黒龍が答えると同時に、桜花は地を蹴り、恒星の如き光へ向う。上は駄目だ。どれ程の火力か不明だが、万が一地表に達すれば大惨事に成り兼ねない。となれば、下しかない。黒龍の答えはその事だ。下は下で何が起きるか分からないが、幾分かはマシだろう。
今にも撃ち出されそうになる光の奔流を飛び越して、桜花はイグノーツェの頭上へと踊り出る。
「いい加減、寝惚けていないで、目を覚まして頂けませんかね!」
光が極限まで高まり、正に撃ち出されようとした瞬間、桜花は落下と共に全力の"閑音"を撃ち込んだ。刹那の時間、桜花の瞳とイグノーツェの瞳が交差する。音が消え飛んだ世界の中に、薄桜が舞った。
イグノーツェが頭を垂らし、実体を持った閃光が大地に突き刺さる。岩盤をいとも容易く抉った閃光は、吸い込まれるように大地の彼方へ消えて行く。
そして、その返礼よろしく大地が揺れた。黒龍達の足元が覚束なくなる程の、岩盤が崩落して行く程の、大きな揺れ。
「くっ!、レイロード!」
桜花は咄嗟にその方向に振り返る。レイロードが叩き付けられた箇所は、岩盤も更に弱まり激しく崩落していく。
居ても立っても居られず宙を蹴る。こんな終わり方を認める訳には行かない。もう一度闘う事なく、勝利を掴む事なく終わるなど、決して納得の行く事ではい。
一直線に駆ける桜花の前に、裂けた大地から紅い柱が吹き上がった。マグマだ。あのブレスの影響だろう。しかし、この程度で済むなら安いものだ。
行く手を阻み吹き出すマグマを、しかしどうと言う事なく躱して避ける。が、桜花の事情などお構いなしに、眼下では岩肌を覆い灼熱の海が広がっていく。先にこちらを処理しなければと、視界を巡らせる桜花にアズライトの意識が伝わる。
――下はこっちでどうにかすっから! そっちは王様の機嫌を取ってくれや!――
見れば、既にアズライトが動き出していた。抜き放ったオクターヴァに蒼刃が煌めいている。それも特大の刃が。
ならばと桜花は再びイグノーツェと向かい合う。どうにかすると言う言葉を信じるしかない事が、無性に歯痒かった。
黒龍は黒龍で何かをするらしく、その手に黒い装丁の本、イグノーツェ詩集を取って詠み上げ始める。荒廃した世界に、哀愁漂う詩情が溢れた。
「とても静かな朝だった。随分と体も冷える。私は震えながら窓辺に立つ。外界を歪ませる窓なる檻は、私の心とよく似ている」
開いた本から、詠み上げた文字が光りとなって浮き上がり、黒龍の周囲を回り出す。朗々と響く黒龍の声を背に、跳躍したアズライトが、10メートルは超えているだろう蒼刃を、大地に向かって疾走らせた。
「遥か先を見たいのだ。手の届かぬ場所へと往きたいのだ。叶わぬ想いを閉じ込めて、せめてもの代わりに私は檻を開け放つ。閉じ往き黒く濁る私の心とは裏腹に、開けた赤い平野は白く輝いていた」
蒼い己顕の刃は、ぶ厚い岩盤など紙切れ同然と、抵抗させる事すらなく易々と斬り裂く。そのままレイロードの元へ向かながら、背後に向かって更に一閃。
その様子を眼下に置きながら桜花は、頭を上げたイグノーツェの顎門を"閑音"で蹴り上げる。
「何処までも広がる綿雪は、何処までも冷たく残酷だ。静々と舞い降りる白い妖精達は、きっと音色が嫌いなのだろう。獣の遠吠えも聞こえてこない」
桜花は跳ね上がったイグノーツェの顎門へと、天地を入れ替えオーバーヘッドの蹴りを撃つ。薄桜を撒き散らせ巨体が揺らぎ、大気を震わす咆哮を漏らしながら、イグノーツェが眼下の溶岩溜まりに落ち沈む。合わせたかのように、鈍い音を立てながら、アズライトが斬込んだ大地が、溶岩溜まりへ向けて滑り落ちた。
「静寂は私の心を和ませ、暖かさを奪って消える。
持って行かないで欲しい。私の夢を。持って行かないで欲しい。私の想いを。
誰がそれを聞くのだろう。大地を覆う白い妖精達が、全て持って行ってってしまうのに」
ざっくりと注ぎ口のように切り取られた大地に向かって、溢れた溶岩が雪崩れ込み濁流となって溶岩溜まりへと還って行く。倒れ込んだイグノーツェの頭部に降り注ぐ様が、いやにシュールだった。
