6. 王と名もなき小人-2
「これも王のお導きかもしれん。私の半生はやはり無駄ではなかった。得体の知れない神などではなく、かの王を求めた私は……ならば、やはり、王は壊してくれる。そして、私の夢が二つも同時に叶うのだ。実に素晴らしい。そうは思わないか?
いやはや、その誉は是非とも我が娘が組んだマナサーキットで、と思ったのだが、はははっ、それは見事に破壊されてしまった」
その言葉に黒竜の表情が歪み、やはりそうだったのね、と口元から声が漏れていた。ロッソ邸でレイロードからリーネアレガーレの話を問われた際に、粗方の骨格が組み上がったのだろう。昨夜、度々に彼方を見つめていたのは、その事を思い悩んでか。
親の心子知らず、子の心親知らず、妄執の雨は鳴り止む事もなく。
「いやはや、彼らから折角面白いものを貰ったのだが、それも無駄になってしまったよ。お陰でこうしてこの地に足を運ぶ羽目になってしまった。嘗て小人の末裔は、この地に王を祀る祭壇を立て崇めたのだからね。
それが何時しか得体の知れない神を崇め、魔術を信仰する組織へと代わり、聖導教会へと至ったようだ。彼らは実に愚かだな。
ああ、そうだな、王とは何だと思うね?」
にこやかに言葉を投げ掛ける教皇は、まるで子供に昔話を聞かせているかのようだ。楽しげなその姿が、眩い光と相まって、一層に狂気を色濃く見せる。桜花の眼には、発せられた一言一言に、偽りの影など微塵も映される事はなかった。桜花自身が瞳の力を疑ってしまう程に。
「父さん……そんな物は居ないの……居ないのよ……」
途切れ途切れに言葉を発し、力なく微笑む黒龍の貌には、既に諦念の色が浮かんでいた。アズライトがああは言った物の、これ以上は見ていられず、レイロードを窺う。
「いや、居るよ」
その瞬間、静かに、しかし力強い教皇の言葉が、いやにハッキリと耳に届いた。その時、まるで肯定でもするかのように、ホールの光量が急激に増大し、周囲の景観が縦に引き伸ばされて行く。
「これは……」
「動いて、いるのですか?」
「にしちゃあ随分……」
その変化にレイロードが、桜花が、アズライトが困惑の色を浮かべる。その最中にあっても、教皇はまるで揺らがなかった。
「この、クァ・トラコと言う星の大陸は実に不自然だ。そう思った人々は数多く居た。4つの大陸に3体のドラゴン。おかしいと思わないかい? 不思議だと思わないかい? 故に彼らはそれを結びつけた!」
「そんな馬鹿な事……」
嬉々として声を高める教皇に、教皇のその言葉に、黒龍が否定的に呟くが、桜花には嫌な汗が頬を伝う。皆一様に険しい表情で、歪みゆく景観の中、続く言葉に固唾を飲んだ。
「南大陸"イグネールォ"は自らの尾を噛む"タイダル"の姿! 西大陸"イグニースィ"は天を駆ける"ジェット"の姿! 東大陸"イグナークァ"は荒ぶり立上がる"フィアース"の姿!
ならば、我ら中央大陸"イグノーツェ"は何だったのか!? フィアースに挑むドラゴンの似姿たるこの大地は!?」
諸手を上げ眼を見開き、天に向かって教皇が吠える。そして、その答えを示すかの如く、歪んだ景観が幕を上げるように引き剥がされた。
そこは既に別世界。周りを囲うは広大な岩肌。天井は100メートルでは収まらない程に高いが、それもまた岩肌で埋め尽くされている。足元には辛うじて参道のように石畳が存在したが、直ぐ先には既にない。
陽光が届かないであろうその世界は、それでも明るさを保っていた。前方の巨大なマグマ溜まり、直径500メートルを超えるそれが発する、紅い溶光に照らされて。
「あれは……オリハルコン、なのか……?」
「おいおい、アレだけ有りゃぁ、己顕士全員分の装備が造れんじゃね?」
レイロードの呟きにアズライトが軽口で返す。その視線は前方の溶岩溜まり、その中心に浮かんでいる物へと向けられていた。
それは数十メートルは有ろうかと言う、三角錐状の赤茶けた塊。だが、それは岩にしては余りにも綺麗に整えられていた。傘を閉じた、或いは開いたかのように、天辺から骨のような筋が伸び、間々の表面は滑らかだ。更には背後に巨大な輪が見える。
「いえ……いえ、あれは……」
「まさか……そんな事……」
比較的冷静に状況を見極めんとするレイロードと、軽口を叩くアズライトに対して、桜花と黒龍は平静では居られなかった。その危機感を後押しするように、塊へと体を向けた教皇の声が朗々と響き渡る。
「そうだ! これこそが! 小人に言葉を与え! 人間の名を与えし我らが王!
人間の王! "偉大成りしドラゴン"! イグノーツェ! その御身だ!
この大地が彼らの姿を描きし物ならば! 解き放たれた王は"イグナークァ"と争い続ける! そして! 今の文明はその役割を終えようぞ! さあ! 我が命を以って目覚め給え!」
不穏な言葉を吐き出しながら、何かを掴んでいた教皇の右腕が頭へと添えられる。瞬間、握られた物が銃だと気が付くより速く、桜花は抜刀と同時に地を蹴っていた。レイロードも共に飛び出していたが、遅い。
「桜花! 抑えろ!」
「貴方は! どうして!」
レイロードと黒龍の怒声が響くが言われるまでもない。こんな在り来りな家族の終末など、見たくはなかった。
教皇の指がトリガーを引き絞り、ハンマーが落とされる。寸前、回り込み切り上げた桜花の刀が、チェンバーよりも前部を斬り飛ばし、ハンマーは乾いた音を立てるだけに終わった。
「貴方には、キッチリと家族に戻って貰います。こんな終わり方は、私が許さない」
眉を吊り上げる桜花にも、教皇はただ穏やかな笑みを浮かべるだけだった。その瞳が一瞬見開かれ、くぐもった声を上げると、糸が切れたように体を崩す。
「難しいだろうな、それは……アズライト、この男を頼む」
聞こえたのはレイロードの声。桜花に遅ればせながらも左手側に回り込み、教皇の腹へと膝を突き入れいたようだ。その表情は変わらず渋いものだったが、それ以上に哀愁を秘めている。少なくとも、桜花にはそう思えてならなかった。
「あいよ、わりーな」
「ありがとう……兎に角戻りましょう……少し待ってちょうだい」
レイロードに促され、既に近くまで来ていたアズライトが、教皇を背負いながら悲しげに表情を歪ませる。力なく声を漏らす黒龍の表情共々心が痛むが、これで一端は終わった筈。そう安堵したその時、大気が震えた。体全体を震わす、重低音に似た大気の震え。
そして――声が響いた。
『イグナークァ……』
桜花の背中から、あの赤茶けた塊の方向から、クァ・トラコ東大陸である筈の名が響く。篭ったように響く。大気の震えを伴って。
桜花も、レイロードも、アズライトも、黒龍も、一様にその視線を声の元へと向け、そして息を飲んでいた。
その視線を受けながら、赤茶けた塊が僅かに動く。
徐々に、徐々に、傘のような表面が割れていった。凡そ、その場に居た者は理解する。アレは翼だと。12枚、6対の翼だ。翼は広がり続け、中に包まれていた物の全貌を明らかにさせていく。
人体に近い上半身。その手前で交差された両腕には5本の指。下腕の下に伸びるブレード状の部位。持ち上がり始める、折れ曲がった太く長い首。その先に乗る、猛禽類や爬虫類が混ざったかのような鋭利な頭部。後端から伸びる4本の角。それらが動く度に、ボロボロとその表装が崩れ落ちていく。錆びついた、或いは風化したように。永い永い歳月の果てに、朽ちていったかのように。
『イィイイイグナァアアアーーーークァアアアアアアア!』
咆哮と共に、翼が、その一枚一枚が、突如として一息に広げられた。朽ちた見た目とは裏腹に、嵐のような烈風が巻き起こり、吹き飛ばされそうになるのを懸命に堪える。
「ツッ!」
「ふあっ!」
「んだこりゃ!」
「こんな事って……」
レイロードが、桜花が、アズライトが、黒龍が、口々に声を漏らす眼前で、赤茶けた塊だった物が、マグナ・ドラゴンが、イグノーツェが、翼の先端から純白の燐光を迸らせた。
そして、表装を落としながら、溶岩溜まりから浮き上がり始める。何処までも長い強靭な尾。四足獣の後ろ脚にも似た、指を持たない脚部。装甲に覆われたような全身。
全高60メートルは有ろうか言うその姿を、遂ぞ顕わにさせた。朽ち果てて尚、亜龍種などとはまかり間違っても似つかない、圧倒的な偉容。神々しささえ感じられる、絶対的な恐怖を。
『何故、ダ! 何故、貴様ハ、争ワセル!』
壊れた機械のように、ノイズ混じりのロマーニ語。それを発するイグノーツェを、呆然と眺める一同の前で、黒い板状の瞳、瞳孔も何も見えなかったその瞳の中で、放射状に光が収束し出す。それはまるで……。
「プリミティブ・レイ……」
黒龍の呟きは当然の如く桜花にも届いた。そう、それは桜花の瞳と同様の。しかし……。
「いえ、違いますよ、多分……」
険しく表情を歪ませながら桜花は返す。何がどう違うかは分からない。ただ漠然とだが、アレは別物だと、瞳が訴えていた。
それに応えるかの如く、イグノーツェの瞳に奔る収束光が、その勢いを次第に増していく。瞳の中心に集う原初の光はその規模を広げ続け、遂には星の生誕を告げるかのように、瞳の一点に収束する。
『イグナークァ……』