出来上がったのは溶岩の川。瞬時にそれを作って見せる腕は大したもので、アズライトが戦いだけに生きてきた訳ではない事を窺わせる。しかし、決め手が足りない。が、それをこれから成すであろうを示唆する如く、黒龍の周りには、膨大な数の文字が輝き溢れ踊っていた。
「ならば妖精たちは聞き届けてくれるのだろうか。
何も答えてはくれない。誰も答えてはくれない。
茜色に燃え始めた空の彼方に、鴉が1羽、悠然と羽ばたいて往くのを、私は只々眺めていた。
せめて運んで欲しい。天に馳せた私の願いを、と。
――読了、至し冬の明鴉」
黒龍が、鈍い音色を響かせ本を畳む。引き金が引かれた。輝く文字達が一斉に広がり飛び立って行く。願いを運ぶ鴉のように。
随分と体が冷える。芯から熱を奪っていくように、寒い。見れば、大気が所々白く輝いている。それも洞窟全域に。煮え滾っていたマグマは徐々に冷やされ、その光を弱々しい物へと変えて行き、流れる速さも緩やかになって行く。
「これは……?」
声と共に吐出された息も白い。桜花は思わず体を擦る。そこへ桜花の声を聞いたのか意識が伝わったのか、黒龍の意識が伝搬した。
――詩詠魔法、と呼ばれている広域展開魔法よ。己顕法を使っている感覚に似ているから、本当に魔法なのかは怪しいのだけれどね。
ともあれ、カテゴリー2Aの面目躍如、と言った所かしら?――
――何はともあれ、良いタイミングだったんじゃね? 少しは時間稼ぎが出来りゃいいんだが――
――だといいのだけれど、早々上手くは行かないでしょうね――
割り込んで来たアズライトの意識にそちらを見やれば、石片の中より救出されたレイロードの姿。一時胸を撫で下ろすも、ひしゃげたチタンの鎧が衝突の激しさを物語る。当然着込んでいた本人も無事な筈はなく、息絶え絶えと力なく横たわっていた。それでも出血が少ない事は朗報だ。失血死は防げる。そう思い、桜花はまた一つ胸を撫で下ろした。
溶岩が冷え固まり、光を失っていく世界の中で、熱の篭ったイグノーツェが朧気に輝いている。
『忘れたか! イグナークァァァアアアア!』
そのイグノーツェは固まった溶岩に捕まっているが、あの膂力からすれば、精々が泥に足を取られた程度であろう。とは言え、僅かな時間は稼げると、桜花はレイロードの元へ駆けた。
接地と同時にアズライトへと尋ねる。
「容態は?」
「生きちゃいるが……流石にマズイか……」
近くで目にするその姿は重篤だ。象圏の反応も悪い。桜花の表情も自然と険しい物になる。答えたアズライトの表情も優れないが、仕方のない事だ。
「これ以上は無理ね。遺跡の方を調べるより、私がマナサーキットを組んだ方が早そう。準備するわ。
アズライト、父さんをお願い。私じゃ重くて運べないから」
光源を失い、夜の帳が下りたかのような薄暗さの中、背後から聞こえた黒龍の声に、アズライトが軽く手を上げて応え、腰を上げる。黒龍が疲れた笑みで、投擲したメルカドル・デ・リブロスを引き抜いていた。その姿を視界の端に捉えながら、桜花は胡乱げに振り向いた。やるべき事を伝えるために。
「では、私が残って時間を稼ぎましょう。元はと言えば私が蒔いた種。自分で刈り取ります」
伝える事を伝え、桜花は表情を隠すように背を向けた。流れを崩した切欠は、意識の混在。桜花自身ではどう仕様もなかった事とは言え、人外じみた桜花の己顕出力が原因だ。これではレイロードが垂れ流していた殺気を笑えない。責任は取る。
黒龍も、アズライトも、そんな桜花に声を掛ける事はなかった。短い付き合いとは言え、言っても無駄な事ぐらいは伝わっていたらしい。一人を除いては。
「耳に、痛い、な……俺は、気が、付きも、しな、かった……
ハッ……鎧が、無ければ、即死、だった、な……案外、馬鹿に、出来ん……」
皆が一様に息を飲む中、レイロード・ピースメイカーが、教皇の企てた凶事その物を指しながら、その身を引き摺り起こしていた。