静かに吐出された咆哮の広がりに合わさるように、瞳に集った光が瞳孔の如く広がると、その姿は円から環へと象られていた。と同時に、瞳の環に、背負った環に、何かが滑り出す。右に、上に、左に、下に。並べられたその形、それは……・。
「四方菱輪十字……」
変わらぬ渋面でレイロードが呟いた物は、聖導教会のシンボルマーク。円の四方に菱形を並べたその紋様が、イグノーツェの背と瞳に、爛々と輝いていた。
「アッハハハハッ! な~に? 得体の知れない神様が! 求めていた王様だった!? 何それ!? そんなよくあるお伽噺に! 母さんは! 私は! 何で貴方は!」
手で顔を覆い、半ば狂乱じみて喚き散らす黒龍に、その場の誰もが掛ける言葉を持ち合わせていなかった。だが、今ここでグズグズしている訳にはいかない。アレは、アレはどうにもならない。
「あー、笑っちまうなこりゃあ。兎に角どっか隠れっぞ! 隠れられるんだか知んねーけど!」
「笑えませんよ。ですが賛成ですね。正直、何か出来るような気がしません」
アズライトにしてもそれは同様だったらしく、軽口を叩きながらも、焦りを見せ訴えている。桜花も拒否する理由など見当たらず、素直な感想と共に賛同した。
「分かっているわよ……一刻も速く戻って避難勧告を出させないと……」
ふらつきながらも、思考出来るだけの余裕は残していたらしい黒龍に安堵し、桜花はイグノーツェに背を向ける。何故だか未だその場を動かないレイロードに声を掛けようとし、桜花の眼が、イグノーツェの瞳を捉えた。
桜花を見据える、イグノーツェの瞳を。
思い出したのは、2日前。レイロードに敗れ、大地に寝そべり空を見上げていた時。ジェットが大空からこちらを見た気がした時。アレは、見ていたのだ。勘違いでも、何でもなく。
『何故ダ……』
イグノーツェの咆哮に、足を動かそうとするも体が言う事を聞かない。今直ぐこの場を離れなければと思いながら、全く言う事を聞かない。
恐怖から、ではない。逃げるだけなら逃げきれる。故に恐怖ではない。レイロードの前に立った時も、同じ感覚が沸いて出た。
本能にも似た、戦わなければならないと言う感覚、何かが変わるかも知れないと言う、漠然とした予感。それが、逃げろと言う理性とせめぎ合い、金縛りのように体が動かない。後ろから、黒龍とアズライトが、早く逃げろと叫んでいるが、動かない物は仕様がない。
隣に立つレイロードは、何を感じているのだろうか。恐怖、だろうか? だとしたら幻滅だ。取り留めなく働く感情と思考の中で、イグノーツェの右腕が持ち上げられるのを見る。それだけでも20メートルは有るだろう。そして、下腕の下に伸びるブレード状の物が、ジャックナイフよろしく手前へと展開され、上段へと振りかぶられた。
『応エロォォオオオオオッ! イィイイグナークァアアアアア!』
そして咆哮が大気を割り、ゆっくりとそれが振り下ろされた。否、体が大きすぎて遅く感じるだけであり、速い。迫る刃はまるで壁。
駄目だ。桜花が諦め掛けた時、その眼前に踊り出た影が見える。夜色のマントを棚引かせる姿が、やけに印象的だった。抜き放った刀の峰を左手に乗せ、頭上に掲げている。
まさか、合わせる気だろうか、と桜花の頭は困惑に陥った。合わせとは、相手と自身の力を利用して軌道を逸らす技工だ。それをこの巨体相手に行う、無謀もここまで来れば笑えない。
笑えないと嗤う桜花の視界を、覆い尽くさんばかりに迫った壁が――僅かな火花を散らし、突風と轟音を伴い大地へ突き刺さった。
「グゥッ、! クゥゥゥッ!」
「う、くっ!」
何かが砕ける音が、破らんばかりに鼓膜を揺るし、桜花は咄嗟に顔を庇う。土煙が視界を覆い、撒き散らされた石礫が弾ける音が、至る所で木霊する。そして赤茶けた刃は、桜花の右横スレスレに突き刺さっていた。
それを見た時、成る程、勝てなかった訳だと、桜花は自然と腑に落ちた。こんな無謀をこの男は積み重ねて来たのだろう。それが、超えられる筈のない限界を超えさせ、至る筈のない天へと至らせた。
無謀の果てに辿り着いた天の窮み。そんな物に敬意など払えよう筈もない。が、いざその姿を見せつけられれば、憧れは、してしまった。してしまったのだ。
そんな事だから和雲の友人に、織佳ちゃんって男の子みたいだね、などと言われてしまうのだが、どうしようもない。
不思議と体が軽い。先程とは嘘のように。動く、万全に動く。動かなくても動かすだけだ。ただ憧れて終わらすだけなど、もう出来ようにもなかった。
「ハッ、どうした? 笑えよ、桜花……何とか、なったぞ?」
桜花が見据えた先には、煌々と瞳を輝かせ、獰猛に口の端を釣り上げる、レイロード・ピースメイカーの姿があった